王子帰還

 「かもめ亭」は、小さいがいかにもくつろげそうなよい宿屋だった。
入口は閉じていたが、軽くたたくと女中が出てきた。わけを話すと、すぐに入れてくれた。
 今役人が宿をあらためているから地下室に隠れて、と小柄できっぷのいい女将は言った。
「そこなら大丈夫だよ。誰も入れやしませんさ」
女将は胸をたたくようにして請け合った。
「今夜はゆっくり眠れそうだね」
「彼女はなかなかの人物である」
ピエールは重々しく言った。
 スライムナイトを見て女将はさすがにギョッとしたらしいが、ルークが連れだと言うと、きちんと客として扱ってくれた。
「おれだったら、たたき出すんだがな」
「おぬしのような小生意気なガキは物置でよいのである」
 ヘンリーはスライムナイト(のスライムの方)を蹴飛ばそうとして、ふと足を止めた。ルークはちらっとヘンリーの顔を見て、互いにうなずきあった。
 最初にルークがすたすたと階段を降りていった。彼の周囲にたちまち殺気が集中した。その瞬間、ヘンリーは呪文をぶつけた。室内に爆音がとどろき、閃光がひらめいた。
 闇の中から、三人の男の姿が浮かび上がった。突然の小太陽に、手で顔を覆っていた。
 ルークとピエールが襲いかかった。たちまち二人が武器を叩き落された。最後の一人がヘンリーのほうへ向かってきた。
 すばやい太刀筋をヘンリーは鞘ぐるみで支えた。その一撃で、皮製の鞘が砕け散った。襲撃者は逃げるどころか、物も言わずに襲いかかってきた。
 あたりは再び闇の世界になった。音を頼りにヘンリーは二、三度刃を交え、それからどなった。
「てめえ、いいかげんにしろよ、なんのまねだ?」
襲撃者は笑った。ヘンリーは体をぶつけて相手を壁に固定し、剣先をつきつけた。襲撃者は不敵なほど冷静に答えた。
「インクを浴びた礼と言えばおわかりか」
ヘンリーはしばらく相手を押さえたまま黙っていた。荒い呼吸の音が響き渡るようだった。
「おれがインクを引っ掛けた相手は十や二十じゃきかないが、おまえはオレストだ。一番執念深いからな」

 ライジが火打石を打ちつけて、室内に灯りをともした。オレストは目の前の若者を見つめた。
「確かにあなたは、第一王子の幼いころにも先代国王にもよく似ているし、この私に関する記憶もある」
オレストはゆっくり言った。
「しかし、王位継承者の確認には、慎重になりすぎるという事はない」
「おれは王位なんか継がない」
オレストは無視した。
「あなたが行方不明のヘンリー様と同じ人物だと言う証拠は?」
ヘンリーは片手に剣の柄を下げて階段を降り、ルークの横に立った。
「はっきり言って、ない。何もかも取り上げられた。強いて言えば、ここにいるルークはおれが誘拐されたときから一緒だったから証人だけど、おまえらはそれじゃ信じないだろう?」
「友人の証言ではね。ザカリー」
オレストが呼ぶと、物陰に伏せておいたザカリーが、一人の女性を連れ出した。
「彼女が誰だかわかるか?」
 ヘンリーはオレストの言うことをほとんど聞いていなかった。愛剣が指を離れて床に落ちた。背の高い若者は、中年女に歩み寄った。
「メルダ」
メルダは滂沱と流れ落ちる涙で口がきけないようだった。
「おまえの作る焼き菓子を、何度夢に見たか知れない。生きていてくれたのか。メルダ」
立ち尽くすメルダをヘンリーの腕が包み込んだ。メルダはしゃくりあげた。
「こんなに……大きくなって……」
 メルダの残りの言葉は、ヘンリーの胸でくぐもって消えた。ヘンリーはなだめるようにメルダの背中をそっとたたいた。
 ライジが後ろを向き、手鼻をかんだ。
「エイブ、ザカリー。ライジも。武器を置け」
オレストは足元に抜いたままの剣を置き、その場にひざまずいた。部下たちもオレストに倣った。
「お帰りなさいませ、と、申し上げます、ヘンリー殿下」
ヘンリーは、まるで刃をつきつけられたような顔をしてメルダから離れた。
「殿下が御帰りになったと聞いて以来、ずっと御探ししておりました。お気づきかどうか、グレイブルグ大公妃の手の者も、殿下を探し回っているようです。危険は多く、時間はありません」
オレストは息を継いだ。
「王になっていただきます」
「断る」
「殿下」
 涙もろいライジが顔を上げて言った。
「ラインハットがどんなに荒れたか、ご存知ですか。私なんぞはお城を首になって、すっかりヤケで、隊長が来て手伝ってくれと言われた時も一度はお断りしたくらいなんですが……今のラインハットはひどすぎます」
「田舎では、一家の働き盛りや若者が、どこかに消えてるらしいです。それで、暮らしていかれなくなった家族が、どんどん村を捨てて、都へ流れこんでます」
見るからに口の重そうなザカリーが話し始めた。
