きみとリリザで 2.旅立ちのローレシア

 澄んだ泉の水は炎暑に苦しんだ体に心地よかった。が、人間関係の悩みは、また別物だった。
「そのうっとおしいガキが、ああいうふうに育ったのね。さぞ大騒ぎして、自信過剰で旅立ったんじゃないかしら」
 意外なことに、サリューは王女を軽くたしなめる口調だった。
「ロイはロイでいろいろあったんだよ」

 精霊への祈りの文句は、あと少し。わずかな参列者たちも、速く終わればよいと思っているのではないか。
 先ほどから絶え間なく釘を打つ音が響いてくる。兵士たちは丸太を運び、土嚢をつみ、城門を狭くしているのだ。いらだったような声や不安そうなつぶやきが、城内の礼拝堂まで聞こえてくる。
 こんなにあわただしい弔いも珍しい。神父は心の片隅で死者に詫びた。
「自らの使命を貫きし伝令使よ、安らかに憩え」
 本来、縁もゆかりもないこの外国人を、ローレシア城内礼拝堂で弔うことになったのは、国王の一存だった。威厳はあるが、めったに自己主張をせず、何事も合議で決定することが多い王にしては珍しく、この葬いを行うことを独断で決めたのだった。命に代えて急報をもたらしたこの兵士には、神父も憐憫の情を惜しまない。しかし、時が悪い、と神父は思った。
 大神官ハーゴン立てり。ムーンブルグ壊滅。
 ほかならぬこの男のもたらした知らせにより、ローレシアは久々の戦闘態勢へ突入したのである。
 葬送の作法の通り、王は香炉を棺の傍らに置いた。参列者たちはひとりひとり香炉をかかげて別れの言葉を使者に告げた。作法に従えば、参列者の中で喪主の次に位置する者、たいていは友人の代表が、最後に香炉の火を消して儀式は終了する。
 神父は、ちょっとした好奇心をもって、王のそばに立つ人物を見守った。王太子、ロイアル殿下だった。今年16歳になる。黒髪は父親譲りだが、周囲に協調して国を治めるタイプの父王と違い、王子は無愛想で気難しい性質だった。 だが、濃い色の瞳は夜明けの海のように澄んで、神父はいつも、この王子を産んでまもなく世を去った優しく美しかった王妃を思い出すのだった。
 神父には、王子の容姿よりも気になることがあった。ロト三国の王族は、代々魔法力をもって生まれてくる。実際神父は、国王やその妹である公爵夫人が、遠くから手も触れずに扉を開けたり、ロウソクに火をつけたりするのを見たことがあった。
 同じことをロイアル王子ができるかどうか。
 王子は動かなかった。
「ぼくが、代わりましょうか、殿下?」
 隣にいた、ロナウド公子が聞いた。丁寧な口調だったが、ロイアルをどこか軽んじている、あるいは、哀れんでいる気配は隠せなかった。神父は急いで目をそらせた。噂は本当だったらしい。ロイアル王子には、一片の魔力も受け継がれてないらしい。いつも無口で、宮廷のつきあいを好まず、教育係のセドラー武官と二人、野山に出ることのほうが多いのもそのせいか、と神父は納得した。痛ましいような気がした。
 そのとき、王子が動いた。つかつかと棺に寄ると、目の前に持ち上げて炎を吹き消した。
「これでいいんだろう?」
 実際、民間の葬儀では、これが普通である。神父は一礼した。ロナウド公子は、ふんとつぶやいた。

 戦場伝令使の棺が運び出されるときセドラーは敬礼で見送った。立派な人物だったと思う。セドラーと、セドラーが教育係を勤めるロイアル王子と二人で、彼を城内へつれてくることができたのは光栄なことだっだと感じていた。
 葬儀が終わり国王たち参列者が城内の礼拝堂から出てきた。礼拝堂の外では、王の妹である公爵夫人やその夫の公爵、取り巻きの騎士たちが、いらいらしたようすで待っていた。
「やっと、大事なご相談ができますな!」
公爵は国王の従兄弟で、昔から強気で遠慮のない性格の人だった。
「ご苦労なことではあったが、死人は死人。今度は、防衛計画のことを考えなくてはなりません」
 セドラーはむっとしたが、王はそうだな、と言い、特別とがめもせず、一行は自然に玉座のある部屋へ向かった。
 公爵の言葉にも、一理あった。
 今、城は不安のなかで守りを固めている。城壁を厚く、高くし、城門を狭くする。食糧を各地から調達して、城内へ収める。臨時の徴兵を行い、予備役までも動員して、守備力を強化する。
 今頃は、王国各地の街道に簡単な砦をいくつも築き、検問を実施して不審者の侵入防止につとめているはずだった。
 城内の者は、たとえば神父なら、礼拝堂付属の自分の居住区を守らなくてはならない。町の中へ家族を残すか、疎開させるか。大事な家財はどう守るか。 商家や職人などは、場合によっては商売にならなくなる。
