容疑者ピエール 8.証人ヨーク師

 卿の要請で証言台には再びヨーク師が立った。卿は報告書の巻物をほどいて証人に見せた。
「これは昨夜この証拠品2-8について行われた実験の報告書です。下部にあなたの署名があります。実験を行い、この報告書を書いたのはあなたで間違いないでしょうか?」
「間違いありません」
「あなたはこの報告書の中で、被告人が持っていたこのガラス瓶の中の肉片はガボットの肉と思われること、そしてまだ毒を持っていることを報告しています。この内容に間違いないでしょうか?」
ヨーク師は胸を張った。
「間違いありません」
ヴェルダー卿は会心の笑みを浮かべた。
「この瓶は被告人が持っていた。すなわち、ガボットの肉から毒を水に溶かし、その液体をグラスに滴らせる手段を持っていた。今の証言はそのことは明らかとなりました」
ヴェルダー卿は挑発的な視線をこちらへ向けた。遮らなくていいのかな?とその眼は言っていた。
「尋問は終わりですか?」
「はい、裁判長閣下」
 オジロンは、公平であろうと努力しているようだったが、それでも人のよさのにじみ出た、気の毒そうな顔でルークを見た。
「反対尋問はありますか?」
ルークはヘンリーを見た。ヘンリーは黙ったまま手のひらを天井へ向けて、どうぞ、というしぐさをしてみせた。
「あります!」
ルークは進み出た。何をすればいいかはわかっているのだが、胸がどきどきしていた。
 証言台にはまだヨーク師が立っていた。
「ヨーク先生、確認のため質問させてください。ガボットの毒は、水にも酒にも溶けますか?」
赤ん坊のように無邪気な表情でヨーク師はうなずいた。
「はい、溶けます」
「では、その瓶の底にたまった水に毒が溶けている可能性はありますか?」
「あります」
「報告書ではその水のことは記載がありませんが、実験はされましたか?」
ヨーク師はびっくりしたような顔になった。
「いいえ、していません」
「今、ここで、その水に毒があるかどうかわかりますか?」
「実験の道具があればわかります」
ルークはオジロンに向き直った。
「被告人が毒をグラスに入れる手段を持っていたか否かは、判断を左右する大事な論点です。この水に毒があるかどうかを実験することを許可してください」
オジロンは首をひねって左右の裁判官たちに小声で何事かを諮り、それからヴェルダー卿に声をかけた。
「卿はいかがですかな?」
ヴェルダー卿はこちらに視線を向け、じっと見透かすような表情をした。が、しばらくして口を開いた。
「問題ないと思います」
オジロンはルークにうなずいた。
「許可します」
オジロンは言った。
「何が必要ですかな、ヨーク先生?」
ん~、とヨーク師はつぶやいた。
「ねずみ……、虫……、金魚……、あ、そうだ、私の自宅のテラスに、毒消し草の鉢があります。あれを持ってきてください」
兵士の一人が命令を受けて法廷を出て行き、しばらくすると植物の鉢をいくつか抱えてもどってきた。
「ああその、真ん中のそれです。毒消し草の若い葉は毒性のあるものに触れると色を変えるのです」
 ヨーク師はガラス瓶を取って蓋を開け、長上着のポケットから、大きな銀色の針を取りだした。普通の縫い針よりかなり太く、手首から中指の先端に達するほどの長さがある。その針の先をガラス瓶に差し入れ、水をつけた。銀針の先端に透明な水滴の玉ができた。ヨーク師は鉢植えの毒消し草の葉のひとつに注意深くその水滴を乗せた。
 音もなく水滴が割れ、黒ずんだ緑の葉が一か所だけ濡れた。
 ヨーク師はじっと葉を見つめた。
 しばらく時間がかかった。
 法廷中が固唾を呑んでヨーク師の判断を待った。
「なぜだろう」
子供のように素直な口調でヨーク師はつぶやいた。
「色が変わらない」
ヨーク師は顔をあげた。
「この水に、毒はありません」
「なんだと!」
 叫んだのはヴェルダー卿だった。
「ヨーク師、それは確かですか!」
「もし毒があるならもう色が変わっているはずです。しかもガボットの毒ならもっと早くもっと強く反応するはずなのに」
「それは本当に毒消し草か?実験の環境に問題は?時間がたちすぎたということは?」
「待って、待って」
たたみかけるヴェルダー卿に、ヨーク師はかぶりをふった。
「これはぼくが自分で育てた毒消し草で、この実験は単純だから環境に左右される要素はまずありません。それと、時間がたったからと言って毒はなくなりはしませんし。僕の知る限りそれは真実です」
「ならば、なぜ毒がない!」
