空になった食器やマグを大きなトレイに乗せて、酒場のメイドはちょうどテーブルを拭きあげたところだった。
「いらっしゃいませ!」
入り口のドアに下げた鐘が鳴ったので、ほとんど反射的にそう言ってメイドは入り口を見た。入ってきた客は若いカップルに見えた。
「こちら、お席ございますよ?」
男の旅人は緑の法衣に朱色のマントをつけ、細身の剣を腰のベルトから吊っていた。女は豪華な金髪を赤い頭巾に包み、白いローブをまとっている。その手には杖があった。そして二人とも、人目を惹きつけるような際立った容姿だった。
「アム、座って待とうよ」
緑の若者はそう言って自然に椅子を引いた。美少女はふわりと腰かけた。
「あとから連れが来るの。注文はそのあとでいいかしら?」
二人に見とれていたメイドは赤くなった。
「あ、はい。では、ご注文がお決まりになりましたら、およびください」
早口でそう言うと、トレイを持って引っ込んだ。
「あのお客さんたち、アリアハンの人じゃないよね」
メイド仲間がそう言って、よく見ようと首を伸ばした。
「たぶん、よその人」
メイドたちだけではなく、酒場中が二人のほうを見て、ささやきあっていた。
「男のほうは、僧侶か?」
「戦士にしては細いな。けど、盗賊には見えん」
「女の子は魔法使いかね?」
「たぶんそうだろうが、遊び人にしてみたいね」
「ああ、わかる。花があるよね」
さかんに職業をうわさしているには、わけがあった。その酒場こそ、アリアハンに名高い冒険者たちの集う場所、ルイーダの酒場だった。店の客たちもほとんどが冒険者であり、ライバルの登場には敏感だった。
緑の若者がアムと呼ばれた少女と話していた。
「ロイったら、遅いね」
「ルイーダの酒場がどこにあるかわからないってことはないでしょうけど」
ためいきまじりにアムが答えた。
「何かに巻き込まれたんじゃないかしら」
「天下の熱血漢だからねえ。あり得る」
「困ったわ。ルビス様のお話では今日がチャンス、のはずなのよ。遅刻だなんて」
「アム、こっちじゃ、その、御声はもう聞こえない?」
アムはためいきをついた。
「試してみたのだけど、だめだった。こちらではまだ封印を受けておられるというのは本当みたいだわ」
「そうなんだ……。他に手がかりもないし、今日に賭けるしかないね。もうちょっと待ってロイがこなかったら、ぼく、探しにいくよ」
アムは答えなかった。
「ねえ、サリュー、何か騒がしくない?」
客もメイドたちも、物音に気付いてきょろきょろし始めた。
●
吸盤の付いた巨大な触腕をムチのようにしならせて、ダイオウイカは水中からぬっと姿を現した。アリアハン城郊外の河口に近い港は、パニックに襲われていた。
商人はじめ町の人々、漁師やあらくれは、半分が悲鳴を上げて逃亡した。残り半分も、かけつけたアリアハン王国軍の陰にかくれてダイオウイカを遠巻きにしていた。
「なんであんな奴がっ」
「オレの船!全財産なんだよ、誰か助けてくれよ!」
兵士長が叫んだ。
「みんな、下がりなさい!ケガをするぞ!」
槍をかまえた兵士たちがじりっとダイオウイカを取り囲んだ。白目の中に黒眼のある、人に似たダイオウイカの目が悪意をこめて輝いた。
巨大な触腕が高々と振り上げられた。ひぃっと周りの人々から悲鳴があがった。
「撤退―っ!」
兵士長が命じる前に兵士たちが浮足立った。軍隊の上に、ドラゴンの尾のようなたくましい触腕がたたきつけられようとした。
「ブゥォォォオオオオッ」
ダイオウイカは悲鳴をあげた。触腕は途中でぶった切られ、切り口から青黒い体液が噴出していた。
ダイオウイカの前に、一人の若者が立ちはだかっていた。簡素な青い服、ゴーグル付きの皮のヘルメットといういでたちだが、体つきはがっちりしていて戦士だと思われた。
「海へ帰んな。悪さしないなら命はとらねえ」
