ヤミヤミ島の恐怖 2.今日の友

  無言でロイは稲妻の剣の鯉口を切った。シドーは腕をあげ、魔神の金槌の柄をつかんだ。二人とも眼下の平原を睨み、どちらからともなくカウントダウンを始めた。
「3、2、1、行くぞ!」
 ロイとシドーは炎色岩の丘の頂上から一気に坂を滑り降りた。
「うおおおおおおぉぉぉっっっ!」
 もし、このヤミヤミ島の平原を真上から覗いている者がいたら、赤い丘から黒い大地に向かって二筋の軌道が伸びるのを見ただろう。ばく進しながら剣を、槌を、一度振るうごとに一体のモンスターが紫の霧へと還っていく。
 途中の岩のひとつからシドーは跳んだ。着地点に居合わせたバシリスクは戦槌の下に叩き潰した。毒液が噴き上がる。紫の飛沫を浴びたまま再度飛び上がった。正面に毒々しい赤い花が咲いた。マンイーターは長い触手を繰り出して来た。
「ちゃちぃ!」
魔神の金槌で触手の群れを絡め取り、空中にいるまま一気に引きちぎった。ブチブチと音を立てて触手がちぎれ去る。巨大な花は全身を揺すり立てて悶えた。
 手首を回して戦槌から触手を振り払う。ちぎれ触手の雨の下から緑色の大猿が数頭飛びかかった。魔神の金槌がうなりを上げた。一頭ずつ横殴りに殴り飛ばしてシドーはフン、とつぶやいた。
 シドーの移動は三次元だったが、ロイはひたすら地を蹴って進んでいる。その行く道を塞いだのはかつて彼が苦手としていたモンスターの群れだった。堅い外骨格のムカデ系は当時のロイの物理打撃力では歯が立たなかったのだ。カブトムカデが牙をむき出しにして襲い掛かろうとした。
 強靭な関節、大顎、牙が、それらを覆う外骨格ごと、ぐしゃりと砕けた。ブンと音を立ててロイは剣を振り切った。血肉が飛び散った。
 鍛え上げた筋肉に物を言わせ、ロイは走りながら右に左に刃を振って飛びかかってくるモンスターをぶった切っていた。
「青いの!後ろだ!」
シドーが叫んだ。
 いきなり背後からメイジパピラスが飛来したのだった。のけぞるようにロイは身体を沈め、剣を真上へ突き上げた。くちばしから体液を噴き上げて翼竜は稲妻の剣のはや贄となり、そのまま霧となって消えた。
 後に残ったのは頭から紫の血を浴びたロイだけだった。体液がヘルメットつたって顔にしたたり落ちる。手首でゴーグルを額へ上げて、ロイはつぶやいた。
「助かった。ありがとよ」
 シドーはジャンプを繰り返してロイのそばへ着地し、暗い空を見上げた。
「なんだ、あいつら」
ロイは舌打ちした。
「嫌なのが来やがった」
視線の先には、巨大なハエの群れがいた。
「ドラゴンフライだ。あいつら、火を吐くぞ。気をつけろ」
ドラゴンフライは次々と群がってきた。
 シドーとロイは、どちらからともなく背中合わせに立って身構えた。赤みかがったピンク色の大蝿は二人を遠巻きにしていた。
 二、三頭が羽音を上げ始めた。急に頭を下げ、口を大きく開き、火焔を噴き出した。ロイは剣ではなく、盾を突きだしてその炎を防いだ。
 ブン、とまた羽音が高まった。こちらの武器の届かない距離から火あぶりにするつもりのようだった。
「くそっ、もっと寄ってこい。ぶった切ってやるっ」
シドーは歯ぎしりした。
 それは、二人に共通した弱点だった。近接戦闘では無敵、だが遠距離攻撃の方法を持っていない。
「逃げられてもこっちから追いかけて斬るしかないな」
追いつく間に前後左右から火あぶりが来るのは覚悟しなくてはならない。
「よし、俺が行く!」
シドーは魔神の金槌を構えて走りだそうとした。
「待て!」
いきなり制止されてシドーはむかついた。相棒にも戦闘中こんなことは言われたことがない。
