運命は動く 第一話

 ルークはかもめ亭の一室で目覚めた。ピエールはまだ眠っている。服を身につけ、髪をターバンで覆う。胸部に胸当てをしこみ、マントを着け、使いこんだ杖を手にとって、軽くしごいた。
 運命の一日が始まる。
 ルークの不安は夢にまで現れた。傭兵軍団を相手にまわしてひけを取るとも思えなかった。自分がヘンリーの心を不安がっているのを、ルークは知っていた。
 冷静沈着なオレスト、熱血漢のトム、ヘンリーびいきのメルダや女将、直情的だが好感のもてるジュスト、誠実なユージン、誰もがヘンリーに、王になることを期待している。
 ルークは時々、ヘンリーを一人占めしていいのか、と自分にたずねることがある。ヘンリーに聞くと、当ったり前だ、と答えるのが常だった。おれはやりたいようにやる、絶対おまえと一緒に勇者を探す旅に出るんだ、と。
 昨夜、何度目かにそんな会話を交わしたあと、ポルトがこっそりルークのところへやってきて言った。
「ヘンリー様を、返してください」
ルークは自分で思っていなかったほど、うろたえた。
「ヘンリーはぼくのものじゃないよ。ヘンリーはヘンリーのものだ」
「だからお願いするんです」
 小太りで、あまり気のきかないポルトは、いつもはジュストに言われるとおりに行動するだけで、こんな風に話しかけてくることはめったになかった。
「役に立つ剣士は世の中にたくさんいるけど、あの人はラインハットにとって必要なんです」
 役に立つ!ルークは言葉に詰まった。ヘンリーと過ごしてきた年月が、ポルトであれ、誰であれ、他人に理解できるだろうか。
 一日を生き残るためだけに、ぎりぎりまで知恵を絞り、体力の限界を越えて、黙々と耐えたあの年月。全身、鞭にさらされて傷つかなかった場所はなく、それどころか、プライドも意地も、ずたずたにされた毎日。
 ヘンリーの吐き出す皮肉に、驚くほど明るい笑い声に、不屈の意志に励まされることがなかったら、ルークの命はとうに尽きていたに違いない。
 今も思い出す。奴隷の着るぼろから垢じみた手足をぬっと出して、はだしの足をこれから運ぶ巨石にかけ、腕を組んでいた姿を。唇に浮かぶ笑い。瞳にきらめく策略。何かたくらんでいるとルークにはすぐにわかる。
 逃亡の後、フィールドで敵に囲まれて武器を振うときにも、なぜかヘンリーにはルークのしようとしている事、ルークがヘンリーにして欲しいことが、何も言わなくてもわかるらしい。自分がヘンリーにとって、兄弟よりもずっと近い位置にいる、とルークはそう信じてきた。
 ルークはポルトに言い返そうとした。が、ポルトは見た目にも哀れなほど震えていた。
「ヘンリーは、自分のことは自分できめるよ」
ルークにはそれだけしか言えなかった。
 階段を降りていくと、ヘンリーが食堂にいるのが見えた。旅人の服の上にやはり防具をつけ、腰に愛剣をつるしていた。
 そのそばに、黒いドレスを着たアデルが座っていた。アデルは薬による昏睡状態からはぬけだしたが、今も迷子の童女のような目をしている。自分が誰で、どこにいるのか、はっきりわかっていないらしかった。
 アデルのそばに、クリスがいた。メルダの娘で、三日とあけずにかもめ亭へ入り浸っている。今は小さな包みから焼き菓子を取り出し、アデルに差し出していた。香りにつられたのか、口を寄せてくるアデルが、あどけない子供のようだった。
「おはよう、ルーク。本物のラインハット風の焼き菓子を食べてみないか?メルダが作ったんだ」
一枚とってよこす、そのしぐさになんの屈託もなく、ルークはなんとなくほっとした。
「おいしいね?バターの香りがするよ」
「だろ?」
ルークは、ふとサンチョの焼くお菓子を思い出した。もっと固く、ドライフルーツがぎっしりと詰まっている、保存食兼用の焼き菓子で、もうずいぶん長いこと食べていなかった。
「今日だな」
ヘンリーがこちらを見ていた。
「ああ」
そのとき、オレストが食堂へ入ってきた。
「おはようございます、ルーク殿、殿下」
一拍置いて、オレストは言った。
「本日正午、湖畔の広場にて、国王がじきじきにエルファンネル大陸への遠征を宣言し、軍を鼓舞なさるそうです」
オレストは興奮を隠しきれないようすだった。ヘンリーは尋ねた。
「太后は」
「ご出席です。宰相閣下も。こういうときは貴族がぞろぞろついてきますから、恐らくユリア大公妃も来るでしょうな」
「くうっ」
ヘンリーは高ぶりを押さえるようにうめき、十指を組んでひねった。ばきばきと高い音がした。
「おちつけ、未熟者」
ピエールが階段をぽてぽてと降りてきた。
