きみとリリザで 3.ためらいのサマルトリア

 王女は泉から立ち上がった。用意しておいた布に、そっと皮膚の水分を吸い取らせる。国を失った流浪の王女にも砂漠の夜風は優しかった。
「MP0がどうしたっていうのよ。ロイはあたしが持ってないものを、たくさん持ってるじゃないの」
「それはぼくもそう思うんだけどね。で、とにかくロイは旅立ったわけ」
「そのころ、サリューはどこでどうしていたの?」

 キャラバンリーダーはあまりの惨状に顔をしかめた。
「おい、みんな、大丈夫か?」
ローレシア平原のど真ん中で化け物アリの大群に襲われて、キャラバンは必死でここまで逃げてきたのだった。
「ポーリーさん、3号馬車が、やばいです」
ちっ、とリーダーは舌打ちした。
「3号は一番新しいんだぞ。どうした?」
ポーリーは、ほかの馬車のメンバーといっしょに3号馬車へ駆けつけた。
「車輪のスポークが、ガタガタになってます」
「まいったな。ベースまで持たないか?」
3号馬車に乗っていた商人が、首を振った。
「いや、早く直したほうがいい。この状態で次にモンスターが出たら、走って逃げ出す途中で壊れちまうよ」
いやな沈黙が広がった。
「すまねえ。おれが、ふがいないばっかりに」
初老の男がつぶやいた。ポーリーは男の肩をそっとたたいた。
「やめ、やめ。そんなの気にしてると、傷が開くぞ」
その男、ガレスは、キャラバンを守る傭兵だった。キャラバンを背に一人で化け物アリの群れと戦い、アリのあごに体中噛み裂かれてぼろぼろになっている。
 ほかの商人たちが口々に言った。
「おいちゃんはよくやってくれたよ」
「すぐ馬車の中で養生させてやるからな。がんばってよ」
ポーリーは手をたたいた。
「さあ、みんな、手伝ってくれ。三号馬車からこの車輪をはずして、修理しよう。大工仕事のできるものは、みんな来てくれ」
キャラバン仲間は、おう、と叫んでこぶしをつきあげた。
 旅を共にする仲間は家族同然だった。このご時世に単独で旅をする者はまずいない。それだけ物騒になってきている。
 キャラバンは、弱い人間どうしが肩を寄せ合い、かばいあって進む大事な仲間だった。
 馬車の下に岩をあてがい、少し持ち上げるようにして車輪をはずした。もちろん男手を集めての力仕事である。ポーリー自身も、多少こういう応急手当のような修理の心得がある。時間はかかるが、大丈夫だろう、とポーリーは思った。
 そのとき、背後、斜めの方向から、奇妙な物音がした。大型犬のような大きさの巨大なアリだった。かさかさと音を立てこちらをうかがっている。
「冗談じゃないぜ」
商人たちは青ざめた。
「刺激するな。仲間を呼ばれるぞ」
ガレスが低い声で言った。
「みんな、馬車へ入れ。外にいるより、まだ安全だ。ゆっくり、そっと」
ポーリーたちは言われるままに馬車へ入った。
 アリの複眼がこちらをうかがい、前足が上がった。
 そのときだった。アリは急に注意をそらせた。別の旅人が草原の中を歩いてくる。青い服を着た黒髪の若い男のようだった。
 馬車を壊す手間をいやがったのか、アリはそちらの獲物を襲うことに決めたらしい。太い足をいっせいに動かして旅人に迫った。
「おい、そこの兄ちゃん、危ないぞ!」
ポーリーは思わず声を掛けた。その間にもアリは旅人の背後をとっている。声が聞こえたのか、旅人は歩き続けながら腰から剣を引き抜いた。
 急に旅人は片足を後ろに残し、前へ体を傾けた。化け物アリは大きく伸び上がった。鉄を噛み砕くというあごが、ぐっと開いていく。
 銅の剣を逆手に持ち替え、残した足を軸にして、旅人は半回転した。剣の切っ先がアリの頭部を貫いた。ぐぶぐぶぐぶ、という音を立ててアリは泡を吹き出した。
 旅人はいやそうな表情で、頭部から剣を引き抜いた。とたんに化け物アリは横倒しになり、少し痙攣して動かなくなった。
