ホメロス戦記・七人の傭兵 13.ずっと負け戦だった

 ネドラが降りてくると、短い四肢があるのがわかった。
「逃げろーっ」
 ホメロスの指示は唐突だった。血相が変わっていた。
「おい、あれはなんだ!」
 グレイグの問いを、ホメロスは無視した。
「レベル1、魔法なしで魔竜ネドラだと!?冗談じゃない、勝てるわけがない。みんな、遺跡へ逃げろっ」
 空の上で、ネドラが長い体をくねらせた。巨大な頭部をこちらへ向け、ぎょろりと目をむき、口を開いた。ネドラの口から、壮大な雄叫びがあがった。
「フゥウオオオオォォォォッ!」
 イレブンはとっさに両耳を手で押さえてしゃがみこんだ。その場のほとんどの者が、いわば腰が抜けたようにへたりこんでいた。
「あ、あいつ、何をしたんだろ」
 イレブンはなんとかネドラを見上げた。再び大きく口が開いた。またおたけびか、と思ったが、ネドラは大きく全身をふくらませ、一気に息を吐きだした。
「ひっ……」
 イレブンは両手で自分の喉を抑えて震えた。息ができない。それどころか、満足に体が動かない。あたりは焼けつくようなきつい臭いで充満していた。
 イレブンは救いを求めてあたりを見回した。槍隊をつとめた村人たちは、ホメロスの指示がぎりぎり間に合ったらしい。遺跡の中へ逃げ込んだようだった。
 農地に残ったのはホメロス以下七人の傭兵と、ぼろぼろになったエリミネータだった。
「くそっ」
とホメロスがののしった。
「これが、最期か。こんなオチか」
 カミュたちも、イレブンと同じく焼けつく息で動けないらしい。その場にうずくまって苦しんでいた。
 上空で魔竜ネドラが吠えた。
「アークマージ、どこだ……」
 もう死んでしまったアークマージを探しているらしい。ネドラはいら立ちを隠そうともせず、長大な体をくねらせた。
 ふいにその目に悪意が宿った。一度上空を旋回しその勢いを乗せて急降下してきた。動けないイレブンたちを、ネドラの巨体はやすやすと押しつぶした。
 声も出ないほどの痛みにイレブンは身を震わせた。ネドラは上空へ戻っていく。もう一度旋回した。
「大丈夫か」
 体力に余裕のあるグレイグが、なんとかホメロスのうずくまっているところへにじり寄っていた。
「大丈夫なものか」
 絶望のあまり無感動になったのか、ホメロスが他人事のようにつぶやいた。
「あれがもう一度降りてきたら、全滅だ」
「なんとかならんのか」
 ホメロスは無言で首を振った。その顔を見て何か言おうとしていたグレイグが、肩を落とした。その場にがくりと膝をついた。
「だめなのか」
 グレイグは、腕のチカラで自分の体をホメロスのそばに寄せた。
「なら、そばにいてくれ、ホメロス。俺の隣に、最後まで」
 ホメロスが、顔を上げた。
 上空のネドラを見た。
「グレイグ、この馬鹿野郎が」
 口角があがり、苦い笑みになった。
「勝てない戦を投げようとしていたんだぞ、俺は。何百年も待たせておいて、最後の最後で、きさま、よくも、そんなことを」
「ホメロス?」
 ホメロスの視線が、グレイグの顔に焦点を合わせた。
「イレブンはどこだ?」
「イレブン?なんで」
 なんとか息をついて、イレブンは細い声をあげた。
「ぼく、ここに、います」
 ホメロスが這ってこちらに来ようとした。グレイグが先に動き、イレブンを抱えるようにしてホメロスのところへ連れてきてくれた。
「ホメロスさん?ぼくは」
 何もできませんけど、と言おうとして、イレブンは驚愕した。
 ホメロスはいきなり自分のブラウスの襟を広げ、白い胸に片手を突き刺した。目を閉じて苦痛のうめき声をあげ、血を流しながら、何かつかみ取った。
「ホメロス、何を」
「黙っていろ。イレブン、近くへ」
 訳もわからず、イレブンはただ、おどおどしていた。
 ホメロスの血まみれの指に握られているのは、銀色に光る球体だった。荒い呼吸をしながらホメロスの手がイレブンの肩をつかみ、もう片方の手で球体をイレブンの胸に押し付けた。
「なっ……?」
 信じられないような気持で、イレブンは自分の胸に光る玉がめりこんでいくのを見ていた。
「イレブン、目を覚ませ」
 低い声でホメロスがそう言った。
「ここはおまえの望んだ世界だ。目を覚ませ、イレブン。覚醒せよ、勇者よ!」
 ホメロスの言葉より先に、左手の甲が熱を帯びた。金色の紋章が浮かび上がろうとしていた。同時に体の中に熱が沸き上がった。イレブンは当惑して胸をおさえた。
「勇者?」
 熱が全身に回り、血が沸騰するような感覚に襲われた。
「なんで、ぼくが」
 両手で頭を抱え、のたうち回りたいと思った瞬間、ひどい冷気に襲われた。殺気だった。
――魔竜ネドラ!ぼくは何をしてるんだ!
