ドラゴンボーイ 飛竜少年 4.飛竜少年

 エルトのポケットで何か動いていた。もちろん、いつもいっしょにいてくれる守護ネズミ、トーポだった。
 エルトをミーティアに引き合わせたことをはじめ、エルトが危ない目にあいそうになるといつもそれを教えようとするかのように、いきなり動き出す。
「ごめんねトーポ。でも、ぼくがやらなきゃ!」
そうささやきながらエルトは頭をめぐらせていた。
 まだ小さなエルトにとって戦略の選択肢はひどく少なかった。魔法、なし、特技、なし、装備、なし、テンションを上げる手段、なし。頼みにできるのは、素手の力だけ。
 初めて城へやってきたとき、大人顔負けどころか数人分の腕力をエルトは持っていた。ミーティアのヘアバンドがワードローブの下へ転がり込んだとき、そのどっしりと重いタンスをひょいと持ち上げて家庭教師を絶句させたこともある。十年ほどのちトロデーンが災厄に見舞われた直後、この同じ吊り橋で馬車に襲いかかり、ついでに橋そのものを壊してしまった間抜けな山賊(ヤンガス)ひとりを綱で引きずりあげることなど、実は朝飯前だった。
 目の前のキラーマシンは矢を撃ちつくしたボウガンを捨てて、剣をふりあげていた。十数歩の距離まで迫ったあたりでエルトは目を付けていた岩に飛びついた。草原を貫く街道の道ばたに放置された岩は木の切り株ほどの大きさがあった。両手でその岩をつかんで軽々と頭上に持ち上げた。土くれや砕けた破片が頭の上にぽろぽろ落ちてきた。
「あたれっ」
キラーマシンの顔面めがけて、エルトは岩を投げつけた。一瞬早くキラーマシンの手の中の剣がひらめき、飛んできた岩をたたき割った。轟音とともに大量のかけらが飛び散った。
「トーポ!」
片手にはチーズの小袋。もう片方の手にはトーポ。飛び散った岩の破片が煙幕がわりだった。その煙幕の背後から、キラーマシンは炎の直撃を受けた。キラーマシンは足を止めた。
 実際は単眼の表面が煤けて汚れただけで、ダメージはほとんど受けていなかったのだ。だが、エルトにはわからない。本能が命じるままにエルトはキラーマシンの足下へ飛び込んだ。キラーマシンの、パイプ足の一本を抱え、強引に引きずった。
 キラーマシンは暴れた。足にまとわりつく邪魔者を、手を振りまわして排除しようとした。
「たおれろ、おまえ、倒れろよ!」
キラーマシンはエルトがしがみついている足を蹴り上げた。エルトが待っていたのはその瞬間だった。横へ水平につきだしたキラーマシンの脚の中央ジョイントをつかみ、ねじった。マシンは暴れた。意志を持っているようにけいれんし、痛みを感じているかのようにもだえた。
 エルトはぼろぼろだった。ほとんどノーダメージで足を止めただけのキラーマシンにゼロ距離で取っ組み合いを仕掛けているのだから。幸いキラーマシンは反対側の手で剣をつかんでいたのでエルトには届きにくかった。だが、剣を持っていない方の手でびしばしとはたかれ、殴られ、髪をつかんでひきずられていた。
「エルト!」
遠くからミーティアの声がした。エルトはすぐに反応した。息を深く吸い込んでキラーマシンの膝に当たるジョイントをねじ切ったのだった。
「#$#&&’’((=)(=%$#”!」
濁った音声をあげてキラーマシンがけいれんした。短くなった足の側にがくんとキラーマシンが傾いた。
「エルト、エルト……」
ミーティアはすすり泣いていた。
「ひめ、動けますか?」
うん、と少女はなんとかうなずいた。キラーマシンの矢がかすったはずだが、ミーティアは歩いてそこまでやってきていた。
「ひどいケガだわ。手当をしないと。いっしょにお城へ戻りましょう」
エルトはミーティアの差し出した手を取らなかった。
「早く橋をわたってください」
「でも!」
「こいつが起きちゃいます。早く!」
エルトは嫌な予感に襲われていた。
「ぼくが抑えてるから、早く、お城へ!」
 キラーマシンにとっては、被害はそれほど大きなものではなかった。機械でできた兵士にはそもそもミッションをあきらめるという選択肢がない。移動が不自由になったキラーマシンは遠隔攻撃を選んだ。矢を撃ち尽くしているため、レーザービームを試みた。
 ブ、ヴヴ、と異様なうなりをあげてキラーマシンの内部でレーザーシステムが動き出した。
 ぞく、と背筋に鳥肌がたった。エルトはあわててキラーマシンの背をよじのぼり、頭部を押さえつけた。腕力はあるが、体重はない。首を思い切り押して下を向かせるのが精一杯だった。
「危ないからひめ、お城へもどってください」
真下から見上げる少女の目は涙でいっぱいだった。
