水界の覇者 4.簒奪者

 ルドゥブレはためらった。
「隊長、どうしましょう」
 ガネルは首をひねって後ろを見た。シャークアイが来るところだった。乗組員たちは神妙にキャプテンを迎えた。
「取引のできる立場ではないとわかっているか?」
静かにキャプテンは聞いた。吟遊詩人コーラルはごくりと喉を鳴らした。
「先に、知っていることを話すがいい。おまえの処遇はその後で決めよう」
コーラルはじっとキャプテンを見つめた。
「わかりました。あなたさまを信じて、お話し申しあげます」
シャークアイは無言だった。
「ラグラーズは、一連の事件の報復のために、第二艦隊に命じて犯人を探し回ってます」
へ、とルドゥブレは笑った。
 ラグラーズは、何か逆らうような動きがあったときは、その犯人を探し出して本拠地を徹底的に壊滅するのが常だった。が、マール・デ・ドラゴーンの本拠地は船そのもので、ラグラーズには手の出しようがない。いつもの手が使えずにさぞいらだっていることだろう。
「それで?」
「第二艦隊の新任提督の名はダグランドです。三年前に水の民の水上神殿を襲撃して、神器を持ち去った張本人、で」
かっ、とシャークアイが目を見開いた。居合わせた者が息をのんだ。
「あの、ダグランドか」
穏やかに見える海が、たちまち雲を呼んで荒れ狂うのに、それは似ていた。シャークアイは険しい目になり、ぎり、と奥歯を噛んだ。まだ足元にまつわりついていたミントがあわてて飛びはなれた。皮膚一枚の下で怒りが燃えたぎる。仲間と話していたときとはうってかわった厳しい表情で、シャークアイはコーラルをにらみすえた。
「どこから得た情報が知らんが、相手がダグランドとなれば話は別だ。ガネル、こいつを船長室へ連れていけ。ルドゥブレ、カデルとロッシュを呼んでこい。じっくり聞かせてもらおう」

 それは美しい人だった。長い金髪の、いかにも高貴な若い女性だった。髪は無雑作にとき流し、飾り気のない服を身につけていたが、物腰もたたずまいも、海賊船よりやんごとない人々の集う宮廷にこそふさわしいような婦人に見えた。
「今ならば、まだ、まにあう。姫、故郷へ帰らなくてもいいのか」
シャークアイが聞くと、婦人は微笑を浮かべ、人差し指を立てて、泣く子も黙る大海賊の口もとにあてた。
「いけません。アニエスと呼んでくださるお約束でしょう」
船長の秀麗な横顔がかすかに上気した。
「あ、アニエス……だが、まもなく海戦が始まる。姫には、故郷に家族がいる」
アニエスは春の風に吹かれているように微笑んだ。
「アニエス姫は、怪物の生贄になって死にました」
「だが」
「だから、ここにいるのは、水の民の長が救い出した、身寄りのない女で」
アニエスは無限の信頼をこめてシャークアイを見上げた。
「そして、海賊シャークアイの女房ですわ」
「アニエス……」
 まるで祈りのように、シャークアイはその名を口にした。浅黒く日焼けした男らしい顔立ちに、限りなく優しい表情が宿った。
 船長室は、マール・デ・ドラゴーン号の一番高い場所にある、広めの部屋だった。よくみがきこんだ木のパネルで室内を統一してある。床においた大きな櫃をテーブル代わりに、大きな海図が載せてあった。
「もう何も言うまい。アニエス、今度のラグラーズ艦隊は、あのダグランドが仕切るらしい」
「ダグランド!では……」
「運がよければ長年追い求めてきた宝が、われわれの手に戻るかもしれない。この戦、負けることはできないのだ」
「わかりました」
アニエスは夫の身体に両腕を回し、思いのたけをこめて抱きしめ、ささやいた。
「できることなら、あなたの前に立って戦いたいのです!どうか、御武運を」
そして、一度コーラルに会釈をすると、脇を通り抜けて足早に降りていった。
ふう、とコーラルはつぶやいた。アニエスが脇を通っていったとき、すばらしい香りがしたのである。
「奥様で……」
「ああ。彼女のためにも、今回は勝ちに行く」
シャークアイは口元を結んだ。
「コーラルだったな。この話の出所は?」
「わたしの兄弟子にあたる歌い手が、ラグラーズの港町で売れっ子になってまして、そいつから聞いた話です。お偉いさんたちの人事異動は、旅の吟遊詩人に取っちゃ興行ができるかどうかの大事な情報なんで……」
コーラルは肩をすくめた。
「だから吟遊詩人どうしはそういうネタじゃ、ウソはつきません。海賊のみなさんだって、船乗りどうしの内輪の話というのはおありでしょう」
「“陸(おか)者には聞かせられない話”というのは、あるがな。大部分はただのうわさだ。コーラル、新任提督の素性まで知っているとは、おまえにはまた、たいした兄弟子がいるようだな」
真正面からシャークアイはコーラルの顔を見てそう言った。へへ、とコーラルは笑ったが、背筋が寒くなるような気がした。
「まあいい。この海戦の間、おれの目の届かないところには行かないでもらおうか」
「私を、ラグラーズの回し者とお疑いで?」
「いずれ、わかる」

 ダグランドにとって、ラグラーズ海軍の第一艦隊がほぼ全滅した、という情報は、どちらかといえば朗報だった。
「これで俺がラグラーズ一の提督だ!」
確信をこめてダグランドは言い放った。艦長がお追従笑いを浮かべて新しい酒を杯に注いだ。
 苦節20年。いっかいの流れ者だったダグランドは、ラグラーズ軍のだれかれに大枚の賄賂を贈ってやっと今の地位……ラグラーズ第二艦隊提督を手に入れた。
 途中で陥れてきた者や賄賂をひねりだすために財貨を取り上げた者の屍が、ダグランドの後ろには山と積まれている。その山の大きさが出世に比例するのがラグラーズという国だった。
「報復はどうなっていると言った?」
 第二艦隊旗艦「ラグラーズの爪牙」号の艦長は、ダグランドにくっついてこの地位まで来た男で、完全に腰ぎんちゃくだった。ダグランドは眉をひそめた。
「相手はわかっているのですが、所在不明でして」
「なんだと?」
艦長がビクッとした。
「犯人は、アレです。また、あのバカでかい双胴船で。例によって隠れておりますので」
今度はダグランドの背中にいやな震えが来る番だった。
 三年前、それまで誰もが畏れてやらなかったこと、すなわち水の民の神殿を襲って財宝を奪い取るという暴挙をダグランドはやってのけた。そのお宝は今の地位を買うためにはどうしても必要だったのだし、いきなり神罰があたるということもなかった。
 だが、以来三年間、水の精霊の紋章をつけた双胴船がラグラーズの船ばかり襲っているといううわさは、ダグランドの悪夢だった。
「たかが、海賊!」
悪夢を振り払うようにダグランドは吐き捨てた。
 そのときだった。士官が急ぎ足でやってきた。
「報告いたします。見張りが、水平線に不法な船を発見いたしました!」
不法に航行する船は、ダグランドたちラグラーズの艦隊にとって取締りの対象であり、小遣い稼ぎの相手でもあった。
「いつものようにやっておけ」
「それが、どうも、例の海賊船らしく……」