呪文返し

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第49回) by tonnbo_trumpet

 空気の中にはまだ焦げ臭いにおいが漂っていたが、潮風が次第に吹き散らしていた。
「……いいか、ポップ、この呪文を使うにあたって一つだけいっとくことがある。反射攻撃にだけは注意しろ!」
大魔道士マトリフは、めったにないほど真剣な表情だった。
「反射攻撃?」
弟子のポップはオウム返しにつぶやいた。
 二人がいるのは、海岸だった。マトリフが世をすねて隠居を決め込んでいる住処のすぐ近くである。自称百に近いという高齢をおしてマトリフは畢生の攻撃魔法「メドローア」を生涯ただ一人の弟子に伝授したばかりだった。
「呪文の中にはマホカンタといって相手の呪文をそのままはねかえしちまうものがある。それと同じ能力を持った伝説の武器なんかもあるしな」
ポップは最初きょとんとした顔をしていたが、その意味を理解するにつれて次第に青ざめていった。“メドローア”は炎系の極大呪文と氷系の極大呪文をあわせて放つ大業、すべてを消滅させてしまう。それをはねかえされたら……!
「もしそれを敵が持っていたらもうアウトだ。全滅すんのはこっちだよ」
マトリフは瞑目し、両腕を組んだ。
「オレが昔ビビッて使わなかったのもそのためさ。自分のミスでてめえだけ死ぬならともかく、仲間まで巻き添えにしちまったらシャレにならんだろう?」
傍若無人に見えるが、マトリフは自分のパーティーの仲間に対しては義理堅い男だった。
 ポップはつぶやいた。
「そっか。あまりに強力すぎることが逆にこの呪文の最大の弱点ってわけだ」
もうまもなくこの少年は、当代の勇者について世界最大の敵と対峙することになっている。敵はあまりにも大きく、彼はあまりにも幼かった。
「うむ。"両刃の剣"ってやつだな」
唇をかんでポップは考え込んだ。
 お調子者で臆病者、だが一度腹をくくると一心不乱に努力する。ほとんど曾孫くらいの年のこの弟子になんといってやるべきか、マトリフは悩んだ。
「……昔、マホカンタの得意な魔法使いがいた」
砂の上を歩きながらマトリフはつぶやいた。
「そいつと魔法勝負をするはめになったんだが、ありゃあ、ちっと苦労したぜ」
ポップは顔を上げた。
「なんだよ師匠、負けたのかよ」
「ほざけ、ひよっこが。勝ったさ。大魔道士マトリフをなめんじゃねえ」
「どうやって勝ったんだ?」
ふん、とマトリフは鼻を鳴らした。
「あれはアバンのパーティに加わってクエストの途中のことだった。とある国の国境をおれたちは通り抜けたいと思っていたんだが、そこらのボスづらをした大馬鹿が関所を勝手に作っていたんだ。ご近所の素人衆にもご迷惑だったからパーティでカチコミかけてアバンとロカの二人で馬鹿に焼きを入れてやったわけよ」
ポップが嘆いた。
「焼きって……アバン先生が不良みてぇ」
「うるせぇ、黙ってきけ。ところが、そいつのダチにやっかいなやつがいた。そこらの王様の親戚筋だとかいう、貴族のボンボンのくせに魔法使いになったという男だった。自分のことを弟子たちには”マスター”(お坊っちゃま)と呼ばせてたぜ。そいつが、腹の虫がおさまらねえってちっちぇえ理由で勝負を挑んできたわけだ。そう、魔法使い同士、サシで勝負がしたい、とね」
「魔法使いどうし?はは~ん、師匠見て、こんな老いぼれなら勝てるとふんだわけか」
ぱこっと音を立ててマトリフは弟子の頭をはたいた。
「今から十五年ほど前だ!おれは八十代の前半だった」
「立派な老いぼれじゃねえか」
「バカやろう、六十,七十洟垂れ小僧、百すぎてから男盛りだ」
ポップは頭を両手でおさえ、唇をとがらせた。
「都合のいいときだけ年寄りになるくせに」
マトリフは無視を決め込んだ。
「マスターが勝負を仕掛けてきたのは、国境にある山の中腹を回る道だった。馬車一台やっと通れる幅の道が坂を上りきってまた下ろうとしているそのてっぺんに立ちはだかって、勝負だといいやがった。ロカなんざ、王様の親戚筋がどうした、やっちまえって息巻いてやがったんだが、レイラが留めたのと、何よりアバンが乗り気じゃなかった。戦士が腕力で魔法使いに優るのは当たり前、魔法使いどうしの勝負の方が公正だ、とね」
