人間狩り

 前夜の雨が石畳を洗い、ラインハットの町は美しい朝を迎えた。
役人たちは朝から忙しく立ち働き、街の辻や角に、そして湖に面した広場に、次々と高札を掲げていった。
 高札のそばには役人二人と護衛の兵士たちがついていた。集まってきた市民を前に、告示の内容を読み上げた。
「最近特に、エルファンネル大陸にて不穏の動きがある。このたび我がラインハット王国は、志願の兵を募って軍備を強化することとなった。剣をもって王に仕えることを望むものは、申し出るように」
 摂政太后、宰相の名においてかく申し告げる、と役人は結んだ。
市民たちは不安そうにお互いの顔を見た。
「エルなんとかってどこにあるんだ」
「聞いたことねえぞ」
「おれはやだね、おっかなくて」
役人はそう言った男をじろりと見て、護衛兵に合図をした。たちまち男は兵士たちに囲まれた。
「わあ、なにすんだ、あんたら」
「いいから来い!」
護衛隊長は、陰気に笑った。
「よし、志願兵第一号だ」
悲鳴を上げて市民は逃げ出した。
「とっ捕まえろ!」
こうしてラインハットの人狩りが始まった。

 街中に傭兵があふれていた。
 傭兵たちはただでさえがらが悪くて乱暴で、人々の鼻つまみものだった。武器を持たない市民から金や物を巻き上げ、買いものをしても支払いをせず、文句を言えば犬をけしかけ、店を打ち壊す。
 軍に訴えても、泣き寝入りならいいほうで、文句を言ったほうが逆にぶちこまれることも多い。
 正規軍兵士の扱いにはなっているが、傭兵は市民にとってよそ者であり、疫病神だった。そして今や彼らは死の使いだった。
 人狩りにあって無理やり兵士にされた者は、二度とラインハットへ帰れないらしい、と口コミで伝わっている。勝っても負けても、遠征の地へ置き去りにされるといううわさだった。
 枝分かれや袋小路の多い、迷路のような下町を、大工のロブが肩で息をしながら歩いていた。
「ええと、どっちだったか」
 少し前の角で人狩り隊に声をかけられ、げっと叫んで一目散にここまで走ってきたのである。
 ロブが探しているのは小さい教会だった。ラインハットの教会はもともと城の中にあったのだが、アデル太后が光の教団に入信して以来廃止されてしまった。
城から出された神父は、街中の小屋を借りて新しい聖所にした。光の教えの大流行に見る影もないが、今も細々とその火は守られていた。
 そして、どういうわけか傭兵の隊長はその教会へ踏み込むのをいやがる、という噂があった。今、ロブが頼りにできるのは、噂くらいのものだった。
 誰かが前を横切った。ロブはさっと商家の鎧戸へはりついたが、傭兵ではなかった。一人二人ではない、何人も同じ方向へ走っていく。その先に教会があるのだと気がついて、ロブはまた走り始めた。
「いたぞっ」
 野蛮な声にロブは飛び上がった。後ろから人狩り隊が殺到してきた。ロブの前を走っていた男が教会代わりの小屋の中へ入ると、いきなり扉を閉めてしまった。
「逃げようたぁ、ふてぇやつだ」
肩先に熱い息がかかる。上のほうにある小窓が開き、人がようすをうかがっていた。
「ちょっと、おれが残ってんだよ、助けてくれ、開けてくれよぉ」
ロブは扉の取っ手に手をかけてしがみついた。
「かまわねえっ、指を二、三本ぶった切れ!」
「ひいいいっ」
ロブの悲鳴に、別の声が重なった。ロブは首を縮め、それからそっと後ろを見た。
 奇妙な竜巻が傭兵たちを襲い、切り刻んでいた。あたりは血しぶきにまみれた。
「今のうちだ、お入り!」
女の声がそう言って、細く扉を開けてくれた。ロブはどうにか扉の中へ滑り込んだ。
 小屋の中には神父らしい老人のほかに、ぎっしりと人が集まっていた。どの顔にも不安が漂っている。だがロブをいれてくれた女は、もう若くはないが気丈そうな中年女だった。
「あいつらこのあたりを廻って、逃げおくれを捕まえてるのさ。また誰か来たみたいだ」
女と二、三名のものが明り取りの小窓に取りついて外の様子を見ていた。ロブも思わず外をうかがった。
 地べたにうずくまってうめく傭兵の中から、どうにか数名が起きあがった。
「畜生めが……」
隊長は風に切り刻まれた顔のままで吼えた。
「このままじゃあおさまらねぇっ、火を持って来い、このぼろ屋、いぶしてくれる」
部下が火を取りに走り出そうとして立ち止まった。隊長は目をむいた。二人の男と、一体の奇妙な生き物が、小屋の前の道をふさいでいた。