青の戦士が手にしているのは、港湾で獲物の解体に使う大型の斧、というより刃渡りの長い、刀身のぶあついマサカリだった。
ダイオウイカの目が敵をとらえた。残った触腕が戦士一人をめがけて襲い掛かってきた。
強い目力のある目でモンスターをにらみ返し、戦士は桟橋を走り出した。触腕をかいくぐり、片手でマサカリの柄をつかんで軽々とふりまわした。
「あの顔、どこかで……」
と、つぶやく声があちこちから聞えた。
戦士は時々大きな手のなかでマサカリの長い柄をくるりと回して握り直した。そのたびに巨大な刃が鮮やかに舞い、まるで小枝か何かのようにダイオウイカの触腕が切り払われていく。さすがのダイオウイカがひるんだ。
重いマサカリを頭上にふりかぶり、戦士は高く跳んだ。ダイオウイカの目と目の間に、マサカリを正確に叩き込んだ。
キュウ……と情けない声をたててダイオウイカが崩れ落ちた。
アリアハンの市民や兵士たちの間から歓声があがった。
顔にはねたスミを拭きながら、戦士はマサカリを手にもどってきた。
「この斧、誰のだ?勝手に使って悪かった」
上半身肌脱ぎのあらくれが、前に出た。
「とんでもねえ。助かったよ、兄ちゃん」
そこまで言って、あらくれは絶句した。
「イカ一匹だ。たいしたことじゃねえ。これ、返すぞ」
そう言って戦士の若者はあらくれにマサカリを渡そうとした。
あらくれは動かなかった。じっと相手の顔を見つめていた。
「あんたのなんだろ?」
あらくれは、喉に声をからませた。
「あ、あ……死んだんじゃなかったのか?」
青の戦士は眉をひそめた。
「何の話だ?」
あらくれは戦士の腕をつかんだ。
「オルテガ!オルテガだろうっ?」
不思議そうな顔で戦士は首を振った。
「人違いだ。放してくれ。おれは旅人で、あの町で従姉弟たちが待ってるんだ」
そう言うと、アリアハン市の城門へ向かってすたすた歩いていった。
あらくれの周りには人々が集まっていた。
「オルテガだって?」
「火山で死んだって聞いたが」
あらくれは首を振った。
「オルテガだよ……。少なくともやつの若い頃にそっくりなんだ」
人々は顔を見合わせた。
「たしかにあんな斧使い、オルテガさんのほかに見た事ない」
「おい、誰か奥さんとご隠居さんに知らせてこい!」
●
店の外のテラスの階段を荒っぽく踏み鳴らして、誰かが駆け上がってきた。勢いよく扉を開くと鐘がガランと鳴った。
「女将さん!たいへんだ!」
女主人のルイーダはカウンターの奥から出てきた。
「お客さん方の前で騒がないでくださいな。どうしたんです?」
使いの男は走りすぎて息を切らしていた。
「オ、オルテガさんが、戻ってきた、って」
「まさか、あの人はずっと前に……え、本当なの?」
血相を変えたルイーダが飛び出していく。すでに店の中はざわめいていた。ガタガタと音を立てていくつもいすが引かれ、我先にと出ていく者もいた。
「アム、ぼくたちも行こう!」
サリューにそう言われてアムも心を決めた。
店の前庭はアリアハン城の正門につながる通りに面している。その通りを道具屋のあたりまで来ると、正門前に人だかりがしているのが見えた。
「ロイだわ!何をやってるのかしら」
四方八方から問い詰められているらしい。
「だから、違うって。オルテガって人と似てるらしいが、おれはこの町に来るのは初めてだ」
ロイはそう説明していた。だが、体格のいいあらくれを先頭に、商人や女性まで集まってぐいぐい迫ってくる。ロイも困り切っているようだった。
「たしか『オルテガ』って……?」
サリューが小声でそうつぶやいた。
「ロトの勇者の父親として知られている人物よ。つまり、あたしたちにとって遠いご先祖様だわ」
アムも小声で答えた。
「ロイが似ていても不思議はないか」
「オルテガさまは斧を得意とする勇者でいらしたそうよ」