 ポーリーはあわてて馬車から飛び出した。
「おい、ほんとに死んでるぞ」
キャラバン仲間とガレスが後からやってきた。
「すげえな。一撃だ」
旅人は向き直ってまた歩き始めた。
「そこの兄ちゃん、待ちなよ」
 旅人は振り向いた。驚くほど若い。背は高いが、まだ子供のようだった。この年齢特有の、愛想のかけらもないような表情をしていた。
「今の、兄ちゃんがやっつけたんだろ?強いんだな」
「あのていどが、相手なら」
じろ、と若者はポーリーを見た。
「あんた、ローレシアのもんか?」
「いや、わしらは、キャラバンを組んで移動しているんだ。わしゃ、ポーリー」
なぜか若者は、ほっとしたようだった。親指で自分の胸を指して、ぽつりと名乗った。
「ロイ」
「ロイさん、あんたもしかして、リリザへ行くのじゃないのかい?」
「余計な詮索はよしてくれ」
予想以上の難物らしい。
「うちのキャラバンのベースがリリザの近くでね。あんた、うちのガードへ入ってくれないか?」
「ガード?」
ガレスが声を掛けた。
「キャラバンの用心棒さ。おれがつとめていたんだが見ての通りケガをしちまった。あんたがガードしてくれれば、キャラバンも無事にベースへ戻れるんだが」
ロイは、修理途中の馬車とガレスのようすを見比べていたが、肩をすくめて言った。
「リリザに着いたら、すぐに別れるぞ。おれはもっと、北へ行くんだ」
「やった!おいみんな、いい戦士が一人、入ってくれたよ」

 サマルトリア王は、自分と同じ血統につらなる若い王子を手招きした。
「ローレシアのロイアルと申します。こちらへおうかがいしたわけは、ご存知のはず」
周囲で大臣たちがざわめいた。
“あれが勇者殿か。若いな!”
“若いくせに、なんとまあ、居丈高な”
“厳しそうなお人だ”
 ロイアル王子は、ぴく、と眉を動かした。はしから一人づつ、まるで記憶に刻みつけるかのように、宮廷人たちの顔をじっと眺めていく。彼と視線を長く合わせていられる者はいなかった。
 攻撃的な態度はテリトリーを守る野良犬のようだとサマルトリア王は思った。
「どうか、お手柔らかに。ロイアル殿下」
ロイアルは視線を正面に戻した。
「いや、勇者ロイアル」
そう呼ばれたのは初めてだったらしい。ロイアルはまだなめらかなほほにさっと血の色をのぼらせた。
「みなのもの、席をはずしてくれ」
将軍は困ったような顔をした。
「しかしまだ防衛計画が」
「あとでじっくり話を聞こう。今は、わが国の守りよりも、もっと大切な使命について勇者殿と話し合わねばならんのだ」
文官の一人がおそるおそる口に出した。
「では、サリュー様を」
王は、その先を言うな、と目で合図した。文官たちはいっせいに頭を下げて、列を成して宮廷から退出していった。
 人払いを待ちきれないようすでロイアルは早口に言った。
「あらためて申し上げます。陛下、サーリュージュ殿をお借りしたい。お身柄をいただきにまいりました」
王は一本気な表情を眺め、やれやれと首を振った。
「子犬でも、もらいにおいでになったような口ぶりだな」
ロイアルは、むっとした顔になった。
「口下手なのは生まれつきです。勘弁してください。が、こうしなくてはならないことは陛下もサーリュージュ殿も知っているはずだ」
「いかにも」
王はため息をついた。
「あれは、勇者殿のお役に立つであろうよ。魔法の心得があるし、剣は少々修行をさせておいた」
「少々、ですか」
皮肉な口ぶりを感じ取って、王は苦笑した。
「むろんお国仕込みの剣術には及びもなかろうが」
答えに詰まったらしく、若者はまた赤くなって顔を背けた。
 この、純粋で、まっすぐな魂。このような状況でなかったらどれほど愛すべきものだったことか。サマルトリア王はもう一度ため息をついた。
