ホメロス戦記・七人の傭兵 10.怪人族来襲

 宴が終わるころ、あたりはすっかり暗くなっていた。提灯の列も火が消えていた。
「軍師殿、どこへ行くんじゃ?」
とロウが尋ねた。
「ちょっと夜風に当たって考えごとをしたい」
 ホメロスはそう答えた。
「ほう、ほう。わしの家は武器屋の向かいじゃ。気が向いたらおいでなされ」
 ボンサックの宿を閉鎖したので、七人の傭兵たちは村長宅をはじめいくつかの家に分散して泊まることになっていた。ロウは言外に、今夜グレイグと顔を合わせるのが気まずかったら来い、と言ってくれていた。
「俺は村長の家に泊まるつもりだ。心配無用」
 会釈して謝意を示し、そのままホメロスは階段を上り始めた。ほとんどの部分は積み木めいた木枠の壁に挟まれているが、階段を吹き抜ける夜風は意外に冷たかった。ホメロスは旅行用のマントを体に巻き付けた。村の全景を見るために一番上の広場へ上がろうと思ったのだが、そこには意外な人物がいた。
「ごきげんよう、ホメロスさま」
 村の一番上の広場は、空中にやや張りだしている。そこを飾り手すりで囲み、石畳を敷き詰め、石卓を置き、その周りに石のストールとベンチが並んでいた。
「なぜここにいる。子供は寝る時間だろう」
 石のベンチに、幼いセーニャがちょこんと腰かけていた。帽子もボレロもなく、裾に白いラインの入ったメダ女初等部の制服だけだった。姉と同じメリージェーンシューズをはいた靴が、石畳に届かずゆらゆらしていた。
「ええ、姉はもう眠っています。ここに来ればホメロスさまに会える気がして、来てしまいました。もう一度ホメロスさまとお話ししたかったのです」
 七歳の幼女の華奢な身体、あどけない顔立ちだが、大人のセーニャの魂がその目からのぞいていた。
 ホメロスはセーニャの隣に座った。自分のマントを広げ、少女の肩を包み込んだ。
「暖かい、ですわ」
 すべすべした頬をホメロスの腕に押し付けて、セーニャはつぶやいた。
「グレイグさまは、ご自分の無神経さを反省されたようですわ」
 ホメロスは肩をすくめた。
「だからどうした」
「まもなくモンスターが来ます。ホメロスさま、その前にもう一度グレイグさまときちんと話してください。グレイグさまは故意にホメロスさまを無視したり、プライドを傷つけたりしたわけではないのです」
 ホメロスは首を振った。
「もう時間がない」
「敵はまだ来ていません!」
 セーニャの抗議をホメロスは感情の無い目で受け止めた。
「俺はまもなく、死ぬだろう」
 セーニャは息を呑んだ。
「でも、シルビアさまには『勝ち目がある』と」
「そうだな、俺たちは勝つ。このホメロスが策を練ったのだ。愚鈍な化け物どもに負けるはずがない」
 智将の誇りもあらわにホメロスは言い放った。
「だが俺は、何度も生まれ変わってきたが、かつての享年を越えて生きられたためしがない。生まれてから三十数年の間に必ずグレイグと、そして勇者とめぐり合い、嫉妬に苦しみ、なんらかの試練を与えられる。その試練に成功しても失敗しても、いつも三十六で俺は死ぬ。今回はその試練がおそらくこの村の戦いだ」
「いやです、そんな!」
 ホメロスは薄く微笑んだ。
「グレイグの件は、あれは溜飲が下がったぞ。もう十分だ」
「待ってください、まだホメロス様が救われていません!」
「俺はもう諦めている。あいつはあれ以上変わらない。考えてみろ、気配りができて人の心の機微に聡く、他人の苦しみを捨て置いても規則を遵守する、そんなグレイグはもう、グレイグではないからだ」
 話しながらホメロスは、幼いころグレイグのどこが好きだったのかを思い起こしていた。鈍感で不器用で、でもホメロスの寂しさや悲しみに共感していっしょに涙を流してくれた。
――今頃になって思い出すとは。
 ホメロスは苦笑した。
「あいつはあれ以上変わらない。そして俺も変わらない。ならば結果は、変わりようがないではないか」
「そのように決めつけないでくださいませ。ホメロスさまだって、きっと」
 ホメロスは首を振った。
