いくじなしより、ちょっとまし

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第25回) by tonnbo_trumpet

 空は明るい青から急速に色を失い、鉛色へと変わっていった。まもなく空から、白いものが落ちてくるだろう。村人は空を見上げ、首を振り、かじかんだ手に息を吹きかけてまたそれぞれの冬支度に気を入れ始めた。
 冬が来る。豊穣の秋から生命の春へ移る間に訪れる沈黙の季節だった。
 畑には土の上に藁をしきつめて霜を避け、家畜はすべて山からおろして小屋へ入れ、暖かくしてある。薪は大量に蓄える。食料は日持ちがするように、肉は薫製に、乳はバターやチーズに、果物はドライフルーツにして数ヶ月をしのぐ準備をする。
 冬支度をしないと後から餓死や凍死の危険があるのはわかっているから、誰もが忙しく備えに精を出している。ただし、ひとつ例外があった。
「フォース!」
怒鳴り声が響いた。
「何をやってる!集中するんだっ!」
剣の師匠は手を腰に当てて仁王立ちになっていた。
 師匠の前には、六歳くらいの子供がふてくされていた。よく見れば顔立ちは愛らしく、特にその目は澄んだ晩夏の空の色をしているのだが、口をへの字に結びそっぽをむいているのはふてくされているとしか言いようがない態度だった。
「やだ」
「何が"やだ"?」
「おけいこ、やだっ」
手に持っていた木の棒を、六歳のフォースはその場に放り捨てた。
「ちゃんとけいこしないと、剣が使えるようにならんぞ!」
「いいじゃん、そんなの」
剣の師匠は絶句した。
「つまんねーもん!あそびいくほうがいいっ」
言うやいなや、小さなフォースはぱっとかけだした。
「こらっ」
手を伸ばしてひっとらえようとするもフォースの方が敏捷だった。たったったっと足音をたてて少年は逃げてしまった。
「やれやれ」
師匠はためいきをついた。
 誰かがフォースの捨てた棒を拾い上げた。
「今日は日が悪かったみたいね」
師匠は相手から棒を受け取った。
「甘やかしすぎじゃないのかい、シンシア?」
農婦の着る慎ましいドレス、作業用のエプロン、粗末な頭巾、木靴と、シンシアは完全に村娘のなりだった。が、花が開くような美しい笑顔を見せた。
「まだ六つよ?遊びたい盛りだわ」
「けどなあ」
シンシアは、剣の師匠の言いたいことを理解した。
 けど、あの子は剣を身につけなくてはならない。やがて、彼のために約束された剣を手に巨大な敵と闘わなくてはならないのだから。彼、フォースはそのように定められた存在……勇者なのだから。
 たとえ村中が冬支度で忙しいとしても、フォースのための剣や魔法の修行はまったく中断されなかった。フォースを勇者として育てること。それこそがこの村の存在意義だった。
「フォースは向いてないのかも知れないな」
ぽつりと剣の師匠は言った。
「そんなことないわ」
「勇者向きじゃない、と言ってるわけじゃない。剣より魔法の方が得意な子なのかもしれん」
シンシアは師匠の顔をのぞきこんだ。
「そんなにあの子の剣はだめかしら?」
「とにかく、剣に触ろうともしないんだ。男の子はふつう、棒とかああいう長いものが好きなんだがな」
雪の降りそうな空を見上げて剣の師匠はまたためいきをついた。
「勇気がない勇者なんて、聞いたことないぞ」
かすかに笑みを浮かべ、シンシアは首を振った。
「勇気ならありますとも。あの子は意気地なしなんかじゃない。寂しがりやなだけよ」

