容疑者ピエール 9.正義の代弁者

「ありがとう、ピエール」
ルークは大きく息を吐きだした。遠くでビアンカとドリスが手を握り合って無言で声援を送っている。ルークはやっとそちらを見て、ちょっと笑うだけの余裕ができた。
「ただいまお聞きの通り、ピエールは絶対に毒でないとわかっている液体をグラスの一つに注ぎ、MP回復の目的で実際に有毒ではなかった液体を呑もうとしただけです。レムンがその行動を見てハーヴェイに何か飲ませようとしたと思ったのは、遠方から見たための誤解です」
一息にそう言うと、ルークは息を継いだ。
「被告人質問は以上です」
 オジロンは訊ねるような視線でヴェルダー卿の方を見た。
「そちらからの質問はありますかな?」
しばらくのあいだ、ヴェルダー卿は黙っていた。
「使者の代理人殿?」
ヴェルダー卿はようやく顔をあげてオジロンの方を見た。
「裁判長閣下、このようなときに申し上げるのは遺憾ながら、こちら側は少々混乱している、と認めざるを得ません。天空人のレディ、伝説的な世界樹、200歳のエルフ!法廷の場で怪力乱神を語ることになるとは予期していませんでしたのでな」
皮肉めいた響きがあるのをルークは聞いた。
「では……」
とオジロンが言った。
「被告人にはこちらから質問することはありません」
「本日でこの裁判は三日目となります。日程は本日のほかは、判決のみとなります。証拠調べの時間もあまり残されてはいないのですが」
とオジロンは言いだした。
 ここで終わればピエールに有利だ、と、ルークは思った。ピエールの行動はすべて説明されつくしているのだから。
 ヴェルダー卿はルークの顔色を読んだのか、皮肉な笑みを浮かべた。
「こちら側から最後に一件の鑑定を依頼したいと思います」
思わずため息がもれるのをルークは顔に出さないように気を付けた。これ以上何を調べてほしいと言うのだろう。
「さきほど本職が証言を得たことは、被告人は当時毒を持っていたこと、ハーヴェイのグラスに近付ける場所にいたことでありました。手段について証明することに失敗したことは認めます。が、今注目すべきはハーヴェイのグラスです。このグラスに毒が入っていれば、手段はとにかく、ハーヴェイは毒殺されたと言えます」
ちぎれたストーリーを卿はつなぎにかかった。
 ルークは大きく深呼吸をした。
「こちらからも実験をお願いします」
オジロンは二人の顔をかわるがわる眺めた。
「立証の趣旨は了解しました。実験を許可します。ヨーク先生にお願いすることになるが、異存はありますかな?」
確かにヨーク師は世界樹の葉を知らなかった。が、天空城に出入りできるわけでもない立場では知らなくてあたりまえとルークは思っている。ヨーク師は依然としてグランバニア一の薬草、毒草の権威だった。
「ありません」
「こちらも」
 ブラント将軍の部下が数名法廷を出てヨーク師の助手を連れて戻ってきた。助手は別の鉢植えを抱え、そのほかにも実験道具を携えていた。
「この鉢は上毒消し草です」
とヨーク師は説明した。
「さきほどのものと同じく、毒性のあるものに接すると葉の色が変わる性質があります。先に見ていただきましょう」
ヨーク師は、助手の差し出す小皿に明るいオレンジ色の粉末を少量降り出し、裁判所の兵士が井戸から直接くみ上げた水を桶から小瓶に取ってそっと注いだ。
「ごらんください」
愛用の銀の長針をヨーク師は取りだした。先ほどと同じように針の先に緑の液体をつけ、鉢植えの上毒消し草の葉の上に一滴たらした。
 黒みがかった緑色の葉の中心は水のレンズでふくれて見えた。が、水滴は割れ、流れ落ち、その形のまま鮮やかな黄緑色になった。
「おう」
いくつもの声が漏れた。
 ハーヴェイの持っていた最後のグラス、証拠品3-27をヨーク師は手に取った。ヨーク師は今使ったのと同じ井戸水をやはり小瓶にとって注意深くグラスに注ぎ、木の匙でそっとかきまぜた。水が緑色に染まった。