マトリフは肩をすくめた。
「おれはロカが騒いでいる間は腕組んで黙ってたんだが、アバンは言った。”やっかいなことをお願いしてすいませんが、勝てますか?”」
「師匠はなんて言ったんだい?」
にやりとマトリフは笑った。
「”オレの仕事だ。任せろ”」

 決闘に定められた時刻は午後の早い時間だった。暑くもなく、寒くもなし。空は曇りがちで太陽は直に見えない。相対する二人には、直射による不利もない。峠道の片側は完全な崖となっている。下からあがってくる風もなく、ほぼ無風。条件は悪くなかった。
 前日のうちに、アバンが仕切って場の準備は終わっていた。岩だの木の根っこだのは片づけて、あたりはすっきりしている。峠道は通行禁止にしてあったが、そもそも非合法関所があったのだから同じことだった。敵方からもマスターの弟子たちというのが来て、こっそり魔法アイテムを隠したりしていないことをお互いに確かめ合っていた。
 マトリフは、自分の頭の数倍ある帽子を被り長いマントを引き、たっぷりした法衣を身につけて峠道に立った。
 峠の反対側から馬車があがってきた。パーティの見ている前で、そこから白いローブ姿のマスターが現れた。黒々とした髪を後ろへなでつけ、額には贅沢な金のサークレットをつけていた。
「おまえたちに恨みはない」
開口一番マスターは宣った。
「私の友人に謝罪をするなら、水に流してやってもよいぞ」
見るとマスターの弟子たちに囲まれて、騒ぎの発端となった関所づくりの馬鹿がこちらをにらんでいた。
「謝罪する気はありません」
涼しい顔でアバンが答えた。
「この道は重要な街道で、あなた方には勝手に関所をつくっていい理由はなかった」
「黙れ、余所者」
ぴしゃっと言うなり、マスターは前へ飛び出した。
「ならば勝負だ!」
その手の中に魔法弾が生まれた。
 マトリフはちょっと意外だった。裕福でまわりにおだてられただけのお坊ちゃんだと思っていたのだが、けっこう強い魔力を備えているようだった。
「バギマ!」
間髪入れずにマトリフが応じた。
「ベギラマ!」
魔法弾が激突した。
 アバンたちは慣れているのでちゃんと距離を取って見ていたのだが、魔法使いの弟子たちが悲鳴をあげた。
「すごい……」
マトリフの口元がにやりとほころんだ。
 マスターにこれだけの魔力があればたしかにこのあたりじゃ天才扱いだろうが、世間は広い。そしてパーティを組んで歩き回ってきたマトリフにとって、攻撃魔法のぶつけあいならまずひけをとる相手ではなかった。
 同じことをマスターも感じ取ったらしかった。
「確かに魔力はあるようだな。だが、これならどうだ!」
マスターは若さにものを言わせて動き出した。決闘場を駆け回りあらゆる角度からマトリフめがけて魔法弾をふかっけてきた。
 マトリフは年寄り、しかもゆったりした衣服は激しく動き回るようにはできていない。ふりそそぐ光の矢は爆風を呼び爆炎をあげた。
「やったか!」
黒煙の向こうで何かが光った。
「わああああっ」
マスターは悲鳴を上げ、魔法弾をよけようとして無様にひっくりかえった。
「次は外さねえよ」
次第に薄れる黒煙の向こうにまったく無傷のマトリフが立っていた。マスターの魔法を両手で次々と弾いた結果だった。実は一歩も動いていない。
「くそ!」
弟子たちの視線がマスターの背中につきささっていた。マスターは一瞬泣きそうな顔になったが、あらためて峠道の真ん中に立ちはだかった。
「け、けっこう使うことはわかった。だが、おまえはけして勝てぬぞ」
宣言すると同時に、マスターの手から新たな魔力が噴き上がった。マトリフは身構えた。が、それは攻撃魔法ではなかった。魔力はマスターの前に展開し、わずかに湾曲した透明の壁となって定着した。
「私の得意な魔法は、このマホカンタだからだ」
美しい虹色にマホカンタの壁が輝いた。
 マトリフは肩をすくめた。
「しかたねえな」
タメなしにマトリフは魔法を使った。まずは、ルーラ-ヒャド。
「ハウアッ」
真横から氷弾をぶつけられてマスターはわめいた。
「マホカンタ!」
二重掛けで側面を守る。今度は真後ろでルーラ-メラ。
