エルフの時代 10.ロイヤルファミリービジネス

 ピサロの片手があがった。彼の背後には四天王が集結していた。ピサロの乗騎には劣るがかなり大型のアイスコンドルがなかにまじっていた。旗手は緑がかった甲冑の背の高い騎士だった。両手持ちの大剣の鞘を払い、片手に手綱、片手に剣をかまえる。
「あれはピサロナイト」
とカイは思った。
 魔界でピサロの一行に出会ったとき、四名の武将が魔王に従っていた。その一人がピサロナイト。
「あれは、アンドレアル?」
魔界で見たときは人間の姿をとっていたが、今のアンドレアルは紫の鱗を持った大きな竜だった。自前の翼で空を飛んでいる。人間形態のときはやや“お坊ちゃま育ち”めいた気短かそうな雰囲気だったのだが、竜と化した今は身の内に蓄えた炎を今にも吐き出したいようなようすだった。彼の後ろには竜魔族の大群がしたがっていた。
「じゃ、あれがヘルバトラーと、ギガデーモン」
その二人は魔界で見たときとあまり姿が変わっていない。それぞれ別の翼竜に乗り、自分の部下たちを従えている。ピサロナイトやアンドレアルほど戦を急ぐ雰囲気ではなく、百戦錬磨の武将にふさわしい落ち着きでゆったりと構えていた。ギガデーモンの武器は見たこともないほど大きな棍棒だった。ヘルバトラーは巨大な戦斧の柄を肩に乗せ、髭面の口元を妙にうれしそうにゆるめていた。
魔族たちの最前線へまっすぐにマスタードラゴンが襲い掛かった。ピサロがただ一騎飛び出した。
「手出し無用!」
そう叫んで自分の剣を抜き、襲い掛かってきたマスタードラゴンのかぎ爪にぶつけた。
 マスタードラゴンの背後から、あわてふためいた天空城の兵士たちが群れを成してやってきた。
「あれをやるぞ!」
ヘルバトラーが命令をくだしたようだった。羽虫の群れを追うようなしぐさで白い翼の兵士たちをさししめした。
「かかれ!」
 ヘルバトラーが率いるのは体毛の濃い巨体のビースト系モンスターたちだった。ビースト系でありなおかつ二足歩行、重装備型のパワーモンスタータイプである。天地を揺るがすような雄たけびを上げて天空兵に襲い掛かった。天空城を守る兵士たちもけして弱くはない。だがふいをつかれてあわてふためき、劣勢に立たされていた。
  アンドレアルも一族を率いて天空兵の中へ飛び込んだ。竜魔族は無敵だった。激しい炎と強力な打撃、それに自由自在に天を駆ける翼を持つドラゴンをとどめることの出来る者はいない。一頭ならまだしも、この空の戦場には史上最大の群れが参加していたのである。天空兵はしだいに炎に分断され、ちりぢりになった。
「このままではいかん!」
兵士長が叫んだ。
「みな、マスタードラゴン様の御元へ!陣を立て直せ!」
おう、と兵士たちは叫んだ。
マスタードラゴンはピサロと一騎打ちを続けていた。
「おのれ、ちょろちょろと……」
舌打ちしながら吐き出す聖なる炎をかいくぐり、ピサロのライバーンロードが肉薄する。
「そのていどか天の竜よ!きさまも老いたな」
あざ笑うピサロをきらめく牙が捕らえようと落ちてきた。
「ほざけ、若造が、うっ」
ピサロの剣がマスタードラゴンの顔をかすった。青い血がぴしりと飛んだ。
「次は目玉を狙う!」
「いいかげんにするがいい!」
 兵士長は部下を率いて二人の周辺を取り囲んだ。
「ちょうどよい、全員で魔王を仕留めるぞ」
勝てる、と勢い込んだ兵士の中へ突っ込んでくるものがあった。
「させるか!」
 一筋の流星のように斜め上から角度をつけてそれはやってきた。緑の鎧、青い翼。アイスコンドルとピサロナイトだった。手にした剣の肉厚の刃が風を切ってひらめいた。天空兵は対応すらできない。あっというまにピサロナイトは集団を突破した。そのあとに真っ白な羽がいくつも舞った。
「わ、ああ?」
白い翼をばっさりと切られた天空兵が何人もバランスを崩して脱落する。あわててすがる物を探す兵士、同僚を助けようとする者が入り乱れて、大混乱になった。
 集団を貫通したピサロナイトはすぐに取って返し、別の角度から兵士たちの真ん中を突っ切っていく。
