パラケルサスの犯罪 15.第三章 第三話

 ペインター大尉はすぐに見つかった。
「あのさ、屋上に行く非常口を開けてよ」
大尉は、腕に抱えた軍用の郵便袋を下ろして聞き返した。
「屋上、というと、現場検証ですか?」
「え~と、そんなようなものだ」
そばにいたウィーバー軍曹に大きな布の袋を渡して、これを頼む、というと、大尉はベルトにつけた鍵束を取って選びながら歩き出した。
「え、現場検証じゃなくて、“ペーパープレーン”?」
アルはちょっともじもじした
「すみません、兄がどうしても、と」
「あ、なんだよ、おまえが場所を変えれば飛ぶって言ったんじゃないか」
「お二人とも」
といって、ペインター大尉はためいきをついた。
 グラン・ウブラッジの屋上は、晴れて気持ちが良かった。一番高いところは眺めがよくて、鳥になったような気がする。リッキーは歓声をあげた。
「見て、雲の影が動いてるよ!」
果樹園や農場の上を、丸い影がゆっくり移動していく。
「ターナーさんに聞いたんだけど、リッキー君、あまり興奮しちゃいけないんだろ?」
心配そうに大尉が言った。リッキーは熱心に大尉を説得した。
「少しだけ。すぐ帰ります。それと、ロッティおばちゃんにはないしょにして?」
「ほんとにすぐ帰すよ」
と、エドが言った。
「でも入院してるときは、たまにこんなことでもしないと、つらいじゃないか」
「入院、ですか」
「おれは、手術とリハビリで一年くらいね。いいだろ?」
大尉は苦笑した。
「しょうがないですね」
 アルたちが座り込んで、本格的に“ペーパープレーン”を飛ばすと、なんと大尉は自分もやりたいと言い出した。
「見ていたら、コツが分かったような気がするんですよ」
「言ったな?難しいんだぞ?」
大尉は長い指で器用に折りあげ、すっと空中に放った。
「ああっ、おじさん、すごい!」
大尉の初めての“ペーパープレーン”は、きれいに空中を進んでいく。
「なに!」
「う~ん、才能があるんでしょうかね、自分は」
けっこううれしそうな大尉に向かって、エドは指を突き出した。
「ビギナーズ・ラックっていうやつだ。見ていろ、記録を塗り替えてやる!」
エドはまたむきになってオリガミをはじめた。
「この角度がポイントだ」
「いやいや、バランスが」
「え~い、うっさいっ」
「ペインター1号の記録は、破れませんよ」
「そうか?見ろ、見ろ」
エドの新しい“ペーパープレーン”は、同じくらい長く飛んでいった。
「ううむ、よし、改良しましょう!」
「わはは、エドワード15号にかなうか!」
二人が言い合うたびに、リッキーが顔いっぱいの笑顔できゃあきゃあ笑っている。四人でやる“プレーン”飛ばしはひどく楽しかった。こんなに子どもっぽいエドを見るのも久しぶりだったので、アルもなんだかうれしかった。
 大声で名前を呼ばれたのは、だいぶ遊んだあとだった。
「リッキー!」
非常口にターナー看護婦が立っていた。
「ロッティおばちゃん、ごめんなさい、ぼく」
「危ないわ、早くもどってらっしゃい」
「はあい」
リッキーのあとからエルリック兄弟とペインター大尉がついてくると、ターナー看護婦はあきれたような顔になった。
 大(アル)、中(大尉)、小(エド)、極小(リッキー)と雁首そろえている男たちに、ターナー看護婦は苦言を呈した。
「おばあちゃんとおばちゃんが、どれだけ心配したか、わかっているの、リッキー?そもそも、あなたたちがついていながら……」
アルは小さな声で言い訳した。
「すみませんターナーさん。ちょっとリッキー君と遊ぼうと思っただけなんです」
「おれも謝るよ」
ターナー看護婦は、くすっと笑った。
「それで、ミイラ取りがミイラになっちゃったのね?しょうがないわね。リッキー、楽しかった?」
「うん、とっても」
「なら、よかったわ」
意味ありげな目でターナー看護婦は大尉を見た。
「ね、あたしと大尉とリッキーと並ぶと、親子みたいじゃない?」
「え、そんな、そうですか?」
「もう、鈍い人ね」
どこか色っぽいためいきをつくと、ターナー看護婦はアルたちのほうに向かって声をかけた。
「受付にお手紙が来てましたよ。お部屋に届けたわ」
