ドラゴンボーイ 飛竜少年 1.二人だけの散歩

 起伏に富んだ美しい草原の上をハヤブサが二羽、高速で飛去っていった。左手には頂きから滝の流れ落ちる丘を眺め、右手には城壁で囲まれた町を望む。茶色の斑の入った風切り羽は軽快に風をとらえ、天の高みへ舞い上がり、その頂点から一気にすべりおりるようにして飛翔していく。ハヤブサが目指すのは海だった。
「いいお天気ですね!」
上機嫌で少女がそう言った。卵形の顔に大きな目をした七歳前後の女の子で、赤いスカートも白い上着、青いケープも上等な品である。そしていかにも上品な愛らしさを持っていた。少女は両手を広げ、明るい日差しとさわやかな風を思う存分味わった。
「これなら、すぐにお城へつくわ、そうでしょう?」
少女の連れは、同じくらいの年頃の少年だった。地味だが清潔なチュニック姿で、どことなくまごついた表情であたりを見回していた。
「でも、いいの?」
少女は笑い飛ばした。
「だって、大人のひとたちはみんな私たちのことを忘れちゃったみたいだったでしょう?」
「う、うん」
「だから、いいの。それにミーティアは、エルトと二人でお散歩したかったの。久しぶりなんですもの」
エルトと呼ばれた少年はやっと笑顔になった。
「ひめは、ずっと、おけいこだったよね」
「ミーティアはがんばったの」
無邪気にミーティアは言った。ほほが少し染まっていた。
「だからご褒美があってもいいと思います」
まじめにエルトは答えた。
「ぼくも、そう思います」
あはは!とうれしそうにミーティアが笑って駆けだした。
「シロツメクサが咲いているわ!あれで首飾りを作れるのよ?お母様に教えていただいたの!」
まって、ひめ、とエルトは言って、あわてて追いかけた。
 トラペッタ市郊外の草原は遠くの滝の音と鳥の鳴く声以外は静寂に包まれていた。きらびやかに明るい草原の、風に揺れる草むらの中を少年と少女は無邪気に歓声をあげ、駆けていった。

 王族の使う馬車が二台、護衛の兵士の一団を従えてトロデーン城へ入ったとき、パニックは始まった。
「ミーティア姫はご一緒ではないのか!」
「そちらとお帰りになったのではなかったのですか?!」
世継ぎの王女は向こうの護衛と一緒にいる、と、二組の随員チームが両方ともそう思いこんでいたのである。互いの馬車を見せ合い、幼い姫がどこにもいないと全員が納得したときはもう飛び交う怒号で城の前庭は大騒ぎになっていた。
「なんということじゃ!」
大臣が大声でわめきかけたとき、かえって冷静になったのはミーテイア姫の父、トロデ王だった。
「皆、静かにせんか!」
王に一喝され、責任を押しつけ会っていた兵士その他が沈黙した。同時に青ざめるほどの後悔がおそってきた。
 トロデーン城入り口前は優美な半円形階段と花壇に囲まれた王国自慢の庭だった。誰からともなく兵士たちは整列し、威儀を正した。
「今日は所用があってトラペッタへ出かけた。馬車は二台で、わしが一台、ミーティアが一台使って出発した。午前中に町へ着いて用は早く終わった。そこまではよいな?」
トロデの言葉に兵士長がはっと答えた。
「出発からトラペッタ到着までは何も異常ありませんでした」
「町で昼餐を馳走になったとき、ミーティアが珍しくだだをこねたのだったな?」
ミーテイア姫の家庭教師がためいきをついた。
「ずっとご機嫌よくしておいででしたのに」
「何が原因だったのじゃ?」
「デザートのお菓子のことでございました。小さな姫君が行幸になるというので向こうの料理人が腕によりをかけて特別なお菓子をつくってくれたのです。ところが姫様が、もうひとつ欲しいと言い出しました。王族のマナーとしましてはどうかと思われることですから、当然私はお叱りいたしました」
ふむ、とトロデは考え込んだ。
「あのとき姫は長テーブルの向こう端にいて、わしはそのあたりのいきさつをよく聞いておらなんだ。ミーティアがそのようなことを言うのは珍しいことだな?」
はい、と家庭教師の婦人がそう言った。
「今日に限ってあまりにお聞き分けがないので、父上様に叱っていただきますよと申しました」
「そうであったな。そこでわしが聞きつけて、”行儀が悪いぞ、おとなしくせんか”と声をかけたのじゃ」
「そのとたんに姫はぱっとテーブルを離れて逃げておしまいになりました」
「あのときもっと相手をしてやればよかったのう。わしは市長と話し込んでいてな」
兵士長がうなずいた。
「というより、市長がいろいろと陛下へ陳情のことがあり、放してくれなかったようにお見受けしました」
「今から言ってもせんないが……。ミーティアは内々で探してもらうことにしてわしは話を続けた。それで帰るときになって、またひと騒ぎがあったのだったな?」
兵士長の横から若い兵士が出てきて敬礼した。