「ぎゃっ」
ルーラ-ギラ。
「ヒイッ」
何度か続けた結果、マスターは何重にもマホカンタをかけて360度周囲をがちがちに固めてしまった。
 マホカンタのつくる防御壁は、外から見ると美しかった。使用者が身じろぎすると顔の上まである壁に沿って虹色の光が輝くのだ。四方八方を輝く壁の筒で覆ってマスターは荒い息をしていた。
「ど、どうだ……」
マホカンタは理論上すべての魔法を跳ね返す。これでマトリフには攻撃する手段がなくなったとマスターは言っていた。
 ごきりと音を立ててマトリフは首を回した。もともとお偉い賢者様を気取るのは肩が凝って嫌いなのだ。やっと地金が出せる。ケッとマトリフはつぶやいた。決闘場から、マトリフのひととなりを心得ているアバン以下パーティのメンツが真打登場とばかりにわくわくしているのが見えた。
「それで仕舞ぇか、頭でっかち野郎」
「なっ」
マスターがむっとした顔になり、何か言い返そうとした。
「何か言い分があるってぇのか?もともと天下の往来を私しようってその根性がねじ曲がってやがるんだ。盗人にも三分の理というが、さすがに何も言い訳はあるめえよ」
巻き舌まじりの罵詈雑言をまくしたてる。肩をすくめ、両手をひらき、マトリフは馬鹿にするような態度でマスターの周囲を回り込んだ。
「自分のあこぎをとがめられて開き直るたぁどういう料簡だ、ええ?おまけに得意が呪文返しときたもんだ、あきれた半可通だぜ。おれとサシで勝負がしてぇだと?てめぇなんざ十年早ぇや、馬鹿野郎」
 それまでむしろ口数少なく振る舞っていたマトリフにいきなりののしられてマスターは顔が赤くなったり青くなったりしていた。が、立て板に水のようなべらんめいに口を挟むすきもなかった。
「年長者と思って黙っていれば、よ、よくも、学究の徒が、そのような、下品な」
マトリフはせせら笑った。
「おう、坊ちゃんよ。あんた、魔法使いにゃ向かねえよ。少なくとも現場はやめてもらいてえ、まわりが苦労すっから。せいぜい塔にこもって水晶玉でも眺めてろ。それが世のためヒトのためってやつだ。まわりを眺めてみねぇ。おめぇの弟子って連中がうんざりしてるぜ。あんたら、仕事とは言え坊ちゃんのお守りもてぇへんだなあ」
人望の有無がどうやらこのマスターのコンプレックスだったらしい。見事に突いた図星がマスターを動かした。
「言うなあああぁ!」
マスターが動く。光の壁も一緒に動く。相手は年寄り一人。マスターは拳をふりあげてなぐりかかってきた。
 さっとマトリフが体を横へひねった。悲鳴とともにマスターは崖から足を踏み外した。
「動くんじゃねえ!」
マトリフが一喝した。魔法使いの弟子たちが硬直した。マトリフは片手につかんだ魔力の炎を頭上に掲げ、崖の途中にに両手でつかまっているマスターを見下ろした。
「てめぇの頭の上はマホカンタでカバーしてねえよな」
マスターは青くなった。避けようのない状況で頭上からメラミが放たれようとしていた。
「全包囲マホカンタなんてバカをやるからだろうぜ。内側からの視界が全方位でゆがんでんだ、そんな状態で走ったら足下がおぼつかなくて当たりめえだろうが」
それは極度の近視乱視用の眼鏡をかけて全力疾走するに等しい。
「降参するか?」
恨みがましい目で頭上を見上げてマスターはつぶやいた。
「あの罵詈雑言は、私を走らせるためか……」
「あたぼうよ」
とマトリフは言った。
「でなかったら、オレ様みたいな聖人君子があんなせりふを言うもんけぇ」

 そんなことはない、絶対本音だとポップは思ったが、口には出さなかった。
「で、どうなったの?」
「ああ?関所はなくなった。大馬鹿はおとなしくなったし、あのボンボン魔法使いは修行をやり直すことにしたそうだ。一人で研究室にこもって何かつくるのが性にあってるらしくてそれ以来出てこなくなったとよ」
「ふうん」
15年前のことだという。その”頭でっかち”はいったい何を作っているのやら。
「旅の途中でそいつの噂を聞いたら教えてくれ。おとなしく研究してんなら褒めてやる」
「なんて名前だ、そいつ?」
「シャハル。魔道具制作師シャハルだ」
しかしその名前はそのときのポップにとって、まだ何の意味も持ってはいなかった。