ネビルの災難 第一話

 ラインハット王国北部へ続く街道を、かなりの速さで進軍する騎兵小隊があった。時刻は未明、やっと春になりかけたかというこの季節では、寒い。
 小隊はその中心に一台の馬車を護っていた。輜重隊の幌馬車ではなく、無紋だが領主階級以上が使う旅行用馬車である。その脇を、鎖帷子を身につけていない平服の男がひとり、兵士たちに混じって馬を走らせていた。馬は白馬で体高があり、しゃんとのばした首、たくましい四肢の、みごとな駿馬だった。
 ラインハット正規軍の軍装に身を固めた背の高い騎兵が、白馬の主に話し掛けた。
「そろそろ前線です。ヘンリー殿下は馬車へお入りください」
ヘンリーは首を振った。
「“キング”を入れたので、こんでるんだ」
「従僕を下ろせばよいでしょう」
「ジュストもネビルも馬は得意じゃない。心配するなよ、トム。今の叔母上にはルートに伏兵を仕掛けておくような余裕はないんだ」
いまだ眠りについている村、また村を抜けて、小隊は一路、グレイブルグを目指していた。

 “キング”は、最初青ざめてふるえていたが、今は眠っているようだった。
「さすがに名門の御当主ともなると、腹が据わっておられる」
感心したようにネビルがつぶやいた。
「どっちかというと、捨て鉢になったように見えるけどね」
ジュストは思わずそう言った。ネビルはふんとつぶやいた。
「下々の目にはそう見えるかもしれないな」
 従僕のお仕着せは、偽太后の時代には主人の身分によって配色やデザインが細かく規定されていたが、ヘンリーの時代に入ってからなんでもありになっていた。が、ネビルは旧時代の、大公級貴族に仕える従僕の制服をきっちりと守っている。
 ラインハットカラーの濃緑と金のお仕着せに、太い金の鎖を胸にたらしてふんぞりかえっているところは、孔雀に似ていた。目を閉じて得意そうに首を動かすあたりまでそっくりだった。
「……上つ方に詳しいらしいね」
あきれ半分にジュストが言うと、ネビルはうっとりした顔になった。
「ここだけの話だが、実を言えば私自身、あ、いや、なんでもないのだ」
ネビルが言いかけた話なら、ジュストはもう何回も聞かされている。ネビルの先祖の一人がラインハットの王女を妻に与えられた関係で、ネビルはヘンリーやデール一世とは、また従兄弟にあたるのだ。それをことあるごとにひけらかす!
「きみの生家は、ああ、宿屋、だったかな。悪いな、縁もゆかりもないような話をしてしまって」
指を額に当てて、ネビルはさも後悔したようなしぐさをした。ジュストはぐっとこらえた。
「いや、べつにいいんだけど」
ネビルはなんとなく期待しているような顔でジュストを見ていた。しかたなくジュストは言い添えた。
「きみもいろいろたいへんだな」
「フ……」
ネビルは首を振った。
「なに、かまわないさ。きみはいいやつだな、ジュスト君」
「はあ?」
「別の部署へ移動しても、君のことは忘れないよ」
ジュストは思わず身を乗り出した。
「ネビル、従僕をやめるのか?」
思い入れたっぷりにネビルは馬車の天井を振り仰いだ。
「昨夜、大公殿下から、お話があったのだ。内密にしておいてほしいのだが?」
つまり、洗いざらい聞いてほしいわけだ、とジュストは思った。
「『ネビルくん、オラクルベリー一、いや、ラインハット一の逸材である君を、おれのような一介の臣下の元へとどめ置いては、国王陛下には不忠であるとやっと思い至った。君さえよければ、国王陛下のおそばへ召し上げていただくようにお願いしてみるが』と、大公殿下がじきじきにだな」
 そっくりこの通りにヘンリーが言ったとはジュストは思わなかった。だが、ネビルの施した脚色を割りびいても、ヘンリーがこいつを厄介払いしようとしているのは確かだった。
 国王陛下には気の毒だが、ネビルを引き取ってくれるならジュストに異論はまったくなかった。
「栄転だな、おめでとう」
「うむ。だが、私としては、従僕より、秘書がいいのだが」
やめとけ、と口まで出掛かってジュストはこらえた。
 従僕はオラクルベリー大公の個人的な雇い人だが、秘書となると王宮から給与の出るれっきとした官僚である。しかも、主人の仕事を代行できるほどの力量があるとふつう 見なされるものなのだ。
「従僕と秘書、うん、やっぱり、聞こえが違うと思うのだよ。だいいち、私の才能を生かしきるにはなぁ」
そう言って意味ありげに言葉を切った。
 さ、い、の、う、とジュストは歯軋り交じりにつぶやいた。ネビルが従僕仲間に加わってから、一人で何でもやっていたころの倍は手間がかかるのだ。