「滝の洞窟方面に妙なモンスターがでたという報告がございました」
おお、とトロデは言った。
「そなただったな、そなたに命じて町の衆が困らぬようにモンスターを追い払えと命じたのだ」
「はい、ご命令を受けまして、後輩数名をつれてトラペッタ正門外へ向かいました」
兵士長は他の兵士と話していたが、首をふった。
「そのあとはあまりはっきりいたしません。命令系統が混乱しまして、結局お供の兵士の大部分がモンスターに対応するという事態になりました」
「それで私たちは先に馬車に乗るように言われました」
と若い侍女が言った。
「危険はないが万一のために馬車内で待機せよ、ということで」
「私もそちらへ乗りました」
と家庭教師が言った。
「結局随行のうち、女たちが一台目の馬車へ集まりました」
「それがたまたま、行きにわしが使った馬車であった」
「そうです」
と兵士長が言った。
「そこで、行きにミーティア様が乗られた馬車に陛下をお連れしました。モンスターは、ちなみに頭にチェリーの砂糖漬けと生クリームとしか思えないものをのせたプリンにそっくりな、ただし小山のような大きさのスライムでしたが、それがぽわんぽわんと逃げていったあとに、二台の馬車はあいついで出発いたしました」
実直な顔つきの兵士長は頭を垂れた。
「一台目の馬車では、ミーティア様は後からくる馬車にお乗りだろうと思い、二台目の馬車では姫はご婦人方といっしょにいるのだろうと思っていたのです」
私の責任です、と青い顔で兵士長は言った。
「まあ、待て。そう思い詰めるな。幸い、まだ昼間で明るいし雨も降っていない。すぐにトラペッタへ迎えを出せばミーティアはつかまるだろう」
トロデは兵士長を思いやるようにそう言った。
「娘のわがままでおまえたちにつらい思いをさせたな。姫が帰ってきたらわしが叱っておこう。どうかこらえてくれ」
もったいないお言葉でございます、と兵士長は言い、さっと敬礼した。
「ミーティア姫捜索隊、ただちに出発いたします」
うむ、とトロデはうなずいた。
「トラペッタに置き忘れたのはミーティアだけか?ほかに行方不明になっている者はおらんか」
随行の者たちはすばやくお互いを眺めた。
「一人だけ、戻っていない者がおります」
「というと?」
「下働きから新しく小間使いに雇い入れた小者が一名、おりません」
トロデは眉をひそめ、それから破顔一笑した。
「なんじゃ!エルトがいっしょか」
わはは、と王は笑い、うんうんと己に向かってうなずいた。
「ならば、大丈夫。エルトがそばにいれば、ミーティアは必ず戻ってくるはずじゃ」

 戻ってきたと思ったらまたあわただしく兵士たちが城を飛び出していく。そのようすを、トロデーン城厨房から眺めて話し合っている人々がいた。
「なあ、エルトって小間使いはなにもんだ?あんなに王様からご信頼いただいているなんて」
「おや、おまえさん、知らなかったのかい」
厨房の料理女がそう答えた。
「あの子が台所で働いていた頃を知らないんじゃしょうがないさ」
別の召使いがそう言った。
「そうだねえ。自分の目で見なけりゃ信じられないからね」
最初に聞いた者は不服そうな顔になった。
「だから、何をさ」
でっぷりした料理女はにやっとした。
「あの子、エルトっていう子はね、そもそもミーティア様が森で拾ってきた子なんだよ。あれは王妃様が亡くなったすぐあとだから、姫様が五つか六つくらいだねえ。森へ遊びに行ったと思ったらあわてて帰ってきて、男の子が倒れている!とトロデ様を呼びに来たのさ。泉のある森の空き地へ行ってみたら姫様と同い年くらいの子供の行き倒れがいたんだよ」
「姫様に見つけてもらうなんて運が強いな」
「あのときに限ってミーティア様が森へ出かけていたなんてねえ。ああまったく、運のいい子だよ。熱を出してたおれたところを姫様に見つけてもらって、このお城で養生させてもらって、これまた器の大きいトロデ様にお城の下働きとして拾われてさ」
「器が大きいにもほどがある、と俺は思ったよ」
と召使いの男が言った。
「だって、自分のことは名前以外何も覚えていないなんていう、いかにも素性の怪しい子供を雇って大事な姫君のお遊び相手にするなんてね」
そりゃあんた、と料理女が笑いながら言った。
「しょうがないじゃないか、ミーティア様の方でエルトエルトとお呼びになって離れようとなさらなかったんだから」
「あのころはちょうど王妃様が亡くなったばかりだったんだ。ミーティア姫はまだお小さいこともあるし、母上様を恋しがってたいへんだった。それが少しでも気を紛らせることができるとあっちゃ、むげにあの子供を追い出すのもためらわれたんだな、みんな」
 話しているところへ中年の小柄で頑固そうな料理人がやってきてどっかりすわりこんだ。