「ロイも鉄の斧とか好きだからね。ああ、まずい」
人だかりに隙間ができて、品のいい女性と杖を突いた年寄りが現れたのだった。
「あの……!」
彼女はロイの顔を見るなり、言葉を呑んだ。
「オルテガさまの奥様と父上様だわ」
とアムはささやいた。
事情の分からないロイはどうしていいかわからないようで、きょろきょろしている。
やおらざわめきが起こった。アリアハン城の正門の落とし格子が上がり、明らかに身分の高い男性が護衛の兵士を従えて姿を現した。
「わしがアリアハンの主だ」
アリアハン王はロイと向き合った。
「なるほど、よく似ている。旅人よ、いずこよりまいられた?」
アレフガルド、と言いかけてロイは咳払いをした。
「ローレシアという国だ」
「浅学にして知らんな」
「ここからは、えらく遠いからな」
ふむ、と王はつぶやいた。
「率直に聞くが、旅人よ、アリアハンのオルテガとは血縁があるのか?」
ロイはまだ理解が追い付いていないようだった。
「おれはこの国に着いたばかりだ。しきりにオルテガの名を聞くが、身に覚えはない」
アリアハン王は尋ねるような視線を向けた。
視線を受けて、年寄りが杖をたよりにロイに近寄った。
「むむ、オルテガはこの爺のせがれでな。ずっと前に冒険の旅に出てそのまま帰らなんだ。旅人どのはせがれの若い頃によく似ている」
ため息をつくように年寄りはそう言った。
「王よ、驚くほどよく似た若者じゃが、このお人はせがれではありませぬ」
「そうか。まあ、そうであろうな。今のオルテガがこれほど若いはずもない。旅人どの、迷惑をかけたな」
気にするな、というていでロイはかるく首を振った。
「オルテガのお内儀」
年寄りと一緒に来た女性に、王は話しかけていた。
「期待が高まっただけに、貴女には酷なことだっただろう」
労わるような口調だった。
「お言葉ありがとうございます」
もともと気丈な性格なのか、オルテガ夫人は立ち直ったようだった。
「夫のことは、この世のどこかで生きていてくれればと思っていました。ですが今日は、今日だけは別のことで心がいっぱいなのです」
「そうであったな!」
と言って王は微笑んだ。
「先ほど、オルテガの子にあいまみえたぞ。よくぞ育てた」
オルテガ夫人が表情をやわらげた。
「それでは、あの子は立派にご挨拶できたのでしょうか」
「おお、腹の据わったよい顔であった。ささやかながら支度金を渡して酒場へ行くようにと言っていたのだが」
アムはびくっとした。
「サリュー、ロイをつかまえて!ロトの勇者より先にルイーダの酒場へ行かなきゃ!そのへんの冒険者より前に私たちがパーティメンバーとして立候補するのよ!そうでないと……」
集まった人々をかきわけて、誰か出てきた。
「王さま、母さん、おじいちゃんも。こんなところで何をしてるの」
思わずアムは目を奪われた。
青い旅人の服に紫のマント、そして額のサークレット。勇者の中の勇者、その十六歳になったばかりの姿が目の前にあった。
「おまえのことを話していたのよ、わたしのかわいいビビアン」
ようやくロイがこちらに気付いて合流してきた。
「よう。いったい何が起こってるんだ?あの子は?」
小声でアムは答えた。
「彼女、ビビアンは、ロトの勇者よ」
えっ、とロイが声を上げた。
「私たちにとってロトの勇者はオルテガの息子トリトよね。でもこちらの世界では違う。こちらのルビス様を解放してそのお力を借りなくちゃならないわ。さもないと私たち」
――永久にアレフガルドへ帰れない。
という言葉をアムは吞み込んだが、ロイもサリューも察しがついたようだった。
「他に方法はないのか?」
サリューは首を振った。
「今のアレフガルドにルーラでは行かれないんだ。だからギアガの大穴を通るには、その前にいざないの洞窟を突破するのだって、ロトの勇者に同行する必要がある」
