きみとリリザで 9.大騒動のローレシア

 王女は、そっとサリューの肩を抱きしめた。
「優しいのね、サリューって」
「そんなことないよ。ぼく、自分勝手だったと思う……あの、もういい?このあと、ちょっと話しづらいところなんだ」
にこ、と王女は笑ってみせた。
「だめ。聞かせて」

 ロナウド公子は、いらいらが募っていた。サマルトリア国境を侵そうとした一件は王の耳に届いて、ロナウドは叱責されていた。母の公爵夫人の懇願で罰は謹慎にとどまった。とりあえずサマルトリア方面で活躍するという野心は隠しておかなくてはならないだろう。ロナウドは指の爪をかみそうになって、あわててとめた。
 臨戦態勢のローレシア城は、おもしろくもなんともない。宮廷は閑古鳥が鳴くようなありさまだし、華やかなイベントも会合も、すべてキャンセルされている。かわって、会議、会議の連続だった。
 謁見の間には、今日も公爵ほか、城の幹部が集まって、額を寄せ集めて防衛計画を話し合っている。守りの態勢は好みではない。こちらから討って出るべきだ、と言いたかったのだが、謹慎の身の上ではそれもできなかった。ロナウドは椅子の背もたれに体を預けて、露骨にあくびをした。
 そのときだった。階下のほうで、衛兵が叫んだ。
「君、入っちゃだめだ!」
「立ち入り禁止だぞ」
王も公爵も顔をあげた。
「父上、叔父上、私が見てまいります」
ロナウドはいい機会とばかり立ち上がり、近衛兵数名を従えて階下へ降りた。
 階段の途中から、城の入り口で四、五人の衛兵が一人の旅人を必死で止めようとしているのが見えた。
「放して!ロイはどこ?ロイ、ロイッ」
細身の体つきの、色白の若者だった。吟遊詩人らしい。なぜか片手に、大きなくまのぬいぐるみを抱えていた。
「何をやっているんだ」
若者はロナウドを見上げて、顔を輝かせた。
「あっ、ねえ、あなたはロイにやっつけられていた人でしょ?ロイはどこ?ぼく、会いに来たんだ。教えて、ロイはどこ?」
“ロイにやっつけられていた人”?ロナウドはなんとなくむっとした。
「私は公子ロナウド……」
「知ってるよ、そんなことっ」
「礼儀知らずが。どこの馬の骨だ」
「サマルトリアの、サリュー」
あわてて彼の顔を見直した。たしかに、気品がある。ロナウドはぐい、と胸を張った。サマルトリアの王子がどうした。私はローレシアの次期国王だ……ふん、とロナウドは笑った。
「君がうわさの魔法戦士どのか。ロイアル殿下に加勢するために来たというわけか?」
ロナウドは、ふと思いついて、言ってみた。
「彼より私のほうが勇者にふさわしいとは思わないか?」
「ふざけないでよ!」
 きっぱりとサリューは言った。後ろに控えている近衛兵の間から、くす、と笑い声が漏れるのを聞いて、ロナウドはかっとなった。
「君なんか、ぜんぜん、違う。ロイ、ロイ、いるんでしょ?返事をしてよ」
サリューは容赦なく言い募る。ロナウドはむかついてたまらなかった。
「あいつはいない。帰れ!」
「そんな……」
サリューという若者が、泣きそうになった。
 どこかで地鳴りがした。
「うそでしょ……?」
地鳴りの音が大きくなる。壁に飾った甲冑が、カタカタと音を立てた。
「地震かっ」
兵士たちは、不安そうな顔できょろきょろしていた。一人、また一人と衛兵はサリューのそばを離れて、遠巻きにした。
「ぼく、来たのに!」
 きゃしゃな少年は、ぎゅっと目をつぶって叫んだ。ドン、という音とともに、ロナウドの背後の壁の上から、ステンドグラスが飛び散った。
「うわっ」
降り注ぐガラス片を避け、ロナウドはあわてて階段をかけおりた。
 こいつがやったのか。ロナウドはやっと思い当たった。実際に手を触れることなく、物体に力を及ぼす技。魔法力である。
 ロナウド自身、子供の頃から慣れ親しんできたし、少しがんばれば力を引き出して使うこともできた。
 しかし、一瞬でガラスを割るほどの力は、使えたためしがない。彼の母にしても、同じはずだった。
「おまえ、何もんだ」
「言ったでしょ?ぼくは、サリュー。サマルトリアの王子!」
 突然滝のような音がして、ロナウドはぎょっとした。城の一階ホールの水槽と、旅の扉を守る池が、沸き立ち、吹き上がり、ものすごい勢いであたりに水を撒き散らしている。
 “まるで残されたすべてを注ぎ込まれたかのような、魔力に優れた王子だと聞いている”。ローレシア王の言葉が頭の中によみがえり、ロナウドはぞっとした。
 魔法戦士とは、これほどのものか。嫉妬に駆られてロナウドは大声をあげた。
「やめろ、おい、やめろ」
「じゃあ、通して!ロイ、ロイーッ」
「いないと言っただろう、帰れっ」
きっとサリューがロナウドをにらみつけた。
 城の壁を飾り寒さ対策も兼ねるタペストリーが、一斉に燃え上がった。奥の教会の扉が大きな音をたてて開き、ストックしてあったろうそくが空中をいっせいに飛んでくる。ロナウドの見ている前で、すべて点火し、狂った鳥の群れのように飛び回りはじめた。
「わああああ!」
衛兵や城の使用人たち、居合わせた貴族や従僕が、声を上げて逃げ惑う。だが、ろうそくの乱舞はとまらなかった。
「ロイ、ロイ、ロイーッ」
巨人が城をつかんでゆさぶっているようだった。激しい風が城内で渦を巻き、息もできない。ロナウドは這って階段のかげに逃げ込み、体を縮めて両手で頭を抱えた。
 怖い。怖くてたまらない。自分の持っているちっぽけな魔法力とはケタの違う威力が荒れ狂っている。
「どこにいるのーっ」
「息子をお探しか?」
 ぴたりと風がやんだ。ろうそくの火が一斉に消えて、ばらばらと床に散乱した。
 沈黙が訪れた。
 声の主が階段をおりてくる。ローレシア王だった。サリューは泣いて赤くなった目で王を見上げた。
「ロイの、お父さんですか?」
「いかにも。サマルトリアのサーリュージュ殿下とお見受けする」
温和な口調でそういうと、ローレシア王は、ぼろぼろになった城を見回した。
「よくもまあ、暴れてくださったものだ」
サリューは真っ赤になった。
「ごめんなさい。ぼく、小さい頃から、かっとなると、こんななんです」
うなだれる少年にローレシア王は笑いかけた。
「もう少し修行を積めば、呪文という型に添わせてこの力を発揮することができるようになるだろう。サーリュージュ殿下、息子はあなたを仲間にするための旅に出たまま、まだもどってはおりませんぞ」
サリューはがっかりしたようだった。
「じゃあ、ぼく、どこかでロイを追い越してしまったんですね」
「殿下は、息子に合流するために追いかけていらしたのか?」
こくん、とサリューはうなずいた。
「そうです。ぼくは、ロイといっしょに行きます」
「よろしいのか、“勇者の盾”よ」
サリューは遠縁に当たる王を見上げた。
「ぼくは勇者としての責任には興味がありません。ただ、ロイといっしょに行きたいんです」
「そうか」
王は片手を挙げ、サリューの額にかざした。
「ローレシア王の祝福を殿下に。あわせて精霊の御加護のありますように」
初めてサリューは笑った。
「ありがとうございます。ぼく、一度帰ります。でも、きっとロイを見つけますから」
「息子をよろしく頼みましたぞ」
「はい、陛下」