 イレブンは立ち上がった。視線が高くなり、世界が広くなった。
「ベホマズン!」
 呪文を唱える声が低い。十四歳の男の子だった体は十六歳の勇者のそれに代わっていた。
 同時にネドラのグランドプレスに襲われた。強い痛みのために、意識がかえってはっきりしてきた。
「ぼくは、ここで、何をしてるんだ……?」
 イレブン、と遠くから名を呼ばれた。自分の立つ平地の隅の方から、二人の女が走ってきた。見覚えのあるその姿はメダル女学院の、高等部の制服だった。
「ベロニカ、セーニャ!」
 彼女たちが十代の乙女に成長したこの姿をイレブンは知っている。それどころか、時がたち、老女として寿命を全うしたことも知っているのに。
 確信を込めてベロニカが言った。
「覚醒したのね、イレブン?」
 うん、とイレブンはうなずいた。
「昔のままだ」
 正確に言えば、イレブンのクエストの間中、ベロニカはもっと幼い姿をしていたのだが。
「俺たちもいるぜ」
 イレブンは振り向いた。カミュが立ち上がったところだった。
「よお、相棒!」
 シルビアはマルティナに手を貸して起こしていた。
「ええ、思い出したわ。なんか不思議。でもイレブンちゃんはずっとそうだったわね」
「そうよ、あなたはイレブンだわ」
 最後の一人はイレブンが自分で助け起こした。
「大丈夫ですか、おじいさま」
 ふふふ、とロウは笑った。
「大事ない。イレブンや、何があったんじゃ」
「彼が、ホメロスが思い出させてくれました。これでパーティの七人がそろった」
 いや、ぼくたちは八人だった。そう思い、イレブンは目でグレイグを探した。グレイグは、地べたにうずくまっていた。
「ホメロス、お前、どうして、ホメロス……」
 自分の手で殺した親友が、胸から血を流したまま横たわっている。グレイグはその前に膝をつき、ぼろぼろ泣いていた。
「イレブン」
 グレイグにだまれと手で指示してホメロスはそう呼びかけた。イレブンはホメロスの上に身をかがめた。
「詳しい説明をしているひまがない。本来六個そろえて命の大樹にアクセスするカラーオーブだが、今はシルバーひとつだけだ。覚醒は、長くはもたない。だが、状況はわかっているな?今のうちに魔竜ネドラを倒せ」
 なんと返事をしたものか迷った挙句に、イレブンはひとつうなずいた。苦みを含んだ笑みをホメロスは浮かべた。
「それでいい、勇者よ」
「ぼくが守ります」
 こみあげる思いをうまく言葉にできずに、イレブンはつっかえながらそう言った。
「ここまであなたが守ってくれた村だ。絶対に負けません」
 ホメロスの唇がわずかに震えた。笑ったのかもしれないとイレブンは思った。
「おまえもだ、行け、グレイグ」
 グレイグの男らしい顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「おまえをおいて行けるものか。どうして俺は忘れてたんだ、お前のことを」
「にぶいからさ」
 苦しい息の下でホメロスが言った。
「ホメロスさま!」
 セーニャがとんできた。
「なぜこんなことを」
 フン、と苦しい息のままホメロスはつぶやいてみせた。
「そこの鈍感が要らぬことを言ったからだ。最後までそばにいてくれ、と」
 涙を浮かべたまま、乙女の姿のセーニャは笑顔になった。
「では、時間切れにはならなかったのですね。よかった。今回復を」
「無用だ、双賢の娘。こうなってしまったら、回復魔法は効かない」
「でも!」
 セーニャがかがみこむと長い金の髪がさらりと落ちた。痛みをおして片手をあげ、ホメロスは自分の指でセーニャの髪に触れた。
