マイラ一天地六 10.勇者三本勝負

 アムは壺振りの坐るところまでしとやかに膝を進めると、片手に壺、片手にサイコロを二つ、手に取った。あまりにも慣れたしぐさで、センゾウはまるで年季の入った本職を相手にしているような気がしてきた。
 挑戦的な目で彼女は盆茣蓙の周辺にさっと視線を走らせた。センゾウは座りなおした。このおひいさま、何なんだ、とセンゾウは思った。目で、賭けを誘ってやがる。金への欲と勝ちへの執着を煽りたて、白魚の指にその場の視線を一手に手繰り寄せてぐいっと引いた、とセンゾウは思った。オロチのサシチさえ、嫉妬とも感嘆ともつかない顔でアム一人を見つめていた。
「よろしうございますか」
ふ、とアムは口元に微笑みさえきざんでいた。
「どなたさまも、ごめんなすって」
言い切った直後、腰を浮かせ片足を斜め前に出した。その脚の内側がのぞけてしまうが、下手に恥ずかしがることなく堂々としている。そして同時に右腕を襟元から抜き、一気に片肌を脱いだ。
 むき出しの右腕に持った壺にサイコロが放り込まれ、高い音を立てて中で回っている。高々と上がる腕、雪を丸めたような肩、晒しの木綿できつく巻き上げられた胸。ひどく無防備だが、獣のように荒々しい。センゾウはアムの右胸に炎を吐く緑の竜をはっきりと見た。
「怒りのタトゥー!誰だあんなもん入れておいたの」
「ご先祖様じゃない?」
従兄弟たちのひそひそ話を打ち切るように、アムはびしりと壺を盆茣蓙へ伏せた。
「さあ張った!」
「丁!」
気を呑まれていたらしい。センゾウは一拍遅れた。
「……半!」
アムが左右に視線を走らせる。そしておもむろに壺を引き開けた。大きな黒い点を真ん中につけた白い面が二つそろって出ていた。1-1だった。
「丁でござんす」
賭場全体からため息がわきおこった。センゾウの隣で、ロイも長く息を吐いている。
「一対一にもどりやしたね」
話しかけると、ロイはにやりとした。
「まあな。でも、いい形だ」
な?、と言って、脇にいるサリューの顔を見た。サリューはうなずいた。
「では、次に勝った方が勝ちだ。よろしいですか」
「もちろん」
三本勝負で一対一になると、一本勝負よりも緊張するのが普通なのだが、ロイは落ち着いて見えた。
「親分」
呼んだのは、番頭だった。
「いいんですかい」
「なあに、勝負のことだ。勝つときは勝し、負けるときは負ける」
そう言ったが、一家の若い者はみな居ても立ってもいられないようすでうろうろしているのが見えた。
 もうアムは肩を袖に入れ、居住まいも正している。
「アムさん。見事な壺振りでした」
アムは役目を終えて落ち着いたようだった。
「つたないところお目にかけました」
「とんでもない。お姫様をやらせておくのはもったいねえ」
まわりで笑い声があがった。
「あのお姐さんが以後ここで壺を振ってくれるなら、おれは毎晩でも通うねえ」
「有り金まるごと賭場へ貢いだってかまわねえよ」
口々に賭客が言う中を、アムは静かに座を下がった。
「どうぞ、オロチの兄さん」
なごやかな雰囲気の中で、サシチだけが一人異常だった。目が三角になっている。ひどくいらついていた。ものも言わずに半座へ坐ると、追い詰められた獣のような顔でうずくまった。
 険悪な目つきでロイとセンゾウを見比べ、その向こうから固唾を呑んで見守っている土蜘蛛一家の子分たちをにらみ、ほかの賭客の群れの上にさっと視線を走らせた。最後に、壺振りを終えて元の席へもどってきたアムと視線を合わせた。アムは艶やかに微笑んだ。
「くそっ」
つぶやくのをセンゾウが聞きとがめた。
「どうした、サシチ」
サシチは我に返ったようだった。
「いえ、なんでもありやせん」
 サシチはうつむいて壺を手にした。片手に壺、片手にサイコロ。人差し指、中指、薬指の三本で二個のサイコロをはさんで支える。両腕を静かにあげて、サシチは深く呼吸をした。
「最後の勝負、お願いいたしやす。よろしゅうございますか」
センゾウも、集中を高め始めた。ロトの剣は喉から手が出るほど欲しいが、負けたとしても実際センゾウにどれほどの損がでるわけではない。むしろロイたち一行には好意さえ感じている。だが、何もせずに女王卵とやらを進呈する理由がないし、第一、半生を博打うちとして生きてきた己の血が勝負を、勝利を、賭けの興奮をこいねがってやまなかった。
 あんたもそうでしょう、ロイさん。心の中でそうつぶやいて、センゾウはサシチの手元に注意を集めた。
「ごめんなすって」
サシチの指がひらめいた。と思った瞬間、サイコロは壺へ放り込まれている。ほとんどタメなしでサシチはいきなり盆茣蓙へ壺を伏せた。
 一瞬の違和感がセンゾウの行動を縛った。いつもなら壺振りの見せ場をサシチはたっぷりと見せ付けるのだが。それでもセンゾウはほとんど本能で賭けに出ようとしていた。
「ち…」
「待った!」
叫んだのはサリューだった。サシチはぎくりとした。
「また物言いですかい、坊ちゃん!いいかげんにしてくれ!」
「イカサマを見逃せって?」
賭場じゅうがいきなり煮えたぎったようになった。
