こちら『季刊武器の友』編集部 2.第二話

 何か冷たいものが額にあたる感触でエドモンドは目を覚ました。
「あら、大丈夫?」
若い娘がエドモンドをのぞきこんでいる。自分が泉のほとりに寝かされているのをエドモンドは悟った。
「あの、私は?」
毛布のようなもののうえにエドモンドはゆっくり半身を起こした。
「気絶しちゃったのよ」
 泉の水で手巾を絞ってくれた娘はエドモンドの前にかがみこんで微笑んだ。赤みがかった長い髪をツインテールにした愛嬌のある少女……に見えたが、体の発達は著しい。胸元に吸い寄せられそうになった視線をむりやりあげて、エドモンドは 礼を言った。
「まったく、私としたことが。お嬢さん、本当に申し訳ない」
「気にしないで。小父さん、疲れてるみたいね」
「そういやあ、ここんとこ、寝てなかった」
「いい年で無茶するからよ」
 どかどかという足音が聞こえた。
「おっさん、気がついたでやんすか!」
風船のような体型の小男だったが、髯の剃り跡もあおあおとしてまるで山賊である。
「気付けでやンス」
目の前に突き出されたのは、ふちのかけた茶碗だった。いい匂いがした。
「いただきます」
呑んでみると案の定、強い酒だった。胃の腑がかっと熱くなった。
「おいおい、いきなりそんなもん飲ませるやつがあるかよ」
赤い服の若者が山賊の後ろから声をかけている。
「ククールは黙ってるでがす。銘酒『鬼殺し』。こいつはきくでがすよ」
「いや、まったく」
ろれつがあやしくなりそうだった。エドモンドは茶碗を返した。
「人心地がつきました」
ふー、とエドモンドはためいきをついた。
「これ、あんたんだろ?」
ククールと呼ばれた若者が羊皮紙を差し出した。
「倒れたときに落としたのを拾ったんだ」
エドモンドはパルミドの情報屋の羊皮紙を受け取った。
「すいませんね、何から何まで」
「それにしても、トラペッタにメダル王の島にベルガラックか。忙しそうだな」
エドモンドは笑った。自分でも情けない笑顔だろうと思った。
「事情がありましてねえ。そうだ、ひょっとして、“一瞬でページを書き写す魔法のアイテム”なんてものを知りませんか」
ククールと山賊ときれいな娘はお互いに顔を見合わせた。
「知らないわよ?」
と娘が言った。
「知らないけど、そんなもん、何に使うの?」
「本をね。作るんです。今までは校正済み原稿を用意して、マイエラ修道院の写字生たちに一ページづつ書き写してもらっていたんですが、できなくなりまして」
「どうしてだ?」
とククールが言った。
「やってくれと言えば、断らないと思うけどな。連中、それが仕事だし」
「聖堂騎士団長殿が……」
急にククールは、皮肉めいた笑いをもらした。
「あててやろうか。値上げだ。しかもぼったくりみてえなの」
エドモンドは驚いた。
「なんでわかったんですか」
「こないだあいつがニノ大司教と話をしてたからさ。金がいるんだろうよ」
「あのイヤミのやりそうなことよね」
「そこまでしてむしりとって、どこまで行く気なんですかねえ」
どうやら三人とも聖堂騎士団長を知っているらしかった。
「そういえば、君の制服」
ククールが身につけているのは、聖堂騎士団の制服だった。
「いちおう、団員なもんで。こっちのパーティに出向してるけどな」
めんどうくさそうに言うとククールは両手を腰に当てた。
「あんた、本を作りたいのに、値上げで困ってるんだろう?マルチェロのやつに金を払わずに本を作る方法を探しているんだよな?気に入った。力になるぜ」
「え?あの」
ククールは振り向いた。
「トロデのおっさん!」
 泉の岸を少し行ったところに馬車がとめてある。どういうわけか、さきほどは確かに馬車に繋がれていた白馬がいなくなっていた。
「どうしたの?」
泉の別の方向から声がした。エドモンドが最初に話しかけた、黄色い上着の若者だった。
「兄貴、旅のお人が気づいたでやんすよ」
「ああ、よかった」
気のいい若者のようだった。
「すいません、私はエドモンドといいます。サザンビークで『季刊武器の友』をやってるもので」
「ああ、ぼく、それ知ってます」
若者はぱっと笑った。
「毎号特集にはお世話になってます」
ぼくはエイト、こっちはゼシカとヤンガス、と若者は紹介して、そして肩越しに振り向いた。
「こちらがミーティア姫」
白い衣のすそをつまんだ、気品のある黒髪の少女が湖の中に素足で立っていた。
「気がつかれてよかったですわ、エドモンドさん」
エドモンドはあわてて頭をさげた。
「お、お世話をおかけしました、姫」
ころころとミーティア姫は笑った。
 エイトと名乗った若者は布を取って泉の岸辺の草地に敷き、ミーティアを座らせた。ありがとう、と言う姫の表情も、どういたしまして、と答えるエイトの声も、この二人が二人だけの世界に遊んでいることをまざまざと語っていた。
「なんじゃ、なんじゃ!」
 いきなり甲高い声が聞こえてきた。顔を上げてエドモンドはぎょっとした。緑色の小人がわめきながら歩いてくる。
「わしを呼びつけよって!しかも、おっさん呼ばわりはなんたることじゃ!」
それではこれが“トロデのおっさん”らしい。
「用があるんだよ」
呼びつけたククールは、まったく動じなかった。