「敵は一人だ、押し包め!」
兵士長が叫んだが、ピサロナイトの勢いは包囲を許さなかった。近寄る者はすべて剣の餌食となる。剣は幅広の巨大なものでしかも片手綱だったが、軽々と振るう姿は鬼神のようだった。自然、兵は逃げ腰になった。
「待ちな、おれもいるんだ」
逃げ腰になった兵士は後ろからそう言われてあわててふりむいた。巨大な棍棒にかぶとを殴り飛ばされて兵士は気絶した。
「ギガデーモン様、お助け感謝します」
ピサロナイトは律儀に礼を述べたが、ギガデーモンは鼻で笑った。
「おまえだけに手柄独り占めはさせられねえってだけだ」
ピサロナイトは軽く顎を引いた。ただ二騎に向かって天空兵の軍勢が押し寄せてきた。

 最初に我に返ったのはビアンカだった。
「こうしちゃいられないわっ」
ルークたちはそれまで大空の戦場に目も心も釘付けになっていたのだった。
「そ、そうだね。急がないと。じゃ、打ち合わせの通りに」
ロイヤルファミリーはうなずきあい、大騒ぎしている天空人の群れをぬって玉座の間からそっと抜け出した。長い廊下を抜けると天空城正面の大扉、そこから城の基壇部分に出る。基壇からはいくつもの入り口が城内に通じている。
 ルークは外注した計画に添えてあった手紙を思い出した。
「おまえの書いた見取り図を見た限りじゃ、宝物庫にあたる施設がこの城には見当たらない」
と手紙には書いてあった。
「マスタードラゴンの言った『自分にも必要だ』ってセリフは信用するな。十中八九でまかせだ。たぶん、なりゆきで天空城へ貸し出されたものを返す気がないんだ。もしかしてマスドラ自身が問題のブツがどこにあるかわからないっていう可能性すらある。だとすれば、そいつ、ヴィオラだっけ、どこか公共の場所に放り出されてるんじゃないか?」
ルークは入り口を指差した。
「アイルは庭園を探しておくれ。特にエルフが好みそうなところだからね」
「わかった!」
「カイは世界樹の苗木を育てているところを頼む」
「ミニデーモンに聞いてみるわ。なかよしなの」
子供たちが散っていく。
「図書館は、私ね」
ビアンカが大階段を身軽に駆け下りた。
「後で会いましょう!」
「わかった、気をつけて!」
時間はピサロたちが稼いでくれている。殺伐とした闘いの光景なのだがどう見てもピサロと四天王は楽しそうだった。魔界の住人の闘争本能を快く刺激しているらしい。
「早くしないとほんとにマスタードラゴンがやられちゃうかもしれない」
ピサロが嬉々として決闘しているようすを思い浮かべると、あながち妄想とも言い切れなかった。
「急がないと」
扉を開けて天空人の町へ一歩入ると中は大騒ぎだった。
「なんていうことでしょう、魔族めが!」
「今は魔界と地上のバランスが大変なときだというのに」
 グランバニアにどことなく町の感じが似ている、とルークは思う。どちらも城と言う大きな入れ物の中にある町だからだろう。空の代わりに天井があるのだ。グランバニアの町の天井は光を通す魔力を含んだ石でできているが、この町の天井はそのまま天空城のそれだった。一抱えもあるほど太く、見上げるように高い柱がいくつも立ち並び、その間に天空人の家屋が並んでいるのだ。家の正面の装飾や街路のようすは独特だった。直線が多く荘厳で、塵一つなく清潔で、冷たいほど清らかだった。
 その整った市街が、混乱に陥っている。天空人たちは、さすがにみっともなくうろたえはしないが、不安そうにかたまって天井近くにある明り取りの大きな窓を指差して口々に話し合っていた。時々、がまんならないかのように、誰かの背中で白い翼がいらだたしげにはばたくのが見えた。
 ルークは何度も読み返した手紙の文句を頭の中で繰り返していた。
「もし、公共の場所じゃないとしたら、誰か天空人の町の中で個人的にヴィオラを管理しているやつがいるのかもしれない」
すいません、と胸の中でつぶやいてルークは群集を通り抜け、さりげなく民家の家捜しを始めた。
「ここは違う……。ここも」
