容疑者ピエール 2.被告人ピエール

 長旅のせいで、新しく仕立ててきた上着がしわになってはいないだろうか?ネビルが一番心配だったのはそれだった。新品のおしゃれな上着を出してみて最初にネビルがやったのは、王家の招待にそなえて入念に火のし(アイロン)をあてることだった。
 使節団の宿舎の中の、自分にあてがわれた個室をやっとネビルは自分の思い通りにしつらえた。今は古いほうの上着でとりあえず城へ行き、使節団正使の私設秘書のつとめを果たさなくてはならない。
 部屋から出てずいずい進んで行くと、書記見習いの若者が廊下に立っているのを見つけた。
「ハーヴェイ、何をしているんだ。殿下(=ヘンリー)は城においでだ。行くぞ」
ハーヴェイはぎくっとした顔になり、さっと廊下の壁に背を押し付けた。が、ネビルとわかるとまたふいっと廊下の窓に寄って外を眺めた。
「何を見ているんだ?」
好奇心に駆られてネビルは視線の方向をのぞきこんだ。それは宿舎の厨房へ資材を搬入している商人たちと、その監督だった。
「彼女、いくつなんですか?」
そう言って、上着のポケットからフラスクを取り出して、蓋を開け中身を口に含んだ。昼間から酒か?そう思ってネビルは眉をひそめた。
「彼女?ああ、監督しておいでなのはドリス姫か」
あいかわらず化粧っけひとつない顔に髪も結わずに流している。ズボン着用など貴婦人としてはまことにあられもない姿だが、きりっとして姿のいいドリスは、女剣士のような精悍な魅力があった。
「国王陛下より年下のはずだが、陛下の年齢はチートだからな。姫はたしか20代半ばでいらっしゃるんではないかな」
ふーん、とハーヴェイはつぶやき、またフラスクを口元へ持っていった。
「昼間から何をやってる。また酒か?」
 船でグランバニアまで来る途中、ハーヴェイはしょっちゅう匂いの強い酒を飲んでいた。食事ごとに酒を飲むのは真水がないのでしかたないとしても、船内のあちこちで酒瓶を抱えて泥酔していたのだ。
 それを咎められると思っているのか、いつもびくびくしたようすでまわりをうかがい、背中を壁につけていたがるという変な癖がこの男にはあった。
ハーヴェイがこちらを向いた。口臭に酒臭さとどこかツンとした匂いがまじっていた。
「これは強壮剤でもあるんです。身体が弱いもので。結婚してないんですか?」
ネビルは目をむいた。
「おまえ、他国の、しかもホスト国の大公令嬢だぞ。そういう詮索は控えなさい」
「令嬢って、あの年で、一人身ですよね」
ハーヴェイは忠告が耳に入っていないようだった。
「陛下の従妹姫だ。立派な若殿と婚約が整っているかもしれないな。うん、その可能性が高い」
「立派な若殿だって?こんな田舎にそんなもんいるのかね」
「田舎?グランバニアは南の大国だぞ。バカを言うんじゃない」
ネビルは声をひそめた。
「君の素性はヘンリー様からうかがっているぞ」
やっとハーヴェイはネビルの方を見た。
「だが、それで言うなら、私の方が現在の王家に近いぞ。ほんの数代前の先祖がラインハット王家の外腹の姫なのだからな。だが、私でもドリス姫とはとてもつり合いがとれないのだ。君もだいそれた望みは持たないことだな」
ちっ、とハーヴェイは舌打ちした。
「何だ、その態度は」
 いったいどういうつもりでヘンリー様はこの若造をお供にくわえられたのか。ネビルがそう思うのはこれが初めてではなかった。血筋はとにかく口の利き方はなっていないし、第一書記になろうというのに、公的文書に使うきちんとした言い回しを知らないのだ。微妙なニュアンスを要求される外交文書などもってのほか。しかもネビルをはじめとする先輩に対して妙に見下した態度をとる。
