きみとリリザで 7.キャラバン・従兄弟

「長老様のおっしゃったことって?」
「それはあとで話すよ。とにかく、そのあと、野宿をすることになったんだ。ちょっとした事件があってね。ロイ、けっこう、かっこよかったんだよ」
「かっこ……あたし別に、興味ないわ!」
「聞きたいって意味だね?じゃ、話してあげる」

 それは、このあたりでキャラバンが野宿をするときいつも使う空き地だった。少し行ったところに小さな泉があり、馬車三台を収容できる広さがある。中央で火を燃やしたあとがあった。
 馬の世話をする者、水を汲みに行く者、薪を集める者、キャンプのしたくは、手分けをして行う。
 蓄えていた食糧を出してきて、燃えるたき火のまわりに車座になってすわり、みんなでにぎやかに食べるのは、なかなか楽しいのだった。夏の夕暮れは空も美しく、日中の炎暑が薄らいで、涼しく、過ごしやすくなっている。キャラバン全体が、どこかうきうきしていた。
「マール君、泣かないでね?」
「いっしょにお料理しようよ」
「一番にお味見させてあげる」
こくんとマールはうなずいた。さきほどまで消えてしまったサリーアン(ぬいぐるみ)のために、片隅にすわりこみ、服の袖で涙を拭いていたのだった。
 事情を聞いたキャラバンの女の子たちは、ぬいぐるみがなくなった一件を大いに同情してくれた。マールはすこし気分がよくなり、すっかり仲良くなった子たちといっしょに、料理の下準備を手伝っていた。あのロイさえ、火のまわりに敷物をおいて、座るところを作るのを手伝っている。
 けたたましいひづめの音が聞こえてきたのは、そんなときだった。
「なんだ、いったい?」
一行に加わっていた猟師が、さすがにまっさきに気づいた。
「おい、リーダー。ポーリーさん。馬に乗った、えらいさんが来るぞ」
「なんだと?」
 ついにひづめの主が夏の闇の中から姿を現した。黒い馬に乗り、鎖帷子を装備した戦士だった。鎖帷子を被う袖なしのコートは明るい青。胸に大きく、翼を広げた霊鳥 とその上に斜めに細く金の帯を置く図形を描いていた。
「ローレシア人だぜ」
ガレスがささやいた。マールは思わずロイのほうを横目で見守った。ロイは、馬車の陰に入って、騎士のほうに目を配っているようだった。
「こんばんは、だんな」
気さくな調子でポーリーは話しかけた。
「おまえたちはキャラバンだな」
「へい。リリザへ行く途中の、野宿ですが」
騎士は事務的な口調で告げた。
「撤収してくれ。ここは、ローレシアのロナウド公子がお使いになる」
キャラバンの者たちはざわめいた。
「待ってくださいよ。ここはずっと前からキャラバンが使っていいって、黙認されていたところなんだ」
「黙認は正式なものではない」
「それにしたって、ここはローレシアとサマルトリアの中間ですよ。勝手にローレシアのお人が陣地を張っていいんですかい?」
「非常事態なのだ。さあ、出て行け」
「そうだ、ねえ、水場をいっしょに使うっていうのはどうです?あちらの森の中にも、野宿のできる場所はあるでしょ?」
「もちろん、われわれはそうするが、公子はここをお望みである」
 がさがさと音を立てて、鎖帷子をつけた戦士たちが木立の中からやってきた。 中央に、一行のリーダーらしい若者がいた。この人がロナウド公子らしい、とマールは思った。
 一人だけかぶとをつけず、装備が贅沢で、ぴかぴかの新品である。まわりの年長の戦士たちが、いかにもへいこらして見えた。
「なんだ、まだいるじゃないか」
いらついたような口調で公子は言った。
「申し訳ありません」
最初に馬で来た男が、うってかわって丁寧に言う。
「追い立てろ」
「いえ、できれば、穏便に」
「無用だ。こいつらはよそ者だ。遠慮することはない」
ポーリーが立ち上がった。
「どこの若様だか知らないが、まわりの旦那方なんとか言ってやってくださいよ。キャラバンが領地を通るのはローレシアでもサマルトリアでも代々お許しいただいてることじゃないですか。このお坊ちゃんの了見ひとつで追い出せるもんなんですか、え?」
年長の戦士たちはお互いの顔を見合わせたが、何も言わなかった。
「なんだ、なんだ、だらしねえ。非常事態だっていうのをダシにして、サマルトリアのほうまで国境広げて手柄にしようっていうんでしょう。火事場泥棒はいけませんよ」
「うるさいぞ、おい、舌を切り落としてやれ!」
ロナウドは叫んだが、戦士たちは恥じ入るようにうつむいた。そのようすも、ロナウドのカンに障ったようだった。いきなり腰から剣を引き抜くと、ポーリーの胸につきつけた。キャラバンの中から悲鳴がわきあがった。
 長い付き合いのキャラバン仲間が、包丁やこん棒を手にして、ポーリーの後ろに集まってきていた。
 マールは小声で話しかけた。
「このままだと、ケンカになっちゃうよ?そしたら、ケガするかも。ポーリーさん、やめなよ」
 だが、ポーリーは目が半分すわっていた。
「巻き添え食わないように下がってな、詩人さん。こういう世間をなめてるような若造には誰かがガツンと言ってやんなくちゃならねえんだ。いいかい坊ちゃん、若いときに楽することばっかり考えてると、ろくな大人にならねえよ?」
「きさまっ!」
