ホメロス戦記・七人の傭兵 9.プライドと無神経

 ふわりといい香りがたったと思うと、誰かが話しかけた。
「ここ、いいかしら?」
 広場では工事完成の宴はたけなわだった。喧騒を避けてホメロスは、一人で杯を手にボンサックの宿の一階にある食堂の奥へひっこんでいた。
 見上げるとシルビアが自分の酒を手に、微笑んでいた。
「勝手に座るといい」
「じゃあ失礼するわね」
 そこは壁に沿ってカウンターのある場所で、ホメロスとシルビアはそれぞれストールに座って並ぶような形になった。
「まずは、乾杯しましょ?工事完成、おめでとう」
「そんなにめでたいか?」
と言いながら、ホメロスは自分のグラスを軽く、掲げた。かちん、と音を立てて触れ合わせ、くいっとシルビアは酒をあおった。
「ええ、めでたいわ。お酒を飲むチャンスができたんだもの。このあいだからサシでお話したかったの、ホメロスちゃんと」
「あまり俺にかまうな。ここでの戦いが終わったらどうせ」
 シルビアは最後まで言わせてはくれなかった。
「ねえ、ホメロスちゃんて、知ってるはずのないことを知ってるでしょ。どうして?」
――気づかれたか。
 ホメロスは頬杖をついて冷ややかな視線を投げたが、シルビアはひるんだようすもなく、ただ大きな目でこちらを眺めていた。
「……例えば、俺が何を知っている?」
「アタシの素性」
 真っ向勝負か、とホメロスは内心驚いていた。
「アナタ、初対面でアタシを副官にするって言ったわ?戦争の時、一介の旅芸人を副官にはしないわよ、ふつう。知ってたんでしょ、アタシのこと」
 どう?とシルビアはつぶやいた。
「ひとつ聞くが、その答え、グレイグも気づいているのか?」
 ためいきまじりにシルビアは両手を広げ、肩をすくめた。
「まだよ」
 ホメロスは考えを巡らせた。嘘をつけば、シルビアなら見抜くだろう。真実を話すべき。だが、真実をすべて明かす必要はない。
「俺がお前を副官にしようと思ったのは、グレイグがお前を連れてきたからだ。ソルティコのゴリアテ」
 シルビアは目を細めた。もともとが整った美貌なので、不穏な表情はどこか冷酷に見えた。
「剣神ジエーゴの薫陶を受けた者なら、副官として申し分ないと思った」
「つまりアナタ、グレイグとアタシがソルティコでいっしょに修行した仲だって知ってるのね?」
「知っている。グレイグは何度も俺の留学先に手紙をよこした。おまえのことを書いてない手紙はなかったぞ。領主の子息、剣の神童、おそるべきカリスマの持ち主と」
 うふふっとシルビアは笑った。とたんに陽気で人懐こい旅芸人が戻って来た。
「ということは、アナタがグレイグの幼馴染なのね?あの子からアナタのことをさんざん聞いてるわ。貴族の出身で王の猶子、その才を見込まれ、幼くして留学した天才児」
 ホメロスは苦笑した。
「お互い三十路だ。二十過ぎればただの人だな」
「そんなこと言わないの。やっと会えたんだから。こんな戦乱のご時世の、奇跡のめぐり合いに乾杯」
 シルビアはもう一度杯を触れ合わせた。
 シルビアが、あら、とつぶやいた。視線の先には、幼いラムダ姉妹がいた。
「そんなとこにいないで、いっしょに飲みましょうよ」
 シルビアが誘うと姉妹はちょこちょこと近づいてきた。
「子供を酒に誘うな」
とホメロスは言ったが、ベロニカはつんとした。
「自分たちの飲み物くらい、もってきたわ。ねえ?」
 聞いた相手は妹のセーニャだった。
「はい。蜂蜜入りのお茶をもらってきました」
「アラ、よかったわね?」
 シルビアが笑いかける。セーニャが微笑み返した。
「お手伝いのごほうびなのです。シルビアさま」
そう言ってセーニャは、かわいい手には大きすぎる陶器のカップを懸命に掲げた。シルビアは自分のグラスを取って、そっと双子のカップにくっつけた。
「乾杯!」
 姉妹はうれしそうに笑った。
「こっちには食べ物はないぞ」
「いいの。うるさいのにうんざりして、逃げてきたわ」
 言うことは大人びているのだが、いたいけな童女姉妹がストールによじ登り、並んで座り、そっくりの仕草で大きなカップを両手で抱え、カップのふちに口をつけ、かるくのけぞってお茶を飲んでいる姿は、思いがけないほどかわいらしかった。