 身体が弱い、というのは、だが本当かもしれない。長い船旅の間中ハーヴェイは船室にこもっていることのほうが多かったなとネビルは思いだした。船酔いが辛かったのか、ハーヴェイはいつも食が細く疲れた顔をしているのだった。
「いいから、来なさい。薬か酒か知らないが、それはしまいたまえ!」
ハーヴェイはむっとした顔になったが、とにかくフラスクをポケットにつっこんでネビルについてきた。
「まったくイライラさせられる」
この若者につきあって眉ひとつ動かさないのは、この使節団ではヘンリーだけなのだった。

 園遊会の当日はよく晴れて風も弱めの、うってつけのパーティ日和だった。現在の王妃ビアンカが豪華に着飾っての夜会よりも城の屋上庭園の花壇の中で客をもてなす軽快なスタイルを好むために、城のスタッフは園遊会に慣れていた。
 美しい生花を編みこんだ花綱をポールに巻き付けたものを何本も立てて飾りとし、食事は軽食にしていくつもの台に並べ、客がどれでも自由に取れるようにするのだ。飲み物もワゴンに乗せてあちこちに置いてある。年齢の低い参加者のために甘いお茶やお菓子もふんだんに用意して次々と振舞われた。
 偉い人の演説は最初にちょっとだけ。あとは誰でもその場を歩きまわって好きな人と好きなようにおしゃべりを楽しむ。それが園遊会のいいところで、庭園の一か所に楽師を集めて楽しそうな音楽を聞かせるのも大切だった。
 花の香りの大気の中で楽しい時を過ごすという催しはもともとグランバニアの伝統ではなく、パパス王の妃マーサが創めたものだった。マーサ王妃はそんなとき、ゲストの前でエルヘブンに伝わる美しい歌を披露したこともあったという。今日もグランバニア貴族の子女が楽器を奏でたり歌ったりする企画が組まれていた。
 ピピンは兜と槍を前の晩よく磨いておいてよかったと思った。ピピンたち城の警備兵は、庭園の要所要所に立って警戒にあたることになっていた。このグランバニアで要人暗殺などの事件は今までなかったが、それでも酔って機嫌のよくなりすぎたお客がここが屋上なのを忘れてジャンプしたがったりする。そういう騒ぎをそっと収めるのが仕事だった。
 パーティが始まってから、ピピンはうっとりと貴婦人たちを観賞していた。
「ビアンカ様、綺麗だ」
 もともとグランバニア美人は色白の肌に黒髪が多いが、ビアンカはその中にあってひときわ輝いていた。今日のビアンカは、明るい朱色のドレスの肩に三つ編みにした金髪をかけている。風よけにまとう薄い緑のショールがひらひらして優雅だった。
「カイ姫も、大きくなられたよなあ」
 ピンク色のワンピースは、もうひざ下丈だった。あと数年もすれば、くるぶしまで届く正式なドレスが似合うようになるだろう。そうすれば、今は白いリボンを頭の両側に飾っている髪型も、きれいに結いあげてうなじを見せるようになるだろう。
「ドリス様は今日も今日とて」
 知らなければ、若くりりしい貴公子と思ったかもしれない。グランバニアカラーの紫の豪華な上着に白い絹のシャツとリボンがよく映える。黒髪は従兄の王と同じように首の後ろでまとめ、金の結い紐でひとつに結んでいた。男装して闊歩するドリスはグランバニア人のみならずラインハットの使節団の注目を一身に集めていた。
 ドリスとビアンカの行くところ、笑い声が絶えない。人気者の貴婦人二人がルークとヘンリーのいるところへもどってくると、そこはまぎれもなくパーティの中心だった。
 ヘンリーはグランバニア宮廷ではまえからよく知られた顔だったし、話上手でもあった。グランバニアの人々は入れ替わり立ち替わりルーク王とヘンリーのところに挨拶に来ては、二人の貴公子がどこか悪ガキじみた会話を交わすのを楽しんでいた。ふだんならそこにピエールが加わって、ヘンリー対ピエールのケンカごしの舌戦になるのだが、その日はなぜかピエールの姿がなかった。
「せいせいするぜ」
