雨と太陽の王国 6.勇者戦場へ、また見習い僧侶が竜にけんかを売った理由を王子が申し述べること

 その夜、王女アマランスが“光の祝福”によってMPを補給したのは十度近くにおよんだ。回復しては城門を飛び出し、全軍の先頭に立って魔力を振るう。尽きては城へ取って返す。
「姫のご不在中はわれらが!」
 野にある獣のように高貴で猛々しい姫君のもと、ラダトーム側は体力の限界を超えて奮戦を続け、夜明けの来る前に、グレムリンたちは海のほうへ、一糸乱れぬ行動で退却した。
 こうしてラダトームは、再び城を守り抜いてみせたのだった。
 翌日の正午、ルプガナからの便がもう一度届いた。日中の休息と食糧のおかげで、兵士の体力は回復している。士気は最高だった。
「どっからでもかかってこい!」
城門の前で腕を撫すロイのセリフは、そのまま全軍の気持ちを代弁していた。
「ロイアル様」
だが、コーネリアスの声は緊張をはらんでいる。
「来たか?」
「オークの群れ、いえ、オークの軍です。ドムドーラ方面及びマイラ方面から、橋を渡って続々集結中とか」
クロが青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「隊長、来ました!」
「ばかな、まだ日は暮れていないぞ!」
西日の染めるラダトーム草原に、オーク軍団の先鋒が黒々とした姿を現した。

 トール史官に場所を聞いて、アムは古文書室へおもむいた。サリューは徹夜明けに寝付いてから昼頃に起きて、またかび臭い記録に没頭しているらしい。
「サリュー、いるの?」
サリューはうう、とつぶやき、手にした羊皮紙に羽ペンでなにか書き入れた。
「これもちがう、と」
サリューの周りは、冊子状や巻物状の古文書で足の踏み場もない様子だった。
「何をやってるの」
「系図をね。たどってるの。あ、これは早いな」
顔もあげずにそう言うと、サリューはまた何か書き込んだ。アムは覗き込んでみた。いくつかの女性名があり、その大半が線を引いて消されていた。
「あとは、マチルドとエルマンガルド、と。アム、手伝って?」
「え、ええ」
思わずそう言ってしまった。
「何をすればいいの?」
「マチルドを頼むね?マチルドはええと、8代目の巫女だから、このへんかな」
サリューは、分厚い記録簿をアムに手渡した。
「まずマチルドが生きていた時代が何年から何年までかを調べて、その年代からマチルドという女性が結婚した年を見つけ出して、子どもがいたかどうか調べて、もしいたら系図をたどって」
アムはげっそりした。
「ねえ、まさか、ずっとやってたの?」
サリューは目をぱちくりした。
「うん。結婚して子孫を残した可能性のある巫女たちの子孫をたどってたんだ。おもしろいよ」
アムはおもいきり片眉を上げてみせたが、サリューには通じなかった。結局アムはため息をついた。
「いいわ。光の玉のためだものね。協力するわ」
「ありがと。アムってやっぱり優しいね」
天使の笑顔で言われては逆らえない。
「8代目の、誰だったかしら?」
「マチルド。ぼくがその次のエルマンガルドをやるから」
サリューはもう調査に熱中し始めた。
 どうしてこうも、かびくさくてほこりくさい古本が好きなのかしら、とアムは思う。ロイに比べて気持ちの優しい男の子なのだと思っていたが、どうもサリューは、アムにはつかみきれない何かをまだ胸の中にかくしているような気がした。
「どれどれ。ええと」
記録簿を手近な所見台に載せてざっと広げたとき、何かが床の上に落ちた。古い羊皮紙の巻物のようだった。記録簿に挟まっていたらしい。
「それ、開け閉めするとき気をつけてね。ぼくさっき、指はさんじゃったんだ。女の子には重くて大変かも。ごめんね、アム」
「気にしないでちょうだい。もう終わったわ」
「えっ?」
サリューが見ていた本から顔をあげた。びっくりした顔の前で、アムは挟まっていた羊皮紙をふって見せた。
「誰かが先に調べてくれたみたいね。これでしょ、マチルドって。ほら、生年も没年も同じよ」
「ちょっ、貸して!」
サリューは真剣なまなざしで羊皮紙を調べにかかった。
