王宮のトランペット 第五話

 ラインハット城警備隊長トムが、宿直していた宰相秘書ネビルをたたき起こしたのは、夜明け前のことだった。
「秘書殿!」
トムは叫んだ。
「大公殿下にお取次ぎください。風の帽子が、消えました!」
ネビルは飛び起き、寝間着にナイトキャップのままで物も言わずに走りだした。宰相執務室にヘンリーとデール兄弟、グランバニア国王夫妻が集まってくるまで、いくらもかからなかった。
 トムとその部下の兵士、タンズベール伯爵が入れ替わり立ち代り報告するのを、デール王とヘンリー宰相は黙って聞いていた。
「このままでは、コリンズ様の王太子宣誓ができないことになりますな」
伯爵が青い顔でそう言い、ヘンリーの顔を見た。
 ヘンリーは腕を組みなおした。
「ネビル」
「はい」
「頭をはっきりさせる必要があるな。みんなにコーヒーを入れてくれ」
「ただいま」
さっとひっこもうとする私設秘書に、ヘンリーは苦笑をくれた。
「最近、変わったな、おまえ」
「そうですか?いえ、コーヒーならおまかせください」
いそいそと手を動かしながらネビルが言った。
「妻のリアラが、“あなたのいれてくださったコーヒーは美味しいわ”と先日言ってくれましたので」
長年憧れ抜いてきた美人の従姉と結婚して、ネビルはまだ新婚状態である。
「昔は口をきくたびに、“威厳が”とか“気品が”とか言ってたくせに、最近は、一日一回は奥方の名前が出る。しつけがいいらしいや。幸せものめ」
ネビルは美しく聡明な妻に傾倒している、というよりもあからさまに尻に敷かれているのだが、確かに生き生きとして幸せそうだった。
「ヘンリー様には言われたくはございません!」
今度王太子になろうかという息子がいるくせに、まだ人前でマリアといちゃつくクセのあるヘンリーは、けっとつぶやいた。
「何か言ったか、ああ?」
デールが咳払いをした。
「兄上」
まじめな顔でデールが言った。
「誰のしわざだと思っておられるのですか?」
執務室の中が小さくざわめいた。
「先へ走りすぎだ、デール」
とヘンリーは言った。
「夕べ、まず、誰かがあの展示台を襲った」
タンズベールの伯爵は、手にした巻物を広げた。
「問題の展示台には、歴代の王女が使用した宝石入りのティアラ数種、女王のヘッドドレス大量の真珠付き、国王の儀礼用の黄金製かぶとがいくつか、それに風の帽子が収められていました」
「ほかのブツはなくなっていないんだな?」
「はい。ぱっと見たとき、一番値打ちの安いようなものを狙って盗んでいったのです」
「ただの泥棒じゃないわけか」
「風の帽子はコリンズ一世が使用した魔法系アイテムで、ずっと城の保管庫におさまっていました。あれの値打ちを知っているものでないと、盗んでいこうとは思わないはずです」
トムが続けた。
「最初の襲撃ですが、回廊を担当した兵士は、不審な人物は入らなかった、と言っています。ただ、一人だけで肖像画の回廊に入ってきた白いドレスのお嬢さんがいた、ということです。騒ぎはそのすぐ後だったので、その娘に間違いないだろう、と」
「だとしたら、彼女、たいした根性だ」
とヘンリーが言った。
「燭台で蓋をなんども殴ったあとがあるんだ。恨みか?と思ったくらいだぞ」
「たいそう若く、子供のような娘だったそうです。まさか展示台の蓋を叩き割ろうとするなんて」
ふふふ、と誰かが笑った。
「何がおかしいの?」
グランバニア王妃ビアンカが、夫に聞いた。
「ん、いや、誰かさんが子供のころなら、やりかねなかったな、と思ったんだ。たいそうなおてんばさんだった」
「あら!」
ビアンカはわざと目を見開いてみせた。
「あたしだったら、ちゃんと叩き割って目当ての物を持ってったわよ!」
ぷっと吹き出してルークは手で押さえた。
「ごめんよ、ヘンリー」
ヘンリーは横目で親友をにらみ、ため息をついた。
「仲むつまじくてけっこうだな」
「皮肉を言わないでよ。でもそのときは風の帽子は盗られなかったんだね?」
「ああ。それで片付いたと思っていたんだが、トム、そのあとはどうなったんだ」
「申し上げにくいのですが」
トムは少しためらった。