「これはエルトをねらっているのでしょう?」
勘のいいミーティアはずばりとそう言った。
「たぶん。だから、ここにいちゃだめです。ひめは橋をわたって」
卵形の愛らしい顔がふるふると横にふられた。
「ぼくも、あとからいきます」
「本当?」
「ほら、橋の向こうに」
ミーティア姫捜索隊がようやくそこまでやってきたのだった。一瞬ミーティアがそちらへ気を取られ、エルトも、ふと息を吐いた。
 その瞬間、キラーマシンが暴れ出した。
「わっ」
肩車のようにまたがって首を押さえ込んでいたエルトがそのまま吹っ飛ばされた。体重の軽い子供は草地へたたきつけられた。
 単眼の光が赤から白に変わった。その奥で共振によって光が収束していく。エルトは飛び退いた。その場所へビームがほとばしった。
「ひめ、にげて!」
不安定になったパイプ脚でキラーマシンが追いかけてきた。動きはさきほどよりずっと遅いが、ビームが襲ってきた。エルトは転がって避けた。
 キュウっ、キュキュッと鳴き声がした。
 トーポが興奮している、とエルトは思った。危険を知らせるときの動きとはまたちがった鳴き声だった。短い前足でトーポはあきらかにキラーマシンを指していた。というよりは、キラーマシンの頭部の単眼を見ろと言っているようだった。
 がくがくしながらキラーマシンの頭が動いた。さきほどエルトが頭をおさえつけたときに首にあたるジョイントが破損したらしく、なめらかな動きではなくなっていた。
「さっき、あいつ、ぼくにあのビームを当てられなかった」
その理由にエルトは思い当たった。キラーマシンの単眼の表面は、まだトーポが放った炎のために煤けていた。部分反射鏡が不完全になったためレーザービームは本来のパワーが出せないでいるらしい。
 そのことにキラーマシン自身も気づいたらしかった。手から剣を落とし、人間で言えば顔を拭くような動作をし始めた。
「だめだ!」
エルトはキラーマシンに駆け寄った。あの単眼がクリアになったら、フルパワーのビームを出せる。そうしたらエルトどころかミーティアまで射程距離にはいってしまう。
 幼く小柄なエルトは、大人より大きなキラーマシンの片腕をつかんで身を乗り上げた。キラーマシンと距離なしで対面するような形になった。
 真っ正面からエルトはワイプされた単眼をのぞきこんだ。キラーマシンのモノアイいっぱいにエルトの顔が映りこんでいた。
 キラーマシンは冷静にビーム収束を始めた。
「やめろーっ」
本当はもう一度トーポに火を放ってもらうつもりだったのだ。エルトの肩にかけあがったトーポはもう前足にチーズを抱えていた。
 ぐらりと足場……キラーマシンの体が揺れた。
 一瞬にして、白い光が消えた。
 真っ暗になった単眼の上から、シャッターが降りていく。
 キラーマシンは小さくつぶやいた。
「網膜認証ヲ確認シマシタ。緊急停止シマス」
 パイプ脚が屈曲してキラーマシンはその場に座り込み、そして永遠に沈黙した。

 トロデーン城は、戻ってきた子供たちをいそいそと保護した。
 ミーティア姫はまず子煩悩な父に抱きしめられ、そのあと家庭教師と大臣と父から説教された。乳母がケガを調べてくれたあと、夕ご飯抜き、ミルクとビスケットだけでそのまま寝るようにと言われた。
「エルトはミーティアを助けてくれました。お礼を言いに行ってはだめですか?」
トロデ王は咳払いをした。
「明日にしておけ。エルトは逃げはせん」
「だって。ミーティアがいっしょにお散歩したいなんて思わなければ、エルトはあんな目にあわなかったのだもの」
「そう思うのなら、もう少し分別を持つのじゃな。ああ、これ……」
目を潤ませたミーティアに、トロデはおろおろした。
「こうしよう。わしはこれからエルトのところへ行ってくる。おまえを助けてくれたことについて、ありがとうと言いたいからな。伝言があれば伝えてやるぞ?」
ミーティアはかわいい唇を噛んだが、ふところから何か取り出して父に手渡した。
「これをエルトに返してしてください」
「なんじゃ、こりゃ」
薄いが丈夫な角質のそれは、何かの鱗のように見えた。だが魚鱗より大きく、縁がコウモリの羽のようなスカラップになっている。一か所に穴をあけてひもを通してあった。そして鱗の真ん中に傷がついていた。
「ずっと前にエルトにもらったの。ミーティアの赤いハンカチとエルトのもっていたウロコを仲良しのしるしに取り替えっこしたの」
ミーティアは傷を指した。
「ここにあの機械兵の矢がかすったの。でも、これのおかげでケガをしませんでした。あのときミーティアでなくてエルトがこれを持っていたら……」
