エルフの時代 9・魔王の称号背中にしょって

 ビアンカはルークの隣に腰を下ろした。
「私にも聞かせてもらえるかしら?」
「あ、うん」
ルークはそう言うと、ラインハットから届いた巻物をその場に広げた。天空城の見取り図が描いてあった。
「天空城へ盗みに入るなんて事を考える人はめったにいません。だから秋空のヴィオラも、それほど厳重にしまいこまれているとは思えないんです。可能性のあるのは、こことここ……」
ルークはピサロとビアンカに指で場所を教えた。
「短時間のうちに忍び込んでざっと捜索して、すぐに引き上げる。シンプルな計画です。でも、シンプルなほうが成功しやすいと思います」
ピサロは皮肉な目を向けた。
「まるで本職の盗人のような口ぶりだな」
ルークはこほんとせきばらいをした。
「少年時代の半分は、ぼくは窃盗団の立派な一員でしたよ。食べ物も着る物もそうやって手に入れていました」
「ほう。では聞こうか。やつら天空人は、おまえたちに黙って捜索を許すと思うのか?」
「思いません。だから天空人と、とりわけマスタードラゴンの注意をよそにひきつけておく必要があります」
「ねえ」
とビアンカは言った。
「相手は世界を見守る神様よ?そうそう注意をそらしてくれるかしら」
ルークは複雑な笑顔をつくった。
「それなんだよね。じゃあ、世界を見守る神様が、一番注意しなくてはならないことはなんだろう?」
「ええと、世界の平和?」
「その平和が乱されそうだったら?」
ビアンカの前にピサロがつぶやいた。
「そういうことか」
あいかわらずため息の出るような綺麗な目で、ピサロは流し目をくれた。
「天の竜の注意を私にひきつければよいのだな?」
「はい。うんと派手にお願いします。できれば時間を稼いでください。あっというまに撃退されてしまってはだめなんです」
「私を誰だと思っている?」
傲然とピサロは言った。
「私は、本職だ」

 ホビットの一族が住むロザリーヒルは、あいかわらず平和だった。昔よりも念入りに村の入り口を隠して大きな人間たちとのつきあいは断っているが、それでもロザリーヒルは多くのホビットが安楽に暮らす村だった。
 村の傍を流れる河では大きな水車がかぽんかぽんと眠気を誘う音を立てていた。ごくおだやかな昼下がり、平和なひととき。そのロザリーヒルの中を、黒い疾風が走りぬけた。
「ピサロナイト!起きろ!」
村の中にある塔の地下へピサロが駆け込んできたのだった。黒いブーツのつま先が、緑がかった甲冑のかぶとを蹴り上げた。蹴られた衝撃が頭部にうわ~んとこだました。ラリホーマの魔法の眠りからピサロナイトはむりやり覚醒させられようとしていた。
「ピサロ様?」
ピサロナイトは甲冑のまま地下室に転がされているのだった。手足は荒縄でぐるぐる巻きにされている。芋虫のような状態でピサロナイトは主を見上げた。
「申し訳ございません、私はロザリー様を見失って」
「うるさい!ロザリーなら見つけた」
「え、ご無事で」
ピサロは荒々しい動作ひとつで荒縄を切り裂いた。
「無事なものか。ずっと眠ったままだ。妖精どもに預けてある」
「それは、また」
短気な主人はそれ以上ピサロナイトに言わせなかった。
「とっとと起きろ!魔界へ行くぞ。私の兵をすべて集めるのだ」
「は?」
いらいらとピサロは言った。
「ヘルバトラー、アンドレアル、ギガデーモンにも檄を飛ばせ。戦だ!」
あわてて石の床から立ちかけて、ピサロナイトはつんのめりそうになった。
「ど、どちらへしかけますので……?」
「決まっているだろう、天空城の竜の神だ」
もうピサロのブーツは石の床を蹴って歩き出している。黒いマントが翻る勢いだった。
「帝王エスタークの昔を再現してくれる。天魔大戦だ!」
ピサロナイトはぶるっと頭を振った。
 ピサロが戦場へ戻ってくる。それは荒々しい興奮と歓喜を意味した。
「お待ちください、お供いたします」
そう叫んでピサロナイトは小走りに主人の後を追った。
「しかし、なぜ、いきなり……。ロザリー様のこともありますし、勝てるとはかぎりませんが」
尊大な視線でピサロは肩越しにふりむいた。
「勝たなくてもいい。だが天の竜が目を剥くような派手な戦を仕掛けたいのだ」
紅の瞳が輝いていた。腕が鳴るぞ、とピサロはつぶやいた。
「きさまも存分に戦え、我が騎士。おまえの剣技を見たい」
ピサロナイトは血が沸きあがるのを感じた。
「はいっ……御意のままに!」