「そのあと肖像画の回廊へ入ったのは、コリンズ殿下と、グランバニアの王子、王女殿下だそうです」
「子供たちが?」
ルークが言うと、トムは、はあ、と言って目を伏せた。ヘンリーは腕を組みなおした。
「さて、潮時だな」
そう言って、顔を上げ、大声で言った。
「コリンズ!盗み聞きは終わりだ。出て来い。おまえの証言が要るんだ」
たいていの子供は寝ている時間だったが、隣の部屋の境にあるドアがそっと開いて、コリンズとグランバニアの双子が姿を見せた。
「説明してもらおうか?」
コリンズも双子も、青い顔をしていた。
「あのさ、伯爵、聞いてもいい?」
タンズベール伯爵は慇懃に一礼した。
「どうぞ、殿下」
「あの、風の帽子って、ずっとうちの城にあったの?よその貴族の家とかに伝わっていて、ユリア大叔母様がとりあげた、なんてことはない?」
「ないと存じます。記録によれば、ユリア様のところはおろか、王朝始まって以来この城から外に出たことはありません」
コリンズはうめいた。
「しまった、やられたっ」
カイ王女がさっと顔をふりあげた。
「イリスちゃんが嘘ついたって、決まったわけじゃないわ!」
「けど」
というのを、ビアンカがさえぎった。
「イリスちゃんて?」
子供たちは顔を見合わせた。コリンズは後ろ手に持っていたものを、ヘンリーの机の上に置いた。
「イリスは、昨日、帽子を盗もうとした女の子だよ。これを持ってた」
ガラスの靴だった。大人たちの視線が集中した。
 ガラスの靴は角度を変えると灯りを反射してきらびやかに輝いた。なんとも言えずほっそりとして美しい、可憐な細工だった。デールが靴を手に取り、いろいろな部分をながめ、確かめ、考え込み、机に戻した。
「ディントン大公家に伝わる、“ガラスの靴”ですね」
室内から小さなため息が漏れた。
「これも、風の帽子と同じように、魔力のあるアイテムなのです。といっても、着用したものの“魅力を上げる”、ということですから、女性の装身具一般にあてはまるかもしれません」
「それはおいといて」
とヘンリーが言った。
「なんでその靴の持ち主が風の帽子を狙っていたんだ?」
コリンズはのろのろと答えた。
「イリスは、元の持ち主に返すんだって言ってた」
「何をバカな。風の帽子の正当な持ち主は、おまえだぞ、コリンズ。立太子式ではそのアイテムを持って宣誓するんだからな」
「そんな」
コリンズは絶句した。
「それなのにおれ、風の帽子を自分であの子に渡しちゃったんだ」
「なんだと?」
コリンズはごそごそとポケットを探り、中身を差し出した。
「展示台の鍵。父上の文箱にあった」
ヘンリーの手があがり、自分の額を押さえた。
「こンの、クソがきが……」
「ごめんなさいっ」
コリンズは叫んだ。
「イリスは信用できると思ったんだ!」
「コリンズや」
静かにデールが言った。
「その娘は、イリスと言うのですね?」
「って、自分では言ってたよ」
「その名前はラインハット王家の子によくある名前なのです。女は、アリス、イリス、エレナ、男だとアドリアン、オーリン、エリオス、のようにね。しかも、ディントン家伝来のアイテムを所持していた。王家の一員かもしれません」
ヘンリーは首を振った。
「うちは先祖代々女好きだからな。王家の御落胤なんて、あっちこっちにいると思うぞ」
「兄上……」
「ディントン大公家は今どうなってるんだ?」
「廃絶です。開祖はもちろん、ディントン大公アドリアン叔父ですが、ディントンの反乱のあと、叔父夫妻は死刑、子供は公式にはいなかったはずです。領地は王家が没収しました」
 そのとき、ネビルがやってきた。固い棒でも呑み込んだような硬直ぶりで、冷や汗を流しながら、震え声でささやいた。
「陛下、太后さまがお見えになりました」
デールは、落ち着いていた。
「お通ししてください」
従僕が扉を開くと、侍女のセイラを従えたアデル太后と、ユリア大公妃が入ってきた。高齢の貴婦人たちは、用意された椅子に深く腰掛けた。
「こんな朝早くからおよびたてして申し訳ありません」
デールが言うと、アデルはベールを持ち上げた。
「まあ、珍しいこと。ガラスの靴だわ」
「風の帽子を持ち去った者が所持していました。私の見るところ、本物だと思います。母上、叔母上、ディントン大公の子孫はどうなったか、ご存知ですか?」