「竜のうろこか。守備力は5じゃからそれほどの違いはなかったろうが」
トロデはそっと竜のうろこをしまった。
「おまえがそう言うなら、これはエルトに渡そう」
「ありがとうございます、お父様」
やっと笑顔を見せた姫の頭をなでてやり、トロデは部屋を出た。
「それにしてもエルトのやつ、なんで竜のうろこなんぞ持っていたものやら」

 小間使いたちが共同で使う部屋のベッドにエルトはいた。自力でキラーマシンを倒したことを城の人たちから口々に誉めてもらい、トロデ王直々に姫を助けたことを感謝された。厨房では褒美として料理人がはりきってつくったご馳走を食べさせてもらった。食べきれなかった分をとりわけてもらい、エルトは自分のベッドの上でトーポにお裾分けをしていたところだった。
「これはおまえに返すが、もう仲良しじゃないという意味ではない。もしよかったら、もう少し別な"仲良しのしるし"をミーティアのために見繕ってやってくれ。エルトよ、これからもミーティアをよろしく頼むぞ」
トロデ王にそう言ってもらって、エルトは安心し、くつろいでいた。キラーマシンに殴られてできた青あざは残っていたがそれほど痛くはなかった。
「ひめは大丈夫だったって、トーポ。よかったね」
ネズミは前足でベーコンのかけらを抱えてかぶりついていたが、顔を上げてうなずいた。エルトはくすくす笑った。
「今日はありがとう、トーポ。おまえはほんとに不思議なネズミだね」
ふと思いついてエルトは聞いてみた。
「なんでぼくが竜のうろこを持ってたのかな。何か知ってる?」
とたんにトーポは喉をつまらせた。
「わ、ごめん」
あわててエルトは、小さな杯に薄めたお茶をついでやった。縁に口を付けてトーポが飲んでいた。
「ぼくは最初、これ、自分のうろこかなと思ったんだ」
エルトは片手を背にまわした。左右の肩甲骨の中央に一か所だけ、ほかの人と異なるところがエルトにはある。三枚のうろこが行儀よく三角形に生えているのだった。手鏡で無理に背中を見ると、そこだけ蛇そっくりだった。
 爬虫類と同じそのうろこが気味悪がられるのが嫌で、エルトは人に見せないようにしてきた。
「でもこの“竜のうろこ”は、ぼくのにしちゃ大きすぎるんだ。第一、取れたうろこに紐をつけてアクセサリにした覚えなんてない」
トーポは視線を合わせてくれなかった。エルトはあきらめた。
「トーポが何か知ってたって、それを話すことはできないもんね。無理言ってごめんよ。さあ、ぼくはそろそろ寝るよ。疲れちゃった」

 あたりは真っ白だった。上下左右、何もない空間が広がっていた。最初、自分がどこにいるかわからなかった。だが、何もない、ということの意味を悟った瞬間、戦慄が背筋を駆け上がった。
 落ちる!
 眼下に白雲が見える。
 絶望して見回した。遠くにいくつも明るい茶色の岩が、なぜか浮いていた。だが近くに手をかけてつかまれそうなところなどなかった。
 めまいを起こしたのか、風景がぐるぐる回り出した。
「怖いよ、おかあさん!」
ふいに優しい女の声が応じた。
「大丈夫。足もとをよく確かめてごらんなさい。おまえは真っ逆さまに落ちたりはしないわ」
かかとが何かに触れていた。エルトは自分の体を両腕で抱えてうずくまった。足もとに、確かな足場があった。
 まだこめかみを冷汗が流れていく感触があった。荒い呼吸をようやく鎮めて、エルトは足もとをうかがった。
 透明だがしっかりした板のようなもののうえにエルトはいた。おそるおそるエルトは立ち上がった。
 板はそれほど大きくない。そして上にも下にも続いている。それはあきらかに階段だった。
 ばさっばさっと翼の音がした。頭上に何かいた。
「かわいい私の坊や。私はおまえに“翼ある形”を与えてあげられませんでした」
エルトは振り仰いだが、声の主は背後に回ったらしく見えなかった。
「けれど、おまえはいつか、魂に翼をもつようになる。坊や、小さなかわいい、私のエルトー……」
翼ある者はかすかな響きだけを残して飛び去って行った。
 真夜中のトロデーン城の小間使い部屋の片隅で、ゆっくりエルトは目を開いた。手の中には、竜のうろこがあった。
「おかあさん?」
落下パニックとは違う心の動きがエルトの目に涙をあふれさせた。
 そしてそれ以来エルトは落ちていく夢を見ることはなく、次第に悪夢を忘れていった。エルトがこの夢を思い出すのはこれから10年以上あと、竜神族の里から天の祭壇へとたどりつき、目覚めたままで透明な階段を踏みしめたその瞬間である。