 前方から、停止を命じる声が次々と送られてきて、ジュストたちの乗っている馬車が減速し始めた。いよいよ、グレイブルグへ到着したらしい。

 前日の夜半からラインハット正規軍はやすやすとグレイブルグ領内へ進入し、大公妃ユリアがたてこもるグレイブルグ城を包囲していた。
 グレイブルグ大公領はラインハット王国の北部全域を占める広大な領土である。
「土地に目のないユリアがあちこちから巻き上げた領地だ。したがってユリア軍の兵士は戦闘訓練を受けていない農民が中心」
オレスト将軍はその判断のもとに一気にグレイブルグへ軍を進めた。ユリア軍の兵士たちは抵抗するどころか、ぞろぞろ投降してきた。
「ここまでは殿下の読みのとおりだが、さて」
城を守っているのは農民ではなく、ユリア大公妃が強制的に年貢の取立てをさせるために外から雇った傭兵たちだった。オレストは朝からずっと、ようす見を続けていた。
「オレスト!」
最前線の本陣へ、ヘンリーが馬で乗りつけてきた。
「こっちのダメージは?皆無?よし、よくやってくれた」
ヘンリーはグレイブルグ城からの射程距離ぎりぎりまで近づいた。
「おはようございます、叔母上」
ややあって、城門の上の楼に、ユリア大公妃が姿をあらわした。
「いまさらなにか言う事があるの?」
宮廷一の権力者だった貴婦人は、その地位から引き摺り下ろした義理の甥に、怒りとおびえの相半ばした声を返してきた。
「ありますとも。大公妃の称号。旧グレイブルグ領からの年金。ラインハットにある大公邸はそっくりそのまま。これでいかがです?」
貴婦人はヒステリックな笑い声を上げた。
「おふざけでないわ。今ここでおまえが死ねばラインハットの王座は予定通り兄のものよ」
ヘンリーは首を振った。
「あなたはオーリン叔父と結婚しても、心は実家のディアラ家のままですね」
ディアラ一族は遠い昔にラインハット王家から分かれた家系であり、再び王を出すことを悲願としていた。オーリン・オブ・グレイブルグと結婚したユリアも、ディアラ伯爵ボガードも、この一族の出である。
「彼を」
ヘンリーが声をかけると、ライジとザカリーが捕虜を連れて進み出た。ユリアが悲鳴をあげた。
「というわけで、ディアラ伯領を先に急襲してボガード殿においでいただきました」
ディアラ伯ボガードは情けなさそうな顔で城壁の上の妹を見上げた。
「もういい、ユリア。わたしは王になれそうにないよ。これ以上おまえががんばると、ディアラ家のほうまで累が及ぶ。降参してくれ」
「もうっ、兄上様ったら」
状況が許すならそこへ降りていって平手打ちの一つもかましたい、そんな顔つきでユリアは両手を揉み絞った。
「キングのコマはおさえました。チェックメイトですよ、叔母上。どうなさいますかクィーン」
知らない者にはのどかなテーブルゲームをしているように聞こえたに違いない。
「殿下にクィーンと呼ばれるのは、悪い気がしませんわね」
しばらくしてユリア大公妃が言った。
「今度、一手お付き合いいただけるかしら、ラインハットの私の館で?」
「強面のボディーガードは、抜きにしていただけるなら」
ユリアはため息をついた。
「わかりましたわ」
 その瞬間、グレイブルグの乱は終わった。
「直ちに全員、武装解除しろ」
「お任せを」
 オレストが敬礼した。はじめは将軍になることを固辞したが、オレストはすでに自分が有能であることを証明していた。軍政に関しては完全にヘンリーの片腕だった。
 オレストの傍らに、雲をつくような大男がいかめしい甲冑を着こんで立っていた。傭兵出身の武将、バンゴだった。バンゴは見た目を裏切るこまやかな配慮と積み上げた実戦経験があり、今はオレストからも信頼されている。
「よろしければ私に面通しをさせてください。使えそうな人材がいれば、確保したいのです」
「わかった。バンゴにまかせる。今回はよくやってくれた」
バンゴは心中深く敬愛する若い大公の言葉に、思わず目を輝かせた。
 ヘンリーは太陽を見上げた。
「早めに片付いてよかった」
 ジュストはヘンリーの後ろで、白馬の手綱を取って待っていた。馬に限らず、大型の動物が苦手のネビルは、さりげなく一歩下がっている。長いこと馬車に揺られてしゃれた房飾りのついた大事なケープがしわになっていやしないかと、点検に余念のない ようすだった。
 オレストがやってきた。
「後を頼む、オレスト。おれはもどるよ」
「陛下に御報告ですか?」
「いろいろ用があるんだ」
オレストは、いかにも戦士らしいいかめしい顔にふっと微笑を浮かべた。
「ああ、あの」
「おまえは察しがよすぎて嫌いだ!」
