マイラ一天地六 6.賢者の作戦会議

小竜王は、手ぶらでもどってきたロイを見て、勝負の結果を悟ったようだった。
「女王卵は……」
ジパングの少女の扮装のためか、すがりつくような目をまともに見返すのはつらいほどだった。
「胸たたいて引き受けたってのに。このざまだ」
ロイはたたみにどっかり座り込み、小竜王に頭を下げた。
「負けた。俺が舞い上がってたせいだ」
「では、私の妃は」
「まだセンゾウが持ってる」
小竜王は膝をそろえて坐り、肩を落とした。
 長い廊下を逆にたどってもどり、彼らは最初に案内されたジパング風の部屋にいる。ふすまを開け放ち、きれいに手入れをした庭から涼しい夜風をとりいれていた。庭のどこかで虫が鳴いている。その声が聞こえるほど静かだった。
「もう、だめなのか?」
押し殺した声で小竜王が聞いた。
「明日の夜、もう一度勝負することはできる。けど、俺」
ロイは言葉に詰まった。
「だめかもしれねえ。まったくの偶然が頼りだ」
何か言おうとした小竜王に向かってロイは早口に説いた。
「もしまたダメだったら、俺、ずっとあの卵に付き添っている!中から女の子が生まれるまでずっと!」
小竜王は首を振った。
「いつ孵化が始まるか、竜王の私さえわからぬのだぞ」
「俺のせいだ……」
ロイは唇を噛んだ。
「違うわ」
アムの声だった。
 賭場にいる間中、ひどく辛そうにしていたが、今は立ち直ったようだった。アムは座りなおした。
「ロイのせいじゃない。あれは偶然に丁になったんじゃないと思う」
「どうしてそう言える」
「壺振りの、オロチのサシチは魔法使いよ」
アムは言い切った。
「おい」
魔法力の有る無しは、もともとロイのコンプレックスの源である。
「ええ、あの男はロト三国の王族じゃない。でも、たぶん、ものすごく珍しい先祖がえりなんだわ。あいつ、MPを持ってる」
「なんでわかる」
「あの賭場よ。ものすごく暑かった」
「そうか?」
「ロイには感じられなかったのだと思うわ。気を悪くしないで聞いてね。あの場所には独特の気が充満しているの。欲望とか執着とか言い換えてもいい。それが度を越して濃密なので、魔法力を持っている者に影響するのよ」
「まじか」
「暑くてしかたがなかったわ。たぶん、サシチも暑いと思う」
アムの目は真剣だった。
「最初あいつは、サイコロをあやつってわざとロイに勝たせた。すっかりいい気にさせて、センゾウとの勝負をやらせたの」
ロイは耳が痛かった。
「……そのとおりだ。おれは、絶対に勝てる気がしてた」
「あとは簡単よ。サシチはセンゾウの賭けた目を聞いた後に、壺の中のサイコロの目を調節したんだわ」
「どうやって……?」
そう言ったとき、庭のほうから別の声がした。
「ぼく、だいたいわかる」
サマが庭から部屋へあがってきた。
「どこ行ってたんだ?」
「明日どうするかの計画を立てに行ったんだ。あのね、たぶんサシチが最初に振った目は、2-1の半だったのじゃないかな。でもセンゾウさんが賭けたのは丁だった。だから、2の面が出ているサイコロをMPを使って一回だけ転がして3にしたんだよ」
「壺を開ける直前に、凄い熱が来たわ。あいつ、にやりとしてた。たぶんそのときだったのね」
「だから3-1、サンミチの丁か。くそっ」
 サマは小竜王の隣に坐った。
「しかし、それでは打つ手がない」
小竜王はさきほどからじっと考え込んでいたのだった。
「どちらに賭けても壺振りが中の目を調節してセンゾウを勝たせてしまうではないか」
「あいつが魔法を使ったときに、そう言ったらどうだ?」
ロイは言ってみた。が、サマは首を振った。
「だって、魔法だから証拠がのこらないもん。ロイも僕も賭けの当事者なんだから証拠無しでそれを主張するのはたぶんルール違反だ」
「チクショウ」
ロイはがっくりした。
 また虫が鳴き始めた。アレフガルドにいるはずなのに、あたりは本当にジパングのようだった。庭の立ち木の上に丸い満月が浮かんでいる。誰も口を利かなかった。
「ロイ、元気出してよ」
サマが言った。
「ぼく、明日の夜までに勝つ方法を考えるから」
「おまえ」
