記念日

 誰が設置したものか、ぼろぼろの土岩の壁に壁掛け松明がくくりつけられていた。その灯りを避けて、ローレシアのロイアルは曲がり角の先まで従兄弟たちを引きずっていき、そっと顔を出して向こう側のようすをうかがった。
 ペタン、ペタンと音がした。ギィときしむ音が続いた。
(キラーマシンかよ!)
気づかれる心配がなかったら、舌打ちしたい気分だった。ロイは満身創痍になっている。ここで敵とエンカウントするのは、どうにもありがたくないところだった。
 ペタペタ言う音は遠ざかっていった。ふぅ、とロイは息を吐いた。
(行っちゃった?)
視線を下げると、サマルトリアのサーリュージュがうずくまっていた。
(ああ。だが、声をたてるな)
目の下に生々しい傷をつけた顔で、にっとサリューは笑った。
(ちょっとだけ見逃して。言霊は発音しなきゃ発動しないからね)
「ベホイミ」
あたたかな風がロイを取り巻いた。痛みと疲労が嘘のように軽くなった。
「バカやろう!自分に使え!」
しっとつぶやいてサリューは人さし指を唇の前に立てた。
(ルーラとリレミトの分だけ残ればいい。ほら、彼女が)
 ロイはあわてて彼女ことムーンブルグのアマランス姫のようすを確かめた。アムは目を閉じて壁にもたれ、座っていた。疲労困憊したようすで、浅く息をしている。
(大丈夫か!)
薄く目を開け、かすかにうなずいた。
(すぐ、元気に、なるから、今だけ……)
(無理するな、ここは)
ここは、このダンジョンこそは、難攻不落とうたわれたロンダルキアへの洞くつなのだった。
(一度もどるか)
とロイがささやいた。
「ダメ」
息も絶え絶えにアムが言った。
「一階から何度も落とし穴に落とされて、やっと二階まであがってこれたのよ?ここで諦められない」
「とはいっても、完全に迷子だ」
パーティはロンダルキアへの洞くつの二階を、丸一日歩いていた。が、フロアの端へたどりつくことはできなかった。サリューとアムの魔力は半分も残っていなかった。
「でも!」
(声、低く)
サリューにたしなめられて、二人は声を潜めた。
(わかったわ。サリュー、あなたが決めて)
(おまえが一番、頭いいからな)
やれやれ、とサリューは肩をすくめた。
(こういうことだと、意見が一致するんだよね、君たち)
 サリューは、改めてあたりを見回した。
(決めた。あそこの壁の松明、取ってくる)
(は?)
(なんですって?)
指で静かに、と合図して、サリューは耳を澄ませた。よし、とつぶやくと曲がり角から飛びだし、すぐに戻ってきた。宣言した通り、手には壁掛け松明を持っていた。
「どうすんだ、そんなもん」
サリューはすぐ後ろの壁に松明を取り付けた。
「今日は脱出しよう。で、この次ここへ来たら、この場所がわかるようにしたいんだ。ここまで歩いたっていう印だよ」
こくん、とアムがうなずいた。
「これも使って」
ポシェットの中から布きれを彼女は取りだした。
「防寒用にもってきた肩掛けだけど、その松明につけておいて?」
サリューは布を受け取り、ん、とつぶやいた。
「これ、見覚えある」
明るい青に黄色の縁取りのある長い布だった。
「それ、俺のかもな」
ロイだった。
「そうだわ!これ、ムーンペタでロイがくれたのよ」
犬から人に戻ったアムが、いざ旅に出ようとしたとき、装備できる鎧の類がまったくなかった。布の服だけではあまりにも心もとないと思った時、ロイが肩に長い布をかけてくれた。ないよりましだろ、と言って。
「今だから言うが、それ、マントなんだよ」
「はいっ?」
とアムは言った。サリューも首をひねった。
「うそ。初めて会った時から、ロイは全然マントなかったよ?」
照れくさそうに彼は言った。
「城から持って出てきたんだが、このヒラヒラが気恥ずかしくてダメだった」
「ロイったら、まったくどこまでもロイだねえ」
うるせぇな、とロイは従兄弟に渋面を向けた。
「そんで、荷物を包んだりしてたら破れちまって、残りをアムの肩掛けにしたわけだ」
 くすくすと笑っていたアムが声を上げた。
「ねえ、今日って、私たちがムーンペタで初めて顔を合わせた日じゃない?」
あっとサリューが言った。
「うん、そうだよ。記念すべき日だね」
「ようし、こんなとこに長居してられっか。リレミトだ。ムーンペタへ戻って一杯やろうぜ」
「わかったわ。そうしましょう」
まだふらふらしながらアムは立ち上がった。
 三人は手を取り合って立った。呪文の詠唱が始まった。パーティの後ろの壁には松明がぼんやりと燃え、彼らの影を石床に落としていた。やがて魔力の粒子を竜巻のように噴き上げて、パーティは消えた。
 彼らが再びこの松明を見つけ、無限ループに気づくのは、それからまもなくのことだった。