猫と船長

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第31回) by tonnbo_trumpet

  長く細めの剣が燕のように翻り、刃が反射して輝いた。鋭い音をたてて刀身がぶつかり合う。剣士のうち片方が、あせったのか頭上に剣をふりかぶり、面を狙った。細身の剣の持ち主はそれを予測していたかのように飛び出した。長い黒髪が舞う。剣士は相手のがらあきの胴を抜き、きっさきをすりあげて相手のあごの下へぴたりとつけた。周囲からわっと声が上がった。
 そこは密林の中の神殿の前庭だった。島一つがひとつの村と言う小さな集落の奥に位置する、すでに廃墟と化した古い神殿である。よその海域から来た無法な海賊がこの水の精霊を奉じる村に押し込み、島民はこぞってこの密林神殿へ逃げ込んだ。何か宝物があるかもしれない、なければ島民を捕えて売り飛ばそうと海賊どもが押しかけてきた。巨大な葉をもつ大木からつる草が垂れさがる中に巨石が放置されたままの神殿へいざ入ろうとした時、彼らはマール・デ・ドラゴーン号の水の民に囲まれていることに気付いたのだった。
 武器を捨てろ、と言われた無法者たちは、すべてをひっくりかえす可能性に賭けて船長同士のさしの勝負を提案した。マール・デ・ドラゴーン号船長シャークアイは、すぐさま上着を脱ぎ捨て、シャツの袖をめくり、細身の剣を抜いた。無法者の船長は幅広の大きな剣をかまえて正面に立った。こうして密林神殿前の決闘が始まったのだった。
「勝負はついたようだな。それとも、この喉、首の後ろまで貫いてやろうか」
静かに問われて相手はうなり、おそるおそる首を振ってあとずさった。
「あんたの勝ちだ、シャークアイ」
わああっと歓声があがった。島の人々、そしてマール・デ・ドラゴーンの乗組員たちがいっせいに声をあげたのだった。
「よし、では約束通り出て行ってもらおう。二度とこの島へ近寄るな」
その男と仲間は未練がましい目で神殿を眺めた。
「くそっ、なあ、こうなったらもうけは山分けでいい。その神殿の奥のお宝を持ち出せば、大儲けだぞ」
そんなこと!と誰かが叫んだ。
「あの中には売り飛ばせる宝物なんて何もないんです!」
神殿に避難していた島の長の一人娘だった。
 シャークアイはうなずいた。
「水の民の宝を売り飛ばすほどおれたちは落ちぶれちゃいない。出て行け。言っておくが、おれと約束をたがえるなら、海の上で水の精霊の加護はないと思えよ?」
結局、彼らは悪態をつきながらとぼとぼと出て行った。
 よかった、よかったー、と島民も海賊も叫び、抱き合うようにして喜び合った。カデルが若い水夫たちにあまり羽目を外すなと声をかけたが、ほっとして浮き浮きした気分が漂っていた。
「あの、シャークアイ様」
長の娘が話しかけた。彼女の父親はこの島の長なのだが、病気のために出てこられない。村長の代理として彼女は決闘をずっと見守っていたのだった。
「ありがとうございました。何かお礼に差し上げたいのですが、」
シャークアイは豪快に笑った。
「何も気になさることはない。水の民が脅かされているときは、われわれの出番だというだけだ」
「それではあまりに」
「では、次の航海にそなえて水を少しわけてもらえるか」
密林は雨の恵みを受け、この島は水が豊かだった。
「喜んで。村の者がもう樽でご用意しているはずですわ」
乙女は言いかけて、あ、とつぶやいた。
「そうだわ、これを」
乙女は足元から白い物を抱き上げた。
「この子を一緒に連れて行って下さい」
子猫だった。あごが尖っているので顔の輪郭がやや横長の逆三角に見える。目が大きく目立って見えるのだが、片方が青く、片方が琥珀色をしていた。
「猫を?しかし」
この娘の飼い猫を取りあげるようで、シャークアイはややとまどった。熱心に乙女は言った。
「きっとお役にたちますから」
大きな船の船倉には必ず鼠が住み着く。彼らは船の住人と食糧を奪い合う敵役なのだ。そして猫は船の乗組員にとっていつでも強い味方だった。
「では、遠慮なく」
乙女は嬉しそうに笑い、腕の中の子猫を顔の前に掲げて言い聞かせた。
「さあ、この方がおまえのご主人よ。よいわね?」
にゃあ、と白い子猫は答えた。