「『どうか俺を見てくれ、見捨てないでくれ』と懇願するのか、この俺が」
「プライドが、それほどに大事でしょうか?」
 ふん、とホメロスはつぶやいた。
「勇者は生きとし生ける者を救うそうだな。ならば、俺一人くらい意地を通して無明の闇を歩き続ける者がいてもよかろう」
 セーニャは泣きながら首を振ることしかできなかった。ホメロスは、幼女を膝の上に抱き上げて夜風から守るように自分のマントでくるみこんだ。体温の高い子供の身体は暖かだった。
「すべては俺の意地だ。だからお前が泣くことはないのだ、双賢の娘」
 そう言って、ヘアバンドの下の金髪を穏やかに撫でた。

 プチャラオ村の子供の一人が、大岩の上で身を起こし、背後に向かって片手をあげて大きく振った。下からそれを見上げていた別の子供が同じように手を振り出した。岩から岩、子供から子供へ、伝令が伝わる。意味するところはたったひとつ、“やつらが来た!”だった。
「イレブン兄ちゃん!」
 仲良くなった村の子供たちが走ってきた。
「あいつら、来たよっ」
 イレブンは早口で指示を出した。
「見張りの子たちを全員引き上げさせて。ぼくはホメロスさんに話してくる」
 うん、と子供らはうなずいた。
「リキオ、チェロン、君たちがリーダーだ。みんないるか確認したら、全員まとまって避難所へ行くんだ。いいね?!」
 はいっという返事を聞いて、イレブンは走り出した。
 その日は最初にベンガルが来てから十日目の、指定の日に当たっていた。実は指定日のだいぶ前から、見張りと伝令部隊は村の入り口のはるか上にある岩から一日三交代でプワチャット平原を見張っていた。明るめの曇り空で風も穏やかだったが、村は朝から緊張していた。
 イレブンが最初に向かったのは、見張りのいる大岩の真下だった。
「マルティナさ~ん!敵が来ました!」
 岩の真下は、ちょうど村の出入り口にあたっていた。そこでは大勢の村人が最後の作業をしているところだった。全員が振り向き、空気が一気にざわついた。
「わかったわ。ここはもう、十分。撤収!」
 マルティナが叫んだ。
「したらば、こうだっ」
 村人の一人が、持っていた手桶の中身を村の出入り口の周りにぶちまけた。奇妙に甘い香りがあたりに漂った。
「おらも!」
「やってやるべ!」
 同じ香りが出入り口の両脇から漂ってくる。白い岩に甘い香りの液体、どうやら、蜜を塗りたくっていたようだった。
「イレブン、村へ知らせて」
「はいっ」
 イレブンはまた走り出した。後ろからマルティナ率いる蜂対策班が急ぎ足で村へ向かっていた。
「敵襲です!」
 村に入ってすぐの石畳の広場では別の作業が進行していた。村長のギサックが、一度ぶるっと身を震わせた。
「避難、開始!」
 マルティナが頼もしい笑顔を村人に向けた。
「急いで、でも、あわてないで。大丈夫、うまくいくわ」
 テオのようなケガ人や病人、妊婦はあらかじめ避難所入りをしていた。戦闘が始まる直前、打ち合わせ通り非戦闘員である子供たち、年寄り、そして神父とシスターが列を作って村の階段を上がり始めた。目指すは階段を上って下りたところの農地の、そのまた先にある土山に開いた大きな扉だった。
 その扉の中は古い石造りの大きな部屋だった。つまり大きな建物が土山の中にすっぽり埋まり、扉だけが見えている状態になっていた。これが村の避難所だった。
「遺跡にメルトアがいなくて、幸いだった」
 扉を開いたとき、ホメロスがそうつぶやいた。
「メルトアって誰ですか?」
 イレブンが尋ねるとホメロスは首を振った。
「壁画に描かれた女だ。だが、今は関係ない」
 イレブンは首をひねった。ホメロスの言う“遺跡”には壁画らしきものはまったくなかったのだから。
 誘導路建設工事の間、村人たちは財産や貴重品、家財道具などをあらかじめこの遺跡へせっせと運び込んだ。そこへ、今、村人も続々と逃げ込んでいた。
 村人たちが昇っていく階段は、木枠の壁に挟まれている。壁の外側にある二階家の屋根の上では、誘導路細工班が最後の点検をしていた。
