水界の覇者 2.ターフル海峡の海戦

 深夜のターフル海峡は、島へ向かってかなりの風があった。ラグラーズ艦隊は、ターフル海峡の、やや島よりの航路を進んでいた。
 速い風に雲が流れ、ときどき雲の切れ目から月光がさす。が、あたりはほとんど暗闇だった。
 艦隊旗艦「ラグラーズの栄光」号の上では、見張りの兵士がそっとあくびをかみ殺して、島のほうへ目を配った。あまり従順とはいえない島民が脱出しようとしたら、確実に捕らえろと命令が出ている。ボート一艘見逃すことはできなかった。
 船室の扉が開いて、士官が出てきた。煌々と輝くランタンの下でまぶしそうな顔をしたが、マニュアルどおりに聞いてきた。
「異常ないか?」
一度敬礼して見張りは答えた。
「異常ありません。ターフル島には動きがありません」
「見張りを続けろ」
「アイ、サー」
士官は別の見張り台へ行こうとして、ふと足をとめた。
「今、何か聞こえなかったか?」
シフトは夜半直となってまもない。眠気を誘うような波の音以外は聞こえなかった。
「何も聞こえません」
「気のせいか……」
 そのときだった。単調な波音に混じって何かが風を切るようなヒュルヒュルという音を兵士は聞きつけた。それは今までにらんでいたターフル島ではなく、後ろの海の方から聞こえてきた。
 次の瞬間、大音響を立てて何か大きなものが甲板にぶち当たった。
「な、なんだ!」
次々と水夫や士官が甲板へ飛び出してきた。水夫たちは甲板にめり込んで薄く煙を上げている石の砲弾を見てあぜんとした。
「砲撃だと?」
「島からじゃないぞ!」
「どっから撃ってるんだ」
右往左往する乗組員の頭上を風切り音が襲った。再びすさまじい音が響いた。
「退避、退避―っ」
「ふざけるなっ、応戦しろ!」
「ランタンめがけて撃ってきてるぞ、火を消せ」
「バカ野郎、何も見えねえじゃねえか!」
 舷側をかすめて砲弾が海へ落ち、高い水しぶきの柱を作った。「ラグラーズの栄光」号は大きく揺らいだ。砲撃はまったく切れ目がなかった。一発命中して帆柱が一本、がくりと折れた。息もつかせず砲弾の雨が降る。驚くべき正確さだった。
「僚艦に、すぐ応援を」
「友軍もやられていますっ」
気がつけばあたり一面から着弾の轟音や立て続けに上がる水柱、木材のへし折られるめりめりという音、悲鳴、怒号、それに混じって救助を求めるドラムの連打が聞こえてくる。謎の砲撃はラグラーズ艦隊の中央を完全に切り崩したようだった。
「なんと言うことだ」
艦長が力なくつぶやいたとき、ふと砲弾の雨がとぎれた。波の音が戻ってきた。あたりは沈黙している。
「おい、あそこ!」
水夫が指差した。目を凝らすと、闇の中を、壁のようなものがかなりの速さで移動していた。ちょうど雲が切れ、青い月の光がふりそそいだ。
「船だ……」
「……でかい」
 壁と思ったものは鉄板を張り巡らせた船の外壁だった。甲板は高く、はるか頭上である。船首も船尾も闇にのまれて、全容がつかめないほど長大だった。
 長いガンデッキには艦載砲がずらりと砲口を並べている。砲手たちが仕事をしているらしく、“撃てぃっ”という号令がかすかに降ってきた。とたんに至近距離で砲声がとどろいた。「ラグラーズの栄光」の頭上を飛び越えて砲弾の飛ぶ音がした。ほどなく、艦隊の両翼から着弾音がした。艦隊旗艦は、手も足も出なかった。
 謎の船はラグラーズ艦隊の中央を突破してターフル島へとむかっていく。長大な帆柱には紋章を描いた帆がたっぷりと風をはらんでいた。
 その姿がみるみるうちに遠ざかっていくときになって、艦長はやっとわれにかえった。あわてて手すりへ走り寄った。
「追撃しろ、逃がすな!」
「しかし、艦長、メインマストとミズンマストが折れております」
艦長は髪をかきむしった。
「飛び込め、きさまら、泳いででもあの船を逃がすなっ」
「そんな、むちゃな」
「そこの船!返せ、戻せ!」
艦長の怒号が聞こえたかのように、謎の船は向きを変え始めた。
 風はあいかわらず、島へ向かって吹いている。謎の船の上で帆桁が次々とまわり、ついに船は完全に風上へと舳先を向けた。
 水夫たちはどよめいた。
「二隻?いや、ちがう」
「くっついてるぞ!」
一隻だけでも常識外れの巨大船が船腹をあわせ、双胴船になっているのだった。
 船はそのまま、ラグラーズ艦隊のいる風上に向かって進んできた。
 帆船を風上へ向かって走らせるには、上手回し、すなわち帆を操ってジグザグに進まなくてはならない。小船ならともかく、浮き城のような巨大な船で上手回しをやるには、どれほどの人手と熟練を要することか。
 しかも船は、早かった。みるみるうちに巨体が目の前に迫ってきた。艦長以下情けない悲鳴をあげて甲板の反対側へ逃げた。
 だが、謎の船は「ラグラーズの栄光」には鼻も引っ掛けず、ふたたび両舷斉射して艦隊の残りも粉砕すると、急ぐでもなく悠々と闇の中へ消えていった。
 あたりの海は一面に壊れた船の材木や帆布が漂っている。船材につかまって水夫や兵士がかろうじて漂っているが、戦力とはいえない。ラグラーズ第一艦隊は総数100隻。破船の数が少なく見えるのは、暗いせいか、あるいは沈没したか。
 ラグラーズ第一艦隊が、ただ一隻の双胴船に圧倒された。これだけ船を失っては、第一艦隊はしばらくは再起できないだろう。艦長は、腰が抜けたようにへたりこんでしまった。