とヘンリーは公言してはばからないが、ビアンカはくすくす笑っている。
「でもどっちかがいないとなんとなく落ち着かないように見えるのよね」
「退屈しのぎにはよろしいのです、王妃様」
 ピピンがパーティに加わって冒険に同行したとき、ルークが“ヘンリーとピエール、本当はけっこう仲よしなんだよ”と言ったことがあった。パトリシアの引く馬車の御者台でのことだった。が、次の瞬間、猛烈な勢いで馬車の中からピエールが御者台へ飛び出してきて、“そんなことはないのであるっ”と叫んだのだが。どっちが本当かな?と今でもピピンは思っている。
 やがて、あはは、と明るい笑い声をドリスが放ち、ロイヤルファミリーの輪から一人出てきた。
「もう、みんなで笑かすから喉が乾くでしょう!ちょっとお酒もらってくる」
ドリスの母、アントニアがほどほどにしなさい、と言うのに軽く手を振って、ドリスが歩いてきた。
 こっちへいらっしゃる!ピピンはどきどきした。たまたま給仕が飲み物のグラスを並べたワゴンをピピンのそばに置きっぱなしにしていたのだった。
 ピピンはグラスをひとつ取って差し出した。
「どうぞ、ドリス様」
「ありがとう。わお、ピピンじゃない。今日も仕事?」
気さくなお姫様っていいよなあ、とピピンはうっとりした。
「は、警備を務めております!」
ドリスはにこっと笑った。
「そう。いつもありがと。あんたがいると、安心して酔えるわ」
こ、これ、フラグですか?とピピンが思わず身を乗り出したとき、何かにひじがあたった。
「や、失礼いたしました」
 それは園遊会の客の一人だった。フォーマルなクリーム色の上着とケープ、黒い半ズボン、白いタイツという服装からみてラインハット人らしい。大貴族ではないが商人でもなさそうだった。この人は新人の書記だ、とピピンは思った。
「私はハーヴェイ・ローワンというものですが」
その書記が言った。
 ピピンはめんくらった。こいつ、ドリス様に話しかけてるのか!
「ああ、このあいだ、自己紹介の時にいた人ね」
少し酔いが回って、目の下がバラ色になったドリスはとても美しかった。
「あの、私のことをヘンリー様から聞いていらっしゃらないですか?」
グラスから一口酒をすすってドリスは首をかしげた。
「宰相閣下から?え~と、あ~、聞いたかもしれないけど、ごめん、ちょっと酔っぱらったかな。覚えてない」
 ドリス様、そんなごまかし方じゃ駄目です、とピピンは思った。もっときっちり振ってやらないと、こういうやつは誤解しますよ。
 案の定、ハーヴェイはドリスの正面へ回り込んだ。
「失礼ですが、オジロン様はあなたの父上ですよね。御兄弟はおありですか」
「ううん?一人っ子。これで兄弟がいればさ、親父がここまでうるさく言わなかっただろうと思うのよね」
あはははっとドリスは笑ったが、ハーヴェイは妙な熱気に顔をぎらぎらさせたままだった。
「では、あなたと結婚すれば、オジロン様の財産とか地位は婿殿へ引き継がれることになるわけですね」
ドリスが、ん?とつぶやいた。
「グランバニアの法律だとそうかな?あのさ、ぶしつけなことは言いたくないんだけど、あたし、そろそろ向こうへ戻らないと」
貴婦人が遠回しにではあれ、どいてくれ、と言ったのにもかかわらず、ハーヴェイと言う男は無視してのけた。
「いや、これでいいんです」
「ちょっと」
「二人きりでお話する権利が私にはあるんですから」
ハーヴェイはドリスの肩に手をまわして隅へ引き寄せようとした。ピピンがあわてた。
「あの、えっ、ドリス様?」
 ドリスは目で、人を呼ばなくていい、とピピンに告げた。実際、ピピンを始めこの場にいるほとんどの警備兵より、ドリスの方が強い。
「何か勘違いしてない?」