 国中がぴりぴりしている。戦闘態勢への移行は、国にとって一大事なのだった。しかも、いつまでかかるかわからない。息を殺し、ロンダルキアを見つめ、緊張して待つ。これから苦しい年月が待っているはずだった。
 王を中心とする一団に、公爵は長男のロナウド公子を手でまねいた。同じ一団から、ロイアル王子が分かれていこうとした。
「待ちなさい」
王は一人息子を目で促して、いっしょに来るようにと告げた。セドラーはそっと王子について玉座の間へ入った。
「ロイアル、あれを」
玉座の間におかれた大きな卓の上に、王子は戦場伝令使から手渡された籠手を置いた。色は濁った茶色に変わり、輝いていた紋章も光を失ってしまっている。
「これが、何か?」
いらついたようすを隠しもせずに、公爵が尋ねた。
「公爵も、御覧になったはず。これは、魔力を持ったアイテムだ」
公爵は沈黙した。
「この世界から精霊ルビスの加護が失われ、冬の時代が来たと言われるようになってすでに久しい。伝説的なアイテムから魔力が薄れていき、精霊ルビスの神託を聞き取る力のある僧侶はいなくなった。そもそも魔法力を持った人間が少なくなったのだ。今では王家に、細々と生まれるだけだ」
公爵夫人が小さくうなずいた。王族の姫に生まれたことは彼女の誇りだった。そして、彼女の息子ロナウドが魔法力を受け継ぎ、兄王の王子ロイアルがMP0で生まれてきたことを夫人は忘れたことがなく、周囲にも見せ付け続けてきた。
「しかし、見よ。ルビス様は、いまだに世界をお見捨てになってはおられなかった。このアイテムがその証拠だ。ルビス様のご意志に、沿わなくてはなるまい。世界を、救おう」
公爵たちはいろめきたった。
「馬鹿なことを!わが国を守るのがせいいっぱいです。ロンダルキアまで進軍させる余裕がどこにありましょうか」
「軍を派遣する必要はない。相手は、大魔王問答にうたわれるほどの巨大な悪だ。武装した騎士などいてもいなくても同じことだろう」
「それでは」
「勇者を遣わす。勇者とは、そのために生まれる者だ」
公爵夫人が顔色を変えた。
「まさか私のロナウドをお遣わしになるおつもりではありませんわね、兄上様!」
若い公子はけなげなようすで進み出た。
「母上、どうかお静まりください。もし叔父上が私をご指名になるのであれば、喜んで従うつもりでございます」
 セドラーは鼻を鳴らした。このロナウド公子が、セドラーは嫌いだった。たしかに剣の腕は立つし、適当に頭が切れ、万事器用に物事をこなす。貴族の中には、次期国王になることを見越して、ちやほやする者さえいた。だが、セドラーに言わせれば、決定的に何かが欠けていた。昔かたぎと言わば言え、ロナウドには、武士の情けがないのである。
 そのかわり自信過剰は母親譲りだった。
「このロナウドは、精霊女神に捧げたものとお考えになって、あきらめてくださいませ」
「ああっ、わたくしのかわいい坊や」
悲劇的な口調で公爵夫人は息子にすがった。
「やらせません。この母がなんとしても、やらせるものですか!ねえ、あなた」
公爵は深くうなずいた。
「私からも、お願い申し上げます。ロナウドは当家の跡取り。このたびの防衛戦では、サマルトリア方面の将軍にと、せがれをあてにしておりました。どうか、ロナウドは残してくださいませ」
たしかにロナウドなら16歳の若さで将軍にすえてもまわりが気をつければなんとか勤まるだろうとは思ったが、しかしそんな人事を、いつ、誰が決めた!セドラーは苦々しくてたまらなかった。
 王は軽くせきばらいをした。
「妹よ、そして、親愛なる公爵。諸君の心配を払うことができるのは、私の喜びとするところだ」
勝気な妹と違い、いつも物静かで凡庸にさえ見える王の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
「精霊ルビスが選ばれたのは、ロナウドではなく、ロイアルなのだから」
はっとした顔で、ロイアルは顔を上げた。
「そんな!」
まるで、ひどい侮辱を受けたかのように、公爵夫人の顔が赤くなった。
「あたくしは……ま、まあ、ロイアル殿下ですって?」
隣でロナウド公子が硬直している。こんなときだったが、セドラーはつい、にやりとした。ロナウドの顔が近来にない見ものだった。
「お、お気の毒な王子が、勇者ですって?生まれつき、王家の特別な感覚に欠けておられるのに……まるで、盲いの者に旅を強いるようなものですわ」
 今度は、ロイアル王子が顔をこわばらせる番だった。父王や叔母、従兄弟たちにはなんなく見える亡霊やもののけが、ロイアルにはまったく見えないことをセドラーは知っていた。
 だが、沈着冷静な声で王はさえぎった。
