容疑者ピエール 4.証人ヘンリー

 オジロンは驚いたようだった。
「いや、死者の代理人は証人にはなれませんぞ」
「ハーヴェイ・ローワン自身について明らかにしたいことがあります。が、ハーヴェイはラインハット人でした。僕の質問に答えるための情報を持ち合わせているのは、ヘンリーです」
ルークは言い張った。
 ヘンリーが声をかけた。
「それなら、裁判長閣下、俺をこの役目から一時解任してください」
オジロンはルークとヘンリーの顔を交互に眺め、背後にいたアウリオ公とブラント将軍とあわただしく言葉を交わした。
「ヴェルダー卿のお考えは?」
鷲鼻の先を見つめるようにしてヴェルダー卿は軽く眉をあげた。
「正義の側には私がおりますので、ヘンリー殿が一時解任となっても問題ありませんな」
取り澄ましたヘンリーの眉が、ぴくんと動いた。親分、今は暴走しないで、とルークは祈りたい気持ちになった。
「わかりました。では、ラインハットのヘンリー殿、一時的に死者の代理人の役目を解任し、証人として法廷にお呼びします。証言台へどうぞ」
証言台にはビアンカがいた。ビアンカはすれちがうときにヘンリーとちらっと眼を見合わせた。ルークのいるところからお互いに小さくうなずきあったのがわかった。
「ラインハットのエリオスの子、オラクルベリーのヘンリーは、マスタードラゴンにかけて真実を述べると誓う」
ルークの尋問が始まった。
「亡くなったハーヴェイ・ローワンについて質問したいと思います。彼はあなたの使節団の一員でした。どのような役職で使節団に参加したのですか?」
「書記としてです」
「彼はどのような書記でしたか?」
「無能な書記でした」
言い放つ口調に法廷中の人々は驚いたようだった。
「なぜ無能だと言われるのですか?」
「おれが要求するレベルの文書を単独で仕上げたことが一度もなかったからです。ほかにも口述の筆記や写しの作成といった書記として必要な技能が、他の書記たちにくらべて低かった。無能としか言いようがありません」
「では、なぜ彼が選ばれたのですか?」
「ハーヴェイをラインハットに置いておくわけにいかなかったので、船に乗せたのです」
「いったい、なぜ?」
ヘンリーはためいきをついた。
「ハーヴェイはラインハット王宮内で、とある名門の婦人に無礼を働いた結果、その婦人の御家族、特に父君、兄君方の怒りを買っていました」
その話は会衆にドリスの件を思い出させた。
「その件についてお聞きします。ハーヴェイは何をやったんですか?」
「不幸にも夫君を亡くした若い未亡人をだまして二人きりになり、一方的に言い寄ったのです」
「それは高圧的な言い寄り方だったのですか?もしピエールのような騎士がそばにいたとしたら、女性を守るために剣を抜かなくてはならないと感じるほどですか?」
「いや、全然」
言下にヘンリーは否定した。
「その婦人は毅然として交際を断り、きっぱりとハーヴェイに出て行くように申し渡しました。さらにそのことを公にしたために、事件が発覚しました。早い話、やつはヘタレです」
法廷のあちこちで失笑がもれた。
「その女性は、気丈な方ですか、たとえばドリス姫に比べて」
「淑徳に定評のある深窓育ちの貴婦人でした。実戦における攻撃力については、ドリス姫の足元にも及びません」
ルークは、反対側にいるヴェルダー卿を観察した。卿は半眼閉じて何か考えているようだった。
「では、ハーヴェイがドリスに言い寄ったとして、危険な状態に見えたと考えられますか?」
「カマキリがオノをふりあげて駿馬に襲いかかったようなものです。蹄で踏みにじればいいだけのこと。俺がその場にいても、危険は感じなかったと思います」
論拠としては少し弱いのはわかっていたが、昨夜打ち合わせをした通りの証言をしてもらってルークはほっとしていた。オジロンたち裁判官の表情からも、こちらの主張に耳を傾けてくれているという手ごたえをルークは感じていた。
「こちらからは以上です」
そのとき、でかい独り言が響き渡った。
「いやはや、妙な話だ」
ヴェルダー卿だった。
「ヴェルダー卿、尋問でしたら、順番を守っていただきたい」
オジロンが言ったが、ルークは身振りで自分の質問は終わった、と告げた。
 ヴェルダー卿はいそいそと尋問にとりかかった。
「ハーヴェイ・ローワンがラインハットでそのような事件を起こしたのは、いつのことですかな?」
「使節団が出港する半月ほど前です」
ヴェルダー卿は証言台のヘンリーを余裕ありげな態度で見ていた。
「私にはどうも妙に聞こえるのだが、それはラインハットでは普通のことですかな?そのような事件を起こした者が公的な使節団に席を占めるなどとは」
