容疑者ピエール 7.証人レムン

 裁判3日目はヴェルダー卿が裁判所に証拠を求めるところから始まった。城の兵士たちが次々と法廷に品物を運んでくる。それぞれ紫の布にくるんであるのだが、ひとつひとつ布を解いて並べて行くうちに見ている者たちからざわめきの声があがった。
 ヴェルダー卿が証拠として法廷へ持ち出したのは、園遊会用のワゴンと、いくつものグラスだったのである。特にひとつのグラスだけは離れたところに置かれていた。それが意味するところを知って、聴衆がささやき交わした。
「あれが、毒入りか?」
そのグラスには濃い緑色のものが乾いて底にたまっていた。
「先日のレディ・アンナシルヴァの証言で、被告人が毒物、ガボットのへそを入手するチャンスがあったことはすでにわかっています」
とヴェルダー卿は言った。
「本日は、被告人がグラスに毒を入れることができたかどうかについて検討したい。当日の状況を記録した報告書を元に、当日使われたワゴンの上に、当日と同じようにグラスを並べたいと思います」
 オジロンの命令で兵士たちがその任にあたった。ワゴンが中央へ持ち出され、一人が報告書を読み上げ、一人がワゴンの天板にグラスをひとつづつ載せた。グラスには番号が、天板には印がつけてある。ワゴンはすぐにいっぱいになった。
「リスト、3-27番。被害者が最後に持っていたグラス。No.12のところへ置いてください」
3-27は、あの緑色の沈殿物のあるグラスだった。半透明のグラスが並ぶ中、それは不吉な目立ち方をしていた。
「検証のため、被告人にワゴンのそばに立ってもらいたい」
ピエールが法廷の兵士につきそわれてワゴンのそばへやってきた。
「当日の状態を再現したい」
とヴェルダー卿は言った。
「裁判長閣下、被害者ハーヴェイの代わりにワゴンのそちら側へ立ってくれる人物が必要です。報告書に描かれた図の通りの場所に」
オジロンの命令で、兵士の一人がハーヴェイの位置に立った。
「ピエール、君はどこにいたのかな?」
このとき、オジロンが声をかけた。
「ピエール、君は、君の不利になると思うなら、今のヴェルダー卿の問いに答える必要はない」
「然り」
とピエールは答え、そのままスライムをバウンドさせてワゴンに近づいた。
「ただし、吾輩は不利とは思わん。この兵士殿がハーヴェイとすると、吾輩は事件のあった時、ここ、ハーヴェイの正面にいたである」
ハーヴェイ役の兵士とピエールは向かい合っている。二人を分かつ境界線の延長に飲み物のワゴンがあり、二人とも手を伸ばせば届く位置だった。
「きみ、ワゴンに手を伸ばしてくれないか」
「はい」
と言って兵士は手を出した。どのグラスにも手が届くのは見ている者の目に明らかだった。
「ピエール?」
「こうか」
ピエールも手を出した。
 スライムナイトが騎乗するスライムはたいていの野生スライムよりも大型だが、スライムナイトは人間よりもやや小さい。ピエールの手はワゴンの手前半分に届くかとどかないかだった。
「では、その緑色のものがついているグラスに手を伸ばしてほしい」
「待ってください!」
とルークが言った。
「ピエール、きみはそこまでする必要はない」
ヴェルダー卿はちらりとこちらを見た。
「今のは取り下げましょう。これで十分なのでな」
ハーヴェイの最後のグラスは、ピエールの手の届く範囲に置かれていたことは、明白だった。
「では、これより証人に質問したいと思います」
重々しくヴェルダー卿が言い、求めに応じて一人の兵士が証言台に立った。
「自分は王城警備隊第二分隊副隊長、ラクスと申します。住所は城内の兵士用独身寮二号Aです」
オジロンが話しかけた。
「ラクス、君はこれから、質問に対して嘘をつかず、真実を述べなくてはいけない。ただしその証言によって君自身が不利になる場合はその限りではない。理解したかね?」
「はい」
「ではそのように誓ってほしい」
ラクスはやや緊張したようすになった。
「私は証人として真実を述べることをマスタードラゴンに誓います」