「あ、どうも」
アルたちはそそくさと階段を降りて、幹部用宿舎に戻った。確かに兄弟の部屋のドアのところに、白い封筒が置いてあった。
「誰だろう。大佐かな」
「大佐がぼくたちに用があるなら、電話で話すんじゃないの?」
「そうだよな。『エドワードとアルフォンス・エルリック様』」
エドは封筒を開けた。数行の文面がタイプしてあった。
「『エドワード君、アルフォンス君、お久しぶりです。新聞で、あなたたちの活躍を読みました。今、私は、病気の治療のために、グラン・ウブラッジへ来ています。一度会って、お話したいと思います。今日の午後八時に、グラン・ウブラッジ簡易宿泊所でお待ちしています。イズミ・カーティス』

 “そのとき、恐怖と絶望の叫びが室内からあがった。本紙記者はただちに室内へと乱入した!”と、ジョン・クラウンは取材メモに書きつけ、おもむろにドアをあけた。
「どうしたんだっ」
室内はめちゃくちゃだった。
「まずい、やばい、来るっ!」
エドはそう叫びながら、走りまわっている。アルは旅行用トランクを乱暴に引きずり出し、手当たり次第に荷物を投げ込んだ。
「逃げよう、兄さん」
「逃げるって、いったいどこへ」
「ブリッグズ山へ一年ばかりこもっていれば」
「いっそ、亡命するか」
「そっか、高飛びという手があった!」
「どうせ根無し草だ、ここはひとつ、長いわらじをはいてだな」
「あ、書置き、書置き」
「え~、『探さないでください、エルリック』、と」
クラウンは呆然としていた。
「だから、どうしたんだ、いったい」
震える手でトランクを閉じながら、アルがクラウンのほうを見た。
「せ、師匠に見つかっちゃったらしいんです」
「あんたのせいだぞ?そこどいてくれ!こっちは命がけなんだ」
「おおげさだねぇ。旧師に会うのがそんなに怖いかい?」
「知ってるやつにしかわからねぇよ」
「お師匠って、たしか病弱な人妻で、あれ、でも、ヒグマを片手で殴り倒すって言ってたっけ」
エドが荷造りの手をとめた。
「アル」
「え?」
「師匠はおまえのこと、なんて呼んでたっけ」
「ええと、“アル”でしょ、“きさま”でしょ、“くそ弟子”でしょ、“ばかたれ”でしょ」
「“アルフォンス君”ていうのは?」
「師匠の辞書に、そんな言葉はないと思うよ」
エルリック兄弟はお互いの顔を見た。
「あの手紙」
「らしくない。ぜんぜん、らしくない」
「師匠だったら、『このバカ弟子どもが、首を洗って待っていろ!』みたいな文面になるよな。第一、あの人が軍の関係者専門の病院へかかったりするか?」
「たぶん、ないよね。軍部は嫌いだったから」
「もしおれたちのことを書いた記事を読んだりしたら、手紙で面会を申し込むなんてまだるっこしいことしないで」
「いまごろはここまで殴りこんできてる」
「おれたちなんか、問答無用であの窓から蹴り出されてるな」
身震いを一つしてエドはもう一度手紙に目を落とした。
「偽手紙だ。誰かが、“イズミ・カーティス”は繊細で上品で、あるていど年配の女性……笑わせるぜ……だと思い込んでいる人間が書いたんだ」
「誰だかわからないけどぼくたちを簡易宿泊所へ呼び出そうとしたみたいだね」
「その宿泊所ってどこにあるんだ?」
「一階の奥」
とクラウンは言った。
「この前ぼくは、そこへ泊まったんだ。遠方からの外来患者や見舞い客のための宿泊施設、というより、長い廊下に三段ベッドがたくさんすえつけてあるだけだけどね。総受付を通って、その先のトンネルの中だったよ」
「どうしてそんなとこへぼくたちをおびきだしたいんだろうね?」
「だいたい、どいつの仕業だ?」
クラウンは思い付きを言ってみた。
「院長先生じゃないかな?だいぶやりあったんだろ?」
「院長なら、公式に出頭命令を出せばいいんだから」
と、言いかけて、エドがじろりとこちらを見た。
「なんで、あんたがそんなこと知ってるんだ?」
クラウンは、言葉に詰まった。ふと背後に違和感があった。冷たい金属に接触している。
「クラウンさん、教えてもらえますね?」
背中にアルが立っているのだった。
 クラウンはごくりとツバを飲み込んだ。
「社に、たれこ……善意の情報提供があったんだ」