「なんだよ!俺の方が高く跳べるぞ!」
「俺の盾なら少しは炎に耐えられる。俺が前に立つからお前は後ろについて走れ。最後の瞬間にお前が跳躍すればいい。十二時の方向にいるやつらさえ倒したら、あとは逃げの一手だ。魔物の呼び出し床まで突っ走るぞ」
 シドーはぽかんとしていた。
「オマエ、案外頭いいんだな」
ロイは渋面をつくった。
「案外は余計だ……。サマがいればもっとましなことを考えてくれるんだが、今はしょうがない」
「けど、そんなことしたらオマエのHP、やばいぞ」
はあ?とロイは言った。
「お前、自分の特技忘れてないか?」
「特技って?」
ロイは何とも言えない表情になった。
「ベホマだ、ベホマ!おまえは完全回復技を使う悪名高いラスボスなんだぞ!」

 ベッドで眠るビルドの顔は、瞼の下で眼球が動いていた。
「ビルド君?」
サリューが呼ぶと、瞬きしてビルドが目を開いた。
「よかった。気がついたみたいだね」
ビルドはゆっくり辺りを見回した。
「あれ、サリュー?ぼくはどうして、イタタ」
そこはビルドの仮工房の中だった。
「スターキメラとヤス船長が、君が襲われたって知らせてくれたんだ。シドー君とぼくらで助けに来たよ」
ビルドはベッドに上半身を起こし、片手でもう片方の肩を押さえた。
「凄い数のモンスターが上空から襲ってきて、ぼくは不意を突かれて毒の沼の中へ転がり落ちて、そこでじっとしていたんです。そろそろ行ったかと思って岩の上に出たんですが、もともとフラフラのところに毒でHP減って、動けなくなっちゃって」
掠れた声でそう説明して、あっとビルドは声を上げた。
「シドー君たちは?まさかあの」
うん、とサリューはうなずいた。
「ようすを見に行ったよ。まだ帰ってきてない」
そして殺気も消えていない、とサリューは思った。
「ロイたちに、ビルド君が気付いたって言いに行ってくるよ。これでワープで船へ戻れるね」
ここで待ってて、と言おうとしてサリューは驚いた。ビルドがベッドから下りようとしていた。
「君はまだ休んでたほうがいいよ?腕のキズは回復魔法をかけたけど、痛みは残ってるから」
ビルドは壁に手をついて身体を支えながら、なんとか立っていた。だが、サリューの知る素直な少年の顔ではなかった。
「すいません、サリュー、ぼくは寝てられないんです。あれを造らなくちゃ」
ぞく、とサリューは鳥肌を立てた。ビルダーの執念がその眼から覗いていた。
「無茶だ。その腕でハンマーを持てるかい?」
「でも!」
壁を離れた瞬間、足がふらついた。とっさにサリューは彼を支えた。
「離してください……」
「わかった、わかったよ」
サリューは、テーブルの前のいすにビルドを座らせた。
「きみは座ってて。ぼくが手伝うから」
「じゃあ、素材をここへ」
テーブルに置いてほしい、ということらしかった。
「なにがあればいいの?」
ビルドの指が収納箱を指した。サリューが開けてみると、食糧の他に薬草、松明、インゴッド、鉱石などが見つかった。そしてただ一つの装備品があった。
 ごつい剣だった。分厚い剣身の一番上が大きく広がり、斧のような片刃がついている。持ち手と斧部分に魔物の頭蓋骨の彫刻があった。血抜きの溝が血管のように見え、全体にごつごつしていた。どんな素材でできているのか、赤黒い色合いだった。
「それに使った素材はメタルゼリーと、破壊神の抜け殻少々、そしてオリハルコン」
ビルドの声だった。
「破壊の剣です」
 改めてサリューは手にした剣に視線を落とした。
「君が造ったの?」
疲労しきった顔でビルドはうっすらと笑った。