「錬金釜で“一瞬でページを書き写す魔法のアイテム”ってのは作れねえか?」
「なに?」
「ないと困るんだ。この、エドモンドさんて人が」
あん?とトロデは言い、分厚い唇をへの字に曲げ、斜め上をにらみあげるような顔になった。
「羽ペンに、疾風のバンダナ……いやすばやさの種……」
ぶつぶつとつぶやいている。
「あのう、錬金釜を持ってるんですか?」
はい、と答えたのはエイトだった。
「トロデーンの国宝を、一時お預かりしています」
本物なのだ、そう思ってエドモンドは身震いした。手に入るかもしれない、魔法のアイテムが!トロデはしきりにつぶやきながら馬車のほうへ戻っていった。ククールたちがいっしょについていった。
「ねえ、チーズもいれてみたら?」
「書く……写す……鏡なんてどうだ?」
「いっそのこと馬の……」
どかっと音がした。
「黙ってろ、ヤンガス!」
思わずエドモンドはつぶやいた。
「できるでしょうか、魔法のアイテムが」
エイトは首をかしげた。
「たいていの人が誤解しているんですが、錬金釜はどんなものでも作り出せるわけじゃないんです」
「え、そうなんですか」
「レシピがなければ今みたいに手当たり次第に試すしか方法がないですし、材料がなかったら試すこともできません」
「旅の人~」
馬車の中からトロデが情けない声をあげた。
「だめじゃ。思いついた限りの組み合わせを放り込んでみたが、釜が受け付けんのじゃ」
エドモンドは両手で顔をおおった。
「ああ、やっぱり。だめですかねえ」
誰かがぽんと肩をたたいた。ククールだった。
「おい、あきらめるなよ。マルチェロに尻尾振る前に、ありったけのことを試してみな」
エドモンドはふっと笑った。
「そうですね。こうなったら正攻法だ。サザンビークへ帰って編集部のみんな、それに近所の職人にも頼んで、いっせいに書き写してみますよ。ちょっと見栄えは悪くなるが、新刊を落とすよりずっとましです」
エイトが笑った。
「じゃあ、みなさんに伝えてください。『ファンが待ってます』って」
エドモンドの胸の中に暖かいものが生まれ、じわりとひろがっていった。
「ありがとう。必ず伝えます」
御者台からトロデがわめいた。
「そろそろ行くぞ~」
 ゼシカもヤンガスもその場に広げたものをまとめたりして片付け始めた。先ほどまで座っていた美しい姫君は、先に馬車に乗り込んだのだろうか、姿が見えなかった。エイトが白い馬の手綱をそっとひいて馬車の前に誘導してきた。大切な馬らしい。馬具を装着するにも痛くないように気をつかっている。
「ぼくたちはお先に失礼しますけど、もう大丈夫ですか?」
「無理しちゃ、だめよ?」
エドモンドは軽く伸びをした。
「ゆっくり休ませてもらいましたし、平気です。キメラの翼もありますから」
「がんばるでがすよ!」
「あいつに一泡吹かせてやれ!」
エドマンドは最敬礼した。
「お世話になりました!」
馬車が動き出した。ひづめの音さえ上品に、パーティは小道の向こうへ消えていった。エドモンドは一行を見送り、自分も荷物の中からキメラの翼を出そうとして、手を止めた。
 小道に馬蹄の跡がついていた。あの馬は泉の中にいたらしい。それで足が濡れていたのだろう。車のわだちはついているが、ほかの者たちは固い地面にあまり足跡もついていない。濡れた馬の馬蹄だけが……
「わかったぞ!」
エドモンドは叫んだ。

 編集部の面々と職人たちは、自信満々のエドモンドの顔を見、見慣れないからくり細工を見、お互いの顔を見合わせた。
「大丈夫なんですか?」
エドモンドは無言でレバーをはずし、正方形の大きな蓋をそっと持ち上げた。その下には羊皮紙があった。はしをもってエドマンドはそっと持ち上げた。羊皮紙はゆっくりはがれていく。
「どうだ」
羊皮紙の面にはくっきりとインクがついていた。『季刊武器の友』最新刊の第一ページである。
 編集部の者たちは声も出ないようだった。が、若いのが一人、ためいきまじりにつぶやいた。
「できたんですね。“一瞬でページを書き写す魔法のアイテム”が」
エドマンドは首を振った。
「ちがうな。これは“一瞬でページを書き写す、魔法じゃないアイテム”だ」
からくりを実際に製作した職人が、疲れた顔にうれしそうな表情を浮かべた。
「いいか?文字の形を逆に彫ったはんこをいくつも用意して浅い箱の中に文章の順番どおりに並べ、はんこの表面にインクを塗る。その上に羊皮紙を置いて蓋をし、圧力をかける。すると、100枚だろうが、200枚だろうが、同じページができるって寸法よ」
 文字を逆に彫ったはんこが馬の馬蹄、インクが泉の水、そして羊皮紙が乾いた小道。エドマンドは心の中であのパーティに向って深々と頭を下げた。
「さあ、みんな、協力してくれ。おれたちの新刊を俺たちの手で作るんだ」
 編集部はにわかに興奮し始めた。
「羊皮紙は十分あるな?」
「原稿、2ページ目からはどうします?」
「注文どこから納品しますか!」
その騒ぎを圧して、一人が叫んだ。
「エドマンドさん、この……こいつ、動かし方教えてください!」
「こいつじゃねえ」
エドマンドは幸せだった。本をつくることができるのだ。
「そいつの名前は『印刷機』と言うんだ」