「わかりません」
「あなたはグランバニアでも一二の薬草学の権威だ。それでもわからないとおっしゃるか」
「権威でも専門家でもわからないことはたくさんあります。もう一回言いますね。このガラス瓶の中の肉片はガボットのへそですが、それが浸された液体は毒を持っていません。でも、どうしてそうなのかはぼくにはわかりません」
ヴェルダー卿は黙っていた。ものすごい勢いで考えているのだとルークは思った。
「他に質問は?」
オジロンの問いに、ヴェルダー卿は首を振り、ルークはありません、と答えた。ヨーク師はよちよちと証言台をおりた。
「裁判長」
とルークは言った。
「こちらから証人をお願いします」
「誰を?また、何の目的で?」
「レディ・アンナシルヴァをもう一度およびいただきたいのです」
ルークは真剣だった。
「レディはエルフの秘薬の技の継承者です。ヨーク師がグランバニア一の権威であることは確かですが、レディもまた博学です。ピエールの持っていた瓶の中の謎の液体について、レディなら法廷が満足する回答を持っていらっしゃると確信するからです」
再びオジロンはアウリオ公たちに意見を求め、やがて言った。
「よいでしょう」
 レディを待つ間、法廷には小さなざわめきが絶えなかった。ルークのいるところからビアンカが見えた。隣のドリスには事情が分からないらしく不思議そうだったが、ビアンカはルークと同じように胸がどきどきしているらしい。ほほがバラ色に染まり、目がきらきらしていた。
 レディが現れた。今回はオジロンも手際がよく、レディはすんなりと宣誓して証言台についた。
「レディ・アンナシルヴァ」
ルークは片手で、ピエールの持っていたガラス瓶を示した。
「あなたはそこに置いてあるあの品を、以前に見たことがありますか?」
レディは一度視線を向け、ゆっくりうなずいた。
「ございますわ」
「あれは何ですか?」
「“世界樹の雫”」
ゆったりした口調でレディは答えた。
「えーっ」
と叫んだのはヨーク師だった。
「ほんとですかっ、ぼくは見たことないっ」
目がぎらぎらしていた。
「じゃ、あれは、エルムじゃなくて、世界樹の葉?あわわわわ、本物っ?」
「先生、証言中です。どうぞお静かに」
裁判所から注意されてヨーク師はやっと黙ったが、目はガラス瓶から離さなかった。
「ぼくからお尋ねします」
とルークは言った。
「あの瓶の中の葉は、世界樹の葉ですか?」
「そうです。正確に言えば、世界樹の葉の若芽です」
「あの液体は?」
「薬草から抽出した液体です」
「世界樹の雫の効果は何ですか?」
「パーティ全員のHPを一度にかなり回復します」
「毒消しの効果はありますか?」
「私は試したことがないので、その効果はわかりません」
「“世界樹の雫”は、必ずあの瓶に入れるのですか?」
「必ずかどうかは知りませんが、私が天空城にいたころは、世界樹の雫はいつもあれと同じ瓶に入れていました」
「あなたが天空城にいたのはいつごろですか?」
「さあ。およそ数百年ほど前だったかしら」
「その数百年の間に、瓶が変わった可能性はありますか?」
「ないと思います」
「なぜそう思われるのでしょうか」
「天空城では、ここ数百年というもの、世界樹の雫を造っていなかったからです」
「どうしてそれを知っているのですか?」
「天空城がその間、オーブの一つを失って水中に沈んだためです」
「では、あの瓶に入っている世界樹の雫は数百年前に造られたものですか?」
「わかりません。一年ほど前天空城が空に浮上し、世界樹の苗木も新たに育ち始めたため、また雫の製造がはじまりました。問題の世界樹の雫が古いものか新しいものか、私にはわかりません」
 数百年ぶりに造られた初の世界樹の雫を手に入れたのはほかならぬルークだったのだ。瓶は細めの角型、半透明の青いガラス、何より中に入った世界樹の若芽。ルークにはひと目でそれが、世界樹の雫だとわかった。たぶん、ビアンカにも。そして、以前見せたことがあるのでヘンリーにも、昨夜の段階で証拠品の正体がわかったはずだ。
 ルークが尋問を切り上げると、すぐにヴェルダー卿が立った。
「数百年前、あなたは天空城にいらしたのでしたな。そのときこの世界樹の雫を見たと言われる。そのことについてうかがいたい」
「どうぞ?」
「言いにくいことながら、何百年も前に見たという世界樹の雫の入れ物について、どのていど記憶しておられますか?あれは本当に世界樹の雫でしょうか?」
「あら、あなたはおぼえていらっしゃいませんの、数百年前のこと」