ジュストからはヘンリーの表情は見えなかったが本気で言っているわけではないらしい。オレストはにやっとした。
「あたって砕けろ、と昔から申しますな」
「何も考えないで真正面からあたって成功するもんなら、おれだって堂々とやるさ。でも、おれはただのおれなんだ。やり遂げるためなら、姑息だろうが、卑怯だろうが……」
と言いながら天を仰いでヘンリーはため息をついた。
「怖いのかもしれないな、小細工なしで真っ向からぶつかるのが。どうすればいいんだ?インパクトは欲しいが、ひねりすぎもいやみだし」
オレストは咳払いをした。
「考えすぎないことだ、と以前同僚が申しておりましたよ。勢いが肝心です」
「その勢いを殺す、邪魔者が多いんだ。もう3回もチャンスをつぶされているからな」
「敵将の周囲を固めるユニットは早めにつぶすか、誘い出す。兵法の基礎ですな」
「名将のお言葉、ありがたくちょうだいするよ」
オレストは笑った。
「“御武運”を!」
ヘンリーは苦笑いをすると白馬にまたがった。8代目セルジオ商会の主が、領主就任の祝いとして贈ってくれた名馬である。
 ヘンリーは、宮廷の名士たちが送ってきた絵だの宝飾品だのは送り返してしまったが、セルジオからのこの贈り物には感嘆し、喜んで受け取った。名は、メリム。
「そうだ、ポルトってやつがいる。軍と一緒に都まで連れて帰ってくれ。あいつの案内がなかったら、グレイブルグ包囲はもっとおそくなっていたはずだ」
了解、の声を聞く前にヘンリーはメリムを走らせていた。

 ジュストとネビルは、王宮の壁に張り付いて中をうかがった。
「大丈夫です、誰もいません!」
「よし、いまだ」
 午前中のラインハット城は、役所部分のほかは静かだった。これが午後になると請願やらごきげん伺いやらの用事を作って宮廷を訪れる紳士淑女でいきなりにぎやかになる。
 従僕になってからジュストが一番驚いたことのひとつは、貴婦人たちの猪突猛進だった。ヘンリーに目をつけている御婦人や姫君たちは、新米従僕の制止などきかない。“立ち入り禁止でございます”と叫んでも、“おどきっ”の一言でかたづけられてしまう。ネビルなどは 以前、高飛車な態度でとある令嬢を押しとどめようとして、正面からきれいなひじうちをくらって鼻血を噴いていた。
 ヘンリーは、略礼装のケープを翻す勢いで王宮の中庭を足早に通り抜けていく。ジュストとネビルは慌ててついていった。
「ヴィンダン!」
若い官僚数名に囲まれていた初老の男にヘンリーは呼びかけた。
「昼までに帰ってきたぞ。これで約束どおりだな?おまえのほうはどうだ?」
禿げ上がった額にあぐらをかいた大鼻のヴィンダンは、いかにも頑固そうな親父だった。
「七割がたですかな。タンズベールのユージン様がさきほど仕上げてくださいました」
ヘンリーには母方の伯父にあたるユージンは、最初からヘンリーの下で面倒な実務を引き受けてくれていた。
「もう少しお待ちいただければ、耳をそろえてお出しして見せますぞ」
「できているぶんだけでいい。部屋へ持ってきてくれ。ちゃっちゃっと目を通すから」
「おっしゃいましたな!」
 部屋というのは、元のゴーネン宰相の執務室である。それほど広くないが、場所がいいので引き続きヘンリーが使っていた。会議室や謁見の間に通じている大廊下、いわば城内のメインストリートに面している。
 ヴィンダンは若い役人たちと一緒に、大量の羊皮紙の巻物を抱えて執務室へ運び込んだ。
 ヴィンダンも、ヘンリーの時代になって見出された人材の一人だった。元の宰相ゴーネンと派手なケンカをやって辞職したという硬骨の官僚で、ヘンリーの父親で通る年齢だった。長い間田舎で不遇に甘んじていたが、最近勅命によって復職している。
「さあ、見ていただきましょうか。今年度の予算案修正、どうしても削れない土木工事の見積もり、児童関係の施設用地の取得、東部地区で発生した疫病の対策、今年度の課税を免除するとしてその代替財源の問題……」
ヘンリーはふうとつぶやいた。
「手加減を知らないやつだ」
ヘンリーは喉もとのボタンをはずして気合を入れた。
「一時間で読んでやる。今日は忙しいんだ」
こういうときのヘンリーの武器は剣でも魔法でもない。朱色のインクをペンにつけて、ばっさばっさと数字を修正していく。
「あああっ、殿下、それはあんまり」
若い役人はつい口をはさむ。
「やかましいっ」
 以前ならゴーネンがひそひそと密談に使った小部屋が、今は押すな押すなの騒ぎである。執務室の控えの間でのんびりとネビルがつぶやいた。
「ひまだな。ランチはまだかしらん」
ジュストはネビルの背をどついた。
「茶をいれるんだ!来い」