ヴェルダー卿は手際よく質問をすすめ、ラクスは自分が園遊会当日、事故直後、上官の命令を受けてその場にあったものを押収し、報告書を作成したことを証言した。
「グラスを押収した時、このような状態でしたか?」
“これで十分なのでな”。裁判官たちの目に、ハーヴェイの最後のグラスがピエールの手の届くところにあったことを焼き付かせた上で、ヴェルダー卿はラクスにダメ押しをしているのだ、とルークは思った。
「はい」
とラクスは答えた。
「反対尋問はありますか?」
「はい」
ヘンリーだった。ヴェルダー卿はそれを見て余裕のある表情で引き下がった。
「当日の状況についてここで確認したいのです。ピエールの手の届く範囲にグラスはいくつありますか?」
ラクスはワゴンを見、報告書を見、ちょっと数えた。
「六個のグラスがあります」
「ハーヴェイが選んだのはどれですか?」
「3-27番のグラスです」
ヘンリーはうなずいた。
「裁判長閣下、ピエールはハーヴェイにただ酒を飲んで落ち着けとすすめただけです。他に五個あったグラスを差し置いて、3-27を取って彼に与えたわけではないことをご記憶願います」
質問は以上です、と言ってヘンリーは引き下がった。ルークは反対尋問するべきことを思いつけなかった。ヘンリーの方を見ても、そっと首を振るだけだった。
 ふん、とヴェルダー卿がつぶやいた。ルークにできるのは、会心の笑みをもらすヴェルダー卿をがまんすることだけだった。
「次に、ガボットのへその毒による死に方について法廷で明らかにしたい。そのために鑑定人が必要です」
意気揚々とヴェルダー卿は続けた。
「グランバニアにおける薬草学の権威として、ヨーク師においでいただきたい」
聴衆の中でその名を知る人もいたらしく、小さなざわめきがおこった。しばらくして、兵士たちが小柄で小太りの元神父を伴ってきた。
「おいでいただきまししたことを感謝します」
穏やかな声でオジロンが言った。
「まず宣誓していただけますか」
ヨーク師はよたよたと証言台にやってきた。
「私は質問されたことに対して真実を述べること、何事も包み隠さないことをマスタードラゴンに誓います」
「けっこう。では、ヴェルダー卿、どうぞ」
千両役者が進み出た。
「まず、お名前と住所、そしてご専門について述べてください」
ヨーク師は長上着のかくしから手巾を取り出して、ピンク色の額からちょっと汗をぬぐった。
「ぼくはヨークと言います。このグランバニアの教会に奉職したことのある神父で、今はグランバニア城の城壁の内部にパパス様から賜った家に住んでいます。サンチョ殿のお隣りです。若いころから毒消しの技について研究してきたので、それが専門と言えると思います。現在は神父を引退して、グランバニア周辺の薬草と毒草について調べています」
「ガボットの毒を知っていますか?」
「知っています」
「それを飲ませれば、人を殺すことができますか?」
「できます」
ヨーク師はあっさりと言ったが、その瞬間法廷はどよめいた。
「ガボットの毒を飲むと、どんなことが起こりますか?」
「直後に苦しみ始め、大量の血を吐き、すぐに死にます」
「少量なら、助かりますか?」
「致死量については人体できちんと実験した記録がありません。毒消し草や呪文などを使わない限り、フィールド移動中にガボットに襲われ毒を体内に入れられた旅行者で助かった例は今のところありません」
あどけない顔立ちの薬草学の大家は淡々とそう言った。
「では、ガボットの毒は水や酒に溶けますか?」
「どちらにも溶けます」
「では、ピエールがガボットのへその毒をハーヴェイに飲ませようと思った場合、あらかじめ水にとかしたものを用意して、それをグラスに数滴落とせばいいわけですね?」
ルークは叫んだ。
「ちょっと待ってください、そんなことまだ決まってないんだ!裁判長、ただいまの尋問は悪質な誤導尋問です!」
オジロンが咳ばらいをした。
「ヴェルダー卿、何か御意見はありますか?」
ヴェルダー卿は優雅に片手を振った。
「最後の質問は取り消します。質問は以上です」
「反対尋問はありますか?」
「はいっ」
あわててルークが立ち上がった。