 無礼な手をはねのけてドリスが鋭く言った。とたんにハーヴェイは勢いが鈍くなった。胸やけでもするのか、片手でしきりに胸をさすりながら哀れっぽい声で言った。
「だから、あとでヘンリー様が」
 そのあと何を言おうとしたのか、ピピンにはわからなかった。不作法なラインハット人は、突然ぎゃっと叫んだのである。
「ドリス姫から離れるのである、無礼者!」
両手を腰にあてたスライムナイトがハーヴェイのすぐ後ろに迫っていた。ピエールがやっと園遊会に現れたのだった。
「ピエール!」
ドリスはほっとしたようだった。
「ありがと、ナイト様。でも、そいつ、離してやってくれない?」
ピエールが乗っている大型スライムが、ハーヴェイのふくらはぎに噛みついていたのだった。ハーヴェイはいっしょうけんめい蹴り飛ばそうとしているが、スライムをふりはらうことはできなかった。
「とりあえずルークのもとへ戻られよ、ドリス姫」
「ここは言うとおりにしておくわ。でも、いちおう外国人だからね。手加減してあげて」
そう言ってもどっていくドリスに向かって、ピエールはうむ、とうなずいた。が、口に出したのは物騒なせりふだった。
「外国人?どうせあやつの手下だ。殺さぬていどにかわいがってくれよう」
やっとスライムが口を離した。
「くそっ、何をするんだ。訴えてやるぞ」
ヘルメットの下のピエールの目が光った。
「そちらのほうこそ、我がグランバニアの王家に連なる姫君を公然と侮辱しておいて、無事に済むと思わないである」
ハーヴェイはせせら笑った。
「嫁き遅れに声をかけてやったんだから、感謝しろ」
ピピンはかっとした。ドリス様のことを何も知らないくせにこの野郎!
 ピエールは冷たい口調で一言一言はっきりと発音した。
「吾輩、きさまに決闘を申し込むである」
「でかい口をたたくじゃないか、モンスターが」
ピピンはふと違和感を覚えた。
 たいていのラインハット人はルークの仲間モンスターには悪い感情を持ってはいない。特にこのピエールはルーク、ヘンリーとともにラインハットの偽太后を倒した英雄だった。少なくともグランバニアへ来るラインハット人の中には、面と向かってピエールにこんな口のきき方をする者は今までいなかった。むしろ、グランバニアの古い世代の一部にマーサ王妃やルーク王がモンスターと親しいのをいやがる者がいまだにいるくらいだった。
「いかにも、スライムナイトである」
ピエールはあくまで誇り高かった。
「おれがあの女と結婚したら、おまえなど追放してやる」
本気で結婚できると思ってるのか、とピピンは思って驚いた。
「なんたる身の程知らずか」
ピピンの心中をピエールが代弁した。
「今のやりとりで少しでも脈があると思ったか。あきらめるがよいである」
なぜかハーヴェイは真っ赤になった。
「そうなることになってるんだ!絶対そうなんだ!」
「誰がきさまの妄想を聞きたいと言った」
「くそっ」
ふとピピンは気がついた。このハーヴェイと言う若者は、年齢に不釣り合いなほどふらふらしたようすだった。酒の飲みすぎか体調不良なのに、妄想をわめくためだけにがんばって立っているように見えた。
「モンスターのくせに生意気だぞ!死ねっ、死ねっ、死ねっ」
「だから雌雄を決してやると言ったのである!おまえは正式な決闘の作法も知らないと見える」
「くそーっ」
華やかな園遊会の席にはふさわしくないようなことを大声でわめきちらす。もう何人かが気づいたようでこちらを見ていた。
「酒ならいくらでもあろう。一杯やって、少し落ち着くである」
冷静にピエールが言った。
 ハーヴェイはポケットからフラスクをつかみ出して口に当てたが、どうやら空だったらしい。口汚くののしると、ピピンのそばのワゴンからグラスを取ろうとした。その指が怒りに震えているのをピピンは見た。