 メイドは一礼して尋ねた。
「何かお持ちするものはありませんか?」
貴婦人は微笑みを浮かべた。
「何も。本当に何もかもよくしてくだすって」
愛らしく若々しい女性だったが、彼女は貴婦人だった。一国の女王にも比すべき身の上だった。
「コスタール王にお礼を申し上げてください。アニエスが感謝しておりました、と」
そこはコスタール王がアニエスのために用意した貴賓室だった。
「あなたさまは王家のお客さまでいらっしゃるのですから当然です。私どもも誠心誠意お仕えいたします。シャークアイ船長の奥様にお仕えできるのは名誉なことと思っていますから」
ほう、とアニエスはためいきをついた。
「あの人、今頃どのあたりでしょう」
コスタール城の上階からは夜の海が見える。暗い水平線にアニエスは目を凝らすようにした。
「強いのでしょうね、闇の王は」
メイドはつぶやいた。シャークアイ率いるマール・デ・ドラゴーン号は、闇の王に対して乾坤一擲の勝負に出るべく、海へと打って出たのだった。室内に沈黙が漂った。
「そうだわ」
重い気持ちを振りはらってアニエスが言った。
「ミントはどうしています?私の猫ですけど」
「外へ遊びに行ったようです」
「あの子もシャークアイのことを心配しているのね。彼の気に入りの猫だったから。あの人、ミントに向かって、“おれの奥様を頼むぞ”って言い聞かせていたのよ」
ま、とメイドは微笑んだ。
「海賊の総領が、猫をお好きだなんて」
「意外でしょう?でも、私はなんとなくわかるわ。ミントは特別ですもの」
とアニエスは答えた。

 赤いじゅうたんを敷き、まばゆいろうそくの燭台を立てた部屋に上座に船長はいた。大きな椅子に足を組んで腰かけ、そばに船の住人がいて何か話し合っていたようだった。
「よくお見えになった、アルス殿」
とシャークアイは言った。
「今日は何か御用かな?」
ガボは最近マール・デ・ドラゴーン号の中に友達ができたらしく、乗りこむとすぐに知り合いに挨拶しにとんでいった。メルビンは船内の酒場の美人女将と一杯やっている。アルスとマリベルだけが船長室へ来ていた。
 あのう、とマリベルが言った。
「船の人が、船長は猫が好きだって言ってました」
秀麗な容貌の船長が、ふと微笑みを浮かべた。そうすると、急に少年のように見えた。
「よかったら、この子、あげます」
そう言ってマリベルはバスケットを差し出した。その中には、自分の愛猫が入っていた。
「お嬢さんの猫を?かまわないのかな?」
「うちの子、ちょっとわがまま娘で甘ったれだけど、かわいいのよ」
え、と思わずアルスは声が出た。
「世界で二番目にかわいいとか言ってなかったっけ」
しっ、とマリベルは言った。
「だって、ほら……」
マリベルは、シャークアイとアニエスが別れ別れになってしまったいきさつを知って以来、ずいぶんと同情的だった。
「確かに猫は好きだぞ。おいで」
バスケットの中から船長は猫を抱き上げた。よしよし、と毛並みを撫でてやると、わがまま娘は意外と素直に撫でられるままになっていた。
「おや、おまえは」
白い長毛の毛並み、片方が青、片方が琥珀色の瞳だった。
「その子、耳が片っぽ聞こえにくいの。でも敏感だわ」
シャークアイはしばらく無言でマリベルの猫を撫でていた。
「おれも昔、そっくりの猫を飼っていた。そいつも耳がよく聞こえなかったのだが、そのせいだろうか、別の力があったのだ。聴覚以外がひどく敏感で、特に、そう、人間で言えば第六感とでも言うべき感覚が優れていた。あいつは、ミントは、そういうとき必ずうなったり爪を立てたりして教えてくれたものさ」
船長の長い指が白い毛並みを梳いていく。
「とある小さな島の密林の奥にある神殿。今思えば、あの神殿こそこいつら白猫の聖地だったんだろう。猫神を祭り、耳は聞こえないが危険察知能力のある猫を育てていたあの島……」
何かを思い出すようにシャークアイは微笑んだ。
「それで俺は、妻の元にあいつをおいてきた。ミントのようすがおかしくなったら注意しろ、と言ってね」
そうか、とアルスは思った。闇のコスタールで自分にだけはなついてくれたあの猫、ミント。アニエスが海底に去ってから、きっとミントはコスタールで大事にされて、そこで天寿を全うしたのだろう。当然、子孫を残して。その子孫たちが巡り巡って、世界中に拡散する……。その中の一匹が偶然、エスタード島にいたとしたら。
 シャークアイは立ち上がった。何もかも見透かす目をして、腕に抱いた猫をアルスに渡した。
「いい猫だ、こいつは。アルス殿が持っているといい」
アルスはその眼を見返し、はい、と言った。