レディは一瞬目を見張り、すぐに自分の“失言”に気がついた。
「ま、ごめんなさい。死すべき定めの人の子は百年も生きないのですわね」
天空人の女性は淡い同情をこめてそう言った。
「ご質問にはお答えするなら、私はおぼえておりますわ」
若造呼ばわりされることはめったにないのだろう。ヴェルダー卿の顔は紫色になっていた。
「……天空城におられたころ、あなたのお仕事は何でしたか?」
「監視と記録です」
「世界樹の世話をしたことはありますか?」
「ありません。その仕事には専門のエルフがついていますから」
「天空人であると言うだけで世界樹に詳しいとは限らないと思ってよいですかな?」
「常識的な範囲を越えて詳しいとは言えませんが、世界樹の雫がどんなものかくらいは天空人にとって常識の内ですのよ、お若い方」
いたわるような微笑みを浮かべてレディは証言台を降りた。
「裁判長、ちょっと失礼します。次の証人について助手と相談させてください」
ルークはいそいでヘンリーを探した。彼は悠々とやってきた。
「レディだけじゃ世界樹の雫かどうか確認できないって。専門家を呼びたいんだ。うちの双子をお使いにだしてもらっていいかい?」
「そう言うと思ってな。先に頼んでおいた」
得意満面の顔でヘンリーはちらっと入口の方に視線を向けた。アイルとカイがこちらに向かって手を振っている。そのすぐ後ろに、小柄なエルフの娘が立っていた。
「裁判長、問題の証拠品について新しい証人に確かめたいことがあります」
証人はすぐに許可された。
 エルフの娘はどこか緊張した表情だった。かつては人間とは口をきいてもいけないという規則さえあった種族なのだ。彼女にすれば下界へ、しかも人間ばかりのところへ連れてこられて、とまどっているように見えた。
「証人は宣誓してください」
「あたしは、えと、聞かれたことに正直に、嘘も隠しごともなくお答えすることをマスタードラゴンに誓います」
ルークは証言台のエルフに笑いかけた。
「お名前と住所を教えてください」
「あたしは、エルフのラナ……です」
ルークの顔を見て、ラナは知っている人間がいたので安心したらしい。表情が落ち着いてきた。短めの髪は淡い紫色、その間からとがった耳が見えている。身につけている者は簡素なアイボリーのチュニックだった。
「住んでいるのは、天空城の二階です」
「ラナ、あなたのお仕事はなんですか?」
「世界樹の若木のお世話をしています」
「具体的にはどんなことをしますか?」
「水と肥料をやって、枯れた葉を取ってやって、虫に気をつけています」
「葉、というのは、いわゆる世界樹の葉ですね?」
「そうです」
「世界樹の葉は、どんな働きをもっていますか?」
ラナは口を開き掛けて悩み、しばらく考えてから話し始めた。
「詳しく説明すると大変長くなります。世界樹は光であり、命であり、その幹も根も葉も花も果実も、深く生とかかわっているからです。簡単に言うと、世界樹はこの世のすべてのものを支える源だから、人や獣やモンスターの死をもくつがえし、命を戻すことができるのです。大昔には呪いを解いたり、またエルフを甦らせたりすることもできたと聞いています」
「世界樹の雫を知っていますか?」
「知っています」
「世界樹の雫にはどんな働きがありますか?」
「死んだ者をよみがえらせることはできませんが、弱った命を回復させる力があります」
「世界樹の雫を造ったことがありますか?」
「あります」
「どのようにして造るのですか?」
「薬草から抽出した液体を瓶に入れ、その中に世界樹の若芽を浸してしばらく置きます」
「証拠品2-8をご覧ください。あれをご存知ですか?」
「はい。知っています」
「あれは何ですか?」
「世界樹の雫を入れる瓶です」
「どうしてそう思いますか?」
「あの瓶の蓋と本体の継ぎ目に紙封のあとが見えますが、そこにエルフ文字でラナと書いてあるからです。あれは私が造った世界樹の雫です」
胸を張ってラナは言いきった。
「ありがとう」
ルークが尋問を終え、苦い顔のヴェルダー卿が替わった。
「ラナ殿にお尋ねする」
ラナはびくっとした。
「あなたはたいへんお若いようだが、本当に天空城で世界樹の世話をする仕事をしているのかな?」
ラナは泣きそうな顔になった。
「してます!先代の世話係はミニデーモンで、その人を先生にして一生懸命育て方を勉強してきました。まだたった200歳だけど、ちゃんとやってます」
「200……」
ヴェルダー卿は咳ばらいをした。