「いきます」
ヨーク師は別の針を取り出してグラスの中の液体につけた。鉢植えの別の葉の上にそっと水滴を乗せた。
 ルークはどきどきしながら見守った。ビアンカもドリスも、法廷中が固唾を呑んで見守っている。いつも厳格な表情のヴェルダー卿さえ例外ではない。冷静なのは、あるいはそう見えるのは、ヘルメットで顔の見えないピエールと、ヘンリーだけだった。
 心臓に悪い時間が過ぎた。上毒消し草の上にかがみこんで観察していたヨーク師が、ふっとため息を吐いた。師は無言で鉢植えを持ちあげ、人々に見えるように掲げた。
「変色ありません。このグラスには毒がありません」
さきほどよりも大きなどよめきが法廷を覆った。ルークは、ヴェルダー卿が力を入れてぐっと手指を握りこんだのを見た。
「実験は終了とします」
オジロンの声が響いた。
「ヨーク先生、ありがとうございました。これで証拠調べを終了としますが、ピエールの代理の方々、それでよろしいですかな?」
ヘンリーがこちらを見て小さくうなずいた。
「こちらは終了でけっこうです」
よろしい、とオジロンは言った。
「では証拠品と実験に使ったものを片づけてください。そのあとで使者の代理、ピエールの代理、双方に、証明したことをまとめて述べる機会が与えられます。準備してください」
その宣言を合図に、兵士たちが片づけに立ち上がった。

 ルークは緊張していた。三日間法廷に出て証明したことをこれからまとめなくてはならない。
「大丈夫よ」
片づけの間ビアンカはルークのところに来て、そう励ました。
「こっちで聞いてても、あなたの方が筋が通ってるって感じだったわ」
「みんなもそう思ってくれればいいんだけどね」
ルークの横で、ヘンリーがじっと考え込んでいた。
「この三日間のやりとりをただ繰り返すんじゃだめだ」
ぽつりと彼は言った。
「判決は、このまとめのあと、裁判官が合議して出すんだろ?」
「うん。グランバニアじゃそうなってる」
「じゃ、とにかく最後のチャンスだ。こっちのストーリーで押していけ」
「ストーリー?ええと、ピエールはいかにもハーヴェイを刺し殺したような状態で逮捕された。それから……」
「刺殺の方は忘れろ。剣の血はオークのもの、ハーヴェイのシャツは無傷だ。死者の代理人は毒殺の方で起訴したんだから、それで来るはずだ」
ルークはうなずいた。
「じゃあ、ええと、ピエールとハーヴェイは言い争いをしていて決闘することになった。その直後にピエールはグラスに何かまぜて自分で飲み、ハーヴェイにも酒をすすめた。ハーヴェイは自分のグラスから酒を飲んだ直後に死んだ」
「それから?」
「でもピエールは決闘を控えてMPを回復したかったので、回復薬になりそうなものを自分で作って自分で飲んだだけ。材料は毒物だったかもしれないが、ピエールはそれを毒だとは思っていなかった」
「そう主張しているのはピエールだけだよな?」
「うん、でも、ピエールが何を混ぜたとしても、少なくともハーヴェイのグラスには毒は入っていなかった」
「よしっ」
初めてヘンリーはちらっと笑顔を見せた。
「自分のストーリーを忘れるなよ?それから、まとめの発言は死者の代理人が先だから、やつのストーリーをよく聞かないとな」
そう言ってヘンリーは、反対側の席にいるヴェルダー卿をながめた。背の高い老人は、背筋を伸ばし鋭い視線でじっと前を見つめているだけだった。
 やがて法廷から実験道具などが持ち去られ、兵士たちがその場を清めて引っ込むと、オジロンはおもむろに前に出た。
「ではこれより、死者の代理、被告の代理双方より、まとめをお願いします。では先に死者の代理人を務められたヴェルダー卿、どうぞ」
ゆっくりとヴェルダー卿が立った。なんだか余裕がある感じだな、とルークは思った。