 口元から白い息を吐きながら、せっせとフォースは森の中を歩き、一本の樹にたどりついた。幹の下にかき寄せておいた落ち葉をそっとどけ、太い根がからんでできた空洞をのぞきこみ、安堵のため息をついた。
 先日森で死にかけていた狐の仔だった。もうフォースの顔を覚えたのか、のぞき込まれてもジタバタ暴れたりしなかった。
「こんなん、喰うか?」
持ってきたものを洞の中へ入れてやった。
「師匠がイシアタマでさ、遅くなっちゃった」
薫製にした川魚としなびたリンゴだったが、子ぎつねは一度鼻を寄せて臭いを確かめ、おそるおそる口を付けた。傷ついていた後ろ足はどうやら治ったらしい。
「おまえ、かーちゃんとかいねえの?」
子ぎつねは夢中で餌を食べているだけだった。
 しばらく子ぎつねを見ていて大丈夫そうだと納得してから、やっとフォースは村へ向かった。
「あ、雪だ」
ちらちらと粉雪が舞う森を、急ぎ足でフォースは通り抜けた。たぶん稽古をさぼったことは師匠が両親に言ったはずだ。ごまかしようがない。ちっと一丁前にフォースは舌打ちをした。
 村の入り口に誰かいた。
「シンシア……」
シンシアは頭と肩をおおっていたショールをとり、小さなフォースにかぶせてくれた。毛織りのショールはちくちくしたが、シンシアの体温が残っていてすごく暖かいと思った。
「おいで。一緒に謝ってあげるから」
フォースは唇をかんでうつむいた。そうしてもらいたいのはやまやまなのだが、すんなりそうしてもらうのはこっちが悪かったと認めるみたいでかっこわるい気がした。
「フォース」
「だって!」
シンシアは膝をついた。そうすると顔が同じ高さになった。
「だって、何?」
何もいえなくて小さなフォースは固まった。
 シンシアはショールごと幼子を抱きしめた。
「いい子ね」
「……いい子じゃねーもん」
シンシアの手が動いてフォースの耳に触れた。何か固いものの感触があった。
「スライムピアスよ」
とシンシアは言った。
「私の小さなさびしがりやさん」
彼女はほほえんだ。
「あなたがいつまでもこのままだったらいいのにね」
その笑顔が、どういうわけかフォースには泣きそうに見えた。

 布でできた大きな袋に、フォースは薬草二個と毒消草いっこ、それに力の種を入れた。たったそれだけではスカスカで、袋はぺしゃんとしていた。
 薬草類の上にフォースは焼け焦げのある羽根帽子を入れ、つぶさないようにそっと袋の口を閉めた。
 今朝、やっと雨があがった。
 ずっと燃え続けた炎は、村のあらかたを黒々とした炭の塊にかえてやっと消えた。
 残ったのは、臭いだった。焦げ臭いにおいが空気の中に漂っていて、いつまでも消えなかった。
「……」
 あの襲撃から、まる三日が経過していた。
 最初の一日は、どうやって死のうかと考えて、雨に打たれながら花畑だったところに座り続けていた。
 次の日はよろよろしながらみんなの体を集め、山の獣や鳥にあらさなれないようにした。
 そしてやっと三日目、自分が飢えていることに気付いた。
 死にたくなかったら、村を出なくてはならない。
 みんながいた時はあれほど見たかった村の外の世界が、急に冷たい、恐ろしい、情け容赦のないところのような気がした。
「いくじなしかよ、おれ」
荷物をまとめた袋を持ったまま、フォースは落ち着きなく首を振った。
 そのひょうしに耳元に何か触れた。手を伸ばしてみて、それがスライムピアスだとわかった。
……わたしの ちいさな さびしがりやさん。
 記憶の中のシンシアに、フォースは答えた。
「おれ、さびしがりやなのか?」
……いいのよ。さびしがりやは、いくじなしよりもいいんだから。
フォースは目を閉じた。
 あのときすごく大人だったシンシアは、フォースが育つにつれて保護者から友達になり、最後は本当に少女に見えた。
「村を、出るよ」
思い出に向かってフォースは言った。
「勇気はあるかどうかわかんねーけど、さびしがりやはいくじなしより、ちょっとましなんだ」
シンシアの残したスライムピアスが、足踏みする気持ちを前に向かって押し出してくれるのを感じている。ぺしゃんこの袋を肩に、スライムピアスを耳に、そして小さな勇気を胸に抱いて、勇者は世界へ向かって歩き始めた。