「それでも行かなくてはならないのが勇者というものであろうよ。それに、おまえの大好きな超感覚については、まったく問題ない。同行者がいる」
公爵夫人はとげとげしい笑い声をたてた。
「まるで、伝説のアリアハンの王様のようですわねえ。城下の酒場へ行けば、魔法力に秀でた冒険者がごろごろしているんでしょ!」
涼しい顔で、王は答えた。
「いやいや、この冬の時代に、さすがにそのようなことはない。だが、北のサマルトリアに一人、魔法戦士がいる」
王は真顔になった。
「サーリュージュ・マールゲム・オブ・サマルトリア。あの国の王位継承者、つまり、大誓約を負う者の一人だ。たしかロイアルと同い年だ。あの国もわが国と同じく魔力の枯渇は激しいのだが、まるで残されたすべてを注ぎ込まれたかのような魔力に優れた王子だと聞いている」
ロナウドは顔をしかめた。いつもはとりすましている二枚目顔が、卑しくゆがんでいた。
「噂だけではないのですか?」
「ほかならぬサマルトリア王から聞いた話なので、まちがいはなかろう。またムーンブルグは、古来から魔法の研究のさかんな王国だ。今の国王の姫は、われわれには考えも及ばないほどの力をもっているそうだ。ただし、王も王女も、生死のほどは不明だが」
公爵夫人はまだ不服そうに、何か言おうとした。そのとき、夫の公爵が片手を妻の肩に置いた。
「御意である。黙って殿下をお出ししよう、な、おまえ?」
意味ありげに、息子ロナウドのほうを見た。公爵一家三人の視線が交錯し、いっせいにロイアルの上に注がれた。
 セドラーは歯軋りをやっと抑えた。ロイアルが国外で死亡すれば、ロナウドの王位継承への道が一気に開かれるのは目に見えている。
「そうねえ、兄陛下のご意志ですものね」
「御武運に恵まれますように、殿下」
侮りと哀れみの視線の中で、ロイアルは身を硬くして立ち尽くしていた。
「ロイアル」
必要以上に敏感な動作で、ロイアルは父である王にきっと視線を向けた。会議が始まってから、ロイアルは終始無言だった。
「従者や兵士などはつけてやることはできぬ。わが国の守りも大事なのだ。だが何か要るものがあれば、申し出るがよい」
「別に」
瞳には、若さの限りを尽くして自分自身を憎んでいる炎がゆれている。だが、あくまで口数少なく王子は答えた。
「路銀を少々。ほかは特に何もいらない。でも」
「なんなりと申せ」
「戦場伝令使の籠手を持っていっていいか?」
「もう魔力はないのだぞ?」
「わかってる」

 ローレシア城は、何世代も前に勇者アレフの築いた城である。アレフとローラはここから自分たちの王国を作り上げ、この城で生を終えた。
 城は数百年の間王国を守り通し、いまではまるで岩から生えているもののようにどっしりと丘の上に屹立していた。
 旅立ちの朝、ロイは城門の前で一度足を止め、振り向いた。誰もいなかった。 王城の上の国旗は風にはためいている。明け方にふさわしい、冷涼とした大気だった。見送りの騒ぎがいやで、わざとこんな夜明けに城を出ることにしたのだった。それで正解だったとロイは思った。
 視線を感じてロイは顔を上げた。風雪に耐えた灰色の石を積み上げた無骨な塔の上に小さな窓があった。顔を出すものはいなかった。ロイは苦笑した。そこは父の居室だった。ロイは軽い荷物を肩にゆすりあげて歩き出した。
 夜明けはやっと訪れたばかりだった。寝ぼけ眼の歩哨がひとり、ロイに気づいてぎょっとしたように姿勢を正す。あわてて隣にいた同僚を起こそうとするのを手でとめて、ロイは町の門をくぐった。石畳に靴音がやけに響いた。
 城下町まだ眠りの中にある。あと少ししたら、あちこちの家で炊事の煙があがり、人々が起きて動き出すのだろう。
 朝日は後ろから来る。町の外壁の門をくぐり、なだらかな丘をくだっていく。畑はすぐにとぎれ、荒地となり、海岸が現れた。ローレシアは海沿いの町だった。朝の早い漁師たちに背を向け、ロイは一人、海岸の道を西へたどった。
 子供の頃から聞きなれた潮騒がする。単調なリズムで波が打ち寄せる。真夏とは思えない、涼しい風が海からふきつけてきた。
 海岸には誰もいなかった。ふりむいても、自分の足跡が広い砂浜に点々とついているばかり。
 はっ、とロイは自分を笑った。
「生まれてからずっと、おれは一人だったじゃないか」
一番信頼していたセドラーでさえ、ロイと立場を交換することはできないのだ。
 沖にはかもめの群れが来て、高い声で鳴いていた。のぼったばかりの朝日が波頭をきらびやかに飾る。ロイはしばらく立ち止まって、寂寥の情景を目に焼き付けた。
「意地でも帰ってきてやる」
内心、本当は、さようなら、のほうがふさわしいかもしれない、と思った。