ヘンリーのゲーム 6.ヨシュア

 ルークはうなずいた。
「食糧倉庫の場所。中に入って、無事に出てくる方法。盗んだものをここへ持ち込む方法」
「まず、場所だ」
とヘンリーは言った。
「それがわからなきゃ、話にならない。あとの算段はそれからだ。親方のところの地図を見れば、見当がつくかもしれないな」
こく、とルークはうなずいた。
 石工の工房に、親方は特別な地図を持っていた。
「こいつはここらの見取り図だ。わかるか」
と、二年前、脱走計画に誘った直後親方はそれを見せて子供たちに説明した。
「ここが俺らのいる工房だ。この上が現場、ここから下が石切場」
指でひとつひとつさして教えると、親方は真剣な目で二人を見据えた。
「脱走できるのは、この見取り図が完成したときだ。おまえら、この続きを探って書きこめよ。まず、おまえら奴隷の岩牢だ。そこからどうつながっている?」
金茶色の鱗の現場監督は、意図的に親方の居場所を限定していた。人間の職人たちはみな同じだった。わざわざ全体像をつかめないようにしているのだ。執拗な監視とともに、立ち入り禁止の設定は親方の癇癪の種だった。
 ヘンリーは考えながら見取り図に書き込んだ。
「そうか、やっぱり奴隷の居場所は行き止まりか。まあ、そうだろうな」
奴隷たちのいるところのどこかに、脱出口があるのではないかと期待していたようだった。
「俺たち奴隷だから、親方より行かれるところ少ないよ」
「そりゃそうだが、おまえらはガキだ。潜り込めるとこがあったら行ってみろ」
親方は身を乗り出した。
「いいか、物資の補給路を考えてみろ。この現場には人間の兵士たちがいる。やつらはどこで寝て、何を食ってる?誰かがどこかから調達してるんだ。調達された物資は山の下から運ばれてくるはずだ。兵士の宿舎があるとしたら、その厨房かどこかにな。それを探し出せば、下山路があるかもしれないぞ!」
思いきってルークは聞いた。
「親方、あのトンネルは?石切り場の縦穴の横に掘ってる路があるでしょう」
それは、今のところ“ゲーム”のなかで一番有力な脱出口だったのだ。
「あれは忘れろ。あんなもん、下山路じゃねえよ」
親方は嫌な顔をした。
「なんでわかるの?」
「トカゲ野郎に用があって、おれは行ってみたんだよ、あそこへ。トンネルだって?あれはもうすぐ貫通する。穴の先はなんか暗くて嫌なところだった。ひと目でわかるさ」
後にイブールの住まう奥の院への扉がつくられるその路を、親方はそう語った。
 そのことを思い出して、ルークは言った。
「どっちにしても、ここの見取り図を造らないといけないんだから、食糧庫を探してみようよ」
「そうするか」
賛成してからヘンリーはぼやいた。
「親方がおれたちに食糧を恵んでくれれば苦労はしないのにな」
「う~ん。持ち込む段階で見つかって取り上げられるかもしれないよ?」
「そうなったら兵士に睨まれるな。親方はあいつらに油断してほしいんだから、絶対やらないだろうな。くそっ」
 そんな話をしてから少したってから、チャンスが訪れた。見張り役の若い兵士が石工の工房へ忘れ物をしていったのだ。なんと鍵束だった。
 その兵士が鍵束を腰のベルトからはずしたときに、親方はもしかすると、こっそり隠したのかもしれないと小さなヘンリーは言った。それがあたっているかどうかはともかくとして、子供たちが上の現場から工房へ戻ってきたとき、親方は必死の形相で合い鍵を作りまくっていた。
「おい、ガキども!」
工房の隅には、石細工に使う道具を手入れするための炉がある。親方はその前にかがみ込んですごい早さで手を動かしていた。そのようすを見ながらルークは胸が震えるような心地を味わった。自分の技法ではとても開かない扉も、これで開けられる。一気に成功率が高くなったのだ。“ゲーム“にとっても大切なカギになるかもしれない。
「よし、終わった!」
最後のカギを鍵束へつけ直すと、親方はヘンリーに手渡した。
「兵士の忘れ物だ。返してこい」
無骨な金属の輪に十本以上の鍵が通してある。じゃらじゃら言う鍵束を受け取ってヘンリーは言った。
「親方から鍵を直接お渡ししろって言われました、でいいんですね?」
「そうだ。他には何を聞かれてもわかりませんで通せ」
「はい」
