ある幸せ者の話

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第32回) by tonnbo_trumpet

 空中都市ジャハンナの周りを冷たい風が吹きすぎた。濠を流れる聖水が飛沫となって飛び散った。馬車は遥か遠目にジャハンナを眺めながら停止した。
「王様、危険です!私が」
グランバニアの兵士ピピンは緊張して身構えた。馬車の行く手には、グレイトドラゴンが牙を剥いて待ち構えているのだった。
「いや、ぼくが行く。そのために来たんだ」
縁に刺繍を施した紫のマントが揺れる。戦闘用ブーツが魔界の台地を踏みしめ、顎下に玉を抱え込んだ竜の姿の杖がモンスターにつきつけられた。
「みんな、用意はいい?」
スライムナイトのアーサーが主のかたわらに進み出た。
「存分に」
キラーパンサーのゲレゲレは音もなく反対側に出てきて、喉で音をたてた。
「よしっ」
いきなり彼は一人だけ突出した。その姿をグレイトドラゴンが驚いて眺め、それから激しく威嚇した。
「お気をつけて、フィフスさまっ」
ピピンが叫ぶのが早いか、フィフスが飛びかかるのが早いか。
「迎えに来たよ、ベイッビーッ!」
「ぎゃおおおおおお!!」
あせったグレイトドラゴンが前足を振りまわすのをうまく避け、フィフスは背後からドラゴンに抱きつき、くすぐり始めた。
「ほーらほらほら、こんなことしちゃうぞー、うははー」
ピピンは、はらはらと落涙した。ご趣味なのは知っているが、いくらなんでもあんまりに……。持ち前の優男も凛々しさも全部吹っ飛ばすノリでフィフスはグレイトドラゴンをいじり倒していた。
「こうしてやる~、どーだー、ははー」
最初嫌がっていたグレイトドラゴンも、プロの魔物使いの年季の入ったくすぐりに降参したらしい。あおむけに寝っ転がるとふんふん言いながら悶え始めた。
「そーらー。うちの子になっちゃえー」
いひひひひーと言いかねないそのようすは100年の恋も冷めるありさまだとピピンは思う。アーサーとゲレゲレは慣れているらしく、顔色ひとつ変えずにそのようすを見ている。ゲレゲレは小さくあくびをした。
「ん~、よしよし」
へとへとになったグレイトドラゴンは巨大な頭をフィフスにこすりつけて甘えていた。それは明らかに“仲間になりたそうな目”だった。
「ほら、ピピン、一丁上がりだ!」
いい子だねーとまだにやつきながらフィフスは撫でまわしている。
「女の子だね。美人さんだ。んー、かわいいなあ。君の名前はトリシーだよ。最初は馬車に入ってね。今度おしゃれな装備を買ってあげるから、そしたらフィールドで遊ぼうねー」
ピピンはためいきをついた。
「ほんとにいいんですか?これでグレドラ、三頭目じゃなかったでしたっけ?」
ぴたっとフィフスの手が止まった。
「あ、うん」
「あんまりモンスター増やすなってデボラ様には言われてますよね」
「うん……」
「グランバニア城のモンスター爺さん、デボラ様に話つつぬけですよ、わかってますか?」
「うっ」
フィフスはトリシーと名付けたドラゴンにかまうのをやめ、青ざめた顔でこちらを見た。
「ピピン、ぼく、どうしよう……」
え、とピピンは叫んだ。
「考えてなかったんですかっ?」

 グランバニア王妃デボラは、赤地に黒の刺繍をいれた豪華なガウンを身にまとい、国王夫妻の寝室で仁王立ちになっていた。ガウンの襟元からは白い絹のブラウスがのぞく。そのブラウスに劣らぬ白い肌と黒髪は結婚前と変わっていなかった。
 そしてその、気性も。
 彼女の目の前の小卓には、白い陶器の皿が置いてあった。その中で何かがきらきら光っていた。
「あンの小魚……」
「お母さん?」
デボラは入口の方を見た。タバサ王女が顔を出したのだった。
「何かあったのですか?」
デボラは小皿を指差した。
「鱗よ。部屋のあちこちに落ちているの」
ふーん、と王女は言った。
「あのね、お兄ちゃんがさっき、私のところに変な物をもらいにきました。白い綿の手袋と、私が髪止めにするリボンの古いのが欲しいのですって」
「変わった組み合わせね。あの子、理由を言った?」
「聞いてみたけど、吐きませんでした」
グランバニア王家の双子は、レックス王子が父のフィフスに、タバサ王女が母のデボラに容姿も性格も似ている。
「お兄ちゃんは頭いいから、ひっかけもだめだし」
デボラはうなずき、右手でつくった拳を左手のひらに強く打ちつけた。
「あいつの小細工ね」
まず、と王女は言った。
「確か、魔界をうろついていたはずね。あいつが戻ってきたら、すぐに私のところへ来るように城中に伝言しておきなさい!」
と、グランバニアの女王は堂々と言った。