子供の頃少年窃盗団の一員だったとピサロに言ったのは本当のことだったが、相棒といっしょに盗みに入ったのは大神殿建設現場近くの食糧庫である。さすがに天空城では足がすくんだ。
「なにやってんだ、がんばらなくちゃ」
自分に向かってそうつぶやいたとき、明るい金髪が揺れるのが視界の隅に入った。
「ビアンカ?」
やはりビアンカだった。マントを脱いで胸の辺りに丸めている。ルークは人ごみをなんとか抜けて駆け寄った。
「あったんだね?」
ビアンカはマントでくるんだものをちょっと開いて見せた。ヴィオラの琥珀色の曲面が現れた。
「この通り。図書室の壁面の上のほうにむき出しで置いてあったわ」
「ほんとかい?」
「あたしはただ『楽器を見なかった?』って聞いただけよ。そうしたら、ジャマだから持ってってくれって」
たぶん、プサンのほかは天空人もこのヴィオラの値打ちをわからなかったのだろう。
「とにかく、よかった。じゃ、逃げよう!子供たちは?」
「さっきのところで待ちましょう」
ビアンカはそうささやくと先に立った。ルークも急ぎ足で後に続いた。
「魔王が来たって?」
「なんと恐ろしい。仕返しなのだろうか?」
「マスタードラゴン様はどうしていらっしゃるのだ!」
天空人たちの間を縫って、二人は扉に向かった。
 ドアを開けたとたん空の高みの激しい風に顔を打たれた。風は阿鼻叫喚を運んできた。この位置からでもピサロ率いる魔王軍が果敢に攻撃しているのがよくわかった。
 ルークたちが外に出てくるのとほとんど同時に子供たちがそれぞれ扉を開けて出てきた。こっち!とビアンカが合図をした。視線でヴィオラを見つけたことがわかったらしい。双子はすぐに階段を駆け下りてきた。
 そのときだった。玉座の間に通じる大扉がいきなり左右に開いた。輝く鎧に身を固めた兵士たちが一斉に走り出てきた。
「あれは、マスタードラゴンの親衛隊(ドラゴンガード)じゃないか」
「なんですって!?」
ビアンカがきっとした表情で見上げた。
 ドラゴンガードは無表情で殺到してくる。
「ルーク殿、マスター……」
 声をかけてくるより子供たちが両親に走り寄るほうが早かった。ルークはビアンカの方を見た。
「逃げるよ、ビアンカ!」
ビアンカは、だが、今度は下を見ている。
「下からも来るわ!」
ドラゴンガードたちは大階段の上下から一家を挟み撃ちにするようなかっこうだった。
「ルーラしてみる?」
「マスタードラゴンの結界の中でルーラは危険だよ。もう一回城の中へ!」
ルークは叫んだ。ビアンカが出てきた扉を開け、すばやく子供たちが中へ入った。ビアンカとルークもすぐに飛び込む。後ろからドラゴンガードが追ってくるのがわかった。
 一家は群集の間を縫って逃げ始めた。ドラゴンガードもやってくるが、人々が邪魔になって、なかなか追いつけないでいる。
「でもどこへ行けばいいの」
ビアンカがつぶやいた。
ビアンカの手をアイルが握った。
「こっちだよ」
その口調が変化していた。
「ユーリル?」
「うん。大丈夫。僕を信じて」
わかった、とルークはうなずいた。
「案内を頼むよ、勇者君。しんがりにはぼくがつくから」
4人は後ろにドラゴンガードをひきつれたままどんどん廊下を進んでいく。
ついに廊下の突き当りまで来てしまった。突き当りの下り階段をルークたちは降りていった。
「おや、あなたは」
顔見知りになった神父が話しかけてきた。階段の下には教会があるのだった。地下の町にいるのは天空人以外の種族が多かった。モンスターの姿を見たこともある。みんな神父を中心に集まって騒いでいた。
「なにかあったのですか?上のほうが大騒ぎだ」
「あ、ええと、魔族が来ているみたいです」
神父とシスターが顔色を変えた。
「魔界からですか!?」
「もうそこまで扉は開いてしまったの!?」
地下の住人が階段の上の方を見上げて叫んだ。
「わぁ、ドラゴンガードだ!こんなところまで来るなんて何があったんだろう!」
アイル/ユーリルはビアンカの手を引いた。
「ぼくたちはこっち!」