「でも、根っからの都育ちならともかく、流れ者は悲惨なもんです。都の大通りを一歩はずれて横道へ入ると、もうすぐ冬だってのに、行き場のない年寄りが何人も、道端にうずくまってふるえてるんですよ」
「おれは毛布一枚にくるまっている婆ちゃんから、五歳の子供がその毛布をはぎとっていくのを見ました。その子がやった事は、二歳の妹を、あと一日だけでも生き延びさせるためだったんです」
オレストの部下たちは、すがるようにヘンリーを見ていた。
「誰かがなんとかしなきゃならんのです。元の仲間が少しづつ集まりましたが、私らだけではただの反乱です。でも、殿下がいらっしゃるなら」
ヘンリーは冷静だった。
「何をする気だ?」
オレストと部下たちは立ち上がった。オレストはヘンリーと、真っ向から視線を交えた。
「小人数でできる事です。王宮に侵入し、デール様の身柄を押さえ、すぐに即位していただく」
ヘンリーは吐き出すように言った。
「王の首をすげ替えようというわけか。誰の差し金だ?」
「我ら協議の上です」
 ルークが静かにたずねた。
「王が即位しただけでは何もできないはず。その計画の中で、新王を助けて働くことになっていたのは誰ですか?」
部下たちは互いの顔を見合った。ややためらってから白状した。
「光の教団の者たちが、世直しに力を貸す、と」
ルークとヘンリーがうなずきあった。
「あほう。おまえたち、のせられたんだ。ほかにあいつら、何をもちかけた?」
「国王陛下を、その、弑し奉ると」
「平たく言や、やつらがデールを殺すと、そういうことか」
ヘンリーは皮肉な笑みを浮かべ、それから怒鳴りつけた。
「この大ばかどもが!国王暗殺犯にされたいか!」
「殿下」
言いかけたオレストを、ルークがとめた。
「あなたがヘンリーにさせようとしているのは、弟殺しだ」
 オレストは不思議な瞳の若者に向き合った。
「王族が骨肉の争いを恐れてどうする。古来ラインハットの玉座は、常に血まみれの王のものだった」
「オレスト、おれは断ると言ったはずだ」
「殿下。たとえ名ばかりの王とはいえ、デール陛下には、この国のこのありさまに責任がおありです。民の恨みは満ちています。デール様は責めを負うべきです。場合によっては、御命をもってしても」
ヘンリーははじめて目をそらした。
 ライジが言った。
「私にも兄弟がいますから、弟ぎみを殺したくないのはわかります。でも、王族には義務ってやつがおありでしょう。陛下にも。殿下にも」
ルークの杖の石突が床をたたいた。
「ヘンリーは絶対……」
「そう熱くなるなよ、ルーク」
割って入ったのは、ヘンリーのほうだった。フウ、と声に出してヘンリーは息をつき、肩をぐるりと回した。
「オレスト、おまえ、おれが何に見える?」
心配そうなメルダに笑いかけ、ヘンリーは壁にもたれかかって腕を組んだ。
「セルジオという男は、国王が番犬に見えるといったぞ。おまえの目には、どうだ」
オレストは言葉に詰まった。ヘンリーはにやっと笑った。ルークがなんとなく安心したような顔になった。
「うん、旗、というところか?おまえが握って振りまわすための、紋章入りの大きな旗だ」
「殿下、わたしは」
「責任についてはいまさら教えてもらうまでもないさ。だがデールは敵じゃない。味方、それも貴重な戦力だ」
「では、敵は誰です」
「義母上。あるいは義母上のふりをしている女と、光の教団だと思う」
「なんですと?」
「よく聞けよ、単純バカ。約十年前、サンタローズのパパスを殺し、その子ルークとおれをさらったのは、太后アデルの意を汲んだ光の教団の魔法使いだ」
「ばかな、サンタローズの旅人は、ずっと殿下を誘拐した犯人だと考えられていたのに」
「おれが言うんだから間違いないって。おれたちはそこでずっと奴隷として働かされた。その場所で、いろいろな人間に出会ったが、なかに一人、ラインハット人がいた」
「名前を覚えておられるか?」
ルークは首を振った。
「みんなから、親方と呼ばれていましたけど、名は名乗りませんでした。ぼくたちは子供で、手先が器用だと思われたから、親方について石細工をしこまれました。それ以外のことも」
「その親方が、技術を見込まれて誘拐されたのだとしたら?ラインハットから人間が減っているんじゃないのか?主に光の教団の信者がいつのまにか姿を消してないか?」
 オレストはちがうと言いかけて口を閉じた。田舎から人が消えている。都でもオレストと同期の兵士が数名姿を消し、家族にも連絡が取れなくなっていた。
「ユリア叔母もゴーネン宰相も対立しているように見えて、根は同じ、光の教団だ。オラクルベリーもふくめて、全ラインハットからすべてを吸い上げようとしている。息子がかわいいにしては太后のやりかたは奇妙だと思わないか?この国から国民が滅びても彼女はかまわないようだ」