 なんとなく、いつもと違う。一歩城に足を踏み入れたときロイはそう思った。
 石の床が水浸しになっている。先祖伝来の大切にされている甲冑がばらばらになってころがっている。貴重品のろうそくが何本も撒き散らされ、色ガラスの破片がどっさり落ちている。なんとなく、台風が吹き荒れて、そして去った直後のような雰囲気だった。
 城のメイドや兵士たちが総出で片づけをしている。忙しそうなのでロイは一人で大階段を上がっていった。二階、謁見の間の、玉座にいる父親にロイは話しかけた。
「今日は大掃除か?」
王は珍しく口元をほころばせた。
「ちょっと乱暴な客が来たのでな」
いつも父にへばりついている公爵やらその取り巻きやらの姿が見えない。別に会いたいわけではなかったので、特にロイは聞かなかった。
「まあいいや。サマルトリアの王子がこっちへこなかったか?」
「おお。お見えになったぞ」
「まさか、乱暴な客って」
「まだ、ちと、魔法力の制御が難しいようだ。王子はさきほど見えて、おまえがいないのでがっかりされていた」
「おれだってがっかりしたよ。また入れ違いか」
「おまえを途中で追い越したらしい、と言っておいでだった。おまえ、どこにいたのだ?」
「いい機会だと思って、南のほうへ行ってみたんだ」
「鍵の長老殿と会ったか」
「ああ。いろいろ聞かせてもらった」
ごき、と音を立ててロイは首を回した。
「こうしちゃ、いられねえ。それで、やつは?」
「一度帰ると言っておられたから、サマルトリアだろう」
「やれやれ」
いつまで逃げ回るつもりだ、とロイは思い、ひそかにためいきをついた。

 ポーリーは大きく手を振った。草原の向こうで手を振り返す人影があった。
「坊やが帰ってきたみたいだな」
「ああ、そうらしいね」
キャラバンのメンバーは、期待して目を凝らした。が、どうやらマール少年は、一人だけのようだった。
「ただいま!」
「あの兄ちゃん……ロイアル王子はどした?」
走ってくるマールが速度を落とした。
「お留守だった」
 ため息のようなものがあちこちでもれた。
「どこか、行っちまったか」
「勇者様だからね。いろいろ御用があるんだろうよ」
ポーリーも、ちょっと気持ちが沈んだ。
「妙な別れ方をしちまったからな。挨拶のしようもないんだが、もう一回、顔だけでも見たかった」
ポーリーは、あの不器用な若い戦士が気に入っていた。
「詩人の坊や、これから、どうするんだね」
ポーリーは聞いた。頼りなげな表情でマールは聞き帰した。
「ぼく、ロイに会いたいんだけど、どうすればいいかな?」
「もし、あの兄ちゃんを探すあてがないんだったら、キャラバンといっしょにリリザへ行かないか。あそこは、出会いの町だよ」
軽く首をかしげたが、マールはうなずいた。
「うん、ぼくも行きます」