 おかあさん、とタバサが話しかけた。
「お父さんが何か企んでるということですか?どうしてわかるの?」
デボラは背筋を伸ばして城内を歩きながら、指を折り始めた。
「ひとつ、ドラゴが今、卵を抱いているから、シーザーもドラゴもフィフスの相手をしてくれない」
シーザーは一頭目、ドラゴは雌で二頭目のグレイトドラゴンで、問題の卵の父親と母親でもあった。
「ふたつ、寝室のあちこちに黒光りする鱗が落ちてるとメイドたちが報告にきた。つまり……」
そう言いながらデボラは寝室の扉を威勢よく開いた。 
 骨董品の古い長持ちが、わざわざ部屋の真中へ移動している。その向こうから何か飛び出した。五本指の綿手袋一双を組み合わせた単純な人形だった。わざわざ頭の鉢の部分にターバン替わりの紫のリボンを巻き、背中に紫のハンカチでつくったマントをつけていた。
「やあ、ぼくはフィフスだよ!」
「見りゃわかるわ。長持ちの後ろで何をやっているの」
観客の冷たい声にもめげず、手袋人形のフィフスは楽しそうに動き始めた。
「あ、あんなところにドラゴンが!」
その台詞が掛け声だったらしく、“ドラゴン”が登場した。どう見てもドラゴンの杖の頭の部分である。杖のドラゴンにタバサのリボンを結んであった。
「やあ、きみ、かわいいね!ぼくと友達になろうよ!」
人形のフィフスが声をかけると“ドラゴン”はちょっと後ずさり、それからおずおずと近寄ってきた。
「うふふ、かわいいなあ。ね、ぼくたち、仲良しだよね~」
人形のフィフスとドラゴンはリズムを合わせていっしょに踊り始めた。
 つかつかとデボラは長持ちに近寄ると、ドラゴンの杖の後ろにしゃがみ込んでいた人物の頭をがしっとつかんで持ち上げた。
「レックス!何をやって……あら」
い、痛いです、デボラ様!とわめいているのは、ピピンだった。
「ごめんよ~、ピピンを放したげて」
あわてたようすでフィフスが立ち上がった。
「ぜんぶぼくが考えたんだ。ピピンはただ杖を持って踊ってるように動かしてくれただけで」
「他には?」
「他って、ただいっしょに魔界に行って」
「で?」
「いっしょに……その、三頭目の……」
「捕まえてきたのね?ドラゴン」
フィフスはうなだれて、はい、と答えた。デボラは深いためいきをついた。上目遣いにちらっとフィフスは妻を眺めたが、何も言えなかった。
「そんなこったろうと思ってたわ、あんたのことだから」
フィフスはぱっと顔を輝かせた。
「じゃ、飼っていい?」
「私より先に、モンスター爺さんに頼みに行きなさい!預けっぱなしにしないの。掃除もえさやりも手伝うのよ、約束できる?!」
うんっ、うんっとフィフスは大きくうなずいた。
「お母さん、お父さんに甘いと思います」
と後ろでタバサがつぶやいた。
「しかたないわ。かまってくれるドラゴンを探して魔界まで飛んでくんだから」
ピピンを置いて階段を駆けおりようとしてフィフスはくるっと振り向いた。
「あのね、ぼくは幸せ者だと思う!ありがとう、デボラ!!」
一瞬、デボラは言葉に詰まった。脇を向いて咳払いをひとつ。
「あたりまえじゃないの。私と結婚した時点で世界一の幸せ者なのよ、あんたは」
と言った。