ヘンリーは動きかけてふりむいた。
「兵士って、誰ですか?」
親方は、ん、とつぶやいて記憶をひねりだした。
「たしか、ヨシュアって名の若い奴だ」

 黙って聞いていたマスタードラゴンがふと鼻面を動かした。
「その名に聞き覚えがある。おまえたちとは因縁浅からぬ者だったな」
「そうです」
とルークは言った。
「ヨシュアは元々教団の熱心な信者で、若い志願兵でした。彼は奴隷を逃した罪で処刑されました」
「おまえは中間をはしょっているようだ。熱心な信者がなぜ奴隷を逃がした?」
「その奴隷が妹だったからなのですが」
ルークは記憶をたどった。
「ぼくが覚えていること、後からわかったことやマリアに聞いたことを含めて、まずはヨシュアの話をしましょう」

 光の教団総本山は、世界一高い岩山に囲まれた高地にあった。そして総本山の中には護法戦士団の本部もあった。世界中に戦士団の支部があるが、本部は最も過酷な環境におかれているという。
 ここは乾燥して冷涼な気候、岩だらけで水の少ない土地で数種をのぞいて植物はほとんど生えず、それを常食する動物もあまりいない。岩山の外から部外者が訪れることはなく、高地にあるのは教団関連の設備だけ。目を楽しませるものは乏しく、娯楽はまずない。酒はおろか、最低限の食糧さえ山の上に苦労して運ばれてくる。この世の果てのような寂しく荒涼とした土地だった。
 しかし兵士ヨシュアにとって、その環境はほとんどおなじみのものだった。教団総本山のあるこの島は、ヨシュアのふるさとでもあったから。
 ヨシュアが生まれ育ったのは、高地よりは下、岩山の中腹だった。いつも強風にさらされ、村そのものが岩にしがみついているような小さな村だった。村はお世辞にも裕福とは言えなかった。村にも、麓におりても、耕作に向く土地はほとんどない。せいぜい山で山羊を飼ってあたりの岩場に生える草を食べさせ、ミルクや肉、毛皮を取るていどだった。村人はそんな暮らしに飽き飽きしていた。人口は減り続け、ついにはヨシュアの一家ほか数家族が細々と暮らすだけになってしまった。
 そしてある年、疫病が起こった。山羊飼いの村の大人たちはまもなく死に絶えた。やっと助けが訪れたとき、数名の子供が残されているだけだった。
「おまえたちだけなのね?」
白い僧衣をつけた年輩の女性は、哀れみをこめてそう言った。ヨシュアたちはようやく与えられた食事に夢中になっていた。彼女はてきぱきとことをすすめた。疫病で亡くなった大人たち、同じ病の山羊たち、汚染された家屋はすべて焼き払う。部下の男たちがその手配をして、その日のうちには黒煙と業火の下にヨシュアのふるさとは灰になって消えた。
「ぼくたちはどうすればいいの?」
心細くてヨシュアはそう訊ねた。僧衣の女性は少年を抱きしめた。
「あなたたちは我が教団の子になるのですよ」
それが、光の教団だった。
 山羊飼いの村の子供たちは高地へつれていかれた。そこにはできあがったばかりの教団本部があった。不思議なことに、ヨシュアのふるさとよりもそこは風が優しく、空気は暖かだった。
「教祖さまのお力ですよ。感謝なさいね」
教団の信者がそう説明してくれた。
 暖かい宿舎と衣服を与えられ、規則正しく食事をもらえる。そうやって数年を過ごしたあと、子供たちはこれからの身の振り方を選ぶことになった。本部を出て外の世界へ行き、教団の教えを広める布教者になるか、それとも本部に残って教団の奉仕者になるか。
 教団と縁を切るという選択肢は与えられなかったし、そんなことは誰ひとり思いも寄らなかった。結局子供たちのほとんどは本部に残った。ヨシュアの妹はまだ子供だったが、教祖と教祖の高弟たちに直接仕える神聖侍女の見習いに採用された。
 ヨシュアは一人、別の道を見いだした。護法戦士団。光の教団の布教者や奉仕者が危険にさらされたときに警備する兵士たち。ヨシュアは教団暮らしのあいだに兵士を目指すことにしたのだった。
「外の世界は知りません。ぼくは武器をもって教団に仕え、教団に奉仕します。ミルドラース様に栄光のありますように」
明瞭にそう述べて入団の誓いをヨシュアは行った。ヨシュアたちを助けた尼僧や戦士団の団長が目を細めてこの熱心な若い兵士の卵を祝福してくれた。