「大公妃様との間には、公式にはお子はありませんでしたが」
アデルは義妹のほうをふりむいた。
「おぼえておいでかしら、ユリア殿」
「ええ、太后様」
ずるそうな目をきらきらさせて、グレイブルグ大公妃ユリアは答えた。
「あの女官ですわね。アドリアン様がご寵愛の」
「なんと言ったかしら?たしか、お子もあったはずだけど」
「女官の方はエリザなんとか、でしたかしら。アドリアン殿の奥方に見つかって大騒ぎでしたっけ」
「たしか所領を与えて遠ざけたのだった思います。そのときに父方の血統を証明するために、ガラスの靴を預けたのでしょうね」
室内にいた人々の間から、ためいきのような声がもれた。
「イリスとは、親戚だったんだ」
コリンズがつぶやいた。
「だから似てたんだわ。なんとなく、知らない子だっていう気がしなかったの」
ヘンリーとデールは、顔を見合わせた。
「風の帽子を取り戻すには、その少女の居場所をつきとめなくてはなりません」
「たぶん、そのエリザ・なにがしという女官のもらった領地に住んでいるんじゃないか?ユージン、頼みがある」
タンズベールの伯爵ユージンが顔を上げると、ヘンリーと目があった。
「領地をもらった女官だ。姓は不肖だが、エリザという名前で、エリオス王の時代のことだ。わかるか?」
「今日中に調べてまいります」
力強くそう言って、伯爵が出て行こうとしたときだった。ネビルの大声があがった。
「お待ちください!宰相様と国王陛下が大事なお話中で……困ります、あの、ちょっと!」
ネビルを押しのけて、ランスロット・オブ・レンフォードが入ってきた。
「よお、朝が早いんだな、ランス」
平然とヘンリーが言った。ランスの後ろには、腰ぎんちゃくのマックスとテディもついてきていた。
「肖像画の回廊で大騒ぎだったぞ。風の帽子がなくなったらしいな」
ランスはうれしそうだった。目がぎらぎらしている。どうやら、騒ぎが起きるのを誰かに監視させていたらしかった。
「おれのにらんだとおりだ。やっぱり立太子式はごまかすつもりなんだな?」
室内に緊張が走った。タンズベール伯爵は蒼白になっていた。アデルもコリンズも、一言も口を利けない。
 突然、ヘンリーがあくびをした。
「疲れがたまったかな。最近、どうも早起きがつらい」
「寝ぼけるな!質問に答えろ!」
じろ、とヘンリーはランスをにらみつけた。
「そっちこそ寝ぼけてんじゃねえよ」
「なんだと?」
「展示台に風の帽子がない?あたりまえだ。もうちょっとで立太子式だからな。保管庫へ戻したんだよ」
「じゃ、どうしてこんなとこに集まってんだ、おまえら」
「“おまえら“ぁ?」
ヘンリーの眉が釣りあがった。
「気をつけて物を言え。ラインハット、グランバニア両王国の国王陛下の御前だぞ」
一瞬、ランスと腰ぎんちゃくたちがすくんだ。
「昔のよしみで特別に教えてやるか。これは、家族会議だ。見ろ」
片手を机の方に振った。
「夕べ、舞踏会に来た謎の美少女が落としていったんだ。だよな、コリンズ?」
話を振られたコリンズは、そ知らぬ顔で続けた。
「すごくかわいい子だった。何とかしてもう一回、あの子に会いたいんだ」
すばやくデールがひきとった。
「しかし、王太子の花嫁ともなると、それ相応の家柄でないと」
今度はアデルだった。
「デールや、コリンズが気に入った娘さんなら、身分などは二の次でしょう」
 考えてもいなかった展開だったらしく、ランスたちは目を白黒させている。そこへ、ヘンリーのやり方にはすっかり慣れているルークが加わった。
「ぼくは残念だよ。コリンズ君と娘のカイが、二つの王国の橋渡しになってくれるかと思っていたのに」
「ルークったら、うちから遠いところへカイをお嫁に出すなんて、つらいわ。やっといっしょに暮らせるようになったのよ」
ビアンカまで調子に乗っていた。
「お母さん、あたし、そんな」
コリンズがぎょっとし、カイが赤くなって叫ぶのさえ、妙に真実味がある。
「お、おい、ちょっと待ってくれ」
 ヘンリーは、とまどっているランスを歯牙にもかけなかった。
「もういいだろうが。これは家族の話なんだ。おまえら、邪魔だ、邪魔。とっとと出て行け」