と言ってロイは口ごもった。
「そうか。まかせる。今夜は、ありがとう。サマがいなかったら、おれ、ほんとにもうどうしようもなかった」
えへへ、とサマは笑った。
「ほとんど詭弁だから、けっこう危なかったんだけどね。とりあえず、明日の勝負はセンゾウさんに三本勝負で申し込んでね」
「二本取ったほうが勝ちってことか?」
「うん。そのほうが一本勝負よりいいと思う。一回ごとに壺振りも変わってもらうんだ」
「そんなこと言ったって、俺たちの中で壺振りのできるやつなんかいないぞ」
サマはにこっとした。いきなり振り向いた。
「アム、お願い」
「お願いって?」
「明日の夜、壺を振ってよ」
えええっとアムが叫んだ。
「無理よ、わたし」
「ロイは賭けるほうだから壺を振れないし、ぼくは物言いがあるときは控えていなきゃならないから」
「やり方がわからないわ」
「さっき見てたでしょ?」
アムはしばらくためらったあとでついにうなずいた。
「ええ。できるだけ今日見たことを思い出してみる。でもうまくいくかしら」
「ぼくはアムなら大丈夫だと思うよ。壺振りのこと考えておいてね」
じゃあ、と言うとサマは威勢よく立ち上がった。
「みんな、寝ておこうよ。明日は勝負なんだし」
「いいのかよ」
「いいの、いいの。なんだったら、有名なお風呂にでも入ってくるといい。きっとよく眠れるよ」

 サリューはジパング風の部屋で寝るのは初めてだったし、枕が替わると寝付けないというくせもあった。だが、布団に入って目を閉じてまもなく、サリューは自分が眠りに入っていくのがわかった。
 夢だよね。そう思った。しかも、特別な。
 小さいころからそういう特別な夢のときは、サリューにはわかる。空中に漂っているような感覚を味わいながら下をながめると、思ったとおり自分と仲間たちがジパング風の部屋で眠っているのが見えた。
「ああ、ぼく、今、魂だけなんだ」
光源は外から差し込む月光と、そのもっと上から来る何か不思議な光だった。サリューは霊体がその光のほうへ吸い寄せられるに任せた。
 はるか下方にマイラが見える。サリューは夜空の雲の上に着地した。雲の大地は青いような月光に洗われてとてもきれいだった。
 あそこに人が居る。サリューはごく自然にそう思った。
「誰が来てくれたのかな」
ゆっくり歩いて近寄っていった。
 その人もサリューを見つけて軽くうなずいた。身に着けている服は、大きな円形の貫頭衣のように見えた。足ごしらえはしっかりしたブーツ。手に杖を持ち、そして額には赤い石をはめたサークレットをつけていた。
「賢者様ですか?」
サリューは声をかけた。
「いかにも」
と賢者は答えた。
 髪は白に近い銀色だが、皮膚の色はむしろ浅黒い。深い叡智を垣間見せる青い目でサリューを見ていた。
「勇者ロトに従いし聖戦士の一人。我が名はジャック。大賢者ジャック」
大賢者は青い光に輝くように見えた。
「来て下さってありがとう」
サリューは片手を胸にあて、片足を引いて一礼した。
「ぼくはサマルトリアのサーリュージュ・マールゲム」
 ふいに賢者はその場にどっかりと腰を下ろし、あぐらをかいた。あっさりと杖をその場へ転がすと、大きく肩を回して首をもんだ。
「最初に言っとくが、おれ、転職前は盗賊だったんだ。賢者様やるのは肩が凝っていけねえ」
「えーと」
サリューは戸惑った。
「揉んであげましょうか?」
「ああ、ありがてえんだが、なにせ時間がねえ」
大賢者の目は鋭かった。どちらかというとさきほど賭場で見かけた男たちのような雰囲気があった。
「まあ、ここへ坐れ」
言われたとおり、ちょこんとサリューはジャックの前に正座した。
「はい」
ジャックはためいきをついた。
「えらい素直な兄ちゃんだが、なんか頼りねえな。ほんとにおまえでいいのか?明日、何が何でも賭場で勝たなきゃならねえんだよな?その方法をおれは教えに来てんだぜ?」
「それなら、僕でいいと思います」
サリューはまじめに言った。
「どうか、お願いします」
ジャックはまだ疑わしそうな表情でサリューを眺め回した。
「そうだなあ、おまえ、言ってみな。何をやろうと思ってた?明日のことだぜ?」