「そこどけぃっ!」
 隊長は、割れ鐘のような大声で自慢の気合を入れた。傭兵歴30年、そこらのいきがった若造なら、これだけでしっぽを巻くという迫力だった。
「なんで。火遊びがしたいんだろう?遊んでやるよ」 
ヘンリーは長剣を構えた。
 ラインハットの街中には、人相の悪い傭兵があふれていた。人を見れば襲いかかり、身包み剥いでひったててゆく。明らかに旅行者という姿をしたルークやヘンリーさえ、この日だけでもう何回も襲われていた。
「教会なら安全かと思えば、こんなとこまで出てきやがって」
ヘンリーはそのまま隊長めがけて斬りこんだ。
 隊長の後ろにいた傭兵が、あわてて呼子を吹き鳴らした。金切り声に似た音が、あたり一体から傭兵を呼び寄せた。
「ピエール、後衛へ。後からきた連中をまず無力化」
ルークは冷静だった。
「ヘンリーはそのまま前衛、傭兵隊長に集中、あとはぼくが」
ヘンリーは足をひいて低い姿勢をとった。風の呪文がうなりをあげて頭上を通りすぎた。
 ヘンリーは一度間合いを取り、剣をかまえなおして斬りかかった。はるか後ろのほうで強烈な光が炸裂し、爆音に混じって悲鳴と怒号が続いた。
「そいつは弱ってきている。ピエール、ヘンリーに代わってとどめ。ヘンリー、こっちの頭数を減らしてくれ」
「はいよっ」
すれ違うとき、ピエールはつぶやいた。
「こんな雑魚相手に手間取るとは、まったく」
「ぬかせ」
誇り高きスライムナイトは、剣を高く構えた。が、その刃は傭兵隊長の腹までしか届かなかった。
「なんでモンスターがおれたちにたてつく……」
ピエールはみなまで聞かず、無造作に突きをいれて隊長をしとめた。ピエールはやれやれと(騎士のほうの)頭を振った。
「人間など、剣の穢れである」
ヘンリーは吼えた。
「ほざいとらんで、手伝え!」
 狭い道を二人でふさいで、ルークたちは傭兵の流れをせき止めていた。ヘンリーの長剣とルークの杖が空を舞い、流れは見る見るうちに細っていった。一人二人が逃げ出して、戦闘は終わった。
「我が呪文一発で簡単にほふれるものを」
ピエールがうそぶくと、ヘンリーは顔をしかめた。
「おまえ、もうMPないだろ」
「むろん、いざとなればこの剣にかけて」
ルークは笑いかけた。
「頼りにしてるよ、ピエール」
ピエールは満足そうにうなずいた。
「何度も言うが、こいつを甘やかすなよ」
 小屋の扉がそっと開いて神父が顔を出した。
「ご無事でしたか」
「関所に続いて、またあなた方に助けていただいたようです」
「けががなくてよかった」
扉の中から、おびえた声がした。
「神父さん、早く入ってくれよ」
「あいつらがまた来るよ」
神父はあたりをうかがった。
「あなた方も、早くこちらへ」
ヘンリーたちが敷居をまたごうとしたとき、中から若い女の悲鳴のような声が上がった。
「だめよ、あいつらが仕返しに来たらどうするの。巻き添え食うわ」
ルークは足を止めた。
「少し狭いが、お入りなさい」
神父は重ねて言ったが、ルークは首を振った。
「ぼくたちは、別の隠れ場所を探します。どうかお気をつけて」
「おまえ、人がよすぎるぞ」
ルークについてきびすを返したヘンリーがつぶやいた。
「なんとかなるよ。それに、あそこはピエールの好みじゃなさそうだし」
ピエールはうなずいた。
「抹香くさいのは神経に障るのである」
「あのな、気に障ると書いてきざと読むんだぞ」
「それがどうかしたか未熟者」
「半人前のスライムナイトが言うか?」
「ヘンリー、ヘンリー」
ルークは友人をなんとか止めた。
「それより、これからどうする?」
「一度湖の広場へ戻るか」
「あのう」
ヘンリーたちが立っている場所の近くから、遠慮がちな声がした。そばの壁にあいた明り取りから、先ほど辛くも逃れた男、ロブの顔がのぞいていた。
「あんたたち、助けてもらっといてごめんな。広場はだめだよ」
「傭兵がいるんですね?」
「溜まり場だよ。それに、大きな旅篭はみんなあいつらの手入れが入ってる」
ロブは気の弱そうな笑顔を見せた。
「そこの道をまっすぐ行ってかもめ亭っていう看板のところを左へ入りな。小さな宿があるから。きっとかくまってくれるよ」
「かたじけないである」
ピエールが真下から言ったので、ロブは驚いてきょろきょろした。
「かっこつけてんじゃねえ!」
ヘンリーがピエールを小突いて歩き出した。
「ありがとう。あなたも気をつけて」
ルークはそれだけ言って後を追った。

 ロブは普段から人の厄介にかかわらないで、うつむくようにして生きてきた。人を助けたい、力になりたいと思ったのは、初めてだった。とても、気持ちがよかった。
 ふりむくと、最初にロブを助けてくれた中年女が少女の手をひいて立っていた。ロブは照れくさい気がした。
「だいじょうぶ。あの人たちも行ったよ。まだ子どもみたいなくせに強かったな。無事だといいけどな」
女は妙な顔つきをしていた。
「あの人たちって、今、誰と話してたんだい?」
「名前は知らないよ。若い剣士とすごい杖使いだった」
「かあちゃん、どうしたの?」
少女があどけなく聞いた。
「聞き覚えがあったんだよ、声にね。知り合いかしらね」
「お城にいたころの?」
「え、ああ。そうねえ、たぶん、人違いだわねえ」
女はそう言って、どこか上の空で娘の髪をなでた。
「またお城のお話して?小さな、いたずら者の王子様がいたのでしょ?かあちゃんの作る焼き菓子が大好きだったのでしょ?そしてこっそりつまみ食いに来て、お尻たたかれたのよね?」
女は笑った。
「そうだよ、クリス」
女はしばらく黙っていたが、急に神父を呼んだ。
「クリスをみてていただけませんか」
「メルダさん、外はいけません。まだ怖いですよ」
メルダは娘の手を神父の手のひらへおしこんだ。
「こんなおばさんを志願兵にはしますまいよ。ロブさん、あんた、かもめ亭を教えてたね?」
「ああ、うん。あそこの女将はなんていうか、侠気のある人だから」
メルダは聞いていなかった。
「ちがいないよ。ヘンリーって呼ばれてた。第一、このメルダが間違えるものか」
元、お城の料理女メルダは、ぶつぶつとつぶやきながら、何かに憑かれたように飛び出して行った。