「まだ、足りない。メタルゼリー、それに、インゴッド……あと、金床」
ビルドはふらつく体で外へ出ようとした。
「だめだって!」
「あれが要るんです!隼の剣が」
「なんで?!」
「造りたいからです!最強の剣を……はかぶさの剣を!」
サリューは目を見開いた。
 はかぶさの剣は、破壊の力を宿した隼の剣だった。サリューは一度だけ見たことがある。ロンダルキアにある幻のローレシア城にパーティが踏み込んだとき、ロイの装備していた隼の剣にその力が宿ったのだ。攻撃力が高く、さらに二回攻撃というバケモノだった。
「でも、ハーゴン神殿もなしで」
「できます!この島がそもそも、ハーゴンが幻術で造り上げた世界なんですから」
ビルドはもがいた。
「ぼくを外へ行かせてっ、隼の剣さえあれば」
その姿はほとんど妄執だった。
――勇者の末裔は力に焦がれ、魔法王国の姫は魔力を渇仰する。大神官は己の世界に溺れ、ビルダーは自分の手で造り上げることに、全身全霊をかけて執着する……。
 サリューは片手を腰に回し、自分の武器を掴み取った。
「これを使って」
ビルドが動きを止めた。
「ぼくの隼の剣だよ」
ビルドの指が、美しい翼の飾りに触れた。
「……いいんですか。素材にしたら、これはなくなりますよ」
「じゃあ、からっぽ島へ帰ったら、新しい隼の剣を造ってよ」
ビルドは腕に隼の剣を抱えて、泣きたいような笑顔を浮かべた。
「必ず。約束します」

 シドーのふるうハンマーで魔物の呼び出し床は端からガンガン砕かれていった。何度か魔物も出てきたが、ロイがその場で始末した。
「もう少しだっ」
 灰岩でできた平原が黒い山脈にぶつかるところに魔物の呼び出し床はあった。二人の背後の平原は、あらかた掃討され、静かになっていた。
 最後の一撃はシドーが放った。魔物の呼び出し床はついに破壊された。
「これでよし」
あとは戻るだけだとシドーは思った。ビルドのことが心配でもあった。
 その時、ロイが身構えた。
「おい、見ろ」
ロイの捕らえた殺気に、やっとシドーは気付いた。ばっと振り向いた瞬間、視界のほとんどが緑になっていた。ボストロールの巨体だった。
「ヤバい!」
反射的に二人は左右に分かれて飛びのいた。二人のいた場所にトゲ付の棍棒が振り下ろされ、灰岩が飛び散った。
「なんだありゃ!」
ボストロールの背後でシドーとロイは合流した。
「ヤミヤミ島のツートップの一人だ。ちっ、骨が折れるんだ、こいつを倒すのは」
ロイがこちらを見た。
「倒したことがあるんだな?やり方を教えろ」
「……ビルドの工夫だ。俺にはムリだ」
ボストロールが振り向いて、また棍棒で襲ってきた。ロイは棍棒をかいくぐり、緑の身体に大きく斬りつけた。ボストロールは顔を上げ、大口を広げて長い舌でトゲこんぼうを舐めまわした。せせら笑っているらしかった。
「ロイ、気をつけろ!」
とシドーは言った。
「こいつはめちゃめちゃ生命力が高いくせに、こちらからの攻撃が通りにくい」
その上、ビルドがいなければコンビネーションアタックも使えない。
「くっそ!」
ロイはボストロールを睨み据えたまま、手首で冷汗をぬぐった。
「お前、あとどのくらいベホマいける?」
ドラゴンフライ包囲網の突破からここまで、シドーは何度か自分にもロインもベホマを使っていた。実はそろそろシドーの魔力も尽きている。
「ギリ、一回」
「よし、自分に使え」
「あっさり言うな!」
トゲ付こんぼうをよけながらシドーは叫んだ。
「お前がここで倒れたら、ビルドがどう思う!?」
――ユウシャってやつはまったく!