「きさまから血祭りにあげてやろうか?」
「弱い犬ほど吼えたがるものである」
「ぬかせ!」
二人の会話は、最近特にケンカごしになってきている。緊張のせいだ、とルークは思った。

 その日は、うす曇りになった。午前中から湖の前の大きな石畳の広場に傭兵隊が出て、行商人だの浮浪者だのを追い払った。そのあとに従僕の一団が現れ、天幕を張り巡らせた。
 ルークは野次馬に混じって宰相オラクルベリー公ゴーネンの天幕と、グレイブルグ大公妃ユリアの天幕を見定めた。
 城門から長い赤い絨毯が広げられ、広場中央に置かれた一段高い台に達した。台の飾り布に描かれているのは王冠を戴いた“緑の地に金の波型十字”の盾、ラインハットの王を示す紋章だった。
 国王が宣言を行う場所である。傭兵隊のうち、遠征に加わる本隊がその前に整列した。
 正午近くになると、楽師たちが出てきて持ち場についた。薄日を浴びて銀色に輝く楽器が試し吹きの音を立てた。
 馬車が二輌、三輌と城門を出て広場へ宮廷貴族を下ろしていく。天幕の下はたちまちのうちに華麗な色彩で埋め尽くされた。
 ついに正午が訪れた。王宮のトランペット吹きが立ち上がり、大気の中へメロディを解き放った。国王出座を知らせるファンファーレである。
「来るぞ」
ルークは押し殺した声でささやいた。バートンとジュストが走った。人目を避けて待機しているヘンリーとアデルに知らせに行ったのだ。ルークはあたりを見まわして、注意をひかないようにピエールの頭へかぶせておいた布を取った。
「いよいよである」
「そうだよ。だから、僕の指示に集中してくれ。いいね?」
 トランペットと宮廷楽団がかけあいで、華麗な旋律をかなでる。音楽にのって国王一行を先導する長身の士官がもっとも正式の軍服で現れた。そのあとから儀式用の剣と王錫をささげ持つ小姓二名が続く。
「まだか?」
ルークの後ろからヘンリーが来て、やや緊張した声でそう聞いた。
「いや、ちょうどいいころだよ。見て」
小姓たちの後ろに国王デール一世がいた。ヘンリーがつぶやいた。
「あいつ、だいぶつらそうだ」
遠征軍に臨む国王は顔色が少し青ざめていたが、足取りはしっかりしていた。彼の斜め後ろに、摂政太后が続いた。夜空の青のドレスに金の刺繍が映える。薄いベールで顔半分を覆っていたが、完璧なまでに美しい姿だった。
 ヘンリーのそばで、アデルが身じろぎした。
「あれは、あれ、わたし」
「そうです。だいじょうぶ。いまデールに会えますからね」
ヘンリーがささやきかけた。アデルは小さくうなずいた。
 広場中央に、王国宰相ゴーネンが進み出た。楽師は吹奏をやめ、野次馬のざわめきが止まった。
「これより、エルファンネル大陸遠征軍を組織する。始めに摂政太后アデル様より、御言葉がある」
ルークは、思わず傍らにいるアデルと見比べた。アデルは獄中生活にやつれ、白髪を生じ、老いの影を見せていたが、その輪郭、顔の造作は、まちがいなく同じだった。
 ラインハットの美しい支配者が遠征軍の正面へ歩みを進めた。見つめるアデルの目に炎が点じられ、今にも叫び出しそうになった。
「出番だ」
ルークとヘンリーは、アデルを両側から守るようにして広場の中央へ歩き始めた。無言の気迫に、見物客たちはおのずから左右に別れた。
 警備の兵たちが止めに来た。
「どいてもらおう」
ルークは杖だけで彼らを制して抜けていった。
「なに、おい、」
この町で兵士に逆らう人間がいるとも思っていなかったらしい。兵士たちはぽかんとして、それからあわててルークたちを追おうとした。
「ピエール!」
言うより早く、スライムナイトが兵士たちの武器を叩き落していた。
「後で相手をしてやる」
ピエールは悠々とついてきた。
 進んでくる三人に、傭兵隊がやっと気づいた。
「なんだ、おまえら」
隊列が乱れ、口を開こうとした太后の瞳がルークたちのほうを向いた。
 そのときだった。アデルは一人、大声をあげて走り出した。
「偽者!おまえは偽者よ!」
激しくゆがんだ顔から、痛烈な告発が飛び出した。伸ばした指が美しい太后につきつけられた。傍にいた宰相のほうが青くなった。
「取り押さえろ!」
そう わめく宰相にルークが急迫し、一息でこぶしを腹へ叩き込んだ。ゴーネン宰相はその場にうずくまった。
 湖畔の広場は怒号と宮廷貴族や市民の悲鳴にあふれた。背後から傭兵隊が襲いかかろうとしていた。
 ピエールとルークがアデルを守る。だが、ヘンリーは正面の太后へ走った。鞘から剣がほとばしり出て、美貌の太后の顔前にぴたりとつきつけられた。荒くれぞろいの傭兵たちが、その場に凍りついた。