 微笑んだまま、シルビアは言った。
「ホメロスちゃん、この戦い、正直なとこ、勝ち目はどのくらいあるの?」
 ホメロスは首を振った。
「すべて計画通りにいけば、八分。だが、俺が把握しきれない要素がある。敵の実数、青バチ、村人の弓兵、槍兵がどれだけ戦えるか。それに」
「それに、何?」
「グレイグだ」
 くっくっとシルビアは声をもらした。
「そうよね。あの子ったらさっきも“一人で宿を守る”なんて言い出しちゃって」
「あいつは一度に三つ以上のことを覚えていられないのではないかと思うことがある。その最上位は、とにかく自分の感情なのだ」
 わかるわぁ、とシルビアは言った。
「あの子、昔っからそれよね。自分の感情が最優先。視野が狭くて、周りの迷惑おかまいなし。鈍感である意味自分勝手」
「そのくせ、あいつの感情は無私で純粋だ。いっそ利己的ならふざけるなと言って退けられるのに」
「“でも、かわいそうじゃないか!”って言って飛び込んでいくのよね、わざわざトラブルのど真ん中に」
「そうだとも。俺が何度あいつのために……」
 ホメロスは自分でも不思議だった。ことグレイグに関しては、シルビアは問題点をつかんでいる。自分のたどったいくつもの人生の間ずっと胸に抱えてきた憤りを、共感してくれる相手を得て吐き出したくてたまらなかった。
「あの子って、正義感が強くて、気は優しくて力持ち。一見いいようだけど、まわりにいる者にはたまったもんじゃないわ。反対するこっちが悪者みたいに見えるのよ」
「反対するには反対する理由があるのだ、あの宿屋のときのように。そうだろう?」
「そうですとも!」
 シルビアはカウンターに空のグラスをたたきつけるように置いた。
「それであいつったら、あとで潔く、心の底から謝るの」
 シルビア得意のグレイグの物まねでつづけた。
「“俺が悪かった、おまえの気遣いを無駄にしてしまった。二度とやらない”」
「と言いながら繰り返す」
 シルビアはのけぞるように爆笑した。
「それー!ほんとにわかってるわ、ホメロスちゃんたら」
 視界の隅でホメロスは、ベロニカが妹に何か言い、意味ありげな目をしたのを見ていた。が、久々に飲んだ酒のせいか、シルビアにつられてバカ笑いをしたせいか、そのときホメロスは特に用心しなかった。
「シルビアさん、知ってる?」
とベロニカは言った。
「グレイグさんたら今回の戦も、ホメロスさんの了解取らないで勝手に決めちゃったんだって」

 イレブンとカミュが座っているところからは、ボンサックの宿の入り口が見える。そこから誰か出てきた。
「シルビアのおっさんじゃねえか」
 あの人、おっさんなの?と言おうとして、イレブンはためらった。シルビアのようすが尋常ではなかった。
 長い脚で大股に歩き、つかつかとグレイグへ近づいていく。
「ちょっと、グレイグ!」
 腕相撲で優勝したグレイグは、酒で顔が赤くなっていた。
「ああ、シルビアか。どうしたのだ?」
 シルビアのようすを見て、村人たちがざわついた。いつも愛想のいい旅芸人は、今はグレイグの胸倉をつかみかねない剣呑な顔になっていた。
「アナタ、またやったわねっ!?」
 グレイグは目をぱちくりした。
「俺が何をやったというのだ」
 長い指を広げて、シルビアは長テーブルの天板をバン、とたたいた。
「どうしてそう、自分勝手なのっ。この村を守るって安請け合いして、あとからホメロスちゃんに事後承諾取るだなんて」
 グレイグはようやく合点がいった、という顔になった。
「それは俺も悪かったと思うが、でもホメロスもこの村のありさまを見ればきっと引き受けてくれると思って」
 なんか、やばそうだぜとカミュがつぶやいた。カミュは席を立ち、いこうぜ、と手でイレブンに告げた。イレブンもうなずいた。シルビアの怒声が聞こえたのか、ロウやマルティナも飛んできたようだった。
「アタシが怒ってるのは、そこよ!アナタ、『どれだけ勝手をやってもホメロスは許してくれる』、と思い込んでるんだわ」
 ガンガン怒鳴られて、グレイグもむっとしたようだった。
「あいつは俺の友達だぞ。思い込んだら、悪いか?」
「友達なら迷惑かけてもいいっての!?」
 まあまあ、とロウが割って入った。