「……行け。勇者の助けとなれ」
 どこか優しい目で、かつての魔神はそう言った。
 グレイグはネドラを見上げ、ホメロスを見下ろし、歯を食いしばった。
「あれは魔竜ネドラか。俺たちはこんなレベルで奴に挑むのか」
「イレブンっ!」
 脇を向いて血の塊を吐き出し、ホメロスが叫んだ。
「命の大樹は、少なくとも六分の一は、お前の中によみがえった。お前の周辺のわずかな地域だが、森羅万象はおまえの望みにしたがうはず」
「ぼくが?なぜ」
 ホメロスは苦しそうな声で遮った。
「命の大樹の申し子よ、望め!」
 時間がない、とホメロスは言外にそう言っていた。
 目を上げても、空に命の大樹はない。頭の中に命の大樹の姿を描いてイレブンは願いを放った。
「この地に魔法力の復活を!そして、ぼくたちがパーティだった時の、最後のステータス、最後の装備を!」
 邪神ニズゼルファに挑んだ時、それがパーティ最後の戦いだった。
 さきのグランドプレスで、瀕死だったエリミネータは絶命したらしい。ホメロスももう、声が出ないようすだった。
「ベロニカ、セーニャ!」
とイレブンは呼んだ。
「クロスマダンテで仕留める!ゾーン入りを狙って」
「わかった」
「はいっ」
 姉妹は同時にそう言った。純白の聖賢のローブと、ダークゴールドの永遠の法衣がそろって翻った。
「シルビア、ゾーン入りまでデバフ解除を」
 イレブンの目の前で飾り羽根がばさっと動いた。エトワール装備のシルビアは昔も今も変わらずに豪華だった。
「アタシにまかせて」
 両手にひとつずつ装備しているのは、紅薔薇を飾った短剣トリックスターだった。
「おじいさま、回復役をお願いします」
 神話の神々の名を冠した赤系の衣装は、小柄だが風格たっぷりのロウによく似合った。
「よかろう」
 そう言ってロウはやる気満々で袖口をめくりあげた。
「他のみんなはマダンテの準備が整うまで、時間を稼いで!」
 海賊王のコートをまとうカミュと、神龍の髪留めと武闘着のマルティナがイレブンの列に並んだ。
「おまえのその姿も、久しぶりだな」
 そう言って、カミュがにやりとした。イレブンの装備は、伝説の勇者ローシュが身につけたのと同じ、青い勇者のころもとサークレットだった。左手の甲にうずくような感覚がある。そこに勇者の紋章が輝いているのをイレブンは意識した。イレブンは相棒に頷き返した。
「さあ、行くよ」
 勇者の剣と銀河の剣をイレブンは鞘から抜いた。
 上空のネドラは大口を開けて威嚇していた。巨大な頭部が震えているのは、どうやら嘲笑っているようだった。
 ネドラは空中で円を描いた。その勢いに乗って黒いうろこで覆った長大な本体がまっすぐに襲い掛かってきた。
 イレブンとパーティはネドラと刃を交えた。が、黒龍の力に押し負けそうになった。
 いきなり圧が軽くなった。真っ赤な刃がネドラの爪をがっちりと支えていた。
「グレイグさん!」
 英雄王装備に身を固めたグレイグが、まさに壁となってネドラの前にたちふさがっていた。
「遅くなってすまない。戦ってこい!とホメロスに尻をたたかれたのだ」
 グレイグの口調は冷静で、すでに戦士の顔になっている。が、泣いたあとの目が赤くなっていた。
 ネドラが一度上空へ戻っていく。気合をため、こちらに向けてゆっくり口を開いていった。
「ブレス系攻撃か」
 イレブンたちは身構えた。
「これを防御でしのぎます。回復準備。そうすれば」
 パーティはイレブンが言わなかったことを理解した。ラムダ姉妹は両手を合掌の形にして目を閉じ、直立していた。
――もうすぐ、ゾーンだ。
