雨と太陽の王国 8.ローレシアの王子の一騎打ちおよびいかにしてラダトームは敵襲を退けしか

 城下町の市民は、悲壮な顔つきだったがパニックになることはなく、落ち着いて誘導に従ってくれた。トールは王の間を開放して市民の避難場所に当てた。おりよく城の執事代理が来て、誘導を引き受けてくれた。ソールガルが文句を言うかと思ったが、さっさと逃げ出したのか、影も形もなかった。
「そうだ、サーリュージュ様は」
古文書室へ行ってみるとサリューは床一面にさまざまな羊皮紙を広げて見比べていた。
「トール!」
いきなり呼ばれてトールは面食らった。
「今回の騒ぎが始まったときに、ラダトームから何か盗まれなかった?」
あのことか、とトールはすぐに悟った。
「申し訳ありません。アレを、敵の手に渡してしまいました」
「どのアレ?」
「は?ですから、スプレッドラーミアのついた、あの青と金の」
「やっぱりね」
サリューは肩を落とした。
「まいったな、最初からそういうことだったのか」
「サーリュージュ様?」
「どうしよう。アムになんて言おう」
「アマランス姫は、一小隊を率いて敵方の掘ったトンネルを逆にたどって行かれましたが」
「ええっ?」
この王子がこれほど驚くところを、トールははじめて見た、と思った。

 体は疲れ、傷ついていたが、ロイの心は冷たく冴えていた。
 遠くからはやし立てるオークどもの蛮声も、城門からの応援も、もはや聞こえない。ハーゴンも、先祖たちも、王子の身分も、美しいアマランスさえ、ロイの念頭から失せた。
 ロイと、敵手のオークだけがそこにあった。
「強い……」
 すでに数十合戦っているが、勝負はつかなかった。オークの戦士も、ロイの刃で片目の上に傷をつくり、肩で荒く息をしている。
 ロイは心を決め、やや前傾姿勢をとった。ほとんど同時にオークの戦士が、戦いのおたけびを上げ、頭上で長槍を回転させて遠心力をつけた。
 体力のあるうちに大技を決める。敵手同士の考えは、一致していた。
 柄がしなるほどの勢いで、オークは槍を打ち下ろしてきた。ロイは、すでに腕を抜いておいた盾を投げ捨てた。オークが一瞬、目をむいた。
 軽くなったロイは地をけった。そのままオークの懐に飛び込む。槍のリーチを無効にすれば、有利になるのはロイのほうだった。
 槍の穂先がむなしく大地をたたいたとき、ロイの刃は、オークの胸元を深くえぐっていた。
「……!」
オークの戦士は人語にならないうめきをあげた。その中にロイは、賞賛の響きを確かに聞き取った。金色の毛皮の巨体は地響きをあげて倒れ、地に伏した。
 突然、音という音が戻ってきた。ロイは、自分が日没直後のラダトーム草原に立っていることをやっと理解した。夕闇の中から、自分たちの英雄を倒されたオーク軍が、今ロイに殺到しようとしていた。
「どうした、こいよ!」
ロイは吼えた。その声にオークたちは一瞬ひるんだ。が、ロイの盾は地面に転がっている。防御力は大きく低下したままだった。
「おまけに回復役もいないときた」
とロイはつぶやいた。
 そのときだった。
「●■▼◆!」
どこか遠くのほうでオークがわめいた。意味はわからないが、どこか慌てたような響きがあった。どうしたわけか、ロイを取り囲んでいたオークたちがいっせいに浮き足立った。
 ふと顔をあげると、戦場のはるか後方に、一すじの黒煙がたちのぼっていた。まもなくロイの視界は紅に染まった。
「ロイアル様!」
城からコーネリアス隊がかけつけてきた。あたりのオークたちはまるで戦意を失ったように、逃げ惑っていた。
「何が起きたんだ?」
「敵の背後を火攻めにした小隊がありましたようで。おかげで軍が崩れました。これより掃討いたします」
「おれも手伝う」
「お願いいたします、が、深追いは御無用」
「わかっているさ」
ロイは勢いをつけて飛び出した。

 まだ手にもっていた火打石をアムは肩から下げたポシェットへしまいこんだ。油のたるを運んでくれた小隊は、本隊に合流してオーク掃討に参加している。
あたりは火炎にあぶられ、魔物の死体が散乱して、すさまじいありさまだった。アムはくすっと笑った。
「昔なら卒倒してるわ。サリューの言うとおり、箱入り娘のふりをするのは、いまさらずうずうしいってものね」
そのとき、すすくさい煙の向こうに、見知った人影が現れた。
「何やってるんだ、こんなとこで。散歩か?」
ロイだった。あちこちに手傷を負っているが、戦場が性に合うのか、これ以上はないくらい元気だった。
「それとも、ムーンブルグ娘は、こういうところで男と待ち合わせるのか?」
「公園がカップルでいっぱいのときはね」
アムはそう言って、ローブのすそを持ち上げてオークの死体をまたいだ。
「サマはどうした」
「お城へ残してきたわ。光の玉がかかってるもの」
「おれのほうはロトの剣がかかってる。あいつ、見つけられそうか?」
アムは肩をすくめた。
「私はロトの末裔で女王かもしれないけど、一族のうちじゃあ、ごく平均的な人間なのよ。サリューが何を考えているかなんて、どうしてわかって?」
ロイはにっと笑った。
「おれだって凡才に生まれついた親戚一同の一人だよ。しょうがねぇ、一族きっての奇才が何か発見するまでお邪魔しないようにして待ってるか。さて、この火攻めは姫か?」
「ええ。しょせんオークね。裏切りがあったと思って総崩れよ」
歩き出そうとしてアムは立ち止まった。
「そうだ、この間言ったことを覚えてる?」
「黒幕のことか?来ているかもしれないな。いや、探せばいる。見事な布陣だった。オークの頭じゃ、無理だ」
「蛇を殺すなら、頭をつぶすべきよ」
「お姫様、おっかねえよ、それ」
だが、アムは軽口で応えては来なかった。
「あそこ!」
 燃え残った枯れ草の山が、紅の光をかすかに投げている。その光を背景にばたばたと走っていくものがあった。
 ロイとアムは見るなり追いかけた。それはオークではなかった。真っ赤な杖を振り振り走る、紫色のマントに緑の頭巾をつけた、人間なら七、八歳ていどの小柄な生き物である。こちらに気づいて振り向いたときに、顔を白塗りにしているのが見えた。
「きとう師か!あれが黒幕?」
「じゃないにしても捕まえて!絶対に何か知ってるわ」
だがきとう師はすばしこかった。しだいに暗くなる戦場を、明らかに南を目指して逃げていく。
「困ったわ、バギをあてたら、殺しちゃう」
「ちくしょう、逃げるな」
 そのときだった。横から何かが飛んできて、きとう師に命中した。きとう師はその場に倒れこんだ。
 ロイとアムがおいついたとき、きとう師はマントを細い刀で地面に縫いとめられてじたばたしていた。
「サマか!」
「ぼくはここだよ」
あたりはすっかり夜になっている。暗がりの中からサマルトリアの王子が姿をあらわした。
「こいつがお城のとこをうろうろしてたから、追いかけてきたんだ」
サリューは自分の長剣を抜きとった。
「ぼくから逃げられるとでも思ったの?」
そう言ってきとう師をロイに渡した。
「てこずらせやがって」
きとう師は襟首つかんで吊り上げられて、足をじたばたさせた。
「覚悟しろよ、お前にはじっくり聞くことがあるからな」