マイラ一天地六 5.サンミチの丁

「マイラルールだね。わかりました。それから、ぼくはサリューって呼んでください。じゃあロイ、がんばって」
 白い盆茣蓙は細長い四角形である。一方の長辺の中央に壺振りを務めるオロチのサシチがあらためてすわった。
 相対する長辺にローレシアのロイアルと土蜘蛛のセンゾウが間を置いて並んだ。アムとサリューはロイの斜め後ろから勝負を見物することになった。
 サシチは賭場の使い走りの手から、新しい壺とサイコロ二つを受け取ると、ロイのほうへ滑らせた。
「お客さん、まずお改めなすって」
ロイは珍しそうに壺を取り上げ、しげしげと観察した。サイコロのほうは手に乗せてバランスを確かめる。だが物言いはつけずにサシチへ返した。
「おれはこれでいい」
「旦那は」
センゾウはわずかに首を振っただけだった。
「では、始めさせていただきます」
 ロイは、背中に背負った大きな刀を鞘ごと自分の前に置いた。センゾウのほうは、奥へ向かっておい、と声をかけた。
 センゾウの賭場は広い畳敷きで神棚のある一面のみが板壁、あとはふすまになっている。両脇のふすまのひとつが開いた。紫の座布団の上に、人間の身長ほどの長さのある楕円形の庭石が乗っていた。
「へえ。あれが女王卵か。見るの初めてだな」
センゾウは意外そうな顔になった。
「おや、そうなんで?」
「ああ。あの卵は、知り合いから取り返してくれと頼まれたものなんだ」
「おかしなお人だ。どんな義理がおありだか知りませんが、先祖伝来の剣を他人のために賭けようってんですか」
わははっとそっくりかえってロイは笑った。
「義理があるからやってるわけじゃねえって」
「大きな風呂敷をひろげなすったもんだ」
「ほんとうだぜ。じゃなかったら頼まれもしねえのにハーゴンにケンカ売ったりするかよ」
センゾウはふと視線を和らげた。
「思ったより、おもしろい若様だ」
ふっふっとセンゾウは笑った。
「いや、ロイさんでしたね。いい勝負ができそうだ」
「そりゃあいい。さあ、始めようぜ」
 盆茣蓙の向こうでサシチが壺とサイコロを取り上げた。
「どちらさまも、よろしうござんすね?」
ああ、とアムはうめいた。また、この、熱。今までおさまっていたはずなのに、また熱波が襲ってくる。
「どうしたの?」
サリューは心配そうだった。
「暑いだけよ。だいじょうぶだわ」
「そういえば、なんか暑いね、ここ」
「焚き火でもそばにあるみたい」
「ぼくの感じだと、あっちからお日様があたってる、みたいかな」
サリューはまぎれもなく壺振りの方を指してみせた。
「やっぱり……」
サシチがついに声をかけた。
「御免なすって」
かららら、と音を立ててサイコロが壺の中で回転し始めた。片膝立てたサシチのもろ肌脱いだ上半身が、躍動した。汗を振り飛ばすような勢いで壺が盆茣蓙に伏せられた。
「丁!」
とたんにセンゾウが大声で張った。
「半!」
反射的にロイが叫んだ。さきほどまで張っていた賭客が30人ばかり、固唾を呑んで見守っている。サシチは、壺を盆茣蓙に押し付けていた手の緊張をゆるめた。
「ああっ」
アムはのけぞった。どっと顔から汗が噴出すのがわかる。声がかすれてうまくしゃべれない。
「だめ……そんな……」
オロチのサシチがじろりと彼女を見た。
「よくも、やったわね?」
サシチはにやりと笑った。壺をゆっくり持ち上げて、さいころの目を見せた。
「丁でござんす」
ほおお、と客の間から声があがった。
「くそっ」
 ロイの顔が青ざめた。
「これも勝負のこと。ロトの剣、いただきますぜ」
ロイはこぶしを握り締めたが、目の前の愛剣から目をそらせた。
「持っていけ!」
アムは必死で首を振った。からからの喉では思うような声が出ない。必死でサリューの服の袖を探ってつかんだ。
「大丈夫、アム」
サリューは小声でそう言うと、立ち上がってセンゾウの前にすわった。
「待ってください」
賭客や賭場のスタッフがそろってサリューの方を見た。
「物言いですか、サリューさん」
センゾウの口調は穏やかだったが、目が笑っていなかった。
「はい、言わせていただきます。サシチさんが出した目は、片方が3、もう片方が1です。あわせて4で偶数だから丁。そうですね」
「そのとおり」
「それならこの目は3-1、つまりサンミチの丁。大金賭けて負けた客がほっとする、つまり勝負なしになるただひとつの目じゃないですか」
 賭場中がどよめいた。センゾウの子分の中には、もうドスを抜いて立ち上がり詰め寄ろうとしているものもいる。センゾウはそちらの方を見て、視線ひとつで血の気の多い若い衆を下がらせた。
「残念だが坊ちゃん」
センゾウは薄笑いさえ浮かべている。
「一本勝負のときには、サンミチの丁はない。ロクゾロやシソウ、シロクも無効です」
サリューは冷静だった。
「でもあなたはそのことをロイに言っていない」
じっとセンゾウの目を見ていた。
「単に、マイラルールを適用すると言っただけです」
