マイラ一天地六 9.少女賭博師参上

 賭場は大いににぎわっていた。もともと賭けの好きな客はマイラを訪れれば必ず賭場へ寄ってくれるのだが、今夜はロトの末裔たちが改めて勝負に来るというので普段の倍の数が押しかけている。それなりに駒札も売れて、センゾウと番頭はほくほくしていた。
「今夜は、夕べよりもちょいとがんばってほしいもんですな」
番頭が言う。
 今は賭客を相手にサシチが壺振りを務めている。背中のオロチがぴくんと動いた。
「ああ、盛り上げてくれるとうれしいね」
センゾウは手にした長煙管を火鉢にぽんとついて灰を落とした。目は賭場の出入り口を何度もうかがっている。迎えにやらせたシンタを待っているのだった。
「来ましたぜ」
と、番頭が言う前にセンゾウは彼らを見つけた。
 先頭にはローレシアとサマルトリアの王子。ロイは腕にあのロトの剣を抱えている。サリューは剣を持たず、代わりに風呂敷包みを抱え、片手に風変わりな杖を下げていた。
 そしてその後ろから、ムーンブルグの姫。彼女が全身を現したとき、賭場じゅうからいっせいにどよめきがわき起こった。
「化けやがった」
海千山千の番頭がセンゾウの傍らで呆然とつぶやいた。センゾウ自身も長煙管を取り落としそうになった。
 昨日の素人くさい実用的な白いローブに換えて、濃紺の着物を姫はまとっている。デザイン化された金の鳥を大きく縫い取った衣装だった。
「ありゃあ、精霊留美須様の紋所だ」
脚運びに連れて裾の内側がちらりちらりと見える。裏地は紅の絹地だった。
 帯は幅の細い男帯を堅い角結びにしたもの。豊かな金髪は後頭部高くかきあげてまとめ、白い貝殻を花びらに見立てて切り嵌めにした黒い漆塗りの櫛をさしていた。
 色白の素顔にはごくわずかな化粧。主に唇に紅をさし、眉をすっきりと描くだけ。潔癖で純粋なこの美少女は満々の闘志をたたえて前を見据えている。媚態の片鱗さえうかがわせないが、ただ禁欲的なうなじにかかる後れ毛が、艶めきを添えていた。
 賭客も一家の若い衆も、ぼうっとしている。鼻の下をのばす、というよりも天女めいた美しさに、ガキのようにうろたえているのだった。
 姫はまっすぐ首を上げ、肩はいからせず、掌を自然に太ももに沿わせてすべるように歩いてくる。慣れない女性がジパング風のキモノを着るとどうしても動きが不自然になるのだが、いったいどこで所作を習ったのか、姫は見事に決まっていた。
「勝負に来たぜ、センゾウ」
真摯な瞳でローレシアの王子がそう言った。
「三本勝負を申し込む。こちらの壺振りはここにいるおれの従姉がつとめる」
姫君は落ち着いて会釈した。
「ムーンブルグのアマランス、アムと申します。よしなに」
「勝負はお受けいたしましょう。姐御すがたも眼福でございます」
では、さっそく、とセンゾウは立ち上がった。
「待っておくんなさい」
低いがはっきりした声がそう言った。オロチのサシチだった。
「そちらのお嬢様が壺振りをなさるんで?」
 サシチの複雑な表情のわけをセンゾウは理解している。総じて壺振りは気が強い。賭客に一番文句を言われやすく、場合によっては負けたほうの客からのげんこつ、長ドスなどの攻撃にさらされる職業である。弱気、卑屈では勤まらない仕事だった。
「ほんの半日サイコロをいじっただけのしろうとさんに半座へすわっていただくのは、あっしにはどうも」
壺振りとして修行してきたプライドがサシチの表情を険悪なものにしていた。そんなに甘いもんじゃありませんぜ、と。
「そこは聞き分けてくれ、なあ、サシチ」
センゾウは言った。
「三本勝負をやるとなれば、少なくとも一回は相手方の壺振りにまかせるのが決まりだ」
「お言葉ですが」
サシチは口元をゆがめるようにして言い立てた。
「このおひいさまは魔法使いでしょう」
じろりとサシチがアマランス姫のほうを見た。