「村の衆が驚いているではないか。シルビアさんや、宿の中で話そう、ん?」
 シルビアは一度息を吐きだした。
「そうね。村の皆さん、お楽しみのところにごめんなさいね。このわからずや、借りてくわね?ちょーっとお話があるの。さ、いらっしゃい!」
そういうとグレイグの手首をつかんで引きずるように歩き出した。

 結局、七人の傭兵全員がボンサックの宿の食堂に集まった。真ん中にいるのはグレイグだった。
「『どれだけ勝手をやってもホメロスは許してくれる』?俺に言わせてもらえばだな」
とグレイグは言った。
「ホメロスは俺を許したりしないぞ?事後承諾になったときは、いつも頭ごなしに怒鳴りながら一、二時間説教をして、さんざんネチネチ言ってから、ああしろこうしろと命令するぞ?」
 宿のカウンターの奥では、心配そうな顔のセーニャと、にやにやしているベロニカがいた。ホメロスはベロニカにささやいた。
「おまえがまいた種だ。責任とれよ?」
 ベロニカは小さな手のひらで柔らかい両ほほを支えたまま、答えた。
「まあ、見てなさいよ」
 シルビアは両手を腰に当ててため息をついた。
「バカねえ、そのネチネチ、後始末の指示じゃないの。ホメロスちゃんは、『許さない、おまえとはもうつきあえない』って言って、グレイグを突き放すことだってできたのよ?それなのにあのヒト、ずっとグレイグのしりぬぐいを引き受けてくれてたんだわ?わかってる?」
 グレイグは一度言葉に詰まった。
「だって、あいつは俺より頭がいい。俺は馬鹿だから、しかたが」
 ない、と言おうとしたところにシルビアが嚙みついた。
「開き直ってるんじゃないわよ。アナタ、ちゃんと感謝したの?どうしてホメロスちゃんがアナタの馬鹿さかげんにつきあってくれたと思うのよ」
 うっとグレイグはつぶやいた。
「友達だから、だろうか?」
 だん、と音を立ててシルビアは片足を床にたたきつけた。
「友達だからやってくれて当然、そう言いたいの?なにそれ、ずうずうしい!」
 だんな、とカミュが声をかけた。
「こりゃあ、詫び入れといた方がいいぜ。俺も仕事の上で相棒を持つことはあるが、相棒があんたみたいなことを言い出したら付き合い方を考えるぞ。仁義にもとるってもんだ」
「騎士って、そういうことしないと思ってました」
とイレブンが言った。グレイグは、がっくりと首を落とした。が、おそるおそる顔を上げ、助けを求めるようにあたりを見回した。
 目が合ったのは、マルティナだった。
「私もカミュに賛成します。あなたはそもそも、あなたの友達がどう思っているかについて、鈍感すぎるのでは?」
 グレイグは声も出ないようすで、口をパクパクさせるだけだった。
 マルティナは厳しい表情を少しやわらげた。
「ここ数日いっしょに働いて、あなたのことをちょっとは見直したの。かわいそうな人を放っておけないというのは、騎士の大事な資質だと思うわ」
 グレイグの表情が目に見えて明るくなった。
「マルティナちゃん、その言い方じゃ、この鈍感には伝わらないわよ?」
 シルビアだった。
「やっぱり?では、言い方を変えるわ。あなたはかわいそうな人には親切だけど、私からすれば、あなたからいいように扱われる友達が一番かわいそうだわ。それについては、どう思うの?」
 グレイグは、ぽかんと口を開けたまま固まった。
「たぶん、そんなこと考えたことなかったんでしょ」
「言われてみれば……だが、ホメロスはいつも自信満々で、か、かわいそうだなんてそんなことは」
 マルティナは腕を組み、座っているグレイグを立ったまま見下ろし、眉を吊り上げて一言吐き出した。
「甘ったれ」
 グレイグがうめいた。
「グレイグ、覚えてる?アナタ昔、同じこと言われたことあるわよ?」
「俺が?いつ!?」
「それさえ忘れちゃったのね」
 呆れを通り越して苦い口調でシルビアが言った。
「昔ソルティコの下町でさんざんケンカをくりかえして、アナタの師匠に怒られ、友達から意見されたことがあったでしょう」
「そういえば、あったような気がする。が、どうしてお前が知っているのだ?」
 不思議そうな顔でグレイグが尋ねた。
 シルビアは歯を食いしばり、目を見開いた。
