エルフの時代 8.天空城強盗計画

  たまらずにルークは声をかけた。
「プサンさん」
プサンはメガネのレンズ越しにルークを見た。
「ルーク君、ピサロを知ってるってことは、魔界で会ったのかな?だめだよ、ああいうのとつきあっちゃ」
まるでものわかりのよい教師がクラスの優等生に与えるアドバイスのように軽くプサンは言った。
「魔族ってのは、基本的に自分勝手だからね。人間のことなんて考えちゃいないんだ」
「それは」
否めない。ルークはピサロが人間や地上のことを気にかけている、という印象を持ったことはなかった。
「でも、彼は困ってるんです」
「へええ」
プサンは興味もなさそうに相槌を打つと、柱の間に広がる青空に視線を向け、風に乗って走る雲を数え始めた。
「あの」
どう言っていいかわからずにルークは口ごもった。
「ええと、世界を見守るっていう中には魔界は含まれないんですか?」
いやー、はっはっは、とほがらかにプサンは笑った。
「私もけっこう忙しくてね」
ビアンカはむっとした顔になった。
「魔族なんか、どうでもいい。そういうこと?!」
「どうでもいいだなんて」
プサンはまた肩をすくめ、上目遣いにビアンカを見上げた。
「またまたストレートに言ってくれちゃって。ただ、もっと大事なことがいっぱいあるんですよ、私には」
ルークはぞくりとした。
 角度が変わったためにプサンの眼鏡にルークたちが映りこんでいる。プサンの表情が読みにくい。愛嬌たっぷりの気弱な男の顔の下から、ほとんど腹黒いと言えるほどの陰険さ、悪意が透けて見えていた。
「じゃ、言ってごらんなさい!」
怒ったビアンカが迫った。
「何に使うって言うの?あのヴィオラ!」
「ないしょです~」
あくまで軽くプサンが答えた。
「私たちだって必要なの!お願いだから今だけ貸して下さい。いくら魔族が憎くたって、ロザリーさんはエルフなんだから協力してくれたっていいじゃない!」
プサンはひょいと玉座から飛び降り、ズボンのポケットに両手をつっこんだ。
「ロザリー、ロザリー、はて……」
「エルフのお姫様!」
「ああ、いましたねえ、そんな娘が。へえ、まだ地上で生きてたのか」
「ちょっと!」
母の腕をアイルがそっと押さえた。ビアンカではなく、勇者アイルがプサンに向かっていった。
「ひどいこと言うんだね。プサ……ううん、マスタードラゴン。あなたがそんなこと言うなんて思ってなかった」
アイルの後ろでは悲しそうな顔でカイが見ていた。だがプサンはアイルににやっと笑って見せた。
「勇者君こそ、どうなんだい?魔族だとかエルフだとか、寄り道がすぎるよ?さ、魔界に行っておいで。君には君の仕事がたっぷりあるだろ?よけいなことに首を突っ込むひまがあるのかな?」
アイルは顔を真っ赤にして立ち尽くした。カイが何か言おうとした。
「およし」
ルークは子供たちを手で制した。
「マスタードラゴン、ぼくたちは帰ります。これ以上お話してもむだなようです」
「おやおや、なんのおかまいもできませんで」
 へらへらとプサンは笑った。ビアンカはくっと唇を噛み、まっさきに玉座の間を出た。ルークと子供たちもあとに続いた。あいかわらず無表情な天空人の兵士たちが、黙ってルーク一家を通してくれた。

 ルークが妖精の女王に指輪を返し、天空城でのやり取りを話しているあいだ、ピサロは腕を組んで壁にもたれたままそっぽをむいていた。その顔にありありと“だから言っただろうが”と書いてあった。
「どうしましょう」
困惑しきった表情で女王はそうつぶやいた。
「マスタードラゴンがそんなことをおっしゃるなんて」
「言ったのはプサンさんですが、でも結局秋空のヴィオラは返してもらえませんでした」
妖精城の床を蹴るようにしてピサロが歩きだした。
「ピサロ、どこへ?」
「帰る。このようなところまで来て、結局は振り出しではないか」
夏のランジュは憎々しげにピサロを見た。
「誰が居てくれと頼んだのだ?さっさと魔界に戻るがいい」
「ああ、そうしよう。このようなところより、私の城の書庫でも調べたほうがましな知識が得られそうだ」
女王とクロヴィスがさっと表情を変えた。
「言うに事欠いて……」
ルークはあわてて中に入った。
「あの、どうか、待ってください、お願いだから」
ピサロは紅の瞳でにらみつけた。
「どうにかできるのか、おまえに」
「ええと、ええ。なんとかしてみます」
しかたなくルークは言った。
「だからお互いにもう少しうまくやっていこうっていう気になってくれませんか。妖精や魔族からいつも“喧嘩好きだ、あさはかだ”とバカにされてる人間の一人です、ぼくは。それなのにこんなことを言わなくてはならないなんて」
冬のクロヴィスが小さく咳ばらいをした。
「まことに、ルーク殿。年甲斐もないことでした」
女王は玉座に体を預けた。
「ええ、ほんとうに。なんとかなるなら、あなたにおまかせしましょう、ルーク」
「ありがとうございます。ピサロも?」
ピサロはふんと鼻で笑った。
「まず、貴様に何ができるか言ってみろ」
「あ~、その~」
ルークはややためらった。
「つまり、秋空のヴィオラが必要だっていうことは確かなのですから、その、こっそり、天空城から……」
ビアンカ、アイル、カイ、頼むからお父さんを軽蔑しないでくれ。こっそり盗みだそうだなんて。祈るようにそう思いながらルークは妻の表情をうかがった。
「……それしかないかもしれないわね」
しばらく考えた後で、元アルカパ一のおてんば娘はそう言った。
「ぼくも、あのプサンさんの言い方じゃ、普通の方法じゃ返してくれないと思ったよ」
「こっそり、もしょうがないわ。ロザリーさんのためだもの」
家族が味方してくれる。よかったあ、とルークは胸をなでおろした。
 妖精たちは、むしろ驚いたようだった。
「その手がありましたか」
「人間、見直したぞ。まったくの腰抜けでもないようだな」
「お願いします、ルーク殿。あのヴィオラを取り返してください」
「え、はい」
ピサロは微妙な表情だった。
「おまえがそのようなことを考えるとはな、天の竜のお気に入りが」
「別にいいじゃないですか」
「ではおまえが天空城で押し込み強盗をやるのだな?」
「え~っと」
ルークは口ごもった。
「わかりました。責任とります。でもちょっとだけ時間をください」
「時間稼ぎか」
「そんなんじゃありません。きちんと計画を立てないとと思っただけです」
ほう、とピサロが値踏みをするような眼でルークを眺めまわした。泥棒の計画を立てるなんて向いてないってことを、思いっきり見透かされているようだった。
「時間をください。計画をつくってきますから」
ルークは言い、小声で付け加えた。
「外注ですけど」