 がちゃがちゃとガラスが触れ合う音がする。グラスを選びかねているらしい。案外、優柔不断な奴だなとピピンは思った。
 いくつかのグラスに手を触れていたが、ハーヴェイはやっとひとつに決めたらしい。明るい緑色のとろりとした酒のグラスを取り、口をつけた。
 本当に決闘する気だろうか。どうやってとめりゃいいんだ、とピピンは思った。せめて兵士仲間がいれば……。きょろきょろしたが、仲間はみんな遠いところにいる。
「覚悟が決まったのなら、武器を選ぶがよいである」
自分もグラスを取って一気に飲みほし、堂々とピエールは言った。
「吾輩は剣を好むが、せめてものハンデだ。おまえの好きな得物でかまわないのである」
「誰ぐわっ、きさまらんぞと、本気で」
ろれつがあやしい口調でハーヴェイが言った。
「この期に及んで酒席の上の冗談にはさせないのである!」
 ピエールは言うや否や、腰に吊った鞘から長く鋭い剣を音を立てて引き抜いた。魔界の町で手に入れたという逸品で、ひまがあればピエールが研ぎあげている愛刀、吹雪の剣だった。
 いよいよ険悪になっていくのを見てピピンはあわてた。数歩のところに同僚が寄って来たのを見て手で合図した。
「どうした、ピピン?」
ピピンと同い年だが思慮深い性格の同僚で、名はレムンと言った。
「王様にそっと申し上げてくれ。ピエール殿とラインハットの新米書記がちょっとやばい」
ピエールが剣をつきつけ、書記がわめいているのを見てレムンも青くなった。
「え、うわ、なんだってあんなになったんだ」
「ドリス様のことで言葉のあやで、というか、一方的にあいつが悪いんだが、ピエール殿をとにかく抑えないと」
同僚の兵士の方へ身体を向けていたので、ピピンの視界からいっときハーヴェイは見えなくなっていた。
「これらから、モンス、もんすら……」
わめきちらしていた声が弱くなり、げ、という音で途切れた。ピピンはハーヴェイの方をうかがった。
「血が」
ハーヴェイのクリーム色の上着が赤く染まっている。ハーヴェイ自身が、不思議そうに顎を胸につけてその紅の色を眺めていた。
「大丈夫ですか!」
ピピンが駆け寄った。
ハーヴェイは初めてピピンに気づいたように顔をあげた。
 何か言おうとしたのか、口を開き、いきなり血の塊を吐きだした。それは顎から胸、膝にまで滴り落ちた。
 ハーヴェイがうめいた。息苦しいのか、上着の前開きのボタンをはずそうとしている。思うように指が動かず、ついにハーヴェイはボタン穴に指を突っ込んで布を引き裂いた。
 血は流れ続けている。ハーヴェイはびくんと一度震え、そのまま膝をつき、前のめりに倒れ伏した。
「誰か来てくれーっ」
ピピンが叫んだ。あたりが一気に騒がしくなった。
「さてはっ、やったな?」
野太い声が聞こえた。鷲鼻に眉の太い老貴族が立ちはだかっていた。
「衛兵どもっ、このスライムナイトを殺せ!本性現しよった!」
ピピンは呆然とした。
「いや、そんな、ピエール殿は」
「ええいっ、何をしている」
老人はいらだちもあらわに怒鳴った。
「危険なモンスターを野放しにするかっ。城の外ならすぐにも刀の錆にしてくれように」
「あまり興奮がすぎるとお体に触りますぞ、ご老体」
冷静にピエールが言った。
「何があった!?」
やっとルークたちが気づいて駆けつけてきた。
「国王陛下、御覧なされ。モンスターを野放しにした結果がこれだ!」
鷲鼻の老人が叫んだ。ルークは愕然として立ちすくんだ。
「まさか、そんな」
後ろからヘンリーがやってきた。
「おい……、ハーヴェイ・ローワン」
めったにない表情でヘンリーは新米書記を見つめていた。
「亡くなってます」
ピピンが言うと、ヘンリーは唇をかみしめた。
「くそっ、こんなところでっ」
一番落ち着いているのはピエールだった。