「そうだ。これだよ。マチルドとその子孫の系図だ。どこにあったの?」
「サリューの渡してくれた記録簿の、マチルドが結婚した年のページにはさんであったの」
「じゃ……そうか、そういうことなんだ!アム、見て、ここ!」
その羊皮紙は、たしかに樹木状の系図が記されてあった。
 巫女だったマチルドはアセルニーという男と結ばれていた。だが、アセルニー一族はそれほど幸福な家系ではなかったらしい。枝分かれしてもすぐに途絶え、最後に残った流れが、ひとつの名前で終わっていた。
「アレフ?アレフですって?」
「これが、あのアレフだよ。ずっと彼を探してたんだ。勇者ロトの娘のすえなる、巫女マチルドとアセルニーの最後の子孫、竜殺しのアレフさ」
アムは眉をひそめた。
「だって。家系図を見て。アセルニー一族は代々僧侶じゃないの」
「ちょっと待ってて!」
にわかにサリューは興奮し始めた。書類や記録の山をかき分けるようにして、薄い冊子をつかみだした。
「ほら、ラダトーム城内にあった僧侶養成学校の学籍簿。やっぱりそうだよ。ラルス16世の御世に、新入生アレフの名がある」
「明らかに人違いよ、見習い僧侶と竜退治の勇者が同一人物と言うのは、無理がありすぎるわ」
サリューは頑固だった。
「じゃあ、これを説明できる?この年に入学したアレフは、卒業してないよ」
アムは記録をのぞきこんだ。インクは古びて変色していたが、アレフの名の横には卒業年度はおろか、退学、転出、死亡などの記録も何一つなかった。
「まあ……」
「ね?」
「ううん、だめ。ラルス16世はけして暗君ではなかったわ。戦士の訓練をまったく受けていない見習い僧侶を、たったひとりで竜王退治に行かせるわけがないじゃない」
「もし、竜王退治じゃなかったらどう?」
「仮定の話なの?」
「ラルス16世は、アレフを光の玉を受け取る交渉の使者として派遣したんじゃないかな。仮定じゃないよ、ぼくはそう信じてる」
アムは口がきけなかった。
「思い出してよ、竜の女王は勇者ロトに光の玉を与えたでしょ。光の玉はとりあえずラルス王家のものじゃないかもしれないけど、竜族のものでもないんだよ。アレフには竜王に光の玉を請求する権利があるんだ」
いつのまにか、サリューがアレフのことを現在形で話していることにアムは気づいた。
「竜王の島へ渡るのにえらい苦労はあるけど竜王自身はアレフを傷つけない、そう判断したからラルス16世はアレフを一人で出発させたんだよ」
「待ってよ、そんな」
アムは言葉を選びながら言った。
「おかしいわよ。現実に、アレフと竜王は戦っているじゃないの」
「だからさ、あれは一種のアクシデントだったんだ。ぼくには想像がつくよ」
サリュー一度目を閉じ、夢見るようにつぶやいた。
「暗い、洞窟の中。獰猛なドラゴンが獄吏をつとめる、恐ろしい牢屋のなかに、見習い僧侶の若者は、一人の姫君を見つけ出す」
「ローラ姫……」
「うん。体力の不足もパーティーの不在も、王命さえも忘れるほどの美しさだったんだ、その人は。彼女が視線を合わせて無言で助けを求めたとき、アレフの体の中で血は逆流しただろう。無謀にも剣を取って、アレフはドラゴンに戦いを挑む」
サリューは、ほっとためいきをついた。
「最初から勇者だったわけじゃない。戦歴上初のドラゴンを命がけでほふったとき、アレフは初めて、勇者になったんだ」
しばらくして、アムはようやくつぶやいた。
「それじゃあ」
「うん。どんな気持ちだっただろうね。いくら姫を助けるためでも、竜王直属のドラゴン殺しは王命違反だよ。やつれて軽いローラ姫を抱いて連れ帰るとき、アレフは後悔したんだろうか?」
「わからないわ、私には。でも、もしサリューの推測の通りなら、和平交渉は決裂よね」
「そこで、責任とって、アレフは一人で光の玉を取り戻しに行く」
「見てきたようなことを言うわね?」
サリューは挑発に乗らなかった。逆にニヤッと笑う。
「このアセルニー家系図がすでに作られていたのが証拠だよ。誰かがアレフを探し出しすときに作ったんだと思うな」
「誰かって?」
「アレフを必要とした人さ。ラルス16世その人」