きみとリリザで 5.キャラバン・襲撃

くすくすくす、と王女は笑った。
「あなたが吟遊詩人で、“マール”ですって?」
「ミドルネームの“マールゲム”から取ったんだ。さっきの歌もそのとき教わったかな。歌だけじゃないよ。野営の仕方とか、料理とか、いろいろね」
「サリューはほんとうに人なつこいのね。でもロイはキャラバンで浮いてたんじゃないの?」

 大きなキノコは、串刺しにして焚き火であぶって、焼きめをつける。いい匂いがしてきたら、秘伝のソースの入った小さな壷にとぷんと浸して、食べるのだった。
「あ、あ、裂ける!見て、見て」
マールというその旅人は、うれしそうに指でキノコを裂いていた。目がきらきらしていた。年齢は16だと言うのだが、野宿は今回のキャラバンが初めてらしい。どうも箱入りのお坊ちゃまらしかった。
「おいしい!ぼく、初めて食べるよ」
口の周りに茶色のソースをくっつけて感心したように言う。料理女のアリサは、からからと笑った。
「じゃあ、こっちのバターも試してごらんな」
熱いキノコに乗せると、バターは金色になってとろとろと溶けていく。
「わぁ!」
指についたバターをなめる仕草も、子供っぽかった。
 キャラバンの子供たちは、バターの香りに気づいてすぐやってきた。
「わー、バターだ」
「ぼくも!」
「アリサ、ふとっぱら!」
バターもチーズも、キャラバンではたいそうな貴重品である。
「いいのかい、アリサ、あんなにたくさん」
食糧係の元締めのおばばが、呆れたようにつぶやいた。アリサはちょっと赤くなった。
「あら、あたしとしたことが。いえ、あの若い子があんまり喜ぶもんだから、ついね」
ほっほ、とおばばが笑った。
「いい子だねえ、あの子は。見てるとまわりが楽しくなる」
「ええ。ほら、娘っ子たちが、ほっておきやしない」
キャラバンの女たちは、屈託なく笑うその少年のまわりにいつのまにか集まってきていた。
「ベーコンを食べない?」
「パンが残ってるの。半分こしよ?」
「干しりんご、嫌い?」
来るものは拒まず、というのか、マールはどの女性の誘いも、喜んで受け取っていた。
「ぼく、もう、おなかいっぱい!」
「じゃ、どけ!」
後ろから不機嫌な声がして、その場の空気は一気に気まずくなった。キャラバンの女の子たちとマールの後ろに、あの若いガードの戦士が立っていた。
 女の子たちはぶつぶつ言っている。
「なによ、いいじゃない」
「かわいくないわねぇ」
だが、ロイの視線は厳しく、それ以上マールという少年にかまっていられないようだった。娘たちは、二三人づつ、自分の馬車へと帰っていく。残されたマールは、しょぼんとしていた。
 アリサは、笑いかけた。
「いいから、そこにすわって食べちゃいなさい」
「でも」
「あのお兄さんが怖いの?」
「うん」
じろ、とロイがこちらのほうを見た。マールがびくっとした。
「おまえらがそこで騒いでいるせいで、飯に食いはぐれるやつもいるんだぞ」
ロイは暖かさのかけらもないような口調でそう言った。ロイの後ろには、腕に包帯を巻いたガレスが、ちょっと申し訳なさそうな顔で立っていた。
「あら、ガレス、その腕じゃ、確かにこれは食べられないね。悪かったわ。今、何か作るから」
「いいんだよ、アリサ。気にしないでくれ」
焚き火の周りには、ロイとガレス、そしてマールだけが残っていた。
「はい、これならどう」
煮物の入った碗と、パンを手渡すと、ガレスは笑った。
「悪いな、アリサ。兄ちゃんも食いなよ」
ロイは無言でアリサから食べ物を受け取った。ガレスが話しかけた。
「兄ちゃんよ」
「ん?」
「あんた気は優しいんだ。でも人にモノ言うときはもうちょっと加減してやんな」
「そんなこと……わからねえ。やったことがない」
「まずその、いつも怒っているようなツラどうにかしなよ」
「この顔は生まれつきだ」
「そんなはずはねえさ。赤ん坊のときは、誰だってもっと素直だよ。あんただって、女の子に囲まれてきゃあきゃあ言われてみたいだろ、そっちの坊やみたいに」
「おれは!」
横から見ていたマールが、ガレスに向かって不思議そうに言った。
「女の子と話するのって、難しいの?」
ガレスは笑った。
「ああ?まあな。詩人のボクには簡単にできちゃうみたいだが、たいていのオトコは、まずそこから苦労するもんだ。こっちのでかい兄ちゃんみたいにな」
「うるさいっ」
ロイは、真っ赤だった。マールがくすっと笑った。