 ちりっと青い火花が飛んだ。次の瞬間、姉妹の体は青い炎に取り巻かれた。
 ラムダ姉妹は目を開いた。足元に青い魔法陣が生じた。その勢いで姉妹の体がふわりと舞い上がった。空中から金色のリボンがいくつもリング状になって表れた。
 クロスマダンテつまり二重に放つマダンテは、本来重厚長大な呪文と複雑な魔法陣を必要とする。ラムダの天才姉妹はそれを圧縮していくつかのリングにまとめていた。
「行くわ」
「行きます」
 姉妹は背中合わせに立ち、胸の前に両手を交差させて力をためている。魔力が恐ろしいほど高まったとき、二人とも呼吸を合わせて片手を前方へ突き出した。クロスマダンテは発動寸前だった。
 びく、とネドラの体が動いた。低空をうかがっていたネドラが、すっと上空へ逃げた。
 シルビアが眉をしかめた。
「いや~ね、本能的にまずいとわかるのかしら」
「長虫にしては敏い奴じゃ」
とロウがつぶやいた。
 ベロニカたちはネドラを狙っているが、なかなか照準が定まらないようだった。
「めんどくせえ!イレブン、俺たちであいつをおいこもうぜ」
 いらだったカミュがそう言った。
「待った、手が届かないよ」
 敵は空に浮いているのだから。
「どうにかならねえか、姉御」
 マルティナはくやしそうに答えた。
「私の蹴りでも、せいぜい一二発だわ」
 連携技で使えるものはないかとイレブンは言おうとして、いきなり背筋があわだつのを感じた。
 イレブンはネドラに背を向けて振り返った。魔神が立ち上がろうとしていた。
「あ、あ、あ」
 グレイグは悲壮な顔になっていた。イレブンとグレイグだけは、廃墟と化したデルカダール城でその姿を間近に見ている。魔軍司令ホメロスが、魔獣と化した姿をこの仮の世に現わそうとしていた。
「ホメロス、その姿は……」
 すべてのステータスがよみがえるなら、ホメロスのそれが魔獣となるのは当然だった。
 ヒトの姿の時の倍近い身長があり、体の厚みもそれにふさわしく増していた。体色は紫、背には赤みがかった皮革質の翼を背負い、手足は獣毛に覆われ、黒いとげのある太い尾を備えた魔物の姿だった。
 が、本来シルバーオーブが埋め込まれているはずの胸の中央は、青紫の体液にまみれたうつろな穴があるばかりだった。
 爛爛と赤く輝く目で、瀕死の魔獣が膝をつき、立ち上がり、翼を大きく広げた。
 蒼空へ向かってホメロスが飛び立った。
 ネドラはホメロスに向かって頭を振りたてて威嚇した。が、ホメロスは巨大な両翼を鮮やかに舞わせ、空中でやすやすとネドラの背後を取った。
「最初からこうすればよかったのだ」
 たくましい腕でネドラの胴を巻き込んだ。
「このまま撃て!」
 地上に向かってそう叫んだ。
「あなたも巻き添えになってしまう!」
「かまわない!」
 イレブンは必死で首を振った。
「こんな風に罪を償うなんて、だめだ!あなたは、そんな」
 ふいに誰かがイレブンの肩をつかんだ。
「あいつのいうことを聞いてやってくれ」
 グレイグだった。
「グレイグさん!どうして?!あなたもセーニャたちもホメロスの罪を許しているのに」
「ちがう、あれは贖罪なんかじゃない」
とグレイグは言った。
「俺たちでネドラを仕留めて初めて、軍師ホメロスの戦略が完成するからだ」
 グレイグの、ひげを蓄えた男らしいあごが震え、目が潤んでいる。力を抜いたら泣き出してしまうのをこらえているのだろう。
 上空からホメロスが叫んだ。
「俺の命はもう尽きる。今のうちだ、決めろ、イレブン!」
 イレブンは唇をかんだ。
「イレブン」
 ベロニカが声をかけた。