ふん、とセンゾウはつぶやいた。盆茣蓙の周りではサリューとセンゾウを取り巻いて客が口々にしゃべっている。
 センゾウの決断は早かった。
「なるほど、筋道の立った立派なご挨拶をいただきやした」
「親分!」
オロチのサシチ以下、子分たちが色めきたった。
「黙ってろ、おめえら」
太い声で子分を下がらせると、センゾウはロイのほうへ向き直った。
「サリューさんの言い分、呑みやしょう」
ロイが驚いて顔を上げた。
「今の勝負はなし。この剣、お返しいたします」
 ロイは口も利けないようすだったが、ようやくセンゾウの顔をまともに見た。
「わかった。剣は収める。勝負は、なしだ。でも、俺は今、あんたに負けたんだな」
率直な言い方にセンゾウは笑いを誘われたようだった。
「気になさることはない。土蜘蛛のセンゾウがロイさんのお人柄を見こんで決めたのです」
「もう一度、勝負してもらえるか」
「喜んで」
「なら、明日の夜。今度は覚悟してくる」
「その勝負、お受けいたします」
センゾウはにっと笑った。

 薪ざっぽうをつかんでサシチは立ち上がった。
「てめえ、シンタ!よくもよそもんに余計なこと吹き込みやがって!」
ひっと叫んでシンタは縮み上がった。
 場所はセンゾウの刀御殿の裏側、厨房近くの土間である。まわりにセンゾウの子分たちが集まっていた。
「すんません、すんません!」
シンタは土間にうずくまって叫んだが、サシチは容赦なく薪でシンタをぶちのめしにかかった。
「きさまのせいでっ!」
背中にも肩にも薪が音を立ててたたきつけられる。なんとか指で頭を抱えて守るだけがせいいっぱいだった。痛みと恐怖でシンタは震えていた。
「おい、サシチ、それじゃシンタを殺しちまうよ」
サシチの兄貴分が声をかけた。
 オロチのサシチは天才的な壺振りで組の看板を背負っているが、子分の序列としてはそれほど高くない。元は流れ者で、どこからかやってきてセンゾウの組に入れてもらった男だった。
「たしかに今夜は大勝負で、それで親分が勝ちってことになりゃあサシチ、おめえさんにも箔がつくだろうが、サンミチが出たのはしょうがねえじゃねえか」
「シンタのせいじゃねえのは確かだぜ」
「やつあたりはよしな」
サシチは殴りつける手を止め、剣呑な目つきで居並ぶ組の幹部、兄貴分をにらみつけた。
「俺たちの意見が聞けねえってのか」
さすがに幹部の一人がむっとしてそう言うと、サシチは薪を土間にたたきつけ、何も言わずにずかずかと行ってしまった。
「野郎……壺振りの腕前がなかったら……おい、シンタ、大丈夫か」
「へい」
シンタはようやく身を起こした。
「ひでぇめにあったな」
「あっしが悪いんです」
「もういい。気にするな」
幹部たちは、サシチへの反感のせいか、シンタにはやさしかった。
「裏で手当てしてもらえ」
「どってこと、ねえんで」
シンタはぺこぺこして、足を引きずるようにして土間を出た。
「くっそう」
 ああは言ったが、実はすごく痛い。皮膚があちこち破れ、背骨が折れたか思うほど殴られたのだった。
「こんなにぶたれるんなら、言い返してやりゃあよかった。サンミチの丁が“勝負なし”だってのは本当のことなんだ。ああ、痛え」
ぼやきながらシンタは夜の庭を通り抜けようとした。マイラは山の中にある。庭に植えられた松の木のこずえの彼方にきれいな月が出て、涼しい風が吹いてきた。
 その風にまぎれるようにして、誰かが唱えた。
「ベホイミ」
「え?」
シンタは驚いて立ち止まった。全身の痛みがウソのようにひいていく。薪の角で殴られて血のにじんでいた耳の後ろに手をやっても、出血はとまっていた。
「なんだ、なんだ?」
「責任感じたからね」
松の木の向こう側から、緑の少年、サマルトリアの王子が姿を現した。
「あんた、あの」
「ぼくのせいだって言われたんでしょ?ごめんね」
今のは魔法だったのか。シンタは身体のあちこちをさわって納得した。
「いや、もう、いいんです。あれはサシチの兄貴のやつあたりなんで」
「よっぽどセンゾウさんに勝たせたかったんだね」
「サシチの兄貴は、時々神がかってすげえってときがあるんです。思い通りの目を出せるんで。だから今夜も自信満々だったんですが」
「ぼくが余計なことした?」
シンタは思わず笑った。
「サシチの兄貴、かんかんでしたよ。ざまあみろだ」
うふふふ、とサリューは笑い、それからためいきをついた。
「明日の勝負も、サシチさんだよね」
「へえ。申しにくいこってすが」
「ぼくたちの負けか」
あのう、とシンタは言った。
「明日は三本勝負を申し込んでみるのは、どうすか」
「三本?一回負けても、二回勝てばいいんだね?」
「勝てるかどうかはわかりませんが」
サリューはかわいい笑顔になった。
「可能性は多いほうがいいよ。ありがとう」
「どうしたしまして」
「ううん、明日の戦略ができそうだよ。それに、おもしろいことも聞かせてもらったし。じゃあね、ほんとにありがとう」
へい、とシンタが言って頭を下げたときには、サリューはいなくなっていた。