雨と太陽の王国 11.史官の長にサマルトリアの王子が別れを告げに来ること

「勇者ロト、か」
「そう。うちの男前の御先祖様。もったいなくもルビス様は、愛のしるしをくだされた。今もロイんちにあるロトのしるしがそれ」
「ちょっと待てよ、時代が違う。勇者ロトの時代はラルス1世、アレフの時代は16世だぞ。そんなに時代がたってから会いに来たって、もう……」
「ぼくら人間とは、時間の感覚が違うかもね。あるいは、ロトはとっくに死んだと女神は承知していても、生まれ変わりを見つけたのかもしれないな」
「誰」
「アレフだ、と考えるのが妥当じゃないかい?」
「それじゃ何か、精霊女神ルビス様は、世界を見守るお役目を放り出して、アレフに逢いに行ったのか」
「精霊のままでは、許されることじゃないよね。人間の肉体を借りて魂を乗り移らせたのだとしたら?」
「誰に?」
「禁を破ってまで人間界に転生するんだよ?もしロイがルビス様の立場だったら、好きな人がほかの女とくっつくのを、指くわえてながめていられる?」
「じゃあ、それじゃあ、ルビス様は、ローラ姫の肉体を借りた、って?」
「ああ、ローラ姫だよ。アレフガルドの王女。天下の美少女。光の玉の巫女。不思議なアイテム“王女の愛”を造ってアレフを助けた人」
とんでもない結論を出してサリューはのほほんとしていた。
「おい、それ、本人はわかってたのか?」
「ん~、どうかな~。姫本人じゃないとわからないよね。けど、もしわれこそはルビスなりという自覚があったら、おとなしく竜王に監禁されているかな?」
「姫ご自身は、自分はただの人間だと思っていた?」
「たぶん。だけどまあ、このあたりはぜんぜん証拠がないからね」
頭上では、かもめの群れがうるさく鳴きかわしている。そのなかへ軽い足音が混じった。
「あら、楽しそうね?」
ロイはぎくっとした。目の前に、ローラ姫の面影を伝えるという美貌のいとこがいた。ロイはその顔をまじまじと見つめてしまった。
「なあに?顔に何か、ついてるかしら?」
サリューは落ち着いていた。
「いっつもきれいだよ、アムは」
「おせじはいいから、あれのお世話を代わってくれない?ずっと船底にいたら酔ったみたい」
「じゃあ、ぼくいくね」
サリューは身軽にその場を立っていった。
「何の話をしてたの?」
精霊ルビスの恋話とは言えずに、ロイはへどもどした。
「まあ、いいわ。サリューの話はいつもややこしいし。あの子いったい、いつも何考えているのかしら」
「凡人にはわからないんだよ」 
ロイはようやく言った。

 エセルリーは、トールの肩にすがってラダトームを出る船を見送った。どの御子についても無事を祈る思いは同じだったが、エセルリーはその朝ただ一人で別れを告げに来たサマルトリアの王子のことを思わずにはいられなかった。
「古文書室を使わせていただいて、ありがとうございました。エセルリー殿」
そう言ってサリューは、あいかわらず人なつっこい笑顔で、丁寧に挨拶した。
「なにほどのこともございません。記録を残すのが史官の役目でございます」
ローレシアの王子に比べるので華奢に見えるのだが、エセルリーと向かい合うとかなり身長が高い。エセルリーは微笑んだ。
「記録を残した昔の史官たちも、本望でございましょう。会うこともない未来の閲覧者のために、できる限りの真実を伝えるのがお役目でございますれば」
「いいですね。ぼくも、史官になりたかったな」
「あなたさまは勇者のすえでいらっしゃいましょう?」
「そうです。でも、ロイのように強くはないし、アムのような魔法の使い手でもありません」
すねるでもなく、気負うでもなく、少年はそう言った。
「サーリュージュ様」
何を言っても傷つけてしまう。エセルリーは口ごもり、ようやく言った。
「お辛うございますね」
「ええ」
サリューはいちど、うつむいた。
「でも、人は誰でも、自分の痛みは抱えていかなくてはなりませんから」
こんな覚悟をずっと胸中に飼っていたのかとエセルリーは思う。できることなら、幼い子にするように、この君を抱きしめてあげたかった。
「サーリュージュ様、史官の長として申し上げますが、歴史を動かす上でなんの役目も負っていない、という者はいないのですよ」
「ぼくにも果たすべき役割があるのですか?」
「はい、きっと」
彼は微笑んだ。
「ではエセルリー殿、ぼくは約束します。いつか、そのときがきたら、ぼくは仲間のために自分の命を砕くでしょう。それがぼくの役割です」

 ところはアレフガルド、ときは竜王滅亡より数百年の後、大神官ハーゴンの脅威は日に日に高まり、世界は緊張の度を増している。勇者の末裔たちには、まだまだ長い冒険が待っていた。