「普通ではありません」
とヘンリーは言った。
「ではどうしてハーヴェイが選ばれたのですか?」
「ハーヴェイの場合は国王陛下の特別な配慮がくだされ、頭を冷やすために自宅謹慎に代えて海外へ行くことになったのです。ハーヴェイ・ローワンの先祖はラインハット王家の庶子でした」
ざわめきが生まれ、あちこちに広がっていった。
「配慮を賜ってなおこのような事件をハーヴェイが起こすとは、同じ血に連なる者として、まことに面目ない。グランバニアにご迷惑をかけた件は死者になりかわってお詫び申し上げたいと思います」
沈痛な表情でヘンリーが話すのを遮った者がいた。
「王家の庶子だったと、そうおっしゃるのか!」
ヴェルダー卿はにんまりしていた。
「いやはや!詫びるのは当方ではないのか?むざむざとモンスターの手にかけさせたとは」
ヘンリーは醒めた目でヴェルダー卿を眺めた。オジロンが咳ばらいをした。
「尋問する事項はわかりやすくお願いします」
「失礼、あまりの情けなさについ狼狽いたしました。ヘンリー殿、死者はそれでは、お国へ帰れば輝かしい未来があったわけですな?それを我が国でモンスターの手で奪われた、と」
「まてよ、うちのハーヴェイをヴェルダー卿におひきあわせしたことがあったかな、おれは?」
皮肉たっぷりにヘンリーは独白した。
「見ず知らずの若者をこれほど高く評価してくださる卿の優しいお心には感涙を禁じえませんが、輝かしい未来というのはかなり実像から離れた描写だと思います」
「しかし王家の」
「ラインハット王家は代々艶福でして」
しれっとしてヘンリーが言った。
「庶子なぞ珍しくもない。城下で石を投げれば王家の末裔に当たります」
「デール陛下はしかし、ハーヴェイに配慮を賜ったのですな?」
やや間をおいてヘンリーは答えた。
「然り」
満足そうにヴェルダー卿はほくそえんだ。年寄り猫が前足の間のネズミを見るような目つきだった。
「名宰相の名をほしいままにされておられても、ヘンリー殿は何と言ってもお若い。我が国の国王陛下と親しんでおられることもよく存じ上げておりますぞ」
猫なで声でヴェルダー卿は言い始めた。
「が、一国のまつりごとには通さねばならない筋というものがある。若さにまかせてそのことわりをないがしろになさるようでは宰相としてはまだまだ未熟」
「ご質問の趣旨をはかりかねますが」
「ラインハット人としてのヘンリー殿におうかがいしたい。貴国の歴史において、モンスター一匹の命を友好国の絆よりも重んじた、というケースは、ありふれたものですか、それとも珍しい事態でしょうかな?」
一匹呼ばわりされたピエールが兜の下からじろりとヴェルダー卿をにらんだ。同じ法廷にいるビアンカとドリスが青ざめた顔で手を握り締めていた。双子が目で訴えかけている。お父さん、なんとか言って!
「どのモンスターのことか特定していただかなければお返事はいたしかねます」
「貴殿が御存知の範囲でのラインハット史上の事実をおうかがいしているまでですが?」
ヘンリーは、なぜかにやりと笑った。
 来るぞ、とルークは思った。
「その質問にお答えする前に、当法廷にお願いしたいことがありますが、聞いていただけますか」
ヘンリーの目はオジロンをとらえていた。オジロンは慎重に答えた。
「必ずヘンリー殿の思い通りになるとはお約束できかねるが、内容はおうかがいしよう」
「私はこのハーヴェイ・ローワンの死に関して、ヴェルダー卿とは異なる見解を持つに至りました。このままでは共同体制がとれませんので、死者の代理人を完全に解任していただきたい」
法廷がざわめいた。
「それでは、貴殿は、この法廷の進行にこれから口出しできないことになりますが、よろしいのですか?」
「いいえ、傍観者に徹するつもりは毛頭ありません」
ヴェルダー卿の目がうさんくさそうに細められた。その顔をちらりと見て、ヘンリーは続けた。
「グランバニア国王ルキウス陛下に、被告人の代理の補佐人として雇っていただきたい」
いつも温厚でおっとりしているオジロンが目をむいて叫んだ。
「なんだと!」
ちょっ、とか、そんな、とかいろんな言葉が飛び交っている。オジロンの背後で話し合っていたアウリオ公が口を開いた。
「残念ながら、ヘンリー殿、弁護人も補佐人役も他国で役職を持っている者には開かれておりません。あなたはラインハットの宰相でいらっしゃるから」
「承知の上です」
気障な手つきでヘンリーは、懐から巻いた羊皮紙を取り出して見せた。
「昨夜、おれは宰相を辞職してきました」