「たぶんあいつに、トロデーンで初めて仕事をさせたのはこのおれだ」
と彼は言った。
「本当なら元気になったところで古着にパンとチーズでも持たせて城から出せばいいものを、お姫様が絶対にいやだとおっしゃるので、しょうがなく厨房で使うことになったわけさ。とりあえずあの子が城の台所にいれば姫様も満足するし、それでそのうち飽きてしまわれるだろうと大臣なんか言ってたんだぜ?それでやつを使うことにして台所へ呼び出したんだ。あのときのことは、たぶん一生忘れないだろうぜ」

 エルトはぽかんとした顔でトロデーン城の広い厨房を見回していた。
「見れば見るほどガキだな」
料理人がそう言うと、エルトは素直に見上げ、こくんとうなずいた。
「そういうときは、はい、と言うんだ」
「はい」
最初料理人は、警告から始めるつもりだったのだ。ミーティア様のお気に入りだそうだが、それを鼻にかけやがったらただじゃおかんぞ。仕事がつらいなんぞと姫様に泣きついたりしてみろ、トロデ様に申し上げてお城から叩き出してやる……、だが自分を見上げた男の子の顔はどことなく不思議そうな、ごく無邪気な表情だった。
 毒気を抜かれた料理人は指で頭をかいた。
「まあいい。おまえにできるような仕事って言ってもなあ。そうだ、泥の付いた芋がひと樽あったはずだ。それを洗ってみろ。あとで皮のむき方を教えてやるから。じゃあ、まず、水をくんできな。井戸はお城の外だ」
はい、と元気よく答えてエルトは外へでた。
「どうだい、姫様のお気に入りは」
「悪い子じゃないよ。素直だってことはなんでも覚えられるってことだからな」
「そうだな、小利口で手癖が悪いなんてのが一番たちが悪い」
「案外いい奉公人になるかもしれん」
料理人どうし話していたときだった。いきなり扉が開いて若い兵士が叫んだ。
「おい、なんかすごいのが来るぞ!」
厨房にいた者たちはお互いの顔を見合わせ、それから扉の外へ顔を突き出した。
 すごいの、というのは樽だった。大人でも一人で運ぶのはつらいほどの大きな樽がゆらゆらとこちらへ近づいてきた。
「な、なんだありゃ」
ときおりぽたん、と樽から水が滴った。
 鈴なりになっていた兵士たちが脇へ寄って樽の通り道を開けてくれた。おかげで料理人はじっくり眺めることができた。
「エルト、おまえ」
もちろん樽は自走などしていない。エルトが木の大樽を抱えて運んできたのだった。
 エルトは悠々と樽を台所へ運び込んだ。彼が自分の身長と同じくらいの樽を石床へおろすと、たぶんと音がした。中には並々と水が汲み入れられ、そのなかで大量の芋が泳いでいた。
「おまえ、これを」
井戸で水を汲んで芋を洗え。小さなエルトはまったく忠実に実行したようだった。料理人は片手を樽に添え、動かそうとしてみた。びくともしなかった。周りの大人たちがあわてふためくのを、エルトはきょとんとした顔で見ていた。
「一人で運んできたのか、本当に?」
6,7歳と言えば、職人の弟子になるには適齢期と言える。だが、その年齢の子供でここまでの腕力を持っているのは見たことがなかった。
 ぱたんと音がして、また扉が開いた。
「あ、エルト、ここにいたのね」
花のような笑顔の小さなミーティア姫が小走りに入ってきた。
「お仕事は終わりましたか?終わったらミーティアと遊びましょう」
知っている人間の顔を見て安心したのか、エルトはぽやぁと笑顔を浮かべた。
「みーてぃあ?」
おぼつかなげにエルトは聞き返した。
 あとからミーティア自身が語ったのだが、エルトは最初、ほとんどしゃべらなかった。まるで外国語のやりとりを聞いているような表情で何日も黙っていて、それからぽつぽつと単語をつぶやき始めたのだ。ミーティアの名前もやっと覚えたようだった。
「呼び捨てにする奴があるか!」
とたんに料理人が叱った。
「ミーティア様、姫様だ」
「ひめ、さま?」
「呼び捨てにしていいお方じゃないんだぞ?」
料理人とエルトの会話を、ミーティアはちょっといらついた顔で見ていた。
「もう……。エルトのお仕事は終わったのですか?」
王女直々の質問に、料理人はきっぱりと答えた。
「こいつはまだ、始めたばかりです」
ミーティアは小さな唇をとがらせかけた。が、城の人々の仕事のじゃまをしてはいけない、ということを幼いながら彼女はたたきこまれていた。
「わかりました。終わるまでミーティアは待っています」
「姫様!」
ミーティアはとことこと厨房の隅へ歩いていき、三本足の木のストールの上にちょこんと腰掛け、行儀良く両手を重ねて膝に乗せた。
「エルト、お仕事が終わったら声をかけてくださいね」
こくん、とエルトはうなずき、それから答えた。
「うん、ひめ」
料理人は頭を抱えた。
「どうすりゃいいんだ、いったい」