 はいと言ってみたものの、頭がくらくらするような気分だった。今のところ、ヴェルダー卿の見せたストーリーは綺麗につながっていた。ピエールがハーヴェイに殺意を抱く、その時たまたまガボットのへそを持ち合わせている、それを何かに溶かし、ハーヴェイのグラスに入れて酒でも呑めと言ってグラスをすすめる。ルークはうなった。
「致死量について実験記録がないのならば」
とルークは言った。
「数滴程度では死なないと思ってよいですか?」
ヨーク師は首をかしげた。
「さきほど言ったようにそれを実験したことはなく、はっきりしたことは言えません」
「ガボットの毒を溶かした液体を数滴垂らしたからと言って、それで人が死ぬとは限らないわけですね?」
「濃さによるので、断定はできませんよ」
「コップ一杯の水にガボット一体分のへそを溶かした場合、十分な濃さと言えますか?」
ヨーク師はむっとした表情になった。
「何度も言ったように、そんなこと人間に毒を飲ませて実験できるわけがないでしょう!ぼくにはわかりません」
「さきほどガボットの毒を飲むと血を吐いて死ぬとおっしゃいましたが、ハーヴェイは問題の酒を飲んでからしばらく会話してから吐血しています。それはありなんでしょうかっ」
「ぼくは知りませんったら!」
こほん、とヴェルダー卿がせきばらいをした。
「裁判長閣下、鑑定人は同じことを何度も質問されて苛立っておられます。いかがなものかと思われますが」
裁判長のオジロンの目が自分の方を見ているのをルークは意識した。
「これ以上は、その……」
ルークは呼吸を整えようとした。
 落ち付かなくちゃ、落ち付かなくちゃ、と呪文のように心の中で繰り返しているが、ヨーク師が苛立っているのがよくわかった。そしてルークが今の尋問でやったことと言えば、毒、血、死ぬ、と連呼したことだけだった。ヨーク師の意見をわずかでさえ動かしてはいなかった。
「……わかりました。質問は以上です」
ルークがそう言うと、聴衆からため息のような音が一斉にあがった。ルークの視界に両手を握り合わせたビアンカとドリスが入った。ルークはそちらの方をまともに見られずにうつむいた。
「まあ、落ち付けよ」
ヘンリーだった。
「でも!」
顔を寄せ、小声でヘンリーはささやいた。
「やつの次の一手、よく見てろ」
「次の手って?」
ヘンリーは何も言わずにヴェルダー卿の方へ視線を動かした。
 ヴェルダー卿はオジロンに話しかけているところだった。
「被告人にガボットのへそを手に入れる機会があったこと、被害者のグラスに毒を入れる機会があったことは証言により明らかとなりました。次に、ピエールがグラスの中に毒を入れる手段を持ち合わせていたことをお見せしたい。証拠品として被害者の所持品をお願いします。押収品のリスト2-8番、およびその品物についての実験の報告書です」
 兵士の一人が、紫の包みを手にしてやってきた。他の証拠のときと同じように、法廷の真ん中でその包みは広げられた。兵士は証拠品2-8番を、グラスの乗ったワゴンの傍らの台に置いた。
 蓋付の細めのガラス瓶だった。瓶の半分くらいの高さまで水が入っている。そのほかに、萎れた草の若芽と、奇妙な肉片が入っているのが見えた。
「あれは……!」
声をあげたのはビアンカだった。
「ヘンリー、あれ」
ルークもあわててヘンリーに話しかけた。
オジロンがこほんと咳をした。
「被告人の代理は、正義の代弁者のあとで発言の機会を与えられます。それまでは静粛にお願いします」
「あ、はい。すいません」
思わず謝ってしまってから、ルークはヘンリーの方を見た。
「反対尋問はおまえがやるか?それとも、おれ?」
いとも平静な顔で弁護人の助手はそう言った。
「……君は知ってたのかい?」
「昨夜ヨーク師の実験に立ち会ったからな」
「先に教えてくれてもよかったじゃないか」
「しっ、ヴェルダー卿の尋問だ」
ヴェルダー卿が証人として呼んだのは、ピピンやラクスと同じく王城警備隊の制服を着たやせぎすの若者だった。
「王城警備隊第一分隊所属、レムンであります」
