3.幻の町の「まじめ屋」

 その店は、店というより路地に置いた小さな机といすだけだった。一見、占い師か何かのようだが、その店はちょっと特別だった。
「……いらっしゃい」
 やってきた客は三人連れだった。先頭の若者が驚いた顔でその場に立ち止まった。後ろにやはり若い男と若い娘がいて、こちらをのぞきこんでいた。
「ええと、ここは口入れ屋か?」
 まだ若い、せいぜい十代と店主は思った。
「仕事をお探しで?」
 小さな机の上の名札には、『お仕事紹介所:まじめ屋』とあった。
「そうだ。ちょっと金が入用なんで、短期の仕事をやりたい」
 先頭の若者がそう言った。身につけている青い服の下にはよく鍛えた体がある。こいつは力仕事ができそうだ、と店主は思った。
「ぼくたち三人でいっしょにできるお仕事だといいんだけど、ダメなら一人ずつの職場でもやります」
 もう一人の旅人は青の若者より細身だが、口がよく回る。接客ならかなりいける、と店主は踏んだ。
「私たち旅の途中で、この町に知り合いはいないの」
 最後の一人は、見とれるような美少女だった。
「保証人なしでお願いできるかしら」
 すぅっと店主は小鼻から息を吸い込んだ。
「喜んでえええぇぇぇっ!」

 口入れ屋の商売は就職希望者と採用希望者を結び付けるところに成立する。このところ人手不足で、採用希望はけっこうあるのに就職希望者が底をついてしまっていた。
 正確に言えば希望者は来るのだが、どこへ出しても恥ずかしくないという働き手はあまりない。仕事ができるできない以前に、遅刻しない、店の品をちょろまかさない等の常識がなっていなかったりする。
「特に問題なのは、仕事の選り好みが激しい人ですな」
 店主はきっぱり言って、三人の顔を眺めた。
「私たち、お仕事選びに贅沢は言わないわ」
「それはけっこう」
 店主は机の下から大事な名簿を取り出した。
「ええ、短期と言いますと今のところ倉庫から荷物の出し入れ、商店のまかない飯づくり、弁当の配達、市場の掃除係、棺桶職人の弟子、教会の孤児院の子守、楽団のメンバーの補充」
 若い旅人たちはぽかんとして聞いていた。
「あっ、そのっ、それやります」
 細い方の若者がいきなり手を上げた。
「子守ですか?」
ううん、と若者は首を振った。
「楽団のほう。ぼく、楽器弾けます」
 店主はさっと名簿にしるしをつけた。特技のある就職希望者は大歓迎だった。
「繁華街の居酒屋に出ている楽団で、一人メンバーが抜けてしまったための急募です」
 給金はこれだけ、昼前にリハ、拘束時間は居酒屋が終わるまで、と説明すると若者は熱心に聞いていた。
「それじゃあとで地図をお渡ししますので、居酒屋へ行ってうちの『まじめ屋』の名前を出して聞いてみてください」
「その居酒屋、力仕事の募集はないのか?」
と青の若者が言った。
「私、お皿洗いならできるわ。裏方へ入れないかしら?」
 美少女も聞いてきた。
「そうそう都合よくは、ねえ」
 そうね、と美少女は肩を落とした。
「孤児院の子守の仕事、やらせていただくわ」
「はいはい」
 店主はいそいそと名簿を開いた。
「お嬢さん、お育ちがよさそうだ。孤児院ではお作法や読み書きを教えてくれる人も募ってましてね。子守よりもお手当がいい。聞いてごらんになるといいですよ」
「あら、ありがとう」
「で、そちらのガタイのいいお兄さん、どうします?何か特技は?」
「……剣術かな」
 彼は背中にかなり重量感のある剣を背負っていた。
「そういう仕事は、うちにはあまり回ってきませんねえ。力仕事がおいやなら、あとはご隠居のチェスの相手とか、飼い犬の散歩の代理なんてところですが」
 最初に就職を決めた仲間がくすくす笑っている。青の若者はうなだれた。
「倉庫……」
「はい、決まりねっ」
 店主は羊皮紙を取り出して三人に差し出した。
「ではここへ、お名前をお願いします」
 実は、就職希望者の中には文字にくらく、自分の名を書けない者も多かった。が、三人はすらすらと記入して返してきた。
「はい、受け取りました。それじゃ、いってらっしゃいませ」
 挨拶を返して彼らは店を後に、町の中へ散っていった。
 店主は名簿に名前を書き入れようとした。
「『ローレシアのロイアル』、『サマルトリアのサーリュージュ』、『ムーンブルグのアマランス』。はて、いったいどこからおいでなさったのやら」
 名前の前についているのはどれもおそらく地名だと思われたが、店主は一つも聞いたことがなかった。

