雨と太陽の王国 1. 三人の若者がラダトーム城前の草原にてサーベルウルフの群れから馬車隊を救うこと

 うす曇の空の下、草原が尽きて森に変わるあたりを、城の門を守る兵士たちはじっと見詰めていた。
 姿こそ見えないがこの城は敵勢から厳重な包囲を受けている。兵士たちは不安なまなざしであたりに目を配った。
 今にも攻撃があるかもしれない。まさに城門は閉めるばかり。
 だが、西から来るはずのその便のために、最後の瞬間ぎりぎりまで、閉鎖は引き伸ばすことになっていた。
「来たっ」
物見の兵が叫んだ。コーネリアスは、額の傷に巻いた布をいそいで結びなおした。にじんだ血が黒ずんできている。
「よし、出るぞ」
部下たちの中にも、無傷な者はいない。だが、鎖帷子が裂けてぼろぼろになっていても、立てる限りは武器を取って戦わなくてはならなかった。
 コーネリアスを先頭に兵士の一団は城門から飛び出した。
「しまった!」
一人がうめいた。森のほうからこちらへ向かってくる馬車は3台だった。そこへ、兵士たちよりも早く接近する一団があった。
 巨大な牙が、遠目にも輝く。牛ほどもある体格に黄褐色の毛皮をまとったしなやかな狼、サーベルウルフの群れだった。
「いそげっ!」
 西方のルプガナの町からこのラダトームの城への便は、貴重な食糧、薬草、毒消し草を積んでいる。ここのところ、徒党を組んだモンスターがアレフガルド中を攻撃しているので、ルプガナ便もなかなか届かない。
 モンスターの一斉攻撃に備えて城に立てこもろうとしている今、この便をむざむざ渡すことはどうしてもできなかった。コーネリアスはあせった。が、満足に物も食べていない体は、言うことを聞かない。
「くそっ、このままでは」
部下の一人が悲鳴に似た声をあげたとき、先頭のサーベルウルフが馬車の側面へ飛び掛った。
 黄褐色の毛皮に覆われた筋肉に物を言わせて、狼はその巨体で横から馬車を押し倒しにかかった。後ろから群れの仲間が加勢にきた。
 群れの狼たちは、動きを止めた。彼らの強力なリーダーの動きが、おかしかった。
 馬は狂ったようにあばれているが、リーダーの狼は車体にしがみついているだけだった。馬車が止まった。黄色い獣は、車体から静かに滑り落ちた。その腹部が大きく裂けているのをコーネリアスは見た。
 馬車の扉が開いた。
 血塗れた刃が現れた。
 サーベルウルフの群れがざっと音を立てて引いた。その半円の中に姿をあらわしたのは、まだあどけなさの残る少年だった。
「おい、君、逃げなさい!」
コーネリアスが叫んだ。少年は聞こえているのかいないのか、小さく歯を見せて笑った。
 年は15か16。簡素な青い服を身につけているが、濃いめの眉のりりしい顔立ちで、農夫のせがれや商家の小僧には見えなかった。片手に無造作に下げているのは、鋼の剣である。馬車の扉ごしに群れのボスをわずか一突きでしとめたのは、この少年にまちがいなかった。
 少年は剣の柄を握りなおし、一歩前へ出た。近くにいたサーベルウルフが後ろ足の間に尾をはさんであとずさりした。
 数頭の狼がきょろきょろして、ついに走り出した。逃げ出したわけではなかった。馬車隊のうち、城門めがけて走りぬけたほうに狙いを定めて追い始めた。
「おい、あっちがあぶない」
コーネリアスはあわてて部下を走らせた。兵士たちは、いつのまにか青い服の少年に見とれていたのだった。
 一台目の馬車は、もう城へ迫っていた。が、二台目の馬車を引く馬が、城門を間近に見ながら、泡を吹いてへたり込んだ。狼の群れがいっせいに襲い掛かった。
 次の瞬間サーベルウルフの群れは、戸惑ったように足をとめた。コーネリアスは再びわが目を疑った。一頭、また一頭と、狼たちは前足の上に頭を乗せて、眠り込んだ。
 馬車の扉を引きあけて一人の少女が姿をあらわした。コーネリアスは口をぽかんと開けてたちどまった。
 兵士たちの間から声が漏れた。遠目ではあるが、その少女は、豪華絢爛たる美貌だった。
 赤い頭巾の下から肩へと広がる髪は黄金の色。白磁の肌に珊瑚の唇の持ち主である。
 美少女は恐れ気もなく獣の間を歩み、死にぞこないの馬の首に手をかけて、何事かささやいた。駄馬は、うっすらと目を開け、驚いたことに再び立ち上がった。いい子ね、という手つきで少女は馬の背をなでた。
 ふいに少女は、視線をこちらへ向け、高飛車に命じた。
「この子を城門へ連れていって!」
 コーネリアスは一瞬めんくらった。が、自分たちが彼女の眼中にさえないことに気づいた。
 すぐ後ろにもう一人の若者が立っていた。僧侶のような、袖のない緑の祭服を身につけている。栗色の髪がゴーグルの間から天へ向かってはみだしていた。最初に城門へついた馬車に乗っていたようだった。
「今行くよ。すいません、通してください」
コーネリアスたちにそう言って、若者はにこっと笑って見せた。言われたとおり少女から馬車を預かり、ラダトームへ連れて行こうとする。
「あ、われわれがいたします」
コーネリアスの部下が駆け寄ると、どうもぉと言って手綱を預けた。最後の馬車は、あの青の若者が連れてきた。受け取ろうとするコーネリアスに若者は一瞥をくれた。
「何やってんだ、あんた。ウルフどもはすぐ目を覚ます。部下を連れて引っ込んでろ」
思わずコーネリアスはかっとした。
「君は一体、」
ぽんと背中をたたかれた。緑の若者だった。
「あ、通訳しますね。『あなたも部下さんたちも、その傷でこれ以上がんばると危ないから、城へ入っていたほうがいいですよ』、と彼は言ってます」
人なつっこい笑顔だった。
「だいじょうぶ。ここはまかせてくださいね」
気勢をそがれてコーネリアスは口を閉じた。
 サーベルウルフは目を覚ましかけている。青の若者は、獣の群れに剣を向けた。緑の若者がその右側に位置を占めた。一流の舞い手のようにすらりと立ち優雅に広げた手に華奢なつくりの長剣を構える。その傍らへ、あの赤の少女が杖を手に進み出た。
「MPの残りは?」
特に凶暴そうな一頭からアイコンタクトをはずさずに、青の若者が聞いた。
「ばかにしないで」
「ええ?残り少ないでしょ?」
「よし、力押しだ。姫、ルカナンを唱えたらすぐ下がれ」
姫と呼ばれた少女は、凄いような笑みを口元に浮かべ、杖を高く掲げた。
「……バギ!」
そのとたん、風は意志を持って獣の群れを襲った。
 青の若者は軽く舌打ちをし、つかつかと群れの間に歩み入った。右に、左に無造作に鋼の刃を振り切っていく。彼の背後で血しぶきを上げて狼が倒れた。
緑の若者の細身の剣は、燕のように宙を舞い、すれちがいざまに一頭をしとめていた。
「すごい」
コーネリアスの部下がつぶやいた。任せろというだけのことは、確かにあった。