きみとリリザで 8.キャラバン・孤独

 遠くの砂丘の上に、星が流れて落ちた。
「聞いてる、アム?」
「ええ、まあね。要するに、バカも上には上がいるってことね」
「素直じゃないんだから」
「なによ!」
「まあまあ。で、問題は、その後だったんだ。ムーンブルグの事件のことを、誰がロイに教えたか、知ってる?」

 腹の虫が鳴り始めた。ロナウドのバカ野郎、どうして飯前に来る!胸の中でロイはひとしきり罵った。
 いい匂いがしてきたのはそのときだった。
「ごはん、持ってきたよ」
顔を上げると、マールがいた。手に串刺しにした肉の焼いたのと大きなパンの塊をもっていた。
 ふん、とロイはつぶやいて手を出した。マールは並んで大木の根元に座り込み、串を手渡した。
「今、パンをあげるね。はい、半分こ」
ロイは思わずマールの顔を見た。
「おれといっしょにメシだなんて、おまえ、貧乏くじをひいたな。どうせキャラバンの連中に押し付けられたんだろ?別にいっしょにいなくていいぞ」
 焚き火は少し遠くにあるが、揺らぐ炎が二人の座っているあたりをときどき明るく照らした。後ろのほうで、二つの影がそろって揺れた。ぱちぱち、と炎のはぜる音に、キャラバンの人々の声や物音が混じった。
「バカにしないでよ。ぼくは、自分から来たんだ」
そう言ってマールは、はわわわ、と口をせいいっぱい開け、串焼きにかぶりついた。
「おまえ、おれのこと嫌いなんだろ?」
「うん。嫌い。でも、わかんない。君、勇者なんでしょ?」
ロイは答えようがなくて黙っていた。
「ローレシアの王子は、代々勇者候補だって。今の国王の一人息子が、勇者としての責任を果たすために旅に出たって。ぼくはそう聞いたよ」
「そのへんは、まあ、正しいな」
 腹の虫が、手に持ったパンを要求している。ロイもアリサ自慢の丸パンにかじりついた。カリカリした皮と、ふっくらして塩気をふくんだ中身がおいしかった。
「なんで、旅に出たの?」
「親父がおれを出したからさ」
「じゃあ、お父さんの王様が行くなっていったら、旅に出なかった?」
ロイはすぐに答えた。
「いいや。どっちみちおれは、城の外へ出るつもりだった」
「ぼくは」
とマールは言った。
「もしぼくが王子様だったら、恵まれた暮らしをそんなに簡単に捨てられないと思う。それに、家族だって、友達だって、いるでしょう」
「恵まれた暮らしか。ああ、安全は保障されていたし、食うのも困らなかった。家族は……親父か。同年代じゃなかったけど、友達って呼べるやつもいたな。でもおれは、もっと違うものが欲しかったんだと思う」
「なに、それ?快適で楽な暮らしに勝るものがある?君は一人で旅に出て、そして、死んじゃうかもしれないんだよ?」
ロイは串焼きを食い終わって、地面に串をそっとおいた。
「城での暮らしは楽だったけど、おれは孤独だったんだ」
「王子様なのに?」
「ま、いろいろあってな。おまえには、わかんないだろうな。誰とでも仲良くなれるんだから。おれが旅に出たのは、仲間のため、っていうのかな」
「えっ」
なぜかマールは赤くなった。
「な、仲間?」
「ああ。おれは、仲間を見つけたんだ。そいつのために旅に出た」
「そ、その仲間って」
ごそごそと袋をさぐると、ロイは戦場伝令使の籠手を取り出した。
「こいつさ」
マールは、きょとんとした目で見ていた。
「ムーンブルグの騒ぎは知ってるだろ?あの国からローレシアまで、一人の戦場伝令使がやってきた。それでローレシア人は大神官ハーゴンの所業を知ったんだ」
マールの目は、じっと籠手を見ていた。
「これ、スプレッド・ラーミア?」