「吾輩ではない、ルーク。勝手に死におったのだ。できることなら決闘して、姫へ謝罪させてやりたかったのだが」
「殺せ!」
絶叫する老人をルークがさえぎった。
「いけません、ヴェルダー卿」
あざけるようにヴェルダー卿は言い返した。
「人ひとり死んでいるのですぞ。仲間と思って身びいきなさるか?」
「違います」
きっぱりとルークは言った。
「ピエールはたしかにぼくの仲間ですけど、その前にぼくが認めたグランバニアの民の一人です。人間と同じように、彼には裁判を受ける権利があります」
そして青ざめたような表情で兵士たちに命じた。
「ピエールを逮捕してくれ」
レムンを始め、ピピンの同僚がおそるおそるグランバニア屈指の剣士に近付いた。ピエールは何も言わず、手にした剣の向きをかえ、柄を差し出した。
「ピエールさん」
ピピンは何と言っていいかわからなかった。兵士たちが剣を受け取り、ピエールを囲むようにして連れて行った。

 園遊会で起こったできごとの一部始終を、ヘンリーはピピンの口から順を追って説明させていた。今日のヘンリーは、ピエールとじゃれあっているときのような伊達男気取りの軽いスタイルではなかった。どっしりした生地の黒い上下に帽子の組み合わせで、ケープの裏地と帽子につけた羽、固くノリをつけた細かいひだ襟だけが白だった。
 法廷の雰囲気は厳粛なままだった。が、何かが少しづつ変化していた。グランバニア貴族のだれかれが、ちらちらとピエールの方に視線を投げている。それはあたたかいものではなかった。ヴェルダー卿は高い鼻柱ごしにピエールを見下していた。
 ピピンの話が終わった時、オジロンが声をかけた。
「ピピンに質問はありますか?」
ルークが前に出た。
「ピピン、君はピエールがハーヴェイを剣で刺したところは見てない、と言ったね?」
「見ていません、横を向いていたので」
「僕は、ピエールにハーヴェイを殺す時間があったかどうかを考えているんだ。君が見ていなかったのは、どのくらいの時間?」
ピピンは考え込んだ。
「とにかく、ものすごく短い時間のできごとでした」
「具体的には?」
「うまく言えません」
「ピピン、君とピエールはいっしょに旅したことがあるね。そのときピエールは、さきほど言ったくらいの短い時間で敵を殺したことがあった?」
ピピンは、はっとしたような顔になった。
「ピエール殿は、古つわものの戦士です」
法廷の視線がピピンに集中した。
「答えは、はい、です。自分は見たことがあります。」
ピエールはむしろ、胸を張ってひとつうなずいた。ルークはため息をついた。
「では、ピピン」
ルークは気を取り直して続けた。
「ハーヴェイが倒れたとき、服に血が付いていたと言ったよね。そのあたりのことを、もう少し詳しく思い出してくれないか?」
ピピンは、ん~とつぶやいた。
「とにかく、シャツが血で赤くなったのが目立ってました。あ、それと顔をあげた時、唇にも血がついて、というか唇の端から血が糸みたいに流れてるのを見ました。けど、そのあと直ぐにごぼっという音がしてハーヴェイがすごい量の血を吐き出したので、どこもかしこも真っ赤になってしまいました」
「では、その情景を、君が見たことのあるピエールの戦いと比べてくれ。ただ胸を突いただけでそんなに大量の血が流れたことがあっただろうか?」
ピピンは微妙な表情になった。
「えーと、そうですね。うーん、すいません、なんとも言えません。だって自分はピエール殿が人を殺したところは見たことがないもので、血の出方は比べられません」
だよね、とルークも思った。
「わかった。ありがとう」
ピピンが尋ねるような視線でオジロンを見あげた。オジロンはうなずいた。ピピンが証言台を降りると、オジロンがさらに尋ねた。
「他にこの場で質問したい人がいたら、証人として呼び出そう。どうするかね?」