「おれは……すいません、言い訳は下手だし、できない。あとは直接、サーリュージュ殿と話したい。どこにいるんですか?」
「あの子は」
王は言いよどんだ。
「ロイアル殿、勇者の泉をご存知か」
「昔一度、行った事があります」
「せがれはそこへ行っている。大事な旅立ちの前に身を清めて来いと私が申し付けたのだ」
「では、おれも追いかけます。失礼」
「待たれよ、ロイアル殿」
「まだ、何か」
「どうして旅立ったのかね?」
ロイアルは、面食らったようだった。
「……親父がおれを出すことに決めたから」
「きみが唯々諾々と人の言いなりになるとは考えにくいのだが」
ロイアルは、肩をすくめた。そんな仕草が、この気難しい若者に意外に似合った。
「滅びかけている世界でも、あの城よりはましだと思ったんだ。家を出る機会をここ5年ばかり狙っていたから」
「家出ならすぐにでもできたはずだね?」
「家出の理由なら捨てるほどあったけど、生きていく理由が見つかったのはつい最近だった」
ロイアルは首を振った。
「大丈夫。跡継ぎさんは、仕事が終わったら返す」
「その心配はあまり要るまいよ」
王は小さく首を振った。
「お引止めして悪かった。急がれよ」

 玉座の後ろのタペストリが揺れ、その陰から息子のサリューが顔を出した。
「もう、いい?」
「いいよ。おいで、サリュー」
サリューは、父のところへ降りてきた。
 今年、16歳。小さいころは母親に似たかわいい子供だったが、今は親の目から見ても、みめよい少年に育っていた。多少、柔弱な雰囲気は否めないし、色白で線が細く、戦士というより吟遊詩人のようだとよく言われるが、王はこの繊細な息子が不憫でもあり愛しくもあった。
 王はそっと息子の肩に手をかけた。
「サリュー、勇者殿をどう見た?」
「父上、ぼくは、あのひとが怖いです」
 まあ、そうだろう、と王は思った。蝶よ花よと育てられたサリューは、あんなにぶっきらぼうな言い方をする人間とはつきあったこともないはずだった。
「だがこのまま逃げ続けることはできまい。ロイアル殿は、泉におまえがいないとわかればここまで探しにおいでになるはずだ」
「わかっています。けど」
「どうしても、あの方には従えないか?」
長いまつげを伏せ紅の唇を引き結んで、サリューはじっと考え込んでいる。
「サリュー」
美しい緑の瞳が、まともに王の視線を捉えた。
 ローラの門を戦場伝令使が通ったという知らせが来て以来、この子があまり眠っていないことを王は知っていた。一晩中、目を見開き、寝台の上でじっと考え続けている、ときにはすすり泣きさえもらしている、と侍女たちが言っていた。
精霊ルビスの意志がどうあろうと、できるものならこの子を城の中にかくまっていてやりたかった。
 衣擦れの音がした。王は気配を感じてふりかえった。謁見の間の入り口に、王妃が立っていた。王妃は手を振って侍女たちを下がらせると、自分だけ夫と息子のところへやってきた。
「私の大事なサーリュージュ」
16歳のサリューの身長は、母をしのいでいた。が、額をそっと母の肩におしつけるようにする。自分によく似た長男を王妃は両袖を回して抱きしめた。
「さきほど、ロイアル殿がお見えになりましたよ」
「母上」
王妃は微笑んだ。
「少しいじめてしまいましたわ。私のかわいい子を連れて行こうとするなんて」
そして幼子にするように、そっと髪を撫でた。
「サリュー、迷っているのでしょう」
「はい」
「どうかしら、勇者の泉の長老に相談してみては?」
長老は、王妃の実父であり、王子にとっては祖父にあたる。
「おじいさまにですか?」
サリューは視線を父王へ向けた。王はうなずいた。
「いいだろう。私たちは立場上おまえを送り出すことしかできん。長老様なら、いろいろな見方を示してくださるだろうよ」