パラケルサスの犯罪 19.第三章 第七話

「ほかに、条件がある?あ、そうだ、軍隊格闘をやったことがある人だよね」
「それは保留にしてくれ」
「どうして」
「勘違いかもしれないんだ。あのナックルも、わざと落としていったのかもしれないし」
彼にしては妙に歯切れの悪い口調でエドが言った。
 クラウンは鉛筆を取り出して、目の前で振ってみせた。
「お二人さん、大事なポイントを見逃していないかね?」
「ああ?」
クラウンは、「エメラルド」を指差した。
「この雑誌を読める。この条件は、かなり厳しいんじゃないの、ん?」
「そうか!」
と、アルが叫んだ。
「『月刊エメラルド・タブレット』は、本屋さんで買えるもんじゃないんだ」
「そのとうり!」
クラウンはにやにやした。
「営業部の先輩に聞いたんだが、この雑誌は会員限定なんだって?」
「そうです。悪用を防ぐために、紹介状のない人(と、国家錬金術師)は購読できないしくみです。郵送で手にいれるしかない。っていうことは」
「郵送用の名簿があるってことだ。ほれっ」
 クラウンは大得意で、大判の便箋を出して見せた。営業部の先輩の目こぼしをいいことに、いそいで書き写してきた郵送名簿である。
「たいへんだったんだぞ~」
エドが便箋を取り上げた。
「よくやったなぁ」
「まさか、全国分じゃありませんよね」
「ああ、深南部の、特に住所がグラン・ウブラッジになっているのを写してきた。といっても、たいした数じゃないがね」
エドの指が、名簿を追っていく。
「F.ディビス。これ、あのじいさんじゃないか!」
「それから、J.ターナー。誰だろう?管理部に聞けばわかるかな」
「あとはグラン・ウブラッジの図書室が一部購読予約をしてるのか。まいったな。図書室においてあるんじゃ、事実上誰にでも読める」
「でも、誰でも読むようなもんでもないよ。錬金術に興味がないと」
エドは頭をかいた。
「振り出しに、逆戻りか」
「困ったね」
エドは、椅子から立ち上がった。
「悪い、おれ、ちょっと電話してくる」

 ドナルド・ロングホーンは、ノックの音に答えていった。
「どうぞ」
管理部の兵士で、スタンリー・ウィーバー軍曹だった。
「お呼びですか?」
「ここを出て行く。汽車に間に合うように、ぼくの荷物を運んでくれ」
大きなかばんやトランクの真ん中で、ロングホーンはそう言った。
「あの、出て行くとおっしゃっても、院長はご存知なのでしょうか」
ロングホーンの声が、思わず高くなった。
「君が知ったことじゃない!」
「しかし、無許可では」
そう言ったとき、後ろから誰かやってきた。
「ロングホーン君、何をやってるんだ?」
錬金術師のボイドだった。
「ボイドさん、すいません、ぼくは北部へ帰ります」
「なんで、いきなり」
「もう、いいです。錬金術師も辞めます」
「おいおい。もったいないじゃないか。君の実力は」
「知った風なこと、言わないでください!」
ロングホーンはかっとした。
「祖父も父も叔父も兄も、みんな同じ事を言う!もうすこし辛抱したらって、これ以上何をどうがんばればいいんですか。しょせん、ぼくは、天才じゃないっ」
ロングホーンは眼鏡をはずし、袖で目をこすった。
「ぼくなんか……」
ウィーバー軍曹の横を、ボイドがすりぬけた。ロングホーンの肩を叩いた。
「おれもだよ。天才じゃない」
ロングホーンは目を上げた。
「ボイドさん」
「名前で気づくべきだったなあ。君は北部のロングホーン一族の出か。代々、錬金術師の」
ロングホーンはうなずいた。
「やっと、一族から国家錬金術師がでそうだ、と言われてがんばってきたんですが、もうだめです」
「落ち着けよ。君はあれだろ、エルリック君と自分を比べてるんだろ?」
ロングホーンは黙っていた。
「親御さんの期待を一身に背負ってるんじゃ、つらいだろうね」
「前は、姉がいたんですがね。ぼくよりできがよかったんですが……」
ロングホーンは、自嘲のこもった笑みを浮かべた。
「やっぱりつらかったんでしょうね。ちょっとしたきっかけで、阿片をやるようになってしまったんです」
「それで君は、中毒の事を知ってたのか」
「なんとかならないもんかと思いまして。けれど、だめでしたよ。実はぼくは、グラン・ウブラッジへ来たのは、これが二度目なんです。最初のときは、姉の弔いでした」
「お姉さん、ここで亡くなったのか」
「はい」
ロングホーンは肩を落とした。
「とにかく、少し落ち着きたまえ。家へ帰りたいなら、辞めるのなんのという前に“体調がすぐれない”ていどの理由をつけて、休みをとりなさい」
「そうしようかな。実際、頭痛もするし」
「そうだろう。ひどい顔色だ。ほら、横になって」

