2.三十五本の白い花

 ムーンブルグの王女アマランスは、荒野の中に足を止めた。知らず知らずのうちに杖を固く握りしめていた。
 そこは、何もない場所だった。ルプガナで借りた船に乗ってラダトームの町の港を出て、一日ほどパーティは南下していた。この土地に上陸したのは飲料水の補充のためだった。
「どうしたの、アム?」
 アムは振り向いた。サマルトリアの王子サーリュージュがそこにいた。
「ああ、サリュー、聞こえない?」
「何が?あ、この声か」
 アムはうなずいた。うぇぇ、ふぇぇ、という子供の泣き声だった。
「何も聞こえねえぞ」
 サリューの隣で、ローレシアの王子ロイアルがそうつぶやいた。
「ほら、あの子が」
と言いかけてアムは口を閉じた。サリューが首を振ったのを見たからだった。
「ぼくにも、声だけしか聞こえないよ。アムは、見えるんだね?」
 アムはうなずいた。
「小さな女の子。白い薄手のスモックを着てサンダルをはいてるわ」
 アムは幼女の前に膝をついた。
「どうして泣いてるの?」
 小さなこぶしを目からわずかにずらして、幼女は赤くなった目でアムを見上げた。
「タネがないの」
「落としちゃったの?」
 ううん、と首を振って幼女はたどたどしく説明した。
「あつめなくちゃ、だめなのに、ひ、ひゃっこ」
「そんなにたくさん?でも」
 アムは立ち上がってあたりを見回した。だだっぴろい、岩と砂の荒野だった。見渡す限り茶色と灰色の世界が広がっている。そして、一輪の花も見えなかった。
 幼女は口元をゆがめ、また泣き出した。
「ああ、泣かないで。私さがしてみる。どんなタネでもいいの?」
 しゃくりあげながら幼女はうなずいた。
「サリュー、ロイ、タネを探してちょうだい」
「は?」
 きょとんとしている王子たちにアムは説明した。
「石の間を探って、枯れた草があったら調べてみて。なかったら地面を探して。たくさんいるの」
 二人は顔を見合わせたが、しぶしぶ探し始めた。中腰の作業をしばらく続けたあげく、アムはようやく腰を伸ばした。
「ねえ、見つかった?」
 荒野の別々のところから王子たちが身を起こした。
「あったって言ってもな。これだけだ」
「ぼくはこんだけ」
 二人とも片手の手のひらに収まる量だった。
 アムは自分の両手に三人が見つけた種子をすべてのせて、泣いている幼女に見せた。
「これしかなかったの。三十五個あるわ。全部あげる」
 幼女は涙をぬぐってアムを見上げた。
「いいの?ありがとう」
 そしてやっと笑った。どうやって霊体がタネを受け取るのだろうとアムは思ったのだが、アムの手のひらからタネはふわりと浮き上がった。
「じゃあ、お礼ね」
 幼女の姿が透けた。タネはいつのまにか見えなくなった。
「待って、どこにいるの?」
 その問いに答えたのは、タネだった。アムの目の前の乾いてひび割れた地面に、ぽつんとタネが落ちた。あっというまに芽吹き、みずみずしい若葉ができた。
 その向こうにも、もうひとつ。さらに数歩進んだところにひとつ。
「道案内じゃない、これ?」
 サリューがそう言って先に立った。
 不毛の荒野に、若葉の道案内は点々と続いていた。アムたちは追いかけるのに小走りにならなくてはならなかった。
「向こうに何かあるぞ」
とロイが言った。
「なんだろう。建物?家?というほど大きくないね。ほこらかな?」
 次々と芽吹く草の葉を追ってアムたちはそのほこらに近づいた。
 若葉の列は入り口の前で曲がり、ほこらの外の立ち枯れた樹を目指しているようだった。ようやくアムたちは足を止めた。三十五本の草の葉の最後は、木の根元だった。
「何かしら、キラキラしてる」
 アムは手を伸ばして、そこにあったものを拾い上げた。
「これ、太陽の紋章よ!」
「ちょっ」
 妙な声を上げてサリューがのぞきこんだ。
「すごい。これがあのお嬢ちゃんのお礼か」
 うふふふふ、と可愛い声が虚空にひびいた。
「ねえ、見て」
 魔力を持たず霊体の声が聞こえないはずのロイを含めて、三人は背後を振り返り、息を呑んだ。
 一木一草なかった荒野が、緑の草原に変貌していた。吹きすぎる薫風に草の葉が一斉に揺れる。その中を、三十五本の白い花が一列になって咲いていた。
 気が付くと立ち枯れた木は堂々と枝を張る大樹に、みすぼらしいほこらは三つの旅の扉を擁する炎の祠と化していた。
 ロイ、サリュー、アムの三人は唖然としたまま、自分たちの通ってきた道を見つめていた。
「この世界には、もっともっと花が咲くよ、きっとね」
 声もなく立ち尽くしていたアムは、はっとしてこずえを見上げた。
「ルビスさま?」
 天のどこかから、ふふふ、という笑い声が風に乗って流れてきた。