サリューはこくんとうなずいた。
「サシチさんに、あせってもらいます。あせってあせって、それで尻尾を出してほしい」
にや、とジャックは笑った。
「なんだおまえ、見かけによらずできそうじゃねえか」
へーえ、と賢者はサリューの顔をにやにやしながら眺めた。
「要るものを言ってみ?」
「まず何とかしてサシチさんの魔法力を封じないと。もちろん、アムの魔法力もね。だけどマホトーンじゃちょっと不公平な感じになるかなあ」
ジャックはにやりと笑った。雲の中にこぶしをつきいれ、何か握ってつかみ上げた。白い雲の筋が指の関節から流れ落ちる。彼が握っているのは、伝説的な魔封じの杖だった。
「用意してきたぜ。ほらよ」
サリューは魔封じの杖を見たとたん、どっと肩の荷が下りた気がした。
「よかった……!これがほしかったんです。これで互角」
「壺振りの魔法力を封じて、それから?」
「マホトーン状態でも魔道具は使える」
ヒュウヒュウとジャックは冷やかした。
「いいぞ。で、なにを持ち込む」
「ラーの鏡が割れたとき、かけらの大きいのを拾って持ってたんです。あれがいいんじゃないかな」
「おいおい、割れてるんだぞ、ああ?」
からかうようにジャックは言った。
「うん。今は普通の顔しか映らない、ただの鏡の破片けど」
サリューは微笑んだ。
「サシチはそのことを知らない」
ジャックは膝をたたいた。
「ようし!じゃあ、ほかにもいろいろいわくのありそうなもんを持っていって、どれがはったりかわかんねえようにしてみな。竜のウロコはどうだ。それと、ああ、マイラだろ?妖精の笛はどうだ」
「やまびこの、じゃだめだよね」
「形が違うんだよ。まあいいや。妖精の笛も念のために渡しておくからちゃんと持ってろよ。明日は三本勝負を申し込むんだな?どっちが先に振る。それが肝心だぞ」
「まずサシチに振らせる」
サリューは即答した。
「二回目がアム。三回目がサシチ」
「よーしよし」
ジャックの目が月光に光った。
「二回戦でスコアを1対1へ持ち込めるか」
「3対0じゃサシチは、センゾウさんのほかの子分に妬まれるかもしれないんです。二回戦で1対1にして、最後の勝負で自分がセンゾウさんを勝たせる。きっとサシチはそう考えると思います」
「いい見立てだ。頼りねえとか言って悪かった。おまえ、いい性格してるぜ」
サリューはまじめに答えた。
「母上もそうおっしゃいました」
ジャックはあきれたような顔になった。
「そのぼけっぷり、おまえたしかに、やつの子孫なんだな」
なんとなく懐かしそうな響きがあった。
 サリューは楽しかった。あれをこうして、それでこうやって、と、いつもは考えていることを自分ひとりで心の中で繰り返しているのだが、アドバイスを受けながらジャックに話すと、計画の問題点が洗い出されてくる。いつのまにかサリューは明日の計画を総ざらいしていた。
「よし。あとは、運を天に任せるんだな」
「はい!」
と言ったあと、サリューは口ごもった。
「ただ、心配なのは、ロイのことなんです」
「ん?」
「それにアムも。ちゃんと壺振りやってくれるかなあ」
「あの別嬪のところなら、今頃うちのおちゃらけコンビが押しかけて、無理やり壺振りを教えてるはずだ」
軽くうんざりしたようすだった。
「おちゃらけ?」
「戦士と武闘家だ。が、ルイーダの酒場で会ったときは遊び人だった」
遊び人の聖戦士か……サリューはちょっとイメージがつかめなかった。
「ロイは?ロイのほうが心配なんです」
サリューはうなだれた。
「今日ひっかけられたことで、すごくロイが落ち込んでる。あまり萎縮しちゃうと僕の計画が狂っちゃうし、ロイらしくないし」
サリューはそういって顔を上げ、そっとジャックをぬすみ見た。ジャックは雲の上にあぐらをかいて、どこか遠くの方を見ていた。
「おまえの従兄、まだ寝てないんだな。眠れないらしい」
「え、ほんとですか。大丈夫かなあ」
「心配するなよ。かわいい子孫をほっとくわけがねえじゃねえか、やつが。おまえそっくりの甘ちゃんなんだからよ」
そう言ってジャックは、静かに、奇妙にうれしそうに笑った。