 外の世界は知らない。ヨシュアにとって教団は世界のすべて。イブールの神がヨシュアの神であり、イブールの敵がヨシュアの敵だった。
 外から戦士団にやってきた兵士の若者が、ここの暮らしを厳しいとこぼすのがヨシュアには不快だった。イブール様にそば近くお仕えする毎日の、どこが不服だ?まなじりを決してそう問いただすたびに、他の若者から石頭とかガチガチ野郎とか言われるようになったが、ヨシュアは意に介さなかったし、団長はかえって褒めてくれた。いつしかヨシュアは、戦士団の幹部候補と見なされるようになっていた。
 その手始めとしてヨシュアは大神殿建設現場の監視任務では監視班の班長に任命された。班は全部で六人で、三人づつニ交代で任務に就くことになっていた。
「工事の進行を守ることが、すべてに優先する」
上官は監視役の兵士たちをあつめてそう説明した。
「工事の進行を妨げるような要素を見落とさないでもらいたい。脱走、怠業、事故だ」
がっしりした顎の中年の兵士長は、若い兵士たちにそう言った。
「奴隷労働者は働くことができる限り働かせること。働けない場合は、排除すること」
その口調は事務的だった。
「あのう」
と兵士の一人が言った。
「かれらは、ひどく疲れて見えるのですが」
それは外の世界から来た若者だった。光の教団の教えに帰依した若者で、僧職よりも戦士を希望して護法戦士団に入団していた。本部の環境が厳しいとうっかり言ってしまい、ヨシュアに問い詰められたのはこの兵士だった。
「おまえは、確かナタンだったな。よいか、それは奴隷労働者の罪だ」
打てば響くように兵士長は答えた。
「彼らは生まれながらに罪を背負い、光の門をくぐることのできない者たちだ。死ねば冥界で試練を受けるのだが、地上で試練をすませれば早く生まれ変わり、晴れて光の中へ迎え入れられる。いいか」
兵士長は熱を込めて兵士たちを見回した。
「奴隷に同情するな。大神殿を建設することこそ、彼らがここにいる目的だ。作業に伴う苦しみや屈辱は試練の一部だ。なかにはそのことをわかっていない者もいるが、教団の上の方が見れば生まれ持った罪は明らかなのだ。彼らの贖罪を妨げてはならない」
「し、死にそうでもほっておいていいんですか」
とさきほどの兵士ナタンが聞いた。
「くどい!」
そう言ったのはヨシュアだった。
「何を聞いていたんだ君は。死ねば地上の試練が終わったことになるんだぞ!」
ナタンはヨシュアの剣幕に驚いたように口をつぐんだ。
「よく言った。ヨシュアだったな。その理解は正しい」
教師が優等生を褒める口調で兵士長は言った。ヨシュアはうれしくて、無意識に胸を張った。
「試練に耐えられない奴隷は、ときに差し出された贖罪の機会を捨ててここから脱走しようとする。それを見逃してはならん。ここへ立ち戻り、建設に携わることこそ正道。もしも」
兵士長の口調がどことなく猫なで声になった。
「予定より早く大神殿ができあがれば、彼らは生きたまま試練を終えるのだ。いくつもの魂が大神殿建設をやりとげることで救われる。そのまま信者となれば、生まれた家へ戻ることもできよう」
すばらしい。ヨシュアは感動に頬を染めてその言葉を聞いていた。
 光の教団の理想はすばらしいと若いヨシュアは信じた。外界を知らない若者の視野は狭く、その中央に白熱する理想を置けば片隅の暗がりには気づきにくい。怠けるなと怒鳴られむち打たれる奴隷たちが虚ろな目で働くのも、すべて視界の隅の暗がりの出来事にすぎなかった。ヨシュアにも見えるのは奴隷労働者や石工の職人、親方がこちらを見るときの怖れや憎しみだった。
 無言でヨシュアは槍で空を切る。その風鳴りの鋭さが必ず彼らを沈黙させた。
「私は、おまえたちとは違う」
教祖イブールの栄光を理解しない者たちにヨシュアが感じるのは、エリートの優越感と哀れみに見せかけた蔑みだった。
 その日ヨシュアは班長として同期の二人の兵士、ナタンとギドを引き連れて巡回を行っていた。
 監視役の兵士たちは、実際の作業現場のほかに広い洞窟内を巡回する仕事があった。建設現場のまわりには奴隷の岩牢、少し離れて人間の職人たちの宿舎と工房に当てられた洞窟などがある。すべて大神殿が建つ予定の台地の地下洞窟であり、いくつかある出口にはすべて逃亡防止用の鉄柵がついていた。さらに教団本部や護法戦士団本部のある地区とは鉄柵で分けられていた。柵には鈴付きの縄を張り巡らせてある。正規の扉を開けて通らないと派手な音が鳴り響き、たちまち巡回の兵士に見つかってしまう仕組みだった。