「どうして知ってるかって?知ってるわよ……知ってるよ!だって、グレイグが“もうやらない”って誓った相手は、ぼくじゃないかっ」
「馬鹿な、俺が誓ったのは」
そこまで言ってグレイグは、ぱかっと口を開けて震え始めた。
「き、きさま、まさかとは思うが……ゴリアテかっ!?」
「そうだよ!ぼくは、ずっと待ってたのに」
 ホメロスの横で、幼く見えるラムダ姉妹がささやいた。
「ちょっと、ほんとにわかってなかったわけ?」
「さすがグレイグさま、ブレませんわね」
 他の者たちは、驚いたようだった。
「まさか、知り合いだったのか?」
 シルビア/ゴリアテは、片手で目をぬぐい、脇を向いて小さくうなずいた。
 ベロニカがささやいた。
「そろそろかしら。行くわよ?グレイグさんを助け出しましょう。ただし、あの無神経が少しは良くなるようにちゃんと釘を刺さないと」
 そして付け加えた。
「でもその前に、そのぶったるんだ顔なんとかしてくれる?」
 反射的にホメロスは片手で口をおおった。
「ホメロスさま、ホメロスさま」
 セーニャが小さな手でホメロスの指を握り、嬉しそうに見上げた。
「笑っていらっしゃいますわ」
 自分がシルビアたちに肯定され続けているあいだ、いつのまにか口角が上がっていたらしい。よどんでいた心の中に涼しい風が吹くような心地よさを感じていた。
「このていどのことで、バカな!」
 そのことに、ホメロスは愕然としていた。ほとんどうろたえていた。数百年間転生を繰り返した挙句、俺はこんな形で救われるのか。始まりの生のあの時、俺は何のために魂を闇に染め、すべてを裏切ったのか。
「そうよ、でも、あんたあの時、たったこのていどのケアさえ受けられなかったのよ」
 ずっと一人で思い悩み、そのあげくウルノーガの手に落ちた。
「俺は、何を誤ったのだ」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃないの」
 容赦なくベロニカはいい、ホメロスの背を強く押した。
 よほど気が緩んでいたのか、押されてホメロスは小さくたたらを踏んだ。がた、と床板が鳴った。
 グレイグたちがいっせいにこちらを見た。しかたなくホメロスは前に出て、咳ばらいをした。
「まず、礼を言おう。シルビア、いや、ゴリアテ。それからマルティナ嬢、カミュとイレブン。俺のために弁じてくれた」
「軍師殿、おぬしも兄貴ぶっているところがあったんじゃろうて」
 それまで黙っていたロウがそう言った。
「頼られるのは気分のいいもんじゃ。が、甘やかしてはならん。何を隠そう、わしも三人兄弟の末っ子でな。甘え上手と言われたものよ」
「俺が甘やかしたというのか」
とホメロスはつぶやいた。
 ――グレイグと俺は二人で王国一の騎士になろうと約束した。それなのにグレイグは一人で勝手に先へ進み、俺を顧みなくなった。
 そして一人で悶々として、そのことを誰にも相談できなかった。プライドが高すぎて、日ごろから愚か者と見下している者たちに悩みを口外するなどとてもできなかった、とホメロスは思い出した。
 ふらふらしながらグレイグが椅子から立ち上がった。
「ホメロス、俺は」
 片手でホメロスは遮った。内心の動揺を抑えようと片手を胸に当て、咳払いをした。
「おまえが謝るのは聞き飽きた」
 なんとか、平静なふりができただろうか。
「でも、それでは」
「一番シンプルな答えを聞かせろ。おまえは何を言うべきだと思う?」
 う~、とうなったあげく、グレイグはぽろりとつぶやいた。
「『ありがとう』。そうだ、ありがとうだ、ホメロス」
 ふん、とホメロスは思った。
「さんざん叩かれて、少しはましになったか」
 ん、と子供のようにグレイグはうなずいた。
「今日という今日は、己の甘えを思い知った。ありがとう、ホメロス、いつも俺の思い付きを支えてくれて」
 ホメロスは肩をすくめた。
「いつまで続くかな。まあいい。皆、見ての通りだ。今日のところはこれでいいか?」
 くすん、とシルビアがすすり上げた。
「グレイグ、もう、約束、やぶらないって」
「破らん。今度こそ本当だ、ゴリアテ、泣かないでくれ」
 マルティナが自分より背の高いシルビアの背をそっとさすっていた。