 ロザリーを妖精の城に預けることを承知したのは、ルークとともにポワンが説得したからだった。
 ポワンはアルノーのようにおどおどしたり、ランジュのようにけんか腰になったりしなかった。ただやわらかく微笑んで、おまかせくださいな、と言っただけだった。
 それだけにピサロがロザリーを預ける……“ポワンとやら、私は妖精城ではなく、おまえに彼女を託すのだ、いいな?” ……と言ったとき、カイは兄と顔を見合わせたものだった。
「ポワン様って優しい感じのひとよね?」
 ロイヤルパーティがピサロといっしょにグランバニアに帰ってきたあと、カイはそう聞いてみた。
 カイとアイルは教会の中でシスターが教えてくれる学校から、かなりの宿題を出されていた。アイルはまだ自分の部屋で羊皮紙の巻物を広げて一生懸命レポートを書いている。カイはもう提出を済ませたので父と母のいる居間へやってきたのだった。
 部屋の隅の出窓のところにクッションをたくさん置いてピサロが腰をかけていた。目は窓の外の森林の向こうを見つめているが、本当はロザリーさんのことを考えているのだろうとカイは思った。
「ピサロはああいう優しそうでふんわかした人が好きなの?」
魔王は一瞬かたまり、カイのほうを向いて急いで何か言おうとして、むせた。
「図星を刺してしまってごめんなさい」
カイはまじめに言った。まだげほっと言いながら、ようやくピサロはやや恨めしそうな顔をカイに向けた。
「何が図星だ、何が」
「ごまかさなくてもいいわ」
「ごまかしてなどいない。ロザリーは森のエルフ、ポワンは春の妖精。もともと同じ系統の種族なのだ」
カイの隣にルークがやってきて坐った。
「古く高貴な一族は、人間から見ると多少ぼんやりしているように見えることもあるんだよ」
「そうなの?」
「きっと精霊さんから見ると、逆に人間があわただしくてせかせかして見えるんじゃないかな」
「そうなのかぁ」
「人間にだって、のんびりやさんもせっかちもいるだろ?」
ルークは微笑みかけた。お父さんはいつだってすてきだ、とあらためてカイは思った。優しくて誠実で、でも闘いのときはすごく頼もしいし、強い。
「一つ頼んでいいかい?コリンズ君が来てくれたんだけど、またラインハットへ送ってあげてくれないかな」
父の肩越しに遊び友達の男の子がなんとなくもじもじとこちらを見ていることにカイはやっと気づいた。
「あら、遊びに来たの?」
カイはコリンズのほうへ行った。
「あ、いや、父上からの手紙を持って来たんだ。もう帰らないと」
「手紙?」
よく見るとルークは手に羊皮紙の巻物をつかんでいる。巻物をとめるリボンにはカイの知っている紋章がロウで封じこまれていた。
「ふーん、珍しいのね。いつもは伝書キメラなのに」
「ルーク様がお急ぎだったんだよ」
「とにかく、送るわ。屋上へ行きましょう」
コリンズの手をつかんでカイは部屋を出ようとした。部屋の中からルークが声をかけた。
「コリンズ君、おつかれさま」
あ、とコリンズはつぶやいてふりむいた。
「あの、すいません、伝言があるんです」
ルークは、あはは、と軽く笑った。
「だいたいどんな伝言か察しがつくけど、いちおう聞かせてくれる?」
え~と、とコリンズは口ごもった。
「『もうけは七三でいいからなっ』って」
ルークはやれやれと首を振った。
「そんなことだろうと思ったよ。利益が出るかどうか判らないけど、あとで事情を話しに行くって伝えてね」
「はい、わかりました!」