「なにぃ?」
土蜘蛛一家の子分たちがどっと詰め寄ってくる。もう殺気立っていた。
「勘違いでしたじゃあ、済まされませんよ、坊ちゃん」
サシチの目は据わってしまっている。険悪な静けさでサシチは問いただした。
「どこがイカサマだって言うんです」
サリューは堂々としていた。
「だって、ぼく、見ました」
サリューはロイの膝元から、長い三角形の鏡のかけらを持ち上げた。魔法を使ったやつの顔が映るというラーの鏡の破片だ、とセンゾウは思った。だが、魔封じの杖でこの場の全員の魔力を封じたというのに、何が映ったというのだろう。センゾウは声をかけた。
「その鏡に?サリューさん、何か見えたんですか」
「はい」
と少年は自信満々で言った。
「俺じゃねえ!」
いきなりサシチが吼えた。
「俺の顔が映るはずがねえ!だって」
「『だって』?」
サリューが聞き返した。サシチは押し黙った。
「『だって今は魔法は使っていなかったから』?」
賭場にどよめきが走った。
 サシチは黙っていた。黙って壺を押さえたまま、動けないでいた。
「そうだね。ぼくはこの鏡にサシチさんの顔を見たんじゃありません」
なぜかサシチは青ざめた。
「こうやって角度をつけて置いたこの鏡に、あなたが一瞬でサイコロをすりかえた瞬間が映って見えたんです」
なっ、とセンゾウは口走った。土蜘蛛一家の古参の連中がサシチに殺到した。一人がその腕をつかんで壺をこじあけようとした。サシチは青くなって壺を押さえ続けている。
「おいっ、かまわねえからその腕たたっ切れ!」
センゾウは叫んだ。
「俺の賭場でイカサマたあ、ふてえ野郎だ!」
若い衆がひとり、刃物を片手にサシチにせまった。
 そのときだった。奇妙に場違いな音色を聞いた、とセンゾウは思った。強い睡魔がセンゾウのまぶたをひきずり落とす。めまいに襲われて、センゾウは脚がもつれた。膝がよろけ、いつのまにか横顔がたたみに触れる。そのままセンゾウは魔法の眠りの中へ沈没していった。

 深い眠りのそこからセンゾウはゆっくり浮上してきた。なにかの香りがする。もぎたての柚子すぱっと切って絞ったときのような、あるいは切り倒して枝を払った木材を積み上げたような、つんとしているが心地よい香りだった。
「起きてください」
と誰かが言った。センゾウは目を開いた。幻の香りは消えていた。ぶるっとセンゾウは頭を振った。
「ここは、いったい?」
「賭場です」
サリューが目の前にいた。
「すいません、刃傷騒ぎになりそうだったんで、集団ラリホーで眠ってもらったんです」
サリューはそう言って持っているものを見せた。吹き口の近くを青いバンドで飾った古い木管で、柔らかいきれいな音色が出た。
「妖精の笛ってやつですか」
「はい。さすが、マイラの人だと知ってるんだ」
「アレフが使ってからだいぶたってるはずだから、効かなかったらどうしようかと思ったわ」
「あんたとおれたち、そしてあいつだけで話をつけたいと思ったもんでね」
ロトの末裔たちが言うあいだ、センゾウはあたりを見回した。
 それは自分の賭場だった。だが、一家の若い衆や賭場の客たちがみんなたたみにうつぶして眠り込んでいる。例外はロトの末裔の三人と、オロチのサシチだった。
「きさまっ」
センゾウは一気に成り行きを思い出し、殴りかかろうとした。
「待ってください!」
サシチをかばったのは、サリューだった。
「サシチさん、後悔してるんです。せめて話を聞いてください」
「後悔だ?」
サシチは両膝の上に両手を付いて、がっくりとうなだれていた。いつも古参の幹部といざこざを起こしかねないほど傲岸不遜な態度を取るサシチが、見る影もないほど悄然としている。
「あっしはおしめえだ」
泣くような声でサシチはつぶやいた。
「こんな素人さんに全部読まれちまってたんです」
センゾウはサリューたちとサシチを見比べた。サリューはむしろ気の毒そうにサシチを見ていた。
「サシチさんが魔法使いだってことは最初の勝負でわかりました」
「なんだって?」
センゾウは聞き返した。
「てめえそれじゃあ、最初っからおれの賭場で」
魔法力を持たない普通の客にとってはいかさまにあたるようなことをやっていたのか、とセンゾウは思った。
「……へえ」
サシチが認めたとき、かっとセンゾウは頭に来た。
「なんてことをしてくれたんだっ。うちはまっとうな賭場だぞ、それを」
百発百中の壺振りの正体が、魔法使い以外の何だろうか。センゾウは気づかなかった自分がふがいなかった。
 あの、とサリューが言った。
「だから、ぼくたち、絶対に勝てないはずだったんです。だからこんなことをさせてもらいました」
「こんな?」
サリューに代わってサシチ自身が説明した。
「この坊ちゃん方は、あっしが細工したサイコロを使うってわかってたんですよ」
「うん」
とサリューは言った。
「魔法を封じてあせらせて、最後の勝負でもうこれしかチャンスがないってところまで追い詰めたら、サシチさんはきっとイカサマに走ると思ってました」
「俺は、おシロウトさんにそこまで読まれてたんです。もう、おしめえだ」