「壺の中の目を好きなように転がすことができるんじゃないですか。親分、そりゃあ不公平ってもんで」
「あら、あなたが言う?」
アマランス姫は鼻で笑った。サシチは睨み返した。
「そりゃあ、博打うちの仁義ってことになるんだが」
サリューが割って入った。
「魔法が使えなかったらいいんですよね?ぼく、これをもってきました」
サリューは前に進み出て、手に持っているものをかざした。先端に不気味な人形がついている。人形というよりもヒトの生首を切り落として乾燥させ縮めたものに上級僧侶のまとう赤と金の背の高い帽子をかぶせ、赤い襟飾りとマントをつけたものだった。
「魔封じの杖です」
賭場中から驚きの声があがった。
「ほほう。勇者の末裔ってふれこみは、伊達じゃあなかったようですね」
魔封じの杖は、勇者ロトのパーティが使ったことで知られるアイテムのひとつだったのだ。
「じゃあホンモノだって信じてくれますか?ここ、杖の手の当たるところに勇者たちが名前を刻み込んであるんです」
少年の指は杖を回して、文字のように見える刻み目が見えるようにした。
「これを使ってこの場にいる人全員の魔力を封じます。いえ、センゾウさん、これはお渡ししますから、センゾウさんが封じてください」
センゾウは大昔から伝わる杖を手に取った。
「よし。それじゃあみなさんよろしうございますね?」
魔封じの杖を全員に見えるように高く掲げた。その瞬間、何か目に見えない輪のようなものがきゅ、と自分を締め付けてくるのを感じた。その感覚は共通だったらしい。サシチはうろたえたようにきょろきょろしている。
「サシチ、これで文句はねえな」
「……はあ」
「お素人のお嬢さんの壺振りだ。多少のことは大目に見てさしあげろ」
 客の間から笑い声が起こった。どちらかというと好意的なものだった。
「いよいよだな。あのかわいいおひいさまが、片膝たてて壺振りだって?」
「いいときに来合わせたな、おい」
「勝負の勝ち負けとはまた別に、楽しみじゃねえか」
「清潔で男勝りにしてるのが、どうも色っぽいね」
どことなく浮き浮きした気分が漂っている。サシチだけが仏頂面だった。
「さて、あらためて、まいりますか」
ロイはセンゾウと視線を合わせた。昨日のような根拠の無い自信に首までどっぷりという顔ではなく、落ち込んで卑屈になりかけているような顔でもなかった。
「ああ、始めようぜ」
本物の博打うちの落ち着きが若者を支えている。センゾウはにやと笑った。一晩のうちに何があったのか知らねえが、ひと皮むけなすったね、ロイさん、と心の中で思った。
 昨夜とまったく同じように賭けが始まった。
 賭場の客や野次馬は、広い畳敷きの賭場の周辺に座り込んで、口々にしゃべりながら中央を見守っている。中央にある盆茣蓙は、きれいに整えなおされた。半座の左右にセンゾウの子分二人がそれぞれ中盆として控える。この二人に相対するように、ロイとセンゾウが丁座方へ坐った。
「では、三本勝負で」
賭客がしんとなった。子分の一人が新しい壺とサイコロを持ってきた。
「壺はどちらから?」
ロイはサリューの方を見た。
「よかったら、サシチさんからどうぞ」
センゾウは意外だった。
「一回交代ですから、姫さまが一回、サシチが二回振ることになりますが」
「いいんです。サシチさん、お願いします」
へぇ、と押し殺したような声で返事をして、サシチは半座中央へ坐った。
 壺とサイコロがロイとセンゾウに回され、型どおりに改めが行われた。
「そうだ、センゾウさん」
サリューが声をかけた。
「なんです?」
持ってきた包みから、若者は何か取り出して差し出した。
「これをそばに置いておいてもらえませんか?」
「これはなんです?」
掌ほどの大きさのいびつな三角の金属片だった。底辺の部分に緑色の縁取りがあり、そこにルーン文字が彫り付けられていた。
「ラーの鏡の破片です」
「真実を見破る鏡だっていう、あの?」