白手袋をはめた彼の手の中でひらひらと羊皮紙が舞う。そこには確かに、辞職を認める旨の文章とデール王の署名、印璽があった。
「なんで、そこまで」
「正義のためです」
ふっとため息を吐いて、もったいつけてそう言うのだが、うすら笑いを浮かべた顔が神妙さを裏切っていた。
「まったく、言った通りになったな!」
独り言にしては大声だった。
「位も職も放り棄てるだと?それが甘い、青い、あさはかだと言うのだ。これだから若い者は」
ヴェルダー卿はかさにかかって騒ぎ始めた。法廷中が煽られて口々に何か言い始めた。
「みなさん、どうかお静かに」
オジロンが制止するが、ざわめく法廷はとうてい抑えられない。批判的な私語の真ん中にいるのはヴェルダー卿がまくしたてる声だった。
突然誰かが言った。
「ったく、うっせえじじいだ」
その声はよく響いた。
 いっとき、法廷が静まり返った。ピエールではない、それはヘンリーだった。ヴェルダー卿は驚きのあまり声も出せなかった。さすがに裁判長が声をかけた。
「ヘンリー殿、そのような発言はお控えいただきたい」
「失礼しました」
素直に謝ると何事もなかったかのようにヘンリーは言いだした。
「オジロン殿、ヴェルダー卿と異なる見解を持つにいたった理由を御説明したいと思います」
「昨日私たちはこの同じ場所で、ピエールの剣とハーヴェイの衣服を調べたことを御記憶かと思います」
とヘンリーは話し始めた。
「記憶しているが」
オジロンは当惑しているようだった。
「もう一度お願いします。ここへピエールの剣と、ハーヴェイが死んだときに来ていた衣服を持ってきていただきたい」
ブラント将軍の命令で、昨日と同じ兵士たちが吹雪の剣とハーヴェイの服を持ってきた。法廷に品々が並べられるのを、ルークはどきどきしながら見ていた。
「やれやれ、時間の無駄ではないのか?調べなら終わっているはずだが」
ヴェルダー卿がぼそっと言った。
 ブラント将軍も、とまどった顔をしていた。
「剣には血が付いているし、上着には穴があいているのだが。これ以上、何を見たいとおっしゃるのだろうか?」
「昨日剣は鞘から抜き、上着は穴を確認しました。が、シャツは血が付いていることを確認したのみでした。シャツは、今血がべっとりついて、布地の胸の部分がかたまった状態です。血を落として、素のままの状態を調べたいのです」
「血を落とすと言われるが、具体的にどのように?」
ちらっとヘンリーは笑いを浮かべた。
「たいしたことではない。洗っていただけませんか」
とヘンリーは言った。
 三人の裁判官は顔を見合わせた。小声で話し合った後、ブラント将軍の部下の兵士たちが動き出した。
 法廷は抑えようのない私語でざわめいている。ビアンカやドリスがルークの方を何度も見ているが、ルークはどんな顔をしていいかわからなかった。しばらくすると、城の中庭の洗濯場で使っている桶が法廷に持ち込まれた。透明な水がたたえられている。
「調べにかかる前に、確認させてください。ブラント殿?」
「なにかな?」
「この剣、この上着、シャツ、ズボン、靴は、事件の起こった日、起こった場所であなたの管理下に入り、今日まで留め置かれたままですね?」
「昨日法廷へ持ち出した以外はそのとおり」
「つまり、誰も触らなかったはずだ」
「天なる竜に誓って」
「ありがとう」
オジロンがうなずくと、兵士の一人が油紙の上からシャツを取りあげ、桶へ入れた。
水面にじわりと血が浮き上がった。兵士は大きな手で慎重にシャツの布地をこすりあわせ、一度水から引き上げ、また浸しては洗った。
 水の色が濁った赤茶色になったとき、兵士はやっとシャツを洗い終わった。
「そこまで」
とヘンリーは言った。ヘンリーは一度法廷を見渡した。
「もう一度確認します。それは、死んだハーヴェイが生前最後に来ていたシャツですね?」
洗濯した兵士はずぶぬれのシャツを手に持ったまま答えた。
「その通りです」
「広げてみなさんに見せてください」
兵士は両手でシャツの左右の肩のあたりをつかんで空中に捧げ持った。見ている人々の目に、シャツの正面がはっきりみえるようになった。
「ごらんのとおり、ただのシャツです。絹製、紳士用の前開きで、ラインハット風の仕立てだという以外、特別なものではない。おわかりいただけますか」
オジロンはまじめに目を凝らし、それから首を振った。
「ヘンリー殿、何を指摘していただいているのか、わからないのですが」
「指摘も何もオジロン殿、あれはただのシャツです。汚れもない、しみもない、傷もない」
ヘンリーはヴェルダー卿の顔を見据えた。
「穴一つない」
「なにっ」
反応したのはヴェルダー卿だった。