「ホメロスは、あの状態がそうとうきついはずよ。ただでさえ魔獣化して神経がひきつるほどの痛みの上に、シルバーオーブを失っているんだから」
 ベロニカの声は低く、震えていた。
「楽にしてあげて」
 セーニャはうつむいて肩をふるわせていた。
「ベロニカ、セーニャ!」
 イレブンはこぶしで涙をぬぐった。
「ネドラを狙って!」
 姉妹は掌底をそろって空中へ向けた。
「発動、クロスマダンテ!」
 圧縮魔法陣の金のリングが前後左右の四重に重なっている。発動の瞬間リングは砕け、金の粒子として奇跡的に姉妹の周辺に漂った。一瞬の閃光が粒子を蹴散らした。すさまじい魔力が大地から噴きあがり、紫の爆発となってあらゆるものをなぎ倒した。
「うっ」
 イレブンたちは片手を顔にかざして噴煙をよけながら、爆風に体をさらわれまいと足をふんばっていた。
 しばらくのあいだ、魔力の噴出と、現実の土埃が空中を舞ったために、空はほとんど見えなかった。
 やがてぽつりとカミュが言った。
「取ったか?」
 パーティはあたりを見回した。
 ものも言わずにグレイグが飛び出した。
「ホメロス、ホメロース!」
 グレイグは上空を見上げている。その視線の先には、落下する魔獣がいた。
 マダンテの光に竜と魔神が包まれたところまでは見たのだが、やはりホメロスは魔法の衝撃を受けてしまったらしかった。
 農地の土の上に傷ついたホメロスはどさりと落ちた。ようやく追いついたグレイグが、魔獣の巨体の前に膝をついた。
「ホメロス……」
 ヒトだったときのホメロスの美貌の名残を残す顔で、彼は皮肉っぽく微笑んだ。
「最後まで、うるさい奴だ」
「またか、またなのか?こんな終わり方は嫌だ!」
イレブンたちは重い心を抱えて二人の周囲に集まった。ホメロスが助からないのは、ひと目でわかった。翼を断ち切られ、全身に傷を負い、胴体はほぼ切断に近い状態だった。
「ふん、俺の戦略がどうこうと、偉そうにほざいていたじゃないか。少しはましになったかと思えば……」
 口調はホメロスのもの、だが、もう、か細く、とぎれがちだった。魔獣の巨大な手の指をグレイグは両手でつかみ、抱きかかえて泣いていた。
「俺は、俺は」
「グレイグさま」
 セーニャが話しかけた。
「ホメロスさまは罪の自覚を抱えて転生を繰り返していらしたのです。でもやっと、無明の夜が明けます。もう一度言ってさしあげて。“最後までそばに”、と」
「転生を繰り返しただと……?」
 ホメロスの口が、皮肉めいた笑いを形作った。
「グレイグ、おまえは……器の大きな男だ」
 グレイグは面食らったようだった。
「おい、何を」
「おまえの魂は、博愛と純粋でできている。俺は何度転生しても、おまえがそばにいることで、いつも自分の器の小ささを思い知るはめになった。どんな人生でも必ずお前がそばにいる。どんないやがらせだ」
 ふふ、と笑おうとして、ホメロスの表情が痛みに歪んだ。
「ホメロス、俺は、ホメロス……」
 ぽつりとホメロスは言った。
「俺の人生は、ずっと負け戦だった」
 その目はもう、焦点を失いかけていた。四肢の末端から血の気が失せていく。魔物ではあれ生物であったものが、命の散華とともに実態を失い、砂のように崩れていこうとしていた。
「そんなことはない!おまえのおかげで今回は勝ったじゃないか」
「勝ったのは、村の者たちだ。俺は、また」
 抑揚が失われかけていたが、そのつぶやきには強い自負と、そこから来る自嘲と、寂寥が漂っていた。
「ホメロス、ホメロスよ」
 泣きながらグレイグはかきくどいた。
「また生まれかわるのなら、また会える。そうだろう?そばにいてくれ、最後まで。この次はきっと、お前を覚えている」