「いや、しかし!」
とランスが言いかけたのを、ユリアがさえぎった。
「もう、およし。お若いの」
「グレイブルグのユリア様……」
ユリアは大儀そうに扇を開いて、その陰からつぶやいた。
「クレメンス殿かえ?悪あがきをしてるのは」
クレメンス侯爵は、ラインハットの大貴族だった。クレメンス家の一人娘が、ランスロットの妻である。悪あがきといわれて、ランスがかっとした。
「義父は、ユリア様はじめ、ラインハット貴族の本来の権利をここにいる馬の骨から取り返すために!」
「馬の骨ってのは、おれのことか?」
とヘンリーが言い、視線をユリアの方へ向けた。
  グレイブルグのユリアがかつてヘンリーとは軍を率いて敵対したことは、ラインハットではよく知られていた。そのとき敗北して以来、ずっと隠居状態だが、今でもユリアは反ヘンリー派の大物とみなされていた。
 ほっほっほ、とユリアが笑った。
「ばかだねえ、お若いの。あたしゃ、とっくにあきらめましたよ」
「ユリア様!」
ユリアは扇をぴしゃりと閉じた。
「しゅうと殿によく言っておやり。今ここでコリンズ殿を王太子の座から遠ざけても時代はかわりゃしませんよ。その流れが見えないのかい?おまえさんたちだけで、何ができるというの」
「王権を本来の姿に戻し……」
「これだからねえ!」
ユリアはやれやれと手を振った。
「なんにしても、あたしは巻き込まないでおくれ。負けとわかっている戦はしないことにしたんだよ」
ランスは真っ赤になった。マックスは愚鈍な表情で退屈そうにしているが、テディはおたおたしている。ランスはいきなりヘンリーをにらみつけた。
「いいか、覚悟しろ!これから立太子式まで、クレメンス家に同盟するものが、一挙手、一投足にいたるまで、おまえの行動を監視しているからな。何かごまかしでもしてみろ、大声で国中にきさまらの非を鳴らしてやる。そこの坊主!」
やつあたりはコリンズにまで達した。
「安閑と王太子になれると思うなよ!」
大人気ない怒鳴り声だったが、コリンズはひるまなかった。
「ふざけんな」
と言い捨てた。
「おれたちだって、おまえらのこと、許さないからな。おれがちゃんと宣誓して王太子になったら、おまえ、父上の家来になれ」
「なんだと?」
「野放しになってるから、バカなたくらみなんかしたくなるんだ。子分じゃ、おまえにはもったいないや。家来になれ、約束だぞ」
ランスはせせら笑った。
「いいだろう!約束してやる。その代わり、立太子式に風の帽子を持って来なかったらどうなるか、覚悟しろよ」
「覚悟するのはそっちだ。父上に、おまえのこと、死ぬほどこき使ってもらうからな!もともとすっごく大変なんだぞ、父上の家来やるのは!」
「おいおい」
ヘンリーはそうつぶやき、ネビルに声をかけた。
「こいつら、追い出せ」
その声を待ちかねたように、ネビル始め従僕がランスたちを部屋から押し出した。
 アイルが声をかけた。
「コリンズ君、かっこよかったよ」
「えへへ」
だが、カイはまじめな表情だった。
「絶対に風の帽子は、取り戻さなくちゃ」
「もっちろん。父上、これから、どうするの?」
と、コリンズが言った。
「まず、イリスという娘を探し出す。運がよければ彼女の手元にまだ帽子があるかもしれないからな。伯爵、調べをつけてくれ」
は、とだけ返事をして、伯爵はすぐに退出していった。
  静かにデールが言った。
「黒幕が割れましたね」
「クレメンス侯爵か。いくつになっても、枯れねえじいさんだ。それにしても」
とヘンリーは言った。
「思わぬご支援、ありがとうございました、叔母上」
ユリアはふんとつぶやいた。笑ったようでもあった。
「ヘンリー殿も、お若いときはもっと尖っておいでだったのに、近頃とんと丸くなってしまわれて。あの若造どもとクレメンス侯爵、なんだって今まで生かしておかれました?どんな理由でもいいからくっつけて、さっさとつぶしておしまいになればよかったものを、ヘンリー殿らしくもない」
「え~、その」
珍しくヘンリーは口ごもった。その表情を見て、ルークたちが笑いをこらえている。
「伯母上の足元にも及ばぬ小心者ですので……」