 数日後、就職斡旋の「まじめ屋」店主は、営業を兼ねて町中を見回りにいった。
「就職先を紹介した人は我が子のようなもの。何かあったら大変だ」
と、半分くらい本気でそう思っていた。
 教会に近づくと、一斉に子供たちの声が聞こえた。
「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」
 窓からのぞきこむと、アマランスと名乗った少女が棒の先で文字をひとつずつ指して子供たちに読ませていた。
「はい、よくできました」
と言い終わるのを待たずに、こどもたちはわーっと声をあげて荷物をまとめはじめた。
「まだ終わりじゃないでしょっ、ほら、座って!座りなさいっ!」
「え~っ、でも~っ」
 きゃあきゃあと騒ぐ子供たちに向かい、手で教卓をバンと叩き、彼女は叫んだ。
「宿題増やされたいかっ」
 ぴたっと子供たちは動きを止めた。
 店主はこっそりメモを取り出し、書きつけた。
「特技、子供の扱い。教師の適性あり」
 この娘は大丈夫そうだ、そう思って店主はにこっとした。

 次に向かった先は倉庫だった。ロイアルという若者の居場所は、遠くからでもわかった。
「こっちだ、こっち!みんなついてこい!」
 体もでかいが、声も大きい。そしてかなり重そうな木箱を一人でふた箱担ぎ上げてのしのしと歩いて行く。その後ろから同じく荷運びらしい人夫たちが荷を担いでぞろぞろついてきた。
「ここへ積むぞ。さっさと動こうぜ!」
 へ~い、と人夫たちはおとなしく応じた。
 顔見知りの倉庫主がやってきた。
「まじめ屋さん、いやあ、いい人を紹介してもらった!」
 店主はちょっと頭を下げた。
「いえ、ご採用ありがとうございます。なんですか、あの新人さん、使えますか」
「使えるどころか、チカラは強いし仕事の呑みこみは早いし、あっという間にチームリーダーですよ。なんかこう、祭り上げられるような人望があるんですわ」
「それは、よございました。こちらでも名簿に書いておきますよ」
「それじゃ、特技ってところに『樽でお手玉』って書いてください」
 倉庫主はホクホクして、そう言った。

 それから数軒回って日暮れになったころ、店主はとある居酒屋へ寄ってみた。サーリュージュという若者がそこでマンドリン弾きとして歌い手のバックを務めているはずだった。
 客の入りはいいようだった。隅の席に座り、酒と料理を待っていると、店の片隅がにぎやかになった。
 ベテランの女の歌い手がテーブルを回ってリクエストを募っている。彼女が店の奥へ落ち着くと笛や小太鼓をさげたバンドが待ち構えていた。その中に店主はサーリュージュを見つけた。
 三本足の簡単な椅子に腰かけて、サーリュージュはピックでマンドリンの弦を弾いた。最初は甘く、とろけるように、それから華やかに楽し気にベテラン歌手は店を盛り上げていく。サーリュージュも落ち着いて歌に合わせていた。
 一曲終わると、客たちは歓声と拍手で楽団に報いた。
「なんだ、大丈夫そうだ」
 注文の酒が運ばれてきた。ふと斜め前を見ると、ロイアルとアマランスがいるのが見えた。二人とも楽しそうに拍手して、サーリュージュはそちらに手を振っていた。
 しゃしゃり出るのはやめにしたが、できることなら店主はそばに行って握手したい気分だった。就職斡旋業としては、どんな求人にも応えられる手駒をたくさん持っているのはまことに嬉しい事だった。いきなり現れたあの三人はまさに口入れ屋の財産と言えた。短期と言っていたが、うまく持ちかければ長期にわたってこの町で働いてくれるかもしれない。店主は自分に向かって乾杯した。
 ベテラン歌手がもう一曲つとめて、引っ込んだ。
「ロイ、アム」
 サーリュージュがそう言って、二人のテーブルまでやってきた。
「来てくれたんだ!」
「孤児院から週給がでたの。初給料祝いよ」
 アムが言い、ロイはマグに入った酒を手渡した。
「ほら、おまえの分。乾杯しようぜ」
 うれしそうにマグをかかげ、三人はかるく打ち合わせた。
「けっこう、楽しいねえ」
「誰も私たちのこと知らないっていうのは新鮮だわ」
「ゴールド金貨が使えないってのは予想外だったけどな」
「まあ、なんとかなるものだわね。いろいろ旅で苦労してきた経験がものを言うわ……これ、美味しいわよ?食べたことのない味」
 くすくすと彼らは笑った。
「アムはお仕事慣れた?」
「相変わらず子供はうるさくって。でも向こうも私を怒らせないほうがいいってわかったみたいね」
「船着き場にも倉庫にも、俺、ともだちができたよ。なかにはケンカともだちもいるが」
「ぼく、歌手のお姉さんに、サリューくん専属になってよって言われちゃった」
 笑顔を互いに交わしあい、誰からともなくためいきをついた。
「ま、いつまでもいられないよな」
「潮時ね」
「そっか、今夜か」
 何の話だろう?と店主は不思議に思った。