「こいつがうまくいってくれれば」
 カミュとロウが細工班の村人たちの助けを借りて、それぞれ提灯を張り渡している。戦いの前なのだが悲壮な雰囲気はなく、むしろわくわくと待ちかまえているような顔だった。
「じいさん、気をつけろ!」
 階段の両側の家の屋根から声をかけあい、仕掛け提灯を吊った綱を左右から引き合う。
「わかっとるわい」
「もうちっと、右だ。うまくいってくれよ?」
「上手くいくとも。あれだけ工夫を重ねたんじゃ」
 たのむぜ、とカミュがわざと軽く言葉を重ねた。
「お宝抱えて故郷へ帰りたいからな」
「妹さんがいるんじゃと?」
「ああ!将来美人になるぜ、ちょっと口うるさいけどよ」
「ほお、それじゃ、死ぬわけにいかんのう」
 よしっと声があがり、すべての提灯が誘導路の上へ固定された。
「できた!皆の衆、所定の位置へお願いしますぞ」
 村人たちがばらばらと散っていった。
 誘導路わきにある家々では、屋根の上や二階のバルコニーにボウガンを持った弓隊が勢ぞろいしていた。
「まず気を付けるのは、こちらが撃たれないこと。いいわね?」
 弓隊を率いるマルティナが、そう注意した。
「そして、合図を待って一斉に矢を放つ。訓練と同じようにやれば絶対に当たるわ」
 ボウガン隊は訓練を重ねるにつれてどれも肝の据わった面構えに変わってきていた。が、さすがに緊張はしているようだった。
「緊張して当り前よ。さあ、撃つ時が来るまでは敵に見つからないように姿勢を低くして」
 射手たちは祈りの言葉をつぶやきながらバルコニーにうずくまった。
「どうか、みんな無事でありますように」
 非戦闘員は避難、弓隊と細工班は誘導路脇の家屋の二階や屋上で待機している。それ以外の村人のほとんどは、槍隊だった。
 槍隊は隊長のグレイグとともに、遺跡前の平地にいた。村の成人男性の中でも体格がよく、槍使いの上手な者を選抜して、さらにグレイグが訓練を施してきた者たちだった。
「いよいよだ」
 村の男たちはごく、と唾液を呑み込んだ。
「そう緊張するな。弓隊と誘導路の細工班がごっそり敵の数を減らしてくれるはずだ。仲間を信じろ」
 グレイグの言葉に、槍隊がうなずいた。
「大丈夫、ホメロスがこちらにも仕掛けを考えてくれただろう。ただ、仕掛けの発動までは俺たちが持ちこたえなければならん。相手はモンスターだから、一見怖くて当たり前。見慣れてしまえばどうということはない。呑んでかかれ。いいな?」
 おうっ、と応じる声は、覚悟のほどを示していた。
「全員、持ち場へ潜伏。合図を見逃すなよ?」
 槍隊を平地周辺に伏せ、グレイグは村へ上がる細い道をたどった。上の方から、誰かが降りてきた。シルビアだった。いつも身につけている太いストライプの道化服ではなく革の鎧を装備し、腰の左右に双剣を吊っていた。
「グレイグ」
 この間のつるし上げ以来、なんとなくシルビアとはぎくしゃくしている。グレイグはなんと言えばいいかと迷った。
「いよいよね」
「……そうだな」
「あのね、アタシ」
 一度ためらってから、シルビアが言葉を続けた。
「戦いの始まる前に一言だけ言っておきたいことがあるの」
 一瞬グレイグは身構えた。
「やーね、怒られると思ったんでしょ?」
 シルビアは薄く微笑んだ。
「お礼を言おうと思ったのよ」
「礼とは?俺は何かしたか?」
「昔のことよ。アナタ、ソルティコにいたころアタシにこう言ったのよ、『おまえは好きなように生きるのが似合っている』って」
 そう言って、シルビア/ゴリアテは苦笑した。
「アラ、これも忘れちゃったのね?」
「……すまん、その通りだ」
とグレイグは白状した。
「でも、アタシは覚えてた。アタシが家出して旅芸人になったのは、それが理由よ」
 グレイグはぎょっとした。
「まさか、そんな」
 シルビアは、自分の手のひらをグレイグのほほにそっとあてた。
「ありがと、ずっとアタシの背中を押してくれて」
 武装した戦士のいでたちにもかかわらず、シルビアの表情は聖女のようだった。