勇者は地下街の隅にある、みすぼらしい小さな扉を引きあけた。
 まるで物置にでも通じているように見えたその扉を開けると、そこは雲の上だった。金銀のオーブを統括する城の機関室への扉がすぐそばにある。大階段にいた天空兵が目ざとく一家を見つけて数人が駆け寄ってきた。
「ここにも兵隊がいるわ!」
カイが声を殺してささやいた。が、ユーリルは笑った。
「大丈夫。こっちだよ」
なんのためらいもなくユーリルは雲を踏んで進んでいく。
「ちょっと、どこ行くの」
「ここ!飛び降りて!」
どこまでも続いているような白雲の大地に一箇所、けっこう大きな穴が開いていた。
 さすがにルークはためらった。
「ぼくたちは鳥じゃないんだから」
 ぞくっと殺気をおぼえたのはそのときだった。顔をのけぞらせると背後の天空城の上空から金色の巨体が姿をあらわした。巨大な爪で天空城の角塔のひとつをつかみ、こちらへ向かって長い首を伸ばしている。巨大な頭が迫り、その目がにらみつけた。
「ルーク、待て!それをどうする気だ!」
マスタードラゴンにばれてる!ルークはそう思って腹をくくった。
「ごめんなさいっ、あとで返します!」
手近にいたカイを抱え込んだ。ビアンカはアイル/ユーリルの体にしっかりと手を回している。
「行くよ!」
「いいわ!」
せえの、で穴の中へ一家はは飛び込んだ。
 体中真っ白な真綿の飛び散る中にくるまれた、と思った次の瞬間、物凄い勢いで雲をつきぬけ、落下が始まった。
「お父さん!」
カイがぎゅっとしがみついてきた。ルークは一生懸命ふところを片手で探った。
「魔法のじゅうたん、頼む……」
だが、じゅうたんはけっこう大きく、片手では扱いにくい。しかも何かにひっかかっているようだった。全身がパニックになりかけた。
「お父さん!」
あっと思ったとき、腕からカイがすりぬけた。
「うわっ、カイっ!」
小さな体が見る見るうちに離れていく。
「ルーラを使って、カイっ、落ち着いて!」
天空城の向こうから、何かが凄い速さでやってきた。青い翼の細身の翼竜だった。まっしぐらにカイに向かうと、少女の体をさっとすくいあげた。
「おけがはありませんか、姫」
「あ、大丈夫です。あなたはピサロナイト?」
ピサロナイトはヘルメットの面頬を上げた。
「はい」
よかった、と思ったとき、ルークは体の下に何か当たるのを感じた。ざらざらした竜の鱗だった。ルークはあわててすがりついた。
「あなたはアンドレアル!」
紫色の大きなドラゴンがルークの体を支えていた。
「ピサロ様のご命令だ」
「よ、よかった。ありがとう!」
ふん、とアンドレアルは言ったらしい。火の息が鼻の辺りにちょろっと出ていた。
「あっ、でもビアンカが」
「見ろ。取った」
見るとヘルバトラーがうまくビアンカをキャッチしたようだった。
「ありがとう、助かったわ!」
「どういたしまして、天空のお嬢さん」
髭面でにやりとヘルバトラーは笑った。
「あれ、アイルは?」
 アイルを助けたのはピサロだった。ひときわ大型のライバーンロードが魔王と少年を乗せてルークの眼下を滑るように飛んでいく。
「勇者よ!」
声にならない声があたりに響き渡った。
「私を裏切るか!」
 ルークは上を見上げた。マスタードラゴンが天空城の角塔を乗り越えてこちらへ向かい、巨大な口を広げていた。怒っているらしい。ルークは首を縮めた。
アイルはピサロに抱えてもらって彼の膝の上に立ち上がり、ピサロの肩越しにマスタードラゴンと向かい合った。手綱をとるピサロの首に片手を回して身を乗り出し、かんかんに怒っているマスタードラゴンに明るく手を振って見せた。
「ごめんね~」
ピサロも振り向いてマスタードラゴンに皮肉な笑顔を見せた。
「そういうことだ。悪く思うな」
 あはははは、と珍しく高笑いをしてピサロが愛竜を飛ばす。その背後に、陽動作戦を終えた魔王軍が意気揚々とつきしたがってきた。
「みなのもの、引き揚げだ!」
片手を突き上げてピサロがそう叫ぶと同時に空の高みから巨大な魔王軍すべてがルーラで消えうせた。