レムンは小声でそう言い、不安そうに法廷を見回した。宣誓のときも口の中でもごもごしていた。何をそんなに緊張しているのだろう、とルークは思った。
「レムン、君は事件当日園遊会会場にいたかね?」
「いました」
「事件が起こった時は、会場のどこに?」
「ピピンを挟んで被害者と並ぶ位置にいました」
「どうしてそこにいたのですか?」
「自分は当日会場で、警備の仕事についていました。会場内で騒ぐ声がしたのでそちらのほうへむかったところ、騒ぎの起こったところから同僚のピピンが“こっちへ来てくれ”と手で合図をしたので、そこへ行きました」
ルークはレムンの話を聞きながら、ピピンの回想を思い出していた。この兵士と話をしていたために、ピピンはハーヴェイの死の瞬間を見ることができなかったのだ。
「あなたが被害者の方へ向かって行ったのは、ピピンの合図の前ですか、それとも後ですか?」
「前です。穏やかではない声が聞こえたことは自分の他にも警備の兵士が何人か気づいていました。自分も含め、そちらへ向かいました。ピピンが自分を見つけて合図したのはそのあとです」
「レムン君、きみの視線は被害者の方へ向いていたわけだと思うが、それで正しいかな?」
「正しいです」
「そのときハーヴェイは何をしていた?」
「ワゴンから酒を取って飲みました」
「そのときピエールは何をしていた」
レムンは、もじもじしていたがやっと答えた。
「ピエール殿はふところから何か入れ物を取り出して、蓋をひねってあけたようでした。それをワゴンの上にかざしました。そして入れ物の蓋をしてふところへしまい、それからグラスを一つ取って飲みました」
わっと法廷中からどよめきが起こった。レムンが証言したのは、ピエールが毒を混入した瞬間のように見えるのだ。
「まったくもう、ピエールったら」
思わずルークは言った。
「決闘するかどうかって時だったんだ。しょうがないさ」
ヘンリーが言った。
ヴェルダー卿は仕上げにかかっていた。
「その入れ物はどのようなものでしたか?」
「細長くて青いものでした」
ヴェルダー卿は証拠品を指差した。
「裁判長閣下、レムン君、証拠品2-8を見てください。あの品物について証人にお聞きします。その時あなたが見たのはあれですか?」
「遠くから見たので、その入れ物があれだったかどうかわかりません」
「君は今、殺人についての証言を求められていることを忘れないように。重大なことなのだ。君が見た入れ物が2-8だったかどうか、きちんと確認してもらいたい」
ヴェルダー卿は堂々と要求した。
「なんなら、当日の被告人、被害者の持ちもので証拠として押収している物をすべてもちだしてもよろしい!君が見た入れ物が2-8以外にあるかどうか見れば、思いだしやすくなるかね?」
レムンはあわてたようすだった。2-8をまじまじと見つめ、それから言い直した。
「あ~、私が見たのは、たぶん、あそこにある瓶だと思います」
ふむ、と卿がつぶやいた。
「こちらの尋問は以上です」
すぐにヘンリーが立った。
「反対尋問をお願いします」
 証言台の上のレムンは、自分がピエールに不利な証言をしたことをうしろめたく思っているらしい。下を向いて、ルークやピピンと顔を合わせないようにしていた。
「ピエールがその入れ物をワゴンの上にかざした、と言う証言について聞きます」
落ち付いた口調でヘンリーは言った。
「その行動は、ハーヴェイがグラスを取る前ですか、後ですか?」
「前、でした」
ヘンリーは証拠品2-8番こと問題の瓶のそばのグラスを満載したワゴンを指した。
「当日3-27のグラスは、今見ているワゴンのあの位置にありました。ピエールは入れ物を、ワゴンのどのへんにかざしたかをお聞きしたい」
証拠としてまだ出されているワゴンをヘンリーは指で示した。
「3-27のグラスの上でしたか?」
「遠いところから見たのでわかりません」
「ピエールが入れ物からグラスの一つに何か入れたとして、それが3-27のグラスだったと確信できますか?」
「できません」
少しほっとしたような顔でレムンは証言台を降りた。