 そのとき、誰かがぱちぱち、と間延びのした拍手をした。
 キャラバンの仲間たちをかきわけるようにしてロイが出てきた。
「見直したぜ、ポーリー。いいぞ、もっと言ってやれ」
「よーっ、やっとうちのエースのお出ましだ。この若様の人斬り包丁、なんとかしてくださいよ」
ロイは大きな剣を抜き放った。一気に緊張が高まった。
「キャラバンの傭兵ごときが、公爵家の長子に剣を向けて無事で済むと思っているのか!」
尊大な口調でロナウドは言った。
「そのセリフ、そっくり返すぜ、従兄弟どの」
大剣を片手でホールドしてロナウドに向け、反対の手でゴーグルつきのレザーヘルメットを取る。ロイは焚き火の明かりに自分の顔をさらした。
 ローレシアの戦士たちが大きくどよめき、ロナウドは真っ青になった。
 ロイこと、ロイアル王子と、ロナウド公子、従兄弟どうしの二人が、かなり似ていることにマールは気づいた。こんなふうにぴかぴかのかっこうをすれば、ロイはきっととても立派な若い貴公子に見えるはず。ちょっとした驚きだった。
「王子殿下……」
ローレシアの戦士の中で最年長らしい男が、おそるおそる声をかけた。
「どうか、その」
ロイは言った。
「ひとつ聞きたい。ここまで前線を移動させるというのは、公爵の考えか、それとも、このボケが独断でやったことか?」
ロナウドは真っ赤になった。
「もちろん……」
年長の戦士が、みなまで言わせなかった。
「公子のお考えです。公爵様はあずかり知らぬことにて」
「では、そういうことにしておいてやろう」
ロイの剣先が下がった。
「おまえら、こいつのお守りはしっかりやってくれよ。こんな時期だっていうのにサマルトリアとローレシアの間に波風立たすんじゃない」
戦士たちはいっせいに頭を下げた。
「かしこまりました」
すっかりガキ扱いのロナウドは、赤くなったりふるえたりして忙しかった。
「よくも、きさま」
ロイがちら、とロナウドのほうを見た。
「さっさと帰れ」
「ああ、帰るさ」
歯軋りしながらロナウドが答えた。
「ローレシアへ帰って、大声で言ってやろう。ロイアル殿下が、サマルトリアの国境でうろうろしていたってな。なんだ、とっくにロンダルキアへお出かけかと思っていたら、こんなところで油を売っていたのか!」
 ロイの表情がこわばった。それを見てロナウドの顔が醜い喜びに輝いた。
「これは失礼!殿下だって人の子だ。怖いもんは怖いはずですな。魔法力を持っていないばかりか、剣術の腕前だって」
ロナウドはくく、と笑った。
「先日の試合は楽しかったな!ご自慢のその剣、かすりもしなかったぞ。泥臭い素振りをどんなに重ねても、マヌーサひとつで」
「おい、おまえたち!」
たまりかねたようにロイが叫んだ。
「若様が大事なら、さっさとつれて帰れ!」
戦士たちは飛び上がるようにしてロナウドを絡め取った。
「はなせ、おまえら、いいかロイアル、おまえが野垂れ死にすれば、どんなにせいせい……」
まだ口汚くののしりながら、ロナウドは引きずられていった。
 ロイは黙ったまま、そこに立っていた。
 歯を食いしばり、きつい目でロナウドをにらみつけていた表情が、変化していく。
 肩が落ち、視線がふと泳いで、ぎゅっと目を閉じた。口元が少し震えている。彼、ロイでなかったら、まるで泣き出したいのではないかと思えるような表情だった。
 その唇に、苦い笑いが浮かんだ。
 ロイは剣を鞘に収めた。
 おそるおそるポーリーが声を掛けた。
「あんた、ローレシアの王子様だったのか?」
ロイは背を向けて答えた。
「ああ」
ごく、とポーリーはつばを飲み込んだ。
「魔王退治のためにローレシアの王子が旅立った、という噂を聞いたんだが、本当だったのかい。あの、なんて言っていいのか、無礼なことを、あっしら……」
「気にしないでくれ!」
切り捨てるようにロイは言い放った。
「どっちみち、今夜でお別れだ」
 そういうと、一人片隅の木の根元へ行き、剣を抱くようにしてすわりこみ、あごを胸につけたかっこうで押し黙った。
 キャラバン全体がざわついた。が、あえてロイに声を掛けようとするものはいなかった。
 マールはキャラバンとロイを見比べて立ち尽くしていた。王子の身分に加えて精霊に選ばれた勇者の立場。近寄りがたいものがあるというのは、ずっとキャラバンに同行してきた今のマールにはよくわかった。
「だからって。ロイはこのキャラバンを守ってあげたのに。誰も“ありがとう”の一言もないなんて」
 ちょっと、ちょっと、とアリサが呼んだ。
「なんですか?」
「悪いんだけど、ごはん、持って行ってくれない?」
「え?」
周りを見ると、ポーリー、ガレスをはじめ、キャラバンの者たちが萎縮したようになっていた。
「詩人の坊やなら、相手が勇者様でも、ふだんどおりにつきあえるだろ?」
「みんな、なんとなく気まずいんだよ。代表してひとつ、感謝の気持ちを伝えてくれ」
「坊や、実はあのひとと一番仲良かったでしょ」
マールは驚いて目を見開いた。
「ぼくが?」
「なんていうか、あんたは人とうちとける天才なんだよ」
「そんなことないけど」
「あの人の分、持って行くだけでいいよ」
マールは樹の根元に一人うずくまるロイのほうを見て、心を決めた。
「ごはん、二人分ください」