「一けたでもいい、ダメージを重ねてHPを削り尽くせばこっちの勝ちだ!」
――諦めが悪い。
「トロル野郎、図体がデカいからって、こっちがビビると思うなよ?!」
――やたら前向き。
「よーし、殴ってこい。カウンターで一発入れてやる!」
――要するに脳みそ筋肉。
 シドーは飛びだしてボストロールの死角からぶん殴った。
「俺を忘れんなよ、デカブツ!」
ボストロールは巨体にしては素早く反応し、こんぼうを振り上げて来た。
「!」
まともに一撃をくらってシドーはうずくまりそうになった。
「回復しろ!」
「ダメだ!」
「俺なら大丈夫だ、もうすぐサマも来る!」
またカラ元気か、と思った時だった。
「いや~探しましたよ」
ひどくゆるそうな声がした。
 振り向くと、サリューがこちらへ走ってくるところだった。そのようすが妙にうれしそうだった。
「てめぇ!」
ロイが叫んだ。
 その声に被せるようにサリューは両手を口元に当ててシドーへ向かって叫んだ。
「ビルド君、気が付いたよ!」
シドーは目の前が明るくなったような気がした。
「ほんとか!」
「どうする、このまま走って逃げる?」
シドーが答える前に、ロイがわめいた。
「できるかぁ!」
「ですよね~」
そう応じてサリューはいきなり何か投げつけた。
「使って!ビルド君からだよ」
ロイは器用に受け止めるとボストロールから距離を取った。
「おい、これ」
ロイが持っているよりかなり細身の剣だった。柄の部分に翼を広げた鳥の形の飾りが取りつけてあった。
「おまえの隼か……?」
「装備してのお楽しみ」
ロイは細くて軽いその剣を、おっかなびっくりで握った。そのとたん、ん、とつぶやいた。
 ニタニタとボストロールは笑っていた。ロイもまた、笑顔になった。
「喰らえ!」
いきなり接近して腰を据え、強烈な一撃を見舞った。
「一撃じゃないよ」
とサリューがつぶやいた。確かに一撃ではない、連続した二回攻撃だった。
「今のロイのチカラに、破壊の剣の攻撃力をプラスして、さらに二連続だ。ちょっとは効くんじゃないかな?」
そう、うそぶいた。
「ぼおおおぉぉっ」
ボストロールがうめいた。
「デカブツ、顔色悪いぞ」
うれしそうにロイが言った。
「お~い」
とシドーは呼ばわってロイと肩を並べた。
「いいとこ持っていきやがって、俺も忘れんなよ!」
 ふいに背後から、暖かい風に包まれたような気がした。
「僕のベホイミ、重ね掛けだよ。大サービスだ。さあ、ショーのフィナーレと行こうよ」
ロイが苦笑した。
「好きなことぬかしやがって。おい、準備いいか」
「まかせろ」
 目の前のボストロールは怒りで目を吊り上げていた。怒りを表す赤いオーラにボストロールは包まれた。タメが終わった時、強烈な一撃がやってくる。ボストロールの必殺技だった。戦わなければ殺される。強い殺気に出会った時、勇者と破壊神は同じ行動を取った。
 きっと敵を見据え、黒雲のたちこめる空へ向かって得物を突き上げた。
 ロイの剣からは青の、シドーのハンマーからは紫の闘気が上空へ向かってほとばしった。次の瞬間、二人の戦士が飛び出した。
 頭上から一撃、横一文字に一撃、左右の袈裟懸けに一撃。息もつかせぬたたみかけだった。闘気を帯びた剣は青と紫の軌道を描き、敵の上で華麗な残像となった。
 ロイとシドーはそれぞれ左右へ斬り払った。
 ほとんど間合いもとらずロイが上段から鋭い斬撃を見舞った。振り下ろした剣の柄から片手を離し、ロイは大きくのけぞった。顔、胸、腹が直線上に並ぶ。その直線を撫でるかのように巨大な戦槌が滑り込んできた。先に攻撃したロイの体そのものを遮蔽物として利用した、シドーのシャドウアタックだった。
――とどめだ!
二人は飛び下がった。大地を蹴って身長ほどの高さへ飛びあがり、さらに頭上高く武器をかかげ、敵めがけて剣を振り下ろした。青と紫の軌道はX字型に交差した。