「証拠はおもちか」
「おまえ、執念深い上に疑い深いな。いいか、今、太后の地位に座っているアデルは、おれの顔を知らないんだ」
「バカな」
「グレイブルグの者がおれを探していたのは、一度おれがユリア叔母と会ったからさ。ユリア叔母とアデル義母上は一緒におれが見えるところにいたのに、アデルだけは気づかなかった」
「それだけ?」
「ラインハットの地下牢にいた女はおれの顔に気づいた。変わり果ててはいたが、あれが本物のアデルだ」
「その女はヘンリー殿下だと言ったのですか?」
「おれを見て、エリオスと呼んだよ」
オレストはじっとヘンリーの顔を見た。
「なあ、オレスト、義務とやらはきちんと果たす。デールへの責めはおれがあがなう。ただ、おれにはおれのやり方があるんだ」
 なんという事だ、とオレストは胸の中でつぶやいた。ヘンリーの顔立ちと声を通じて、今は亡きエリオス六世が話していた。
「光の教団の誘いはすべて断れ。王宮突入も少し待ってくれ。いいものが手に入るかもしれない。それがあれば、あいつらの正体を暴いてやる事ができる」
「あのう」
誰かが話しかけた。階段のあたりに、ジュストが立っていた。
「あれ、なんでここにいるんだ、おまえ」
ジュストはぶっきらぼうに言った。
「ここはおれのうちです」
ヘンリーはジュストとオレストを見比べた。
「あいつ、おまえのせがれだったの?」
「甥でございます。私の妹がここの女将で、あれは一人っ子で」
乗せられやすさはどうも血だな、とヘンリーが言いかけてルークにとめられていた。
「あの、女将が、役人が行ったようなので2階にお部屋を用意した、と言ってます」
「ラッキー」
ヘンリーはさっさと地下室を出ていった。そのあとを、スライムナイトを助けてルークが行く。妙な取り合わせだ、とオレストは思った。
「あの、まあ、あの」
女将は帳場でややうろたえていた。
「うちの息子と兄が言うには、御客様が王子さまだって」
ピエールはふっとつぶやいた。
「なんの、ただの放蕩息子で」
ヘンリーは強引にピエールを押しのけた。
「ご迷惑をおかけします、女将。あなたがかばってくださったことは、一生忘れません」
「まあぁ、そんな、あらぁ」
オレストはふと立ち止まって、ルークの顔を見た。
「失礼だが、サンタローズから来たお方のご子息といわれたか」
「はい、パパスの子、ルーク、と」
オレストは思い出のずっと向こうに、たくましい戦士に連れられて歩く、小さな男の子の姿を見つけ出した。
「あなたか……やけにでかい猫を連れた……」
「はい」
ルークは一瞬、ひどく懐かしそうな目つきをした。
「御父上は、どういう方だったのですか?」
「恥ずかしいことですが、ぼくもよくは知りません。ぼくたちが誘拐されたときに父は死んでしまいました。父の手紙を読んだのは、ごく最近のことです。その中にも、父自身の素性はなく、ただ」
ルークはためらった。
「いや、その」
オレストは少し迷ったが、打ち明けることにした。
「はじめてあの方がラインハットへ見えたとき、どこかでお目にかかったことがあると思ったのです」
ルークははっと顔を上げた。
「本当ですか?父は昔、妻を魔界にさらわれているんです。それが、ぼくの母です。そんな男のことをご存知ありませんか?」
ルークという若者をがっかりさせるのは、なぜか心が痛んだ。
「申し訳ない。見覚えがあった、というだけで」
「そうですか」
再び上げた瞳は、無限の優しさに満ちていた。
「すいません、オレストさんのせいではないんです。母を捜し、魔界への道を尋ね、導きの勇者を求めるのは、父と、父に託されたぼくの仕事です」
きっぱりと言う若者は、いまだに少女めいた顔立ちから、父親の輪郭をのぞかせていた。
「あなたは、それを成し遂げられる方のようだ」
オレストは心から言った。
「そして、今は、殿下をよろしくお願い申し上げる」
ルークは振り向いた。ヘンリーは客室へ行こうとしているところで、後ろからスライムナイトが追いかけていた。
「ヘンリーは大丈夫。彼は強いですから」
「わたしは、あの方のご幼少のころを知っています。あの甘やかされたクソガキがここまでに鍛えられるまでにはどれほどの苦労が必要だったか、考えるだに恐ろしい」
「ヘンリーはもともと強いのだとぼくは思います」
ルークは不思議な表情を浮かべた。
「もしあなたが奴隷で、脱走を試みたときに、親方とも師匠とも頼む人に密告されたら、その後で友だちを慰めることができますか?罰として看守たちがなぐるけるを繰り返した後に、聖なる嘘をつけますか?」
オレストは胸をつかれていた。
ルークはどこか誇らしげに微笑んだ。
「ヘンリーはできます。彼は、強い」