「戦いの前にお礼を言っておきたかった。今日、これから何があっても、アナタはアタシの特別な友達よ」
 グレイグはシルビアの手の甲に自分の手を重ねた。
「俺はつくづく考えなしに物を言ってきたのだな。俺のほうこそ、ありがとう、ゴリアテ、こんな俺を友達にしてくれて」
 ふふっとシルビアは笑った。
「それ、ホメロスちゃんに言っておあげなさいな」
 グレイグは思わず苦笑いした。
「うまく言えんのだ」
「彼、言ってたじゃない。一番シンプルな言い方をすればいいのよ」
 シルビアは村のほうを見上げた。
「さあ、始まるわ。アタシ、行ってくるわね」
「頼んだぞ」
 ぱち、とシルビアは片目を閉じた。
「天下の旅芸人シルビアが主役を務めるのよ?千客万来間違いなしだわ。いっくわよ~」
 シルビアは身軽に階段を駆け上がっていった。
 同じころ、ラムダ姉妹は避難のために遺跡へ入った。中は雑然としている。家財があるので狭く、そこに高齢者や病人、妊婦、子供たちなどが集まっているが、そわそわと外のようすをうかがう者、だまりこくって手を組み合わせ、祈りの言葉をつぶやく者、さまざまだった。
 ベロニカがつぶやいた。
「くやしいわ、魔力がもうちょっとあったら、あたしたちも外で戦えるのに」
 真剣な顔でセーニャが尋ねた。
「こっそり戦ったらだめでしょうか」
「たぶん、足手まといよ。ほんと、くやしい」
 セーニャは、幼女の体にあまるような吐息をついた。
「もう少しなのです。ホメロスさまは、グレイグさまのことをちゃんとわかっていらっしゃいます。あとちょっとで、いえ、ほんの一言でいい、それがあればホメロスさまは救われるのに」
 時間切れだなんて、とつぶやいてセーニャは両手の中に自分の顔をうずめた。

 プワチャット平原を北上する街道を、怪人族のモンスターの群れが続々とたどっていた。先頭はベンガルでこの道を通るのは二度目だった。
 前回村へ予告しに行ったときは、最後に追い払われたかっこうになってしまった。海岸の洞穴にあるアジトへ戻ると同行したごろつきやコボルトたちから文句を言われたりからかわれたりしたのだが、ベンガルは力で黙らせた。
 だから、今回は失敗するわけにはいかない。
「最初が肝心だからな」
と、出発前に怪人族の頭、赤紫のローブを頭から被ったアークマージからも釘を刺された。
「村に甘い顔を見せるなよ?食い物は、きっちりといただく。こっちにはもうアトがねえんだ」
 あれから怪人族の仲間が魔界から次々とやってきて、海岸の洞窟は手狭になった。そしてとうとう、食べ物が尽きた。
 だが同時に、これなら、と思うだけの兵隊の数もそろった。
「このあいだの敵襲で、リリパット族がかなりやられました」
 ベンガルがそう言うと、アークマージは鼻で笑った。
「やられたのは奇襲だったからさ。人間どもは腰抜けぞろいだ、本当の正面きっての戦なんかできやしねえだろう。とにかくこちらの頭数をそろえて押しかけて、ひとあばれしてみろ。あいつらすぐに震えあがって飯を差し出すだろうぜ」
「この間は、なかなかの戦士が二人ほどいましたが」
 おずおずとベンガルが言うと、アークマージは手を振って退けた。
「心配するな、この間とは兵隊の数が違うさ。いざとなったら、頼りになる用心棒もいるからな。ベンガル、おまえは怪人族のなかじゃパワー系のほうだ。加えて交渉もできる。ドルイドや魔法じじいじゃどうも押しが弱いし、かといってごろつきやおおきづちじゃ、弁舌で人間どもから食い物だけ巻き上げるのはむずかしい。おまえしかいねえんだ、うまくやれよ、いいな?」
「お頭は?」
「俺は後詰だ。いざとなったら前へ出張ってやる」
 とりあえず、汗をかく役は自分らしい。それならせいぜい暴れてやる。実を言うと、食べ物が少なくなったのでかなりひもじく、ベンガルは苛ついていた。
「村が見えてきました」
 おおきづちの一人がそう言った。ベンガルの前方には、プチャラオ村の入り口付近を流れる小川と、そこにかかる橋があった。
「待て、なんだあれは?」