 職人の宿舎の前を通り過ぎようとしたとき、数人の兵士がかたまっていた。そのなかの年長の兵士が声をかけた。
「ヨシュア、面会人が来ている」 
ヨシュアは驚いた。先輩兵士の背後に、妹のマリアがいたからだった。
「こんなとこでなにをしてるんだ!」
マリアは十二歳になっていた。村が壊滅したときは目ばかり大きなやせっぽちの子供だったのだが、ずいぶん背が伸びた。侍女の見習いをしているためか、なんとなく動作が洗練され、大人びて見えた。
「おにいちゃ、兄さんにどうしても相談したいことがあったの」
妹がひどく緊張していることにヨシュアは気づいた。
「だから、バターを取りに行きますって言って、厨房を抜け出してきちゃった」
兵士たちは珍しそうにマリアを眺めていた。
「侍女見習いにひとりかわいい娘がいると聞いていたが」
別に理由はないのだが、ヨシュアはなんとなく落ち着かない気分になり、マリアの手を引いてそばへ寄せた。不快が顔に出たのか、先輩兵士が咳払いをして言い訳のように申し出た。
「ヨシュア、おれたちが代わりに巡回してやるから、話を聞いてやれ」
ヨシュアはためらった。同期のナタンがとりなすように言った。
「こんなときぐらい規則を曲げたっていいじゃないか。ですよね、先輩」
「曲げると言うか、拡大解釈だな」
規則がちがちと陰で言われているのをヨシュアは知っていたし、それをからかわれているのもわかっていたが、すみません、とヨシュアは答え、ベルトの鍵束をはずして先輩に手渡した。兵士たちは、まだマリアのほうを盗み見ながらぞろぞろ歩きだした。巡回チームが行ってしまうと、ヨシュアは妹の背をおして、洞窟のくぼみへ寄った。
「今朝、侍女長さまのお部屋に呼ばれたの。あたし、このお山をでるかもしれません」
「どこか行くのか」
マリアは唇をふるわせていた。
「ここからずっと東の国で、教団の人がたくさん行って教えを広めているのですって。私もその一人にしてくださるって、侍女長様が。でも、あたし」
ヨシュアは小さな妹を抱き寄せた。
「怖いのか」
光の教団はたしかにここが総本山であり教団本部もあったが、大神殿は建設が始まったばかりである。少なくとも人間の信者がかかわるかぎり、本部機能の大部分は現在島外に置かれていた。
「うん。でも、そんなことを考えるなんて恩知らずだってみんな言うのよ」
「みんなって?」
「侍女見習いの子たち。ラインハットでは、太后さまの侍女としてお勤めすることになるの。宮廷にでても恥ずかしくない子をよこして欲しいと現場で言っているのだとか。そのお役に選ばれたのに、あたし、どうしても……」
腕の中の小さな身体は細かくふるえていた。小さいころ寝かしつけたときのように、その背をそっとたたきながら、ヨシュアは言った。
「断っちゃえよ」
マリアは驚いて潤みかけた目を見張った。
「いいの?」
たった一人の妹のおびえを、ヨシュアは心底、取り除いてやりたかった。
「いいよ。っていうか、おまえみたいなおっちょこちょいのめそめそ泣きに、太后様の侍女なんて務まるもんか」
冗談にまぎらわせて、ヨシュアは言った。
「危なくてとても行かせられませんて兄貴が言ったって言えよ」
えへと幼顔でマリアは笑い、それからちょっと恨めしそうに上目遣いになった。
「あたし、そんなおっちょこちょいじゃ、ないもの……」
「でも、めそめそ泣きだよな」
そう言ってヨシュアは自分の制服の袖口をひっぱって、妹の目のあたりにあて、涙を吸い取ってやった。

 マリアといっしょにヨシュアは岩場の洞窟を通りぬけ、洞窟の出口の鉄柵を開けて妹を出してやった。
「バターを取ってくるだけなのに遅い、とか言われないか?」
「倉庫が広くて、バターどこにあるかわからなかったって言ってみる」
「おまえ、嘘は下手だから気をつけろよ」
マリアは赤くなってお兄ちゃんたら、とつぶやき、鉄柵を締めて掛けがねを落とすと足早に歩き出した。