「もしピエールがハーヴェイを刺殺したのなら、シャツの胸に穴一つあけず、布を通り越して胸だけを突いて殺したことになる!誰か答えてみてくれ。そんなことができるか?」
ヘンリーは兵士に近付くとその手から洗ったシャツを受け取って、法廷中の者が見えるように掲げた。
 驚きの声が沸き上がった。これが芝居小屋だったら、絶対拍手喝采が来てるとこだなとルークは思った。ビアンカやアイルたち、そしてピエールを心配して見に来ている人々の表情が一変していた。
 人々をかきわけてヴェルダー卿が飛び出してきた。ヘンリーの手からシャツを取りあげると、目から近付けたり離したりしてその胸の部分を見つめた。
 無音のままその唇が動いた。声を抑えてはいるが、罵っているみたいだとルークは思った。
「ありがとう、君。桶は片づけてください」
兵士が一礼して桶を運び出そうとしたとき、ヴェルダー卿が叫んだ。
「ちょっと待てっ」
オジロンは異例の事態にとまどっているらしく、咳払いして言いかけた。
「ええ、その、これは説明であって、正確には尋問ではなく」
「裁判長殿、どうか卿にも質問を許可していただきたいと思います」
ヘンリーがそう言い終わる前に、ヴェルダー卿が兵士に質問をぶつけた。
「こんなどうってことのないシャツが、本当にハーヴェイの最後のシャツだとどうして言えるのだ!」
「そう言われましても」
兵士は卿の剣幕に驚いたようだった。
「ずっとブラントさまの御命令で留置しておいたものですので」
ブラント将軍が声をかけた。
「事件が起こったとき我々は神父様の立会いの下、被害者の衣服を押収しました。遺体は教会へ、ピエール殿の剣と衣服は我々のもとへ。そのことについては、信用していただいてよろしい」
「くそっ」
ついに卿は声に出してそうつぶやいた。
「大事な証拠品だ。返していただきましょう」
にやりと笑うヘンリーを卿は怒鳴り付けた。
「君は!ラインハットの人間だろう!」
「俺は真実を追求する側の人間です」
ルークは心からほっとしていた。
「なんだ……。昨日からわかってたなら、教えてくれればよかったのに」
こういうサプライズを隠し持っている時は絶対に教えてくれない親友を、ルークは半ば恨めしく、半ば誇らしい気持ちで見ていた。
 王家の双子は手を取り合って小躍りしている。ビアンカとドリスはお互いに抱きしめていた。
「待ちなされ!」
ヴェルダー卿の声が熱狂に冷水を浴びせかけた。
「なるほどシャツは“刺されていない”と言う。だが剣は“刺した”と言っているではないか。剣についた血を放置するのは片手落ちだ。そのことについては考えがまわらなかったというわけかな?」
 ルークは息を呑んだ。ピエールは今もってあの剣にどうして血がついたのかを黙秘したままだたのである。ルークのいるところから、ヘンリーの顔が見えた。ヘンリーは半眼閉じて聞いたまま、幾度かうなずいた。
「そのおとがめは心外です、卿」
青みがかった緑の目が開く。待ってました、と心の中でルークはつぶやいた。
「あの血はハーヴェイの体から流れたものではありません」
「ほう、別の被害者がいるのか!」
あざけるような口ぶりでヴェルダー卿が応じた。がヘンリーは淡々と答えた。
「グランバニア城の周辺をうろついていたオークキングの体液と思われます」
そのとき、ピエールが声をあげた。
「ちょっと待つであるっ」
ヘンリーは、法廷始まって以来はじめてピエールの方を見て、さらっと言った。
「心配すんな。レディからお許しをいただいてきた」
ピエールは目に見えて安心したようすになった。
「本当か」
「本当も何も」
ヘンリーはオジロンに向き直った。
「別の証人を呼んでいただきたいと思いますが」
「誰ですかな?」
 オラクルベリーの芝居小屋でこんな情景を見たような気がする、とルークは思った。あるいは、ルドマンのカジノシップの中のステージだっただろうか。司会者が一人舞台に上がり、もったいぶってその日のスター女優を紹介する瞬間だった。
「証人として、レディ・アンナシルヴァにおいでいただきたい」
オジロンは口を大きく開けていたが声が出ないようすだった。ヴェルダー卿も同じような顔になっていた。さきほどとは別の意味で法廷中がざわめいた。
 ふとルークは気づいた。その名を知っているのは、オジロンやヴェルダー卿と同年輩の者だけらしい。ビアンカやドリスなど、それより若い世代は不思議そうな顔をしていた。
「あの、裁判中なのはわかってますが」
ルークはおそるおそる声をかけた。
「みんなとっくに知ってるみたいなんだけど、ぼくは知らないもので、聞いていいかな、アンナシルヴァさんて、誰ですか?」