「さあ、ビビアンがほかの冒険者をパーティーに入れる前の今がチャンスよ」
三人は人波をかきわけて前に出た。
「失礼いたします、アリアハン王、オルテガ家のみなさま」
呪文朗詠で鍛えた喉でアムは声を張り上げた。
「私たちは精霊の導きによりこの地へまかりこしました。今日、この地より、世界を救うべき勇者が旅立つ、と」
周囲がいっせいにざわめいた。
「私の名はアマランス。これなるは従兄弟たち、ロイアルとサーリュージュ。勇者ビビアンさま、どうか私たちを冒険の旅にお連れ下さい。きっとお役に立ってご覧に入れます」
ルイーダはとまどっていた。
「お嬢さん、あなた方のご職業は何かしら?」
「私は魔法使い」
そう言って従兄弟たちに視線を投げた。
「おれはロイアル。戦士だ」
「サリュー。僧侶やれます」
ルイーダは王を見上げた。
「いかがいたしましょうか」
むぅ、と王はうなった。
「共に旅をするのはビビアン。すべてはビビアンの心ひとつにかかっておる。だが少なくとも戦士ロイアル殿はなかなかの腕前のようだ。一人旅よりは、心強い仲間がいるほうがよかろう」
「ええ、この子は厳しく鍛えましたが、旅の仲間がいるにこしたことはありません」
王もオルテガ夫人も、一人旅の途上で戦死したと伝えられるオルテガのことを想っているのは明らかだった。
ビビアンがつぶやくようにたずねた。
「この方、どなたですか?」
オルテガ夫人は微笑んだ。
「旅の方ですって。お父様の若い頃に似ているので、町の人たちが驚いたようよ」
「そうなの?お父様って、こんなお顔だったの」
幼さからくる怖いもの知らずなのか、ビビアンはロイに近寄ってじっと見上げた。
「まあ、兄妹のようね」
とオルテガ夫人はつぶやいた。
●
そこはルイーダの酒場の二階だった。
勇者の希望で戦士ロイアル、僧侶サリュー、魔法使いアムはすんなりとパーティメンバーに定まった。今は、アリアハン王からの贈り物、ステータスを上げる種子類が届くのを待っているところだった。
アムは赤い頭巾を取り、魔法使いの黒い帽子をかぶっていた。
「そう言えば前にラダトームへ行った時、サリューは竜殺しのアレフ(1勇)に似ているって言われていたわね?」
「うん。勇者の一族の長い歴史の中で、系統が二つに分かれたみたい。パワータイプと、バランスタイプと」
そう答えるサリューは、僧侶の制服、金のシンボルを描いた青い法衣に着替えていた。
「オルテガさま、ロトの勇者、そしておれがパワータイプ、アレフとおまえがバランスタイプだな」
ロイはプレートアーマーを装備している。旅に出てからずっと着ていたかのように似合っていた。
「ごめん、言いにくいんだけど、オルテガさまはライデインもバギクロスも使えたって」
「くっそ……まあ、いいか。とりあえず今はおれ、魔法使えなくて当たり前だし」
「うん、気にすることないよ。第一、このパーティ、全部ロトの一族だから遠慮もないしね」
ロイは天を仰いだ。
「まさか親戚ばかりそろって冒険の旅をするなんてなあ」
階段から軽快な足音がする。ビビアンが飛び出してきた。
「ロイアルさんたち、種子が届きましたって」
彼女の手には大きなトレイがあった。
「あら、ビビアンさま、お手数をおかけしました」
ビビアンはトレイをアムに手渡した。
「あの、いっしょに旅をするんだから、ビビアンさま、って言うのやめて。なんだか、よそよそしくて」
相手が先祖だということはわかっているが、なんとも可愛らしい。サリューもそう思ったらしく、くすくす笑っていた。
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「あたし、ビー。友だちもおじいちゃんもそう呼ぶの」
花が開くように十六歳の少女勇者は笑った。