 シャーロット・ターナーは、コートを着込むと、母に言った。
「行ってくるわ。夜勤なの」
「今日も?多いのね」
「しかたないわ。食べてくためだもの」
「昼間リッキーの具合が悪いみたいだったから、心配なのよ。あの子の体が弱いのは、おじいちゃんに似たのかしら」
「父さんのは、肩の古傷だったのよ。心臓とは関係ないわ」
 ロッティは、狭いリビングの壁に目をやった。大きな額の中に古い写真がいくつか飾ってある。一番真ん中にあるのが、死んだ夫、ジャック・ターナーのものだった。アマチュアの錬金術師であり、病院の技師でもあった。
 その隣が父の若いころの写真。正装の軍服姿で母や幼いロッティたちとうつっているものが一枚。前線で撮ったという、野戦用の兵装のもので、愛用の機関銃を手にして、仲間と一緒にカメラのほうをむいて笑っている。火薬と機械油の臭いが漂ってきそうな写真が一枚あった。
 ロッティは、あとのほうが好きだった。父には娘が二人いたが、父と機関銃の内部構造の話をすることができたのは、彼女、ロッティだけだった。母も姉も、まったく興味をもたなかったのだ。
 さらに自殺したマクラウド副院長と、まわりを囲む看護婦たち。病院の正面が背景だった。そして病室らしいところで、今は重態のラッシュ少佐とロッティが、並んで笑っている写真。最後は、院内のパーティで記念にとった集合写真。端のあたりに、ロッティとペインター大尉が並んでうつっている。
「いい人は、みんな死ぬのね」
ロッティはつぶやいた。

 フランク・ディビスは、束ねた雑誌を麻ひもで器用にくくって積み上げた。
「ふう、一苦労だ」
隣のベッドの患者が通りすがりに声をかけてきた。
「おい、おい、突然どうしたんだ」
ディビスはにやっとした。
「春の大掃除だよ。おまえさんもどうだ」
言われたほうは、けっ、と言った。
「わかったぞ、孫が遊びに来るんだな?図星か。せいぜい、こぎれいにしとくんだな」
へっへっとディビスは笑った。
「うらやましいか!だが、情けないねぇ、たったこれだけ掃除をしただけで、もう腰にきとる。若いころは軍隊格闘で鍛えたんだがな」
「猛者が聞いてあきれるね。このあいだから、ずっと腰痛じゃないか」
ディビスは苦笑いした。
「年は取りたくないもんだ」
まったくだ、と隣の男は言って笑った。
「どれ、そいつは捨てるんだろう。ドアの外へ置いておけばもってってくれるよ。貸しなさい」
「悪いな、頼むよ」
気のいい男は、ディビスがまとめた古雑誌を、大部屋の出入り口の外へと運んでいった。その一番上にある雑誌の表紙には、なんの注意もはらうことはなかった。先月号の「月刊エメラルド・タブレット」である。

 ロイ・マスタング大佐は、手にした書類のすみに、その名前を書き込んだ。大佐にとっては、何の意味もない名前だった。
「こいつの経歴を調べればいいんだな?」
「ああ。裏付け捜査ってやつで」
「ということは、こいつが犯人なのか」
答えは、受話器の向こうから、一拍置いてから返ってきた。
「たぶん」
「そこまでわかってるなら、逮捕してけりをつけてくれよ」
「いや、その、おれにもいろいろやり方があるんだよ」
「何を渋ってるんだね?」
「逮捕していいのかどうか」
大佐は受話器を持ち直した。
「何か忘れていないかね。君は、個人としてそこへ行ってるんじゃない。東方司令部派遣の国家錬金術師として、だ。意味はわかるな」
「善悪の判断は、上層部にまかせろ、ということか?」
「君は、いろいろ欠点はあるが、バカじゃない」
「そいつぁ、どうも」
「だから、やるべきことは、わかっているはずだ」
「ああ」
小さな声。
「特権だけを受け取って義務を拒む。そんな“いいとこどり”は、できない。するつもりもない。仕事はきっちりやるさ」