「しかし、我々には、あなたの言うことがどこまで正しいのか見分けることができませんなあ。でたらめを言われても信じろと?」
ラナはぷるぷる震えだした。
「あたし、嘘なんかつきません!」
オジロンが思わずと言った調子で口をはさんだ。
「ヴェルダー卿、その、若い御婦人にぶしつけな言い方は遠慮していただきたい」
200歳の小娘はもう鼻をすすり始めていた。
「では、ラナ殿。あなたのさきほどの証言にあった内容は、今まで我ら地上の人間の目に触れうるような文献に書かれたことがありますか?」
えぐ、えぐとラナはしゃくりあげた。
「あ、あります……テルパドールにはエルフがまとめた薬草学の事典がマスタードラゴンから下賜されているはずです。その中に、たぶん……」
あとは涙声になってしまった。
「しかし、テルパドールにある文献では、今ここで確認するわけにいきませんな」
あの、とためらいがちな声がした。裁判官の席にいた、アウリオ公だった。
「その薬草学事典ならば、我が国にも写しが一部伝わっています。たしかヨーク先生が留学した時に書写してこられたはずですから」
うん、うん、とヨーク博士は熱心に首を振っていた。
「それには及びません」
苦い顔でヴェルダー卿は言った。
「反対尋問を終わります」
 次は再びルークの出番だった。
「同じく、この瓶の検証のため、被告人質問をお願いします」
ルークが言った。ピエールはぽんぽんと音を立ててやってきた。気負いもおびえもない、冷静な態度だった。
「あの証拠品はきみの所持品の中にありました。ピエール、君はあれを持っていましたか?」
「持っていたである」
「あれは何ですか?」
「“世界樹の雫”である。回復アイテムとして手元においたである」
“念のため君が持っていてくれ”と言って手渡したのはルークだったのだ。
「その“世界樹の雫”には、普通液体と葉しか入っていません。なぜそれ以外のものが入っているのか知りたいのですが、君が入れたのですか?」
「入れたである」
「あれはガボットのへそだという実験結果の報告があがっていますが、本当にガボットのへそですか?」
「おそらくそうである」
とピエールは言った。
「それをどこで手に入れましたか?」
「屋外で拾ったである。正確に言うならグランバニア城正門付近」
「いつのことですか?」
「園遊会当日である。グランバニア城門内で見覚えのある肉片が落ちているのを見かけ、ガボットのへそかもしれん、と思ったである。が、吾輩はその時、園遊会に遅れたため、先を急いでおった。そのため後ほどレディ・アンナシルヴァにお返しすべしと思い、その肉片を拾ったである」
なにせ、猛毒なのだから。
「拾ってどうしましたか?」
「ありあわせの羊皮紙につつんで腰にさげた袋に入れたである」
そしてそのまま園遊会に出て、ハーヴェイと口論し、逮捕された。
「ピエール、園遊会の当日、ワゴンの上にこの世界樹の雫の入っていた瓶をかざしましたか?」
「したである」
「それはなんのためですか?」
「決闘に際して体力を完全に回復しておきたかったである。園遊会の直前レディのお伴をして試練の洞窟へ赴いた際に少々戦闘があったので吾輩、ベストコンディションとは言い難かった。HPは魔法で回復できるが、肝心のMPはそうはいかん」
 それがどれほど稀有なことかピエールは自覚しているだろうか、とルークは思う。彼は戦士であり、魔法の使い手であり、しかも攻撃魔法と回復魔法の両方に通じている。人間であればこのような万能型は勇者タイプなのだ。
「そこで吾輩、レディとの付き合いで聞き知った知識を生かしてMPを回復したいと思ったである」
「どのような知識ですか?」
「世界樹の雫は魔法の聖水と合わせることでエルフの飲み薬を生み出すことができる。が、吾輩は魔法の聖水を持ち合わせていなかったである。持っていたらそちらを使ったのであるが。さてレディ・アンナシルヴァの話では、ガボットのへそを加工するとその代わりとなるということであった。それで持っていたガボットのへそを世界樹の雫の瓶に入れ、ワゴンの上のグラスの一つに瓶の半分ほど注ぎ、それを自分で飲んだである」
「ガボットのへそは毒があるのに飲んだのですか?」
「吾輩はMP回復薬を飲んだのである。完全なエルフの飲み薬にはならなんだゆえMPも完全回復とはいかなかったであるが。第一、もし毒をくらってもキアリーていどなら会得しているである。にわか合成のMP回復薬を飲むことにためらいはなかったである」