「おう。吟遊詩人だけあって、よく知ってるな。今は枯れちまってるが、これは魔力を持つアイテムだった。戦場伝令使はこの籠手をつけることで、トヘロスとトラマナに守られるようになるんだ。でも、魔力の代わりに自分の命を費やすことになる」
「それじゃ、ずっとその籠手をつけていたら死んじゃうじゃない!」
「そうだ。事実、ムーンブルグの戦場伝令使は、ローレシア城内の玉座の前で息を引き取った」
「そんな……」
マールはロイの顔をにらみつけた。
「ひどいよ。籠手をつけた瞬間から死を宣告されるなんて。どうしてその人は、戦場伝令使なんか引き受けたの!」
「おれにもわからねえ。でも、ひとつ確かなことは、ムーンブルグからの使者は、今までおれの周りにはいなかった種類の人間だってことだ。おれはこいつが、“仲間”なのかもしれないと思った」
「だって、死んでるのに」
「それはまあ、そうだな。おれの、思い込みかもしれないな。けど、おれが旅に出た目的のひとつは、ムーンブルグの城か、せめてその跡地に、この籠手を埋めてやることなんだ」
「その後は?ローレシアに帰るの?」
「いや、ロンダルキアへ行き、大神官ハーゴンを討つ。それが本来の目的だ。戦場伝令使は、そのために来たんだから」
マールは奇妙な表情で笑った。
「なんだ、うまく丸め込まれちゃったんだね」
「なんだって?」
「戦場伝令使が来る。君がその気になる。そして勇者は旅に出る。ほら、大誓約の、いっちょあがりだ。ルビス様も、うまいよね!」
ロイは答えかねて黙っていた。
「どうしたの、くやしくないの?」
くやしがっているのは、おまえのほうだ、とロイは思った。顔が真っ赤になり、拳を握り締めている。
「別に?」
いきなりマールは立ち上がった。
「そんなはず、ないよ!」
「うるさいやつだな。何もおまえに、ロンダルキアまでいっしょに来いなんて言ってないだろ?」
とたんにマールは真っ赤になった。そして、身を翻して走り去ろうとした。
「待てよ」
「まだ何か用なの!?」
悲鳴のような返事が返ってきた。マールの背中に向かって、ロイは聞いた。
「この間の戦闘のとき、ホイミをかけたのは、おまえか?」
ぎくりとして、そして一呼吸置いて、マールは、うん、と言った。
「借りができたな。それだけだ」
何も言わずにマールは歩いていった。

 夜明けと同時に、キャラバンは目覚めた。マールはその前の夜、なかなか寝付けなかった。いっしょに来なくていい、ってことは、ぼく、解放されたってことなのかな……?だが、“マール”は、考え込んでいるうちに、眠ってしまったらしかった。
 朝が来たときにはもう、ロイはいなかった。
「明け方に出て行ったらしいよ」
朝食の支度をしながらアリサがそう言った。キャラバンの者たちは、今朝はみんな、言葉が少なかった。
「ちょっとよそへまわって、それからローレシアへ行くって言ってた」
ロイはお父さんの王様に言うのだろうか、と、マールは考えた。
「サマルトリアの王子はあてになりませんので、一人でロンダルキアへ参ります」
小さい頃から押し付けられていた“勇者の盾”役を免除されて、もっとさばさばしてもいいはずだと思うのに、なんとなく“マール”の気分は晴れなかった。
 リリザを目指して、キャラバンは動き出した。
 急にキャラバンの動きが遅くなったのは、その日の昼すぎだった。もう少しでリリザが見えてこようかというあたりだった。一号馬車のガレスが身を乗り出し、外の誰かと話をしていたかと思うと、突然、マールを呼んだ。
「おい、詩人の坊や」
「え、あ、ぼく?」
「あんたのくま、帰ってきたってよ」
「サリーアンがっ?」
マールは馬車から飛び出した。