「発言をお許しいただき、感謝します」
重々しい声で卿は語り始めた。
「お集まりの皆さんには、死者の訴えの内容をまず思い返していただきたい。私はこのように申し上げた。
 “被告人は、グランバニア暦762年金牛の月緑葉の日昼ごろ、グランバニア城屋上庭園の園遊会の席上にて、口論のあげく殺害を企て、被害者ハーヴェィ・ローワンのグラスに隠し持っていたガボットのへそに由来する毒を入れ、よってその酒を口にした同被害者を毒により死亡させた”」
やはり剣で殺したという訴えはまったく持ち出してこなかった。
「さて、私がこのように告発したその理由を申し上げよう。この訴えに先だってわかっていることは以下の通りだった。
 ひとつ、被告ピエールは被害者ハーヴェイと口論をし、決闘の約束をするにいたった。これはそばにいた兵士ピピンの証言から明らかである。
 ふたつ、そのときピエールはたまたま猛毒ガボットのへそを持ち合わせていた。これは本人の所持品から明らかであり、なおかつ、ピエールには自分が持っているものが毒であると言う認識もあった。
 みっつ、ピエールはハーヴェイに酒をすすめ、ハーヴェイは飲んだ直後に血を吐いて死亡した。またこのときピエールは、ハーヴェイに酒を進める前に、グラスの一つに何かを混ぜたような行動を兵士レムンによって目撃されている」
すごい、とルークは思った。何も知らなかったら、ぼくだってピエールが毒殺したと思いかねない。
 卿はふと言葉を切った。
「さて、この件には大きな特徴がある。本件はグランバニア史上初めての、モンスターを被告とした裁判だった」
そう言って彼はぐるりと法廷を見回した。
「思いだしていただきたい。ほんの二十年ほど前まで我がグランバニアが、ただ生きるためだけにどれほどの犠牲を払ってきたかを。周辺を森林に囲まれ、凶悪なモンスターの侵入を阻むためにどれほどの命が費やされたかを。人と、自然は」
険しいまなざしで卿は語った。
「対等ではない!油断すればちっぽけなヒトの営みなど、あっけなく崩れ去る。今でこそ城塞都市に守られているが、我々はモンスターの跳梁跋扈する大自然に孤独な橋頭保を構え、その中で武装し、息をこらして日々過ごしているのだ。奢るなかれ、グランバニア!」
その半生をグランバニア城の警備に捧げた老人はあごをふりあげた。芝居じみて聞こえるほどの口調は、だがそこでなりをひそめた。再び卿は穏やかに語り始めた。
「そう、まさしくグランバニア城は要塞であります。先王パパス陛下の先見の明により都市全体を堅固な砦と化したものです。我々国民は、ひとしく陛下の庇護のもとにあったのです。本職は長年そう信じておりました。しかし」
 しかし。その後の言葉をルークは予想できた。しかしパパスはマーサのために、この国を出て行ってしまったのだ。無言の告発はルークの胸に響いた。
「しかし、近年、この城の中の人間の社会に畏れもなく立ち交じるものたちがある」
ルークはびくっとした。
「“われわれ人間”と“彼ら”。もとより、価値観の異なる存在であります」
ふいに横からヘンリーが手を出して、ルークの肩をそっとたたいた。
「大丈夫。わかってる」
小声でルークは答えた。彼、ヴェルダー卿が告発しているのは、パパスであり、マーサであり、ルーク自身なのだ。ひとこと言いたい、心からルークはそう思ったが、歯を食いしばるだけで耐えた。
「そもそもこの城はこの城壁は、なんのために築かれたのか。今一度御想起いただきたい。われわれと彼らの間に距離を置くことが目的ではなかったか。人は街に、獣は野にあるべき」
はっきりとヴェルダー卿は視線をルークにあてていた。
「今回の事件は、起こるべくして起こったものと言えましょう。この事件は警鐘であります。このような立ち交じりを許すならば、同じような事件は頻発する。さて」