 ヨシュアは妹が帰って行くのを見届けた。侍女見習いの制服は明るい空色のチュニックと白いエプロンだった。その小さな姿がなだらかな坂を下り教団本部の物資保管庫のほうへ向かうのはよく目立った。
 自分は長話をしたろうか、とヨシュアは思った。時間的にはもう自分の勤務は終わり、ヨシュアの班の第二チームが巡回を引きついでいるころだった。
「あ、鍵」
あの先輩兵士は、自分の班に鍵束を渡してくれただろうか。ナタンとギドがいっしょだから大丈夫だとは思ったが、そもそも監視任務の間に鍵を手放すなどあってはならないことだった。もし自分以外の人間がそんなことをしたと聞いたら、ヨシュアは口を極めてなじっただろう。実際、今朝班長として規律がゆるんでいるので注意するように、とナタンたちに言ったばかりなのだ。ヨシュアは急に心配になり洞窟の中へ戻ろうとした。
 奥の方が騒がしかった。誰かが声を荒げていた。
「おい、こんなところを奴隷がうろつくな!」
ヨシュアは眉をひそめた。厳重に管理されているはずの奴隷が出口近くまでやってきたのだろうか。それは確かに異常だった。
「ああ?なんだと?!」
兵士は数名で威嚇的な詰問を繰り返していた。時折鈍い音がまじるのは、奴隷を長靴で蹴りつけているらしい。
「ヨシュアだと?」
自分の名が出てきてヨシュアは驚いた。ほとんど同時に、がっしりした兵士が若い奴隷の髪をつかんでほとんどひきずってきた。兵士は、ヨシュアの足元に奴隷を放り出した。
「知り合いか、ヨシュア?」
「奴隷に知り合いはいない」
洞窟の奥の暗がりから、別の奴隷が引きずり出されてきた。
「こいつら、石工のところの奴隷徒弟だ。石工からおまえに何か預かってきたらしい」
「俺たちには渡せねえんだとよ」
そう言ってあとから来た兵士は、ごつい靴で痩せた奴隷の細い腕を踏みつけた。声も出せずに奴隷は身悶えした。
 踏まれていないほうの奴隷は、突き飛ばされた場所にうずくまったまま薄汚い顔をあげた。汚れた顔、延びすぎた前髪の奥で緑の双眸が奴隷らしからぬ光を放っている。その視線がふと手元に落ちた。手の中に何か持っている。革のきれはしにつつんだ、金属色のもの。鍵束だ、とヨシュアは悟った。
 ヨシュアは咳払いをした。鍵束を人に預けたのを知られたくない。
「それなら、私が受け取ります。もう行ってください」
ヨシュアは、はっきりそう言った。兵士たちはむっとした顔になったが、ヨシュアは戦士団の団長の気に入り、将来の幹部だった。腹いせにもういちど奴隷に蹴りを入れ、兵士たちは洞窟の奥へ戻っていった。
 緑の目の奴隷は膝立ちになり、革の包みを差し出した。
「これ、親方から」
ヨシュアはその手から鍵束をひったくった。まったく、あの先輩は巡回などしなかったにちがいない。さぼりに行き、ついでに鍵を石工の工房へ置き忘れたのだろう。
「誰にも見せなかっただろうな!」
奴隷はこくりとうなずいた。
「それならよし。誰にも言うな。おまえたちの親方にもそう言え」
「あの人は?」
いきなり言われてヨシュアはめんくらった。
 それは兵士に腕を踏みつけられた奴隷徒弟だった。黒い髪はぼさぼさ、身体はやせ細り、垢にまみれ、粗末な奴隷の服から傷だらけの手足をつきだしていた。その少年は片手で洞窟の出入り口の鉄柵をつかみ、もう片方の手を外につきだして指さしていた。
「妹だ。倉庫へいくところだ」
反射的に答えてしまってからヨシュアはうろたえた。そんなことを奴隷に聞かれる筋合いはないし、答えてやるなんてどうかしている。黒い髪の奴隷は、不思議な目をしていた。そのまなざしの前になぜかヨシュアは嘘がつけず、虚勢も張れなかった。
 気がつくと、鍵束を持っていたほうも立ち上がり、鉄柵をつかんで緑の目で外を見ていた。
 ヨシュアは我に返った。鍵束から一本選び出すと、鉄柵の掛けがねの錠前につっこんで乱暴に回した。かちりと音がした。じゃらんと鍵束を鳴らし、ヨシュアはベルトにつけなおした。
「さっさと工房へ戻って仕事をしろ」
とヨシュアは言った。
「こんなところまで来て、本当は鞭打ちものだ。見逃してやるから早く行け!」
不思議な瞳と緑の瞳がヨシュアを見上げた。なんとなく、ヨシュアはぞくっとした。こいつら、本当に奴隷か?
 奴隷たちはすぐにうつむき、裸足の足で岩場をおぼつかなげに動き出した。