「そうです。もう割れちゃいましたけど。魔法を使ったいかさまは、まず証拠が残らないでしょう?誰かが魔法を使ったらこの鏡の破片に顔が映ります。念のためにそばへ置いてください」
「へー、そりゃたいしたもんだ」
今夜は伝説のアイテムで腹いっぱいだ、とセンゾウは思い、膝のすぐとなりに鏡の破片を置いた。
「ロイも持っててね、はい」
そう言ってサリューは従兄弟に真実の鏡の破片を渡した。
「そろそろよろしうござんすか」
 今のやり取りの間、いらいらしながらサシチは待っていたらしい。片膝立てて座りなおし、腕捌きの邪魔になる着物の袖を、襟の打ち合わせあきから両手首を上へ突き上げるようにして一気にもろ肌脱いだ。むき出しになった背中の上で、本職の意地をこめてヤマタノオロチが躍動した。
 センゾウは、腹に気合をこめた。相手は素人のお坊ちゃまだが、今夜はなめてかかるつもりはなかった。
 サシチの視線がロイとセンゾウへ交互に向けられる。緊張が、まるで糸のように両側からひかれ、ついにぴんと張り詰めるときが来た。
「ごめんなすって!」
サイコロが壺へ叩き込まれ、さっとサシチの頭上へあがった。壺の中でからからから、と音がしている。壺振り一番の見せ場である。賭けに参加していない者までサシチに視線を絡め取られて動けないようだった。
 サシチはいきなり壺を盆茣蓙へ伏せ、軽く手前にひいた。
「丁!」
迷わずにセンゾウは声を発した。
「半!」
ロイは若く、声はまだ高めだった。だが浮つきがない。ほとんど同時に声がかかっている。
 サシチは腕全体を緊張させ、壺をつかんだ手をゆっくり引き上げた。
「丁」
糸がぷつりと切れた。どっと沸きあがるどよめきの中で、センゾウは乗り出していた身体を元に戻した。
 サシチも荒い息を吐きながら座り込んだ。ベテランだが、特別な勝負で緊張しているらしい。たった一度の賭けでオロチのサシチがこれほど体力を消耗するのをはじめて見た、とセンゾウは思った。
「まず一勝させていただきましたよ、ロイさん」
ロイは落ち着いたようすだった。
「ああ。次であんたが勝てば、おれたちは負けだ」
ロイの斜め後ろから、ムーンブルグのアマランス姫がゆらりと立ち上がった。
「わたくしの番ね?」
サシチは汗だくの顔でアムを見上げ、あからさまな敵意をこめて、どうぞとつぶやいた。サシチが下がる。その場所へすべるようにアムが近づいて滑らかな動作で両膝をたたみについた。
「挨拶はなしですかい、お姫さん」
サシチがぼそりと言った。
 よそから来て賭場で壺を振る者は、この世界独特の言い回しで自己紹介をすることになっている。お素人さんにそこまでさせるか、とセンゾウは言いかけた。
 そのときだった。壺振りの座からほんの少し後ろへ、アムは据わったまま膝を滑らせて移動した。その場に両手をついて頭を下げた。ほっそりとした姿、色白の素肌。風にも折れそうな頼りなげな風情の少女が、ぴたりと平伏して動かない。
 賭客たちは最初がやがやしていたのだが、自然と静かになって彼女を見守った。
 ゆっくりアムが顔を上げた。
「ご一統さんには初のお目見えと心得ます」
腹の据わったいい声だった。少女賭博師のほほは闘志をたたえて紅潮し、目はまっすぐ前を見つめている。
「手前、生国はムーンブルグ、そこに住まいを構えますムーンブルグ王国八代目の跡目と発します」
センゾウは目を疑った。頼りなげな印象はもうどこにもない。美しく獰猛な女賭博師がそこにいた。
「姓はムーンブルグ、名はアマランス。渡世修行中の未熟者でございます。以後万事お見知り置かれ、よろしくお頼み申し上げます」
見事な挨拶に賭客はおろか、センゾウの一家の中からさえ感嘆の声がしきりにあがった。
「なんか、乗り移ってねえか、アムに?」
隣ではロイまでそうささやいている。
「遊び人だよ、たぶん」
とサリューがささやき返した。