 そこは街道の脇だった。ポーリーのキャラバンと別のキャラバンが並んで駐車している。ポーリーが手に持っているのは、まぎれもなくサリーアンだった。
「これ、坊ちゃんのかい?」
すこし泥がついて汚れているが、手も足も目玉も無事についている。マールは喜んでくまを抱き上げた。
「これです、ありがとう!」
そう言って、別のキャラバンの男を見上げた。
「あなたが見つけてくれたんですか?」
その男は肩をすくめた。
「いやあ。言っちゃ悪いが、そこまで暇じゃないんでね。勇者の泉の洞窟の近くの川にいたとき、旅人がキャラバンに立ち寄って、これを預けていったんだよ」
「え」
「あんたの知り合いじゃないのかい?あんたぐらいの年齢の、黒い髪の若い旅人だったんだが」
何を思ったのか、男はくすくすと笑い出した。
「なんだか愛想のねえ兄ちゃんでよ。“ここからリリザのほうに行くとポーリーのキャラバンていうのがいるから、そこにこのくまを届けてくれ”って言うんだよ。でも片手にそのかわいいクマちゃんを持ってちゃあ、せっかくのこわもてがだいなしでね。あっしゃ、おかしくてたまらなかったのさ」
その男は、しばらく思い出し笑いをしていた。
「もしあんたがマールさんなら、伝言も言付かってるよ」
「ぼくがマールです。彼は、なんて?」
「“借りは返した”って」
あのホイミのことだ、とマールは気づいた。
「まさか、ロイが?」
ポーリーが口を挟んだ。
「ロイさん、いや、王子しかいないだろう。おれたちがあんたの荷物をなくしたのを気にしてたんで、探しに行ってくれたらしいな」
「そんなの、あの人らしくないよ」
「あの兄ちゃん、じゃなくて王子なんだが、どうしても兄ちゃんて言っちまう。あの兄ちゃんは、優しいよ。お人よしで、さびしがりやで、不器用で、照れ屋で。そんなこと、知ってるんじゃないのかい、詩人さん」
「ぼくは」
マールは反論しようとして言葉が出なかった。昨日ロイが言っていたことを、思い出したのだった。
 命を賭してやってきた戦場伝令使のために、たった一人で旅に出た。それが“お人よしで優しい”のでなくて、なんだろう。
「ぼく、うん、そうだ……知ってました」
マールの正体をたぶん知っていたのに、いっしょに来いとは言わないで、また一人きりで行ってしまった。
 一人で行く以外、しかたなかっただろう。ぼくさえも、彼を見捨てたのだから。精霊ルビスが、そして勇者ロトが約束した魔法戦士、同じ血をわかちあう者が勇者を見捨てたのだから。
 “マール”は、ぎゅっとくまのサリーアンを抱きしめた。
「あの人、死ぬ気だ」
ポーリーがぎょっとした顔になった。
「おいおい、穏やかじゃないな」
涙腺が熱くなるのがわかった。目をサリーアンに押し付けて、マールはつぶやいた。
「だめだ。そんなの。一人でなんて、行かせられない。ロンダルキアじゃ、吹く風さえ凍りつくんだ」
「詩人さん?」
「自分が一番かわいそうだと思っていたなんて。本当に孤独だったのは君だ。ぼくも行く。いっしょに、行ったげる」
「どこへ行くって?」
「ロイのとこ。寄り道って、きっと勇者の泉の洞窟のことだ。それからロイは、ローレシアへ向かってるって、アリサが言ってた」
ポーリーはめんくらったようだった。
「ああ、昨日確かにローレシアへ行くって聞いたけど……」
「ぼくも行きます。ポーリーさん、お世話になりました!」
「あ、ああ」
サリーアンを抱いたまま走り出そうとして、マールは足を止め、ふりむいた。
「あの、ローレシアって、どっちですか?」
ポーリーは、やれやれ、と首を振った。
「しょうがない、あの近くまで寄り道してあげよう」
「ありがとうっ」
すごくうれしくて、マールは笑った。ポーリーはまるでまぶしいものを見るような目つきになった。