マイラ一天地六 3.秘密の賭場

 マイラの祭りの夜は、毎年たいそうにぎやかである。だが今年は特に盛り上がっているようだった。
 若い男が一人、たっと屋外へ駆け出して、屋台をやっている兄貴分のところへ飛んできた。
「兄ぃ、たいへんですよ」
「じゃますんな、稼ぎ時なんでぃ」
「だって、センゾウ旦那の賭場で、これから大勝負があるって」
賭けに目のない兄貴分は振り向いた。
「なんだって?」
「勇者ロトの子孫だってぇ若いもんが刀御殿へ乗り込んで来たんでさあ。お国へ帰れば一国一城の若様だ。それがムラク様の打った本物の王者の剣を賭けてセンゾウ旦那に勝負を申し込んだんだ」
「いや、おめえ、それで、旦那は受けなさったのか!」
「土蜘蛛のセンゾウが逃げをうつわけにいきやせんよ!」
何を勘違いしたのか、ちんぴらは息巻いている。
「返り討ちにしてくれようってんで、今賭場じゃあ新しく盆茣蓙を敷きなおして、まわりに水を打って盛り塩をして、若ぇ衆が大騒ぎしてます」
「くそっ、おまえ、店番してろ。おれは見に行く!」
「そんな殺生な!」
などという騒ぎが村中で繰り広げられていた。
 もちろん、騒ぎの中心は温泉宿……センゾウの刀御殿だった。宿泊客のなかで今夜の勝負の話を知らないものはいない。待合、飯屋、酒場、湯殿まで、その話でもちきりだった。 
「なんか大騒ぎだねえ」
 のんびりと茶をすすりながらサリューは言った。一行が案内されたのはジパング風の部屋だった。草を編んだ床に紙でできた壁の、アムたちにとってはあまりなじみのないスタイルの部屋である。いすはなく、薄いクッションを置いて床に直接座るのだった。
「しょうがねえだろう」
ロイは答えた。口調がなんとなくマイラ風に崩れ、伝法になっている。
「これで勝てれば何も言うことはないのだけれど」
アムは畳敷きの部屋にすわりこんで軽く膝を崩し、庭を眺めてためいきをついた。
「ロイ、賭けなんて、やったことがあるの?」
 この部屋へ案内してくれた宿の若い衆が、マイラで行われるギャンブルはジパングスタイルなのだと教えてくれたのだった。
「経験なんかねえけど、勝たなきゃならねえ。だろ?」
 ロイはそう言って、床の間の方を見た。小さな竜王は、こくんとうなずいた。
まだジパング風の少女の扮装のままだった。頭の両側の小さな角を隠すのに、花かんざしは都合がいいようだった。それにあわせてキモノをまとっているのでおかっぱ頭とあいまって、小竜王はまるでマイラの木彫り人形、こけしのように見えた。
「リカント」
 まだ高い声で小竜王は付き従う家来に呼びかけた。リカントは目つきの鋭い男で、毛皮の上着を着ている。
「このマイラの賭場で行われるのは、伝統的なジパング風のギャンブルです」
低い声でリカントは説明し始めた。
「壺振りと呼ばれる役の者が、草で作った小さなかご(「壺」)の中へダイスを二個入れて振り、そのダイスの目の合計が偶数(「丁」)か奇数(「半」)かを争います」
「それだけなの?」
とアムは聞いた。
「それだけです」
「戦略性のかけらすらないわね。偶然だけが頼りなんて」
「そこんところが、賭けなんだろ?アム、心配してもしょうがねえよ」
でも、とつぶやいてアムは小竜王のほうを見た。
「私は」
小竜王は口ごもった。
「あの卵、女王卵が孵る前に、どうしても取り戻さなくてはならない」
「ねえねえ、女王卵て、なに?」
とサリューが言った。
「竜族の卵の中には、孵化が近づくと表面にある“しるし”が現れるものがあるのだ。そのうちのひとつが竜王卵だ」
「じゃあ、小竜王くんも?」
そうだ、と幼い竜王は答えた。
「私も竜王卵から生まれた。そして、中に居るのが特別な雌であることを示すしるしのある卵が、女王卵だ」
「未来のお妃?」
自分が少女のような小さな竜の少年はうなずいた。
「そのはずだ。だが、あの男のところに女王卵を置いていては、きちんと孵化できないかもしれない。そうしたらまだウロコも柔らかい幼い仔は、卵の中で死んでしまう」
小竜王の声がふるえた。
「なんとかうまく生まれたとしても、人型を取ることができなかったらモンスターとして殺されるだろう。一番運がよくても親のいない角の生えた女の赤子だ。竜の女王たるべき身がこの村でどんな扱いを受けると思う。下女か、見世物か!」
小竜王は膝に乗せた両手を握り締めた。
「あれは私の妃だ!必ず援ける!」
サリューはそっと小竜王の肩に手を回してそっと抱いた。