ヴェルダー卿は、手元からとっくに暗記しているにちがいない書類を取りあげ、さっと視線を走らせた。
「被害者ハーヴェイは、当然のことながら人間であります。我が国を訪れたとき城内にてモンスターから害を加えられる事を予測する理由はなにひとつなかった。我が国を訪れたあげく、その信頼を裏切られた若者の苦しみは想像に余りある。しかしながら」
ヴェルダー卿は、オジロンにむきなおった。
「諸般の事情を考慮し被告人が犯行に関与していないことは明らかであります」
そしてヴェルダー卿は、明瞭に告げた。
「我が国の正義の代弁者として、本職は本件の公訴を取り消します」
ルークは耳を疑った。一拍置いて、法廷中がざわめきだした。
「繰り返します。我が国においては、事件を認めて公訴とするかどうかはひとえに正義の代弁者の決定にかかるものであります」
ヴェルダー卿の声が法廷に響き渡った。ヘンリーは無言でじっとヴェルダー卿を見守っていた。
「当法廷は、本件に関する最初の裁判であり、現在まだ判決は出ていない。私は本件の公訴を取り消します」
オジロンは、アウリオ公、グラント将軍の二人とあわただしく言葉を交わした。
「それでは……」
「これにて私の発言を終わります」
紋切り型にそう言うと、ヴェルダー卿は黙ってしまった。
「ヘンリー、これって、ぼくたち勝ったのかな?」
思わずルークはそう話しかけた。が、ヘンリーはじっとヴェルダー卿を眺めていた。
「おまえんとこには、一事不再理の原則はあったか?」
「いちじ……一度判決が確定したら、同じ罪でもう一回審理されることはないって意味だね。ああ、あるよ」
ヘンリーは真顔でルークを見た。
「あいつ、まだピエールを疑ってるぞ」
「どういう意味?」
「今ここで無罪だと確定したら、あとでどんな事実が判明してもピエールは二度とハーヴェイ殺しの罪で裁判にかけられることはないはずだ」
「そうだよ、それが一事不再理の原則だ。それと公訴取り消しは違うの?」
「違うと思う。卿は裁判そのものを取り消したんだから、何か新しい事情があればもう一回訴えることができるわけだ」
「じゃあ」
「今は、ピエールは解放される。だが、あいつ、しぶとい……」
 法廷はまだとまどったようなざわめきを続けていた。オジロンが、他の二人の裁判官たちとしきりに話し合っていた。
 自分の席に座り、腕組みして瞑目しているヴェルダー卿、その姿を見ながら珍しくいらいらと親指の爪を噛むヘンリー、その二人を見比べてルークは肝に銘じた。
「まだ終わってないんだ」

 傍らにいたドリスが、両手を握りしめて深くため息をついた。
「やった~」
ビアンカは何も言わずに義理の従妹の肩を抱きしめた。男勝りで活発なドリスが、法廷用に貴婦人らしくおとなしめのデザインのドレスを身につけている。今日のドレスの青みがかった紫の無地の絹に包まれた肩が、震えていた。
「あたし……」
「もう大丈夫よ」
ビアンカはドリスの顔をのぞきこんだ。
「あら。ええと、大丈夫?」
「ごめんなさい。急に安心したら、気持ちが悪くなってきちゃった」
ドリスは小声で早口にささやいた。
「中座します。あたし……」
「いっしょに行くわ」
 公訴取り消しを受けて裁判所が公訴棄却を決定する手続きが今も法廷で進行している。が、ビアンカはドリスを支えて立たせ、静かに席を立った。
 顔見知りの兵士にわけを話して扉を開けてもらい、ドリスを法廷の外の廊下へと連れ出した。
 城内のオジロン一家の居住区は玉座の間の下にあった。ビアンカはドリスを連れて階段を下りていった。
「まあ、ドリス様!」
部屋へやってくると中年の太めの女官が驚いてドリスを引き取った。
「ちょっと御気分が悪いようなの」
「あらあら、こりゃ鬼のかくらんだ」
しっつれいね~とドリスが青い顔で子供のころから知っている女官をにらんだ。
「とにかくこのコルセットをはずすのてつだって。それと、その」