 サリューはその後またステージへ戻り、やがて居酒屋の終わる時刻になった。あの会話が気になってしかたがないので、店主はだらだらと店に居座り、彼らの動向を見守った。
 夜更け、楽屋から仕事をあがってきたサリューは、外で待っていたロイとアムに合流した。犬の遠吠えだけが聞こえる真夜中の町を、三人はすたすたと歩いて行った。
「もういいぞ、出て来いよ」
 十字路に来たとき、いきなりロイがそう言った。
 自分のことか?そう思って店主はびくついた。が、すぐに違うとわかった。十字路の一方から、のっそりと現れた者がいた。
「ナゼ、ココニイル?」
 何を言っているかはわかるのだが、形が不定形で捕らえられない。言葉を話す霧のようだった。
 ロイは背中に背負った大きな剣を抜いた。
「そっちから呼んでおいて、たいした言いぐさだな?」
 ロイの背後では、サリューが細身の剣を構えていた。アムは杖の先端の魔石を相手に向けた。
「あなたそれほどたちの悪いモノじゃないわね。寂しすぎて、魂を呼び込んでいるだけでしょう?」
 サリューは剣の先端を下げた。
「今なら元に戻れるよ。でもこのまま続けたら精霊女神もお許しにならない。どんどん悪霊に近くなっていくんだよ」
「こいつらの言うとおりだ。もう、やめろ」
 とつぜん霧は散開し、三人を取り巻いた。
「イヤダ、イヤダ、イヤダ!」
 勢いをつけてアムは杖を振り上げた。キラキラした粒子が流れ出した、と思った瞬間、霧は一か所に集まっておぼろげな人の形になった。
「さあ、覚悟決めろ」
 遠巻きにして眺めていた店主は、ごく、と唾液を呑みこんだ。ロイは「剣術が特技」と言っていたが、うそだろうと思う。特技どころか、剣をふるうために生まれてきた天性の剣士だった。
 背後を固める二人も見ちがえるようだった。剣を、杖をかまえる姿、気迫、殺気。旅をしてきた、とアムは言った。旅の途上でくぐってきた修羅場の数々がわかるほどだった。
「…………」
 サリューとアムの唇から、聞きなれない言葉が流れ出した。人の形をした霧が、びくびくとみじろぎして苦しんでいた。が、二人を攻撃したくても壁のように立ちはだかるロイがそれを許さない。
「アア!タスケテ、タスケテ」
「精霊ルビスよ、憐れみたまえ」
 ロイはそう唱えると、手にした大剣の柄を両手でつかみ、真下の大地に切っ先をつきたてた。
 どこかふわふわと、タンポポの綿毛が散るように、霧はほどけ、消えていった。

 あの旅人たちには、あれから会っていない。それぞれの職場に聞いたのだが、きちんと挨拶して給料を受け取り、引継ぎまでやって辞めたという。
 名簿の中の彼らの名前は、だんだん字が薄くなって消えかけている。
「また帰ってこないかねえ」
 路地の小さな店の中で、まじめ屋の店主は時々そうつぶやくのだった。