 その日も天空城は悠々と飛行していた。金銀のオーブは力強く輝き、壮大な石の城を天空に浮かせている。風に乗って雲を伴い、天空の城は軽快に走っていた。
 眼下は海だった。あまりにも高いので波などは見えないが、好奇心の強いカモメの群れが城の高さへ舞い上がってきた。天空城の玉座の間は、壁面が巨大な窓になっている。窓枠は細い柱だった。その柱の向こうにカモメが翼を触れんばかりにして近寄ってきた。
「あ、かわいい」
カイが見つけてつぶやいた。翼のある天空人の女性が上品に微笑んだ。
「あれはウミネコと呼ばれるカモメの仲間です。腹が白く、黒い尾と彩りのあるくちばしが特徴です」
「あ、そうですか」
天空人は、けして意地悪ではないのだが、どんなことを聞いても明快で冷静な答えが返ってくる。悩んだり困ったりしないみたい、とカイは思った。そして、かわいい、とか、おもしろい、とか思うことも少ないのかなと感じてしまうこともある。
「ウミネコさん」
心の中でカイはつぶやいた。
「早く離れたほうがいいよ。そこはちょっと危ないの」
ルークがこほんと咳払いをした。
「マスタードラゴンとお話できますか?」
 ルーク一家はまた天空城を訪れていた。今日はマスタードラゴンは大きな竜の姿で玉座にいた。その前に天空人の官僚が大きな書類をかかえて数名立っている。何か話し合いをしているようだった。
「ただいまお取次ぎいたします」
と天空人の兵士が答えた。
「あ、いえ、お忙しいときにおじゃまするのは心苦しいです」
とルークが答えた。
「終わるまで、ここでお待ちしています」
「いえ、ルーク殿と勇者様に関しては、すべてに優先することになっていますので」
「え、でも」
といいかけたとき、マスタードラゴンが大きな首をこちらへ向けた。
「またこのあいだの話かな?しばらく待ってもらおうか、ルーク」
「ええ、ここにいますから」
カイは波立つ胸を手で押さえた。お父さんたら、お芝居には向いてないんだから。ルークはやはりどきどきしているらしく、ビアンカと手を握って立ち、じっとそのときを待っていた。
 何かがカイの意識にひっかかった。
「来るわ!」
真横に居たアイルがくっとうなずいた。
「お父さん……」
小声で言いかけたときだった。まるで地震でも起きたかのように天空城が震えた。
 天空人は兵士も官僚もその場に立って辺りを見回した。マスタードラゴンは長い首を宙に伸ばし、探るようなしぐさをした。
「突風だったのでしょうか?」
役人がそう言ったが、マスタードラゴンは首を振った。
 次の瞬間、カイの正面に見える天地いっぱいの大窓の真下から、真っ黒な呪詛が噴き上がった。
「ああっ」
いつも冷静な天空人たちがついにうろたえた。天空城が揺れる。カイはアイルと抱き合い、その上からビアンカが抱え込んだ。
「うっ、ブランコみたい」
壁際の調度品が床を滑り、天井の飾り物がばらばらとふりそそいだ。漆黒の噴流はもうすべての窓を覆っている。空が見えないほどの勢いだった。
「騒ぐでない!」
天空人たちの阿鼻叫喚の中にマスタードラゴンの一喝が響いた。
「魔族の仕業よ。ふん、このていどでこの城を撃ち落せるとでも思ったか!」
背に白翼を負った兵士長が部下を連れて玉座の間へ駆け込んできた。
「ご無事ですか!」
「大事無い」
じろ、とマスタードラゴンは窓の向こうをにらみつけた。
「こざかしい。このていどでこの天空城が落ちようはずもないことをあやつ、忘れたか。一度試したであろうに」
 悪意の本流はようやく停まった。窓の外の視界が晴れていく。その情景を見て天空人たちが悲鳴を上げた。
 つい先ほどまでカモメの群れが舞う青空だったところを、翼のあるモンスターが埋め尽くしている。翼竜が多いが有翼の猿や怪鳥、巨大こうもりなどその数は数千とも数万とも見えた。
 天空城包囲網の最前線にいるのは、巨大なライバーンロードだった。騎乗する武将は黒衣をまとい白い骨の肩当を身につけた魔族である。その背後に彼の四天王を従えていた。
「ピサロ!」
カイは思わずつぶやいた。この距離からでも、真紅のバンダナの下で白銀の髪が気流に乱されて舞い、彼がエルフめいた美貌に皮肉な微笑を浮かべているのが見える。魔王の称号を背中にしょって天空の竜の神に真っ向からケンカを売りに来た男の目には不敵な自信があふれていた。
 手袋をはめた手でピサロはライバーンロードの手綱を絞り、片手を離して前に突き出した。小ばかにしたような手付きで「出て来い」というしぐさをして見せた。マスタードラゴンがうなり声を上げた。
「天窓全開。私が出る」
「罠でございます!」
「いや、あの魔族め、あまりにこざかしい。とうに魔界の奥へ追い返したと思ったに、今頃何をしに来たのやら。そうか、あのヴィオラがここにあると知ったな?」
マスタードラゴンの目がルークに向いた。ルークはうなずいた。
「彼は知っています。妖精城でその話がでたとき、その場に居ましたから」
「それで腕づくか。魔族らしいことよ」
巨大な金の翼を広げてマスタードラゴンは天を見上げた。ドーム状の天井はかなり高く、青系統の美しい色彩で模様が描かれている。その中央に筋が見え、次第に太く 太くなり、その間から空が広がった。
「いざ!」
いっぱいに翼を伸ばし、マスタードラゴンが舞い上がった。