 大声でロイが叫んだ。
「襲撃だっ。みんな馬車に入れっ」
さきほどキャラバンを襲ってきた盗賊を無事に撃退して、どこかほっとした気分が漂っていた矢先だった。キャラバンは川を渡り、森の中を進んでいた。
 最後尾の三号馬車でまず悲鳴が上がった。先頭にいたロイがとっさにかけつけた。数体の薄青い幽霊が、木立の中をふわりふわりと宙に浮いていた。こちらを笑っているようだった。
 キャラバンのメンバーはあわててそれぞれの馬車へもぐりこんだ。外に出ているはロイだけ。まったくの先制攻撃。ガレスはまだ、腕が治りきっていない。一人しかいないキャラバンガードには不利な状況だった。
「ちくしょう、おれが……」
一号馬車の中から外をのぞいて、ガレスはくやしそうにつぶやいた。
 ロイは最初に襲われた商人を後ろにかばっていた。
「早く、馬車に入れ!」
「腰が、ぬけちまった……」
ロイは剣を構えたまま、くそ、とつぶやいた。
 一体がいきなり襲ってきた。ロイは剣をかざしてふせごうとした。が、つんのめってしまった。
「大丈夫かい、兄ちゃん」
「手ごたえがないっ」
ロイは唇を噛んだ。
 一号馬車の中でガレスは気をもんでいた。
「幽霊は、えらく回避率の高いモンスターだ。駆け出しの兄ちゃんには、いやな相手だよな」
我慢しきれないようにガレスは身を乗り出して叫んだ。
「右だ!」
ロイは、はっとして盾をあげた。思わぬ方向から攻撃されてダメージをもらってしまった。
「ロイ、大丈夫か!」
「大丈夫だ、あんたはひっこんでろ!」
「と、言われてもなぁ。ああ、もっと、間合いを詰めなきゃ!」
じたばたする腕を、誰かが横から抑えた。
「間合いを詰めろって、そう言えばいいの?」
吟遊詩人の少年、マールだった。
「え、ああ」
「ぼくが行く」
「危ないぞ、坊や」
「ぼく、逃げるの早いから、大丈夫」
さっと馬車を降りて、ロイのほうへ走りながら、マールは叫んだ。
「間合いを詰めて!もっと近くで斬って!」
ロイを侮ったか、正面から幽霊が襲ってきた。まだ、まだ……ロイは息を整えて自分に言い聞かせた。視界が青く染まる瞬間まで、ロイは我慢した。
「そこだっ」
自分から刃ごとぶつかっていく。手ごたえあった。青い影が両断された。
「やれる!」
ロイは剣の柄を握りなおした。
「おい、おまえ!」
「ぼく?」
「その腰の抜けたやつをひっぱってけ」
マールは小太りの商人の腕を自分の首に回してひきあげた。
「がんばって、歩いて!」
「二人とも、すまない」
ロイは、少し横顔を紅潮させていた。商人のほうを見ないでロイは言った。
「そこにいられると、ジャマなんだ。とっとと行け」
「あんた、照れ屋さんだな……」
商人は苦笑しながらマールにすがって後退を始めた。
 かばわなくてはならない人間がいなくなり、動ける範囲がわずかに広がる。それだけでもロイは精神的にかなり楽になった。
 残り二体。剣を振り上げ、近いほうの幽霊に向かってロイは斬りこみ、袈裟がけに叩き斬った。一呼吸置いてふりむく。残り一体。が、見えなかった。
「どこだ?」
そうつぶやいたのと、背中に衝撃を感じたのがいっしょだった。幽霊は真後ろに張り付いて、攻撃してきた。
 さきほどもらったダメージもある。片目に血が流れ込み、ロイの視界がゆがんだ。情けないことに、剣の重みで腕が震えている。
「ロイ、待ってろ」
ケガを押してガレスが出ようとしているらしい。
「だめだ、出るな!」
その場にうずくまりたいほどの痛みが背中を襲った。うすら笑いを浮かべて幽霊がおおいかぶさってきた。
 そのときだった。なにか暖かい風のようなものがロイを包んだ。背中の痛みがあっさりと引いていく。腕に力が戻ってくるのをロイは感じた。
「はっ」
強い気合を込めてロイは突きを見舞った。一瞬の爆発。青い影は砕け散った。ふう、と、ロイはつぶやいた。
「大丈夫か!」
そう叫んで、ポーリーやガレスが出てきた。
「ああ。なんとか、勝ったぞ。ぎりぎりの勝負なんて、おれもまだまだだな」
そういうと、ポーリーが不思議そうな顔をした。
「ぎりぎり?まだ体力は減ってないじゃないか」
え、とロイは思った。ポーリーの言うとおりだった。
「おれ、たしか二回ダメージを受けて」
HPひとけたのはずだったのに。ロイは回復していたのだった。

 大騒ぎしている人々の後ろ、馬車の陰に、“マール”は立っていた。
「なにをやってるんだろ、ぼく」
さきほどの戦いを、彼は息を呑んで見守っていた。
 不利な勝負を受けて立つロイ。剣を振るう、照れ屋だけど、荒々しいひと。ほとばしる闘志。命を削りあう勝負。足が震えるほど恐ろしかったが、目を放すこともできなかった。
「……ホイミなら、ぼく、得意だから」