乙女の秘密の用があるのを察して、ビアンカは後ずさった。
「あたしは法廷へもどるわ」
「ごめんなさい、ビアンカ様」
「もう大丈夫だから。あとでようすを見に来るわね」
ドリスの母、公妃アントニアはまだ法廷にいるはずだった。ドリスの不調に気付いて心配しているかもしれない。知らせてやろう、とビアンカはたったっと階段を駆け上がった。
 玉座の間の近くまで戻ってきたとき、ビアンカの足が止まった。
 公訴棄却が終わったらしく、扉から傍聴人が次々と出てきた。
 法廷の扉は長い廊下に面している。廊下の奥にヴェルダー卿がいた。卿と、年配の貴婦人、そして同じくらいの年の老貴族たちが数名、彼の周りに集まっていた。時間の関係でその場所はあまり日差しが入らず、彼らのいるところは薄暗かった。
「あ、あの」
ビアンカが声をかけると、人々が一斉にこちらを見た。廊下に掲げた燭台の火を反射して薄闇の中で人々の目が、光っていた。
「裁判は終わったんですね」
「いかにも」
重々しい声でヴェルダー卿が答えた。ビアンカは威圧されまいと背筋を伸ばした。
「三日間、お疲れさまでした」
「職務にございますれば」
ヴェルダー卿のそばにいた女性が、つつましやかに一歩下がった。
「御紹介が遅れました。王妃様、それがしの妹、ドミニク・マルコ夫人にございます」
 卿の妹という女性は、上質な灰色のドレスに黒い肩かけをつけた、やや小太りの婦人だった。兄である卿より頭一つ低い。
 ビアンカは、マルコ夫人を見るのは初めてではないことに気付いた。裁判の始まった日、ヴェルダー卿のそばにいて、励ますように手を添えていた年配の婦人がいたが、それが彼女だったらしい。
 姓が違うのは結婚して夫の家名を名乗っているのだろう。そう言えばグランバニア国軍にマルコと言う名の軍人が何人かいた、とビアンカは思った。ヴェルダー卿と同じく、国防、治安に携わる家系の人に嫁いだのかと推理するのは容易だった。
 マルコ夫人はなかなかこちらを見ようとしないが、ようやく顔を向けたとき、目を泣き腫らしているのがわかった。
「ビアンカです。初めまして」
マルコ夫人はハンカチを握りしめた。
「お初にお目にかかります、王妃様」
蚊の鳴くような声で夫人はそう言った。貴族たちは黙っていた。
「あの、どこかおかげんでも?」
とビアンカは言った。
「いえ、別に」
手にしたハンカチで口元をおおっているため、ほとんど聞き取れない。
「よろしかったら、休んでいかれませんか?」
夫人はさっと顔を赤らめたが、何も言わなかった。
「王妃様」
とヴェルダー卿は言った。
「ありがたいお申し出ですが、遠慮させていただきましょう。妹は家に帰りました方が落ち着くと存じますのでな」
「でも」
「早く法廷の、夫君のもとへお戻りなさい」
「だって、取り消しなのでしょう」
ヴェルダー卿は首を振った。
「いやいや、王妃様。終わってはおりませんぞ」
「でも、無罪だとおっしゃいましたよね」
「はて、私はいつ無罪と申しましたかな」
とヴェルダー卿は冷たく言った。
「あのスライムナイトはハーヴェイ・ローワンを刺殺してはいないし、毒殺もしていない。ならばなぜ死んだのですかな?」
「それは」
「私は証明に失敗した。だが、我々の疑いが晴れたわけではありませんぞ。あのモンスターは危険だ」
ビアンカはむっとした。
「ピエールがあなたに何かしたんですか?」
「私にではない。そして何か“した”わけでもない。だが、近い将来、誰かに何かをする可能性を私たちは考えている」
まわりの男たちがうなずいていた。ビアンカは唇を噛んだ。
「可能性ってだけなら、なんだって言えちゃうじゃないの!ピエールは何もしないかもしれないわ」
ヴェルダー卿は妹を伴い貴族たちを引き連れて廊下の奥へ歩き去った。
「“何もしない”?確かに何とでも言えるな」
あざけるような声が最後だった。