 もうホメロスの身体の大半が砂となって消え、最後に残ったのは頭部だけだった。切れ長の目を閉じながら、ホメロスはかすかな声でつぶやいた。
「ふん、いちどだけだぞ……」
 そのまま、さらさらと風化して消えた。
 一粒も逃さない勢いでグレイグはあわてて両手で砂をかきよせた。だが、つかもうとすればするほど、こぼれて散っていった。それはもう、砂でしかなかった。両手にひとつかみずつ握り締め、残りを腕でかきよせ、しっかりと抱え込み、グレイグは震えながらその上に顔を伏せた。
「……っ、」
 仲間たちはグレイグの声なき慟哭を見守ることしかできなかった。

 勇者イレブンとそのパーティは、プチャラオ村で一番高い場所に集まっていた。階段を上がり切ったところにある小さな空き地で、見晴らしの良い場所だった。
 グレイグが腕に抱えているのは、奇跡的に残されたホメロスの愛剣のうちのひと振りだった。
 二刀流の剣士だったホメロスのもうひと振りの剣は、その空き地に築いた塚の上に墓標の代わりに突き立てられていた。塚の下に埋まっているのは、一握りの砂だった。
「早く生まれ変われ、ホメロス」
 静かにグレイグは言った。
「この人生を全うしたら、俺もきっとおまえの隣に生まれ変わるから」
 そう言って、振り向いた。
「みんな、ありがとう、ホメロスを悼んでくれて。あいつのしたことをみんな覚えているだろうに」
 シルビアが肩をすくめた。
「ええ、忘れようったって忘れられないわ。でも、ホメロスちゃんに裏切られたアナタも、お姉さんを奪われたセーニャちゃんも、ホメロスちゃんを許しているのよ。しかもここはもう、あのロトゼタシアじゃないわ。ホメロスちゃんの罪は、だからもう、ホメロスちゃんの中にしか存在しないのよ」
 そうね、そうだな、と、パーティは静かに肯定した。
「この村の戦いでホメロスさまは少し、ご自分のことを許せたのではないでしょうか」
とセーニャがつぶやいた。
「だと、いいな……」
とイレブンが答えた。
「少なくともきっかけは、手に入れたんじゃないかしら。あいつ、最後はちょっと笑ってたように見えた」
 ベロニカが言うと、カミュは肩をゆすって笑った。
「最後までカッコつけた二枚目面してやがった」
 ふふ、とマルティナが笑った。
「彼、昔からそうだったわ。でも、誰も見てないとこで、子供だった私を笑わせてあやしてくれたの」
 目元を手で押さえてつぶやいた。
「もう一度会えるかしら、私も」
 マルティナの背をそっとたたいてロウがつぶやいた。
「会えるとも。姫や、わしもな、こちらの世界で娘と義理の息子にまた会えたぞ。今度は何とか生き延びてくれたんじゃ」
「エレノア様に、アーウィン様。まあ」
 マルティナは微笑んだ。
「ぼくも、テオじいじに会えた」
 イレブンはそう言って、自分の手の甲が見えるように掲げた。あれほどくっきりと輝いていた勇者の紋章は、すでに薄れ、消えかけていた。
「今のステータスを保てる時間はそろそろおしまいみたいだ。ぼくたちの前世の記憶がどこまで残るかわからないけど、でも、ぼくは後悔してない」
 仲間たちは互いの顔を目に焼き付けるようにじっと眺めた。
「もし全部忘れちまっても、案外、来世で会えるんじゃねえか?」
「そうじゃのう」
「そうですわね」
「そうよ、信じましょ。あたしたち八人、また会えるって」
「待って、九人よ、そうでしょ?」
 うむ、とグレイグはうなずき、塚の上の剣を振り向いた。決戦の一日はようやく終わろうとしていた。差し込んだ夕日に、刀身が明るく輝いた。
 それはまるで、ホメロスの答えのように見えた。