「大丈夫だよ。ぼくたち、力になるからね」
顔をうつむけて小竜王は小さくうなずいた。
廊下を歩いてくる音がした。誰かが部屋のすぐ外で咳払いをした。
「お客さん方、賭場の用意ができやした。おいでくださいまし、とセンゾウが申しておりやす」

 土蜘蛛一家の若い衆は一行の先に立って案内していった。温泉宿の中は、温泉のある湯殿に近づくと空気が変わる。なんとなく温かく、空気が湿り気を帯びるのだ。湯殿へ至る廊下には天井から藍色の布が下げてあり、ジパングの言葉で熱い水を示す文字が白抜きで大きく描かれていた。
 そのあたりは華やかな雰囲気が漂っている。廊下の両側の壁には和紙を張り金箔交じりの紫や萌黄色、橙色で花鳥風月を描き、木材の部分はなまめかしい朱塗りである。泊り客は楽なキモノをさっとひっかけただけで、ひどく気楽そうに大声で話しながら行き交っていた。
 湯殿からは、ぱこん……という音が響いてくる。そして、大量の湯を流すざあざあという音。湯気にくぐもった話し声や、笑い声。
 若い衆は湯殿の入り口を素通りして、もっと奥へと一行を連れて行った。
 しばらく歩くと、雰囲気が変わった。白木の廊下に黒壁が続く。突き当りには広い階段があり、降りた先は石造りの庭園だった。
「どうぞ、こちらへ」
 黒木の門を押して内部へ入ると、土蔵のようなところへ若い衆は入っていく。扉の中には、地下へ向かう階段が見えた。
「足元が暗うござんす。お気をつけなすって」
壁から手燭を取って若い衆が言う。サリューはうなずいた。
「うん、ロト伝説のとおりだね」
「なんですって?」
とアムは聞いた。
「地下だよ。マイラの賭場は、地下にあるんだ」
 階段を途中まで下りたところで、賭場のざわめきが聞こえてきた。大勢の人間が集まっているのだった。
 降りきったところは、広い空間だった。椅子らしいものがまったくなく、畳敷きの巨大な部屋である。その中央にベッド二つ分以上の面積の、白いものが置いてあった。低くて平たい台を大きな白い布でくるんだものらしかった。
「あれが盆茣蓙(ぼんござ)です。勝負はあの上で行います」
と若い衆が小声で言った。
 若い衆は一行を先導して胴元、土蜘蛛のセンゾウのすわっている片隅へ向かった。賭場の客たちは動きを止めてロイたちの方を見た。勝負の話はここにもしっかり伝わっているらしい。
 賭場の客は、30人前後だろうか。マイラの住人が多いのだろうと思っていたが、意外なことにラダトーム風の衣服や武装の男たちがだいぶまじっている。それどころか客の中にはローラの門の向こうの世界の住人も居るようだった。ルプガナ風の服を着た商人やベラヌールの水夫らしい者も何人かいた。
 顔だちや髪、肌の色、武具や衣服はそれぞれに違う。だが、彼らには共通点があった。目つきである。
「ぎらぎらしてるね」
サリューがささやいた。
「まるで、飢えた獣の群れだわ」
アムはそう答えた。
 賭客は、部屋の中央の盆茣蓙を取り囲むようにしてあぐらをかいてすわっている。アムたちが入ってくるまで明らかに賭けをしていたらしい。その興奮の余韻、熱気、執着が、ぎらぎらと彼らを照り返している。
 うわさのロイの一行が入ってきたので賭客たちはふと気がついて顔を上げたらしかった。だが彼らの目にものめずらしさや好奇心などといった無邪気なものは感じられない。
 上目遣いににらみあげる視線は剣呑だった。まちがいなく彼らは新たな敵、ないしは獲物を見つけたのだった。
「旦那、ご案内いたしやした」
 センゾウは広間のすみの畳の上にぶ厚い座布団を敷いてその上にすわっていた。彼の背後には明らかに祭壇状のものがあり、大きなろうそくがささげられている。だが、アレフガルドのほかの町のような精霊ルビスの神像は見当たらなかった。代わりに長い白い紙が吊り下げられ、そこにジパング風の文字がいくつか書き付けてあった。
 センゾウは長いキセルを唇から放してふうと紫煙を吐き出すと、にやりと笑った。
「いらっしゃい。どうです、この賭場は」
ロイは鼻で笑ってみせた。
「悪くねえな」
「王子様には、度胸がよくていらっしゃる」
「おうよ、と言いてえところだが、おれたちには初めてのスタイルだ。あんたと勝負する前に、少し眺めてていいか」
「ご自由に。なんでしたら、ゴールド金貨を少し駒札(カジノ用のチップ)に換えてはいかがです。軽くお遊びになりませんか」
「あんた、商売うまいな」
ロイは感心したように言った。