「ベールを取っていただきましょう」
「見知らぬ無礼者に従う気はありません」
ルークがぞくりと肌に感じるほど、アデルによく似た凛とした声だった。
「見知らぬとおっしゃいますか、義母上。おれをお忘れになりましたか、あなたの夫の息子、ヘンリーを」
 広場を遠巻きに見守る市民の中から、いくつもの声が上がった。
「ヘンリー様だ」
「あれは殿下だ、やはり」
「帰っておいでだ、ヘンリー様」
たちまち広場は、ヘンリーの名を呼ばわる声に満ちた。
 太后は繊手をあげてベールをはずした。アデルそのものの美貌のなかから、人間ばなれした冷たい瞳がのぞいていた。
「では、おまえがヘンリーなのね。何が望みで私の前に来たの」
ヘンリーは答えなかった。剣を持つヘンリーの手がかすかに震えているのをルークは見た。
「驚いた。ルーク、こいつ、人間じゃないぞ」
「なんだって?」
「おれたちの計算違いだ。傭兵隊長なんか問題じゃない。ボスはこいつだ」
ルークは太后に一歩近寄った。とたんに異臭を感じた。
「ああ、あそこでおなじみになった臭いだ」
ルークは太后をまっすぐ見て言った。
「獣くさい」
「お黙り!」
太后は怒鳴りつけた。それはすさまじい一喝だった。ルークが、ヘンリーが、ピエールが、それどころか背後で隙をうかがっていた傭兵たちでさえ、一瞬身を固くした。
 そのとき気概を見せたのは、意外にもアデルだった。
「黙るのはおまえよ!この、偽者、にせものっ」
火のように叫ぶアデルに、デールが近づいた。
「母上?」
アデルはふりむき、涙に顔をゆがめ、デールにすがりついた。
「デール、彼女が本物だ」
「その女は気がふれているわ!」
太后とヘンリーが同時に叫んだ。
 広場は騒然としていた。ラインハットの町に、まだこれだけ人がいたかと思うほどの市民が集まって、目の前で繰り広げられる二人太后の奇観に騒いでいた。
「ルーク!」
ヘンリーが何を言っているのか、ルークにはわかった。ルークは神の塔から持ち出してきた神宝を取り出し、その覆いをはずした。
「ラインハットの民よ、あなたがたを長きにわたって苦しめてきた、この女を見てくれ」
ルークは両手に真円形の美しい鏡をささげた。デールの腕に守られたアデルの姿が映り、それが太后に向けられた瞬間。
「きゃあああああっ」
太后が悲鳴を上げた。
 神宝ラーの鏡の中には醜く膨れ上がった緑の肌のモンスターが映っていた。太后は両手で顔を覆い、あとずさった。侍女たちが女主人に駆け寄ったが、ひいと叫んで飛びのいた。
 華奢な貴婦人の姿はいっきにふくれあがり、奇怪なモンスターと化していく。節くれ立った指の間から、美しい顔が一瞬のぞき、ぐしゃりと溶けてすさまじい形相になった。
「来るぞ」
ピエールがピョンと飛び出して剣を構えた。その小さな体に、モンスターの長い腕が鋭い爪をひらめかせて襲いかかった。
「おっ、とっ」
ヘンリーがとっさに剣で爪を跳ね上げた。モンスターは水車のように腕を振りまわした。
「すげぇ力だ。デール、逃げろ」
傭兵隊長が数名、ルークたちの後ろから襲ってきた。
「ピエール、そいつらまかせた!」
広場に閃光が走り、爆音がとどろく。
「ヘンリー、こいつには呪文は不用だ!すべてのターンで攻撃、回復は随時」
「承知!」
 目を吊り上げた偽太后が突進してきた。すれ違いざま一刀を浴びせたが、モンスターは怒りに我を忘れたのか、こたえたようすもなく襲ってきた。ルークは杖をとって攻撃を支えた。が、けた違いのパワーに圧倒された。
「殿下!」
目のすみにオレストと部下たちが傭兵隊を相手にしているのが見えた。トムが血相を変えて走ってくる。
「おれたちはいい!トム、後ろ!」
トムは鮮やかに剣を舞わせ、背後から来ていた傭兵のひとりをしとめたが、そのまま乱闘にからめとられた。
 ピエールが雑魚を片付けて戦いに復帰した。小さな体が勇敢にモンスターの懐に飛びこんでいく。巨体がピエールを追ってねじれた。ルークは杖の握りをモンスターへ向け、腹をめがけて叩き込んだ。
「ぐぇっ」
偽太后の足がふらついた。その瞬間、ヘンリーが跳んだ。横殴りの強烈な一撃で、剣の刃が太い首筋に食い込み、青紫の体液が飛び散った。
「ぐう」
ヘンリーの剣を首に食い込ませたまま、モンスターは呆然と立っていた。ルークは再び杖を構えた。だが、ルーク、ヘンリー、ピエールが見守る前で、モンスターは前のめりに倒れていった。
「おろかな……この国はやがて、世界を征服していたものを」
そういってモンスターは目を閉じた。ヘンリーは愛剣をひきぬいた。
「くだらない。世界はおれの手の上にあるんだ」