馬姫さま事始め

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第36回) by tonnbo_trumpet

 運命の日、運命の時。平和と繁栄を楽しんでいたトロデーン城は、凶事の予兆のような真黒な雲に上空を覆われた。
 まさにその瞬間、道化師ドルマゲスは封印の間で神鳥の杖を解き放っていた。
「早速この杖の力を試させていただきましょうか……」
杖はその部屋の床に施された結界で威力を相殺され、二人の犠牲者は命を奪われはしなかったのだが。
 ドルマゲスは城のテラスへ出て杖を試した。
「さあ杖よ、真の力を示せ!」
杖の放つオーラがドルマゲスに乗り移る。杖と人が同じ赤いオーラに包まれた。その瞬間、城のテラスから爆発的に飛び出したものがあった。信じられないほど太い茨だった。ドラゴンの尾のような太く強靭な茨には凶暴な刺が密生していた。生きもののように茨は伸び、城の外壁へとりついた。後から後から、呪いの茨はわきあがり、噴出し、先端は尖塔を壊し、壁をぶちぬき、大蛇のように廊下を走り階段を上り、あらゆる空間を緑の呪いで満たしていった。
 茨に襲われた人々は無残だった。中庭で、大広間で、厨房で、人は茨に襲われ、茨と一体化し、その場に立ちつくした。
「ひゃーはっはっは!」
バカ笑いのあげく、ドルマゲスは杖を持ったまま空へと消え去った。

トロデーン王女ミーティアは、小さく身じろぎをした。ミーティアとトロデ王は父一人子一人の親子で、その仲の良さは人もうらやむほどだった。
「ミーティア?もしや、ミーティアか?」
その父の声が聞こえたとき、彼女は我に返った。
 おとうさま、と言おうとして、声にならないことに気付いた。目を開けると視界いっぱいに緑の魔物が映っていた。
「ひん!」
「やはり、ミーティアか……。父がわかるか?おまえはわしをかばってあの道化師めの杖の魔法を浴びたのじゃ」
ドルマゲスの杖から放たれた不吉な赤い光。とっさに父の前にミーティアは飛び出したのだった。
 ゆっくりミーティアは立ち上がった。なぜか、すごく背が高くなったようだった。緑の魔物と思ったそれ、父のトロデがずっと下から自分を見上げていた。
「かわいそうに、おまえは……、馬に」
ひん、ひひひん!あまりのことにミーティアは後ずさった。
「心配するでない!きっとわしが元に戻してやる!わしも、元の姿に戻るのじゃ。あの道化師めを懲らしめて杖を取り戻すんじゃ!」
身丈は低いが、山を抜き世を蓋う気概の持ち主、トロデがそう宣言した。
――おとうさまは、魔物のお姿に……。
自分だってどれほどショックだっただろう。それでもトロデはまず、馬になった娘のことを心配してくれた。ミーティアは言葉に代えて、トロデの肩に自分の頭を押しつけて甘えた。
「よしよし。こうしてはおれん。すぐに後を追おう」
 ミーティアとトロデは、封印の間を出たとたん、被害のひどさに声も出なかった。どこもかしこも茨がはびこり、城はぼろぼろになっていた。ところどころに国民が茨と一体化してかたまっていた。
「おのれ、ドルマゲス……。いよいよとなったら、二人で行こう、ミーティア」
――お父様、エルトは?エルトはどうなりました?
茨に捕らわれた人々は、トロデーンの国民であり、どれもずっと一緒に暮らしてきた者たちであり、幼かったミーティアを可愛がってくれた人たちばかりだった。だが、そのときミーティアが探していたのは、幼馴染の兵士だった。
「どうにかして城の外へ出なくてはな」
そうトロデがつぶやいたときだった。どこからか、声が聞こえてきた。
「トロデさまーっ、ひめー」
ミーティアは飛び上がりそうになった。それは間違いなく、エルトの声だった。無事だった……彼の死体を見なくて済んだ。ミーティアは思わず声の方へ走りだしそうになった。
 倒壊した柱の陰から、若い兵士が姿をあらわした。
「ひめ……、わっ」
エルトはこちらを見てみがまえた。
「わしじゃ、わしじゃ!」
エルトはぽかんとして、それから剣の柄から手をはなした。
「トロデ様!いったい何があったのでしょうか」
「封印した杖を盗まれたのじゃ。おまえは助かったのか。よかった、よかった。ほかはどうだ?みんなでいっしょに……」
エルトは力なく首を振った。
「本当にトロデ様ですね。いえ、助かったのは私だけです。ここへ来るまで生きている人には出会いませんでした」
トロデはがくっと肩を落とした。
「あの、トロデ様、ミーティア様は」
「命に別条ないぞい」
 ミーティアは、思わず一歩さがった。太い柱の陰に隠れたかった。特に正面から顔を見られるのが怖かった。
――いやだ、わたし、ほんとの馬面になっちゃったんだわ。
「え、まさか」
ミーティアは(本当は存在しない)唇を噛んで耐えた。エルトが近づいてきた。
「ミーティア姫」
――見ないで。
言葉にできたらどれほどいいか。ミーティアは、自分が今馬具以外に服をつけていない状態だと思い当って死ぬほど恥ずかしくなった。でも声をたてたりしたら、ものすごく大きくてがっちりした歯がまる見えになってしまう。一瞬が永遠に思えるほど、ミーティアは煩悶した。
「よく、御無事で」
エルトの声は震えていた。
「もしものことがあったら、どうしようかと……」
ミーティアは、やっとエルトをまともに見た。エルトの顔はぐしゃぐしゃになっていた。さきほどの、少しは兵士らしくなった顔ではなく泣きむしの幼馴染の顔だった。手の甲に目を押しつけて、エルトは震えていた。
 ミーティアはエルトの横顔に自分の顔をこすりつけた。小さい頃と同じように、そうやって彼を慰めたかった。おずおずとエルトは両手をミーティアの首に回し、涙で赤くなった眼で見上げた。
「姫、ミーティア姫。元のお姿に戻られるまで、きっとお守りします」
――それなら、私は馬車を引くわ。お父様とエルトを助けるの。この世で三人だけなら、それでもいい。
 たてがみを撫でる手を心地よく感じながら、ミーティアは甘悲しい感情に浸っていた。

 あとで考えた時、不思議なことはたくさんあったのだ。どうしてエルトだけが茨の呪いに襲われなかったのか。そして特に、どうしてエルトにはその馬がミーティアだとわかったのか。
「だって、あの白い馬はとても綺麗で気品があって、いかにもお姫様だったからです」
とエルトは言った。
「それだけ?」
不思議な森の泉の岸辺に並んで座り、ミーティアは微笑んでそう聞いた。
「それに、あの馬はぼくの知っている姫と同じ目をしていましたから」
ミーティアは、わざとひひん、とつぶやき、エルトの肩に自分の頭を黒髪ごとおしつけて、そっと甘えた。おずおずとエルトの手が、あのときと同じように髪を撫でてくれた。