 橋を渡ろうとする車両があった。大きな板の両側に車輪を取り付けただけの荷車に、木箱、俵、布袋、樽などを満載している。荷車を引くのも、後ろから荷車を押すのも数名の村人たちだった。
 村人たちはきょろきょろとあたりを見回していた。村から戦士の一団が出てきて、荷車の周りを固めた。
「大事そうにしているな。もしや、食い物じゃねえか?」
 ベンガルは、かっとした。
「あいつら、俺たちに渡すまいと食い物をどこかへもっていって隠すつもりだぞ!」
 部下たちが一気に沸騰した。
「させるかっ!あれをかっさらえ!」
 急げぇぇぇっと叫んでベンガルは先頭を切って走りだした。飢えたモンスターの群れが後に続いた。
 護衛の戦士たちがこちらに気付いた。数名が鞘から剣を抜いて身構えた。どうやら隊長は、革の鎧を装備した背の高い戦士のようだった。あの時の大男の戦士か?ベンガルは目を凝らした。が、体格が違うと思った。
 ならば、こっちのもの。
「やっちまえ!」
 モンスター軍の中から、矢が飛び出した。残り少なくなったリリパットの弓兵を、ベンガルはすべて前衛に連れてきたのだった。数本の矢がたちまち矢車に突き立った。
 隊長は、弓兵の襲撃に危険を感じたようだった。何か叫び、手で村の入り口へ引き返すように指示した。
 村人も戦士たちもすぐに踵を返した。食料を満載した荷車を押して村へ戻っていく。どれも小走りだった。
「させるものかっ」
 ベンガルのあとにはパンツ一丁にマントだけのごろつきたちが歓声をあげて続いた。村の入り口の狭い通路を抜けた。
 枯れ井戸の脇に先ほどの荷車が放置されていた。この車では通路から広場へ上がる数段を上れなかったのだろう。ただし荷台は空だった。戦士や村人は大事な食料を担ぎ上げて広場を走って逃げようとしていた。だが、重い荷物を数人がかりで抱えての移動は、けして早くなかった。
「ウオオオッッッ!」
 勢いは止まらない。雄叫びを上げてモンスターの群れは広場へばく進した。
 隊長がこちらを振り向いて、くやしそうな顔になった。
「荷物はあきらめろ!」
 村人たちはかなりためらったが命には替えられないらしく、木箱や樽をその場に投げ出し、広場の奥の階段へ向かって逃げ足を速めた。
 モンスターの群れは置き去りの荷物の周りに群がった。
「やったぞ!」
 魔界にいたころからあこがれていた豊富な食べ物が目前に積み上げられている。凶暴でさえある歓声が沸き起こった。
 ベンガルはわめいた。
「待て、待て、分け前はお頭が来るのを待て!」
 一番強いやつが一番いい飯を食う。モンスターにとっての鉄則だった。群れは静かになった。
「だが、まあ、見に来てもいいぞ。おう、リリパットどもは前に出てこいや。さきほどはがんばったな。いっしょに獲物を拝もうじゃないか」
 広場の真ん中には、木箱や樽。その周りにはモンスターの群れ。おじけづいたのか、村人たちは隠れているようだった。浮き浮きとベンガルは身を乗り出した。

 隊長を演じたシルビアが、広場を見下ろす道具屋の屋根の上へあがってきた。
「あんなもんでいいかしら?」
 眼下にはかなりの数のモンスターが広場に集まり、置き去りの荷物を取り巻いていた。
「蜂はいないようだな」
 ホメロスが警戒していたのは二つの種族だった。遠距離攻撃が可能なリリパットと、青蜂に騎乗したメソコボルト、すなわち青バチ騎兵だった。特に青バチ騎兵は誘導路を無視して行動できる。真っ先に排除したいモンスターだった。
「村の出入り口の両側に塗った蜜に引っかかってるのよ」
 天然の蜜に砂糖、みりん、酒、そしてある種のキノコの粉末を混ぜて煮込んだものを用意させたのはホメロスだった。それをマルティナひきいる蜂対策班が来襲直前まで村の出入り口に塗りつけていた。
「あれ、毒餌なんでしょ?」
「死にはしない。しびれて飛べなくなるだけだ」
 眼下にひしめくモンスターの中には、蜂から降りたメソコボルトが大量に混じっていた。
「これでいい」
とホメロスはつぶやいた。
「アタシがやる?それとも、ホメロスちゃん?」
 シルビアの手には、長弓があった。