ドラゴンボーイ 飛竜少年 3.橋を守る機械兵

 あたりは真っ白だった。上下左右、何もない空間が広がっていた。最初、自分がどこにいるかわからなかった。だが、何もない、ということの意味を悟った瞬間、戦慄が背筋を駆け上がった。
 落ちる!
 眼下に白雲が見える。
 絶望して見回した。遠くにいくつも明るい茶色の岩が、なぜか浮いていた。だが近くに手をかけてつかまれそうなところなどなかった。
 めまいを起こしたのか、風景がぐるぐる回り出した。
「はっ、ああっ」
 どうしてこんな、理不尽な。こんなはずはない、こんなところで。焦りが過呼吸を呼び、冷や汗が全身にわいた。
「怖いよ、おか……」
誰を呼ぼうとしたのかわからない。ただものすごい距離を落下していく感覚だけがあった。

 老人の声が、驚いたような口調で問いただした。
「そんなばかな。なんでそこまでしてわしの孫を死なそうとするんじゃ」
男の声が答えた。
「長老様方のお考えが俺みたいなもんにわかるわけもないんでして……」
「あの子は長老会議の決定通り呪いを受けて地上へ放逐されたんじゃ。その上まだ命を取れとは!わしの娘はヒトの男を愛した。それは確かに一族にとっては罪かもしれん。じゃが、孫は何一つ悪いことをしとらんぞ!!」
「わかってまさ、わかってますよ、まったく。けど、どうしてもお孫さんが目障りだって方が長老会議の中にはいらっしゃるんです」
あわてたように男は説明していた。
「刺客を送りこむ件は竜神王もご承知なのか?ご承知なくば何人と言えどこちらの世界へ武器を持ち込むこともかなわぬはずじゃが」
「いや、竜神王様どころか、他の長老方にも黙ってこっそりと、みたいです。武器はもちこんだんじゃありません。もともとこちらの世界にあったモノをさしむけたんで」
老人の声が深いため息をついた。
「古代の殺人機械とはなあ。すべて失われたと思っていたぞい」
「どっこい、こっちにはけっこう残っているようなんでさ。特に砂漠の地下には一大基地があったようです」
「起動認証があったはずじゃが、まだ使い物になるんか」
「脳が生きているものを選んで、認証を竜神族の網膜に書き換える凝りようで……」
「そこまでしてか!」
「あれはツクリモノですから絶対にターゲットを諦めないし、心もないから子供相手でも容赦しません。たぶん殺しが終わったら殺人の命令は消去されて、証拠も残らないようになってんでしょう」
「くそっ。わしの今の体では守ってやることができるかどうか」
「十分用心してくだせえ、グル……」
 小さなミーティアは上体を起こして周りを見た。老人の声がしたと思ったのだが、そんな人間は見当たらなかった。
「私、どうしたのかしら」
「おい、おひめさん」
ふりむくと先ほどの髭の旅人がこちらを見ていた。
「その坊主がさっきからうなってるんだが」
ミーティアはあわてて声をかけた。
「エルト、エルト、起きて」
「怖いよ、おか……」
少年は泣きながら訴えていた。ミーティアはエルトの肩を揺すった。
「大丈夫です。エルトは落ちないわ。ミーティアはここよ?」
涙でいっぱいの目を少年は見開いた。
「ひ、め?」
「そうよ」
エルトは起きあがって身震いした。
「あの夢を見たのね」
それは、エルトが城に来てから何度もくりかえしてみている怖い夢のことだった。うん、とエルトはつぶやいた。
「また、ぼく、落っこちてた」
「もう大丈夫」
エルトは少女にすがるようにしがみつき、片手で一生懸命涙を拭った。そのあいだ旅人はどこかあらぬ方を向いて、見て見ぬ振りをしてくれた。
「さて。わしはそろそろ行くとするか。乾酪を気に入ってくれてありがとうよ」
「こちらこそ。ごちそうになりました」
礼儀正しくミーティアが言った。
「しっかりした嬢ちゃんだ。いや、ひめさんか。おまえさんの相棒はトロそうだがな」
「エルトはとろくなんかないです!」
頬を紅潮させてそう言う姫を旅人は楽しそうに見守った。
「でもちょっと泣き虫です」
とエルト本人が申告した。
「わっはっは」
旅人は豪快に笑った。
「おひめさんや、こいつをよろしくお願いしますぞ」
独特の口調だった。まるで見知らぬ旅人ではなくてエルトの親戚か何かのような言い方で、ミーティアは少し不思議に思った。
 旅人は小さな布袋を取り出してエルトに手渡した。
「乾酪、いやチーズの小割りだ。ペットのネズミにやりな」
「ありがとう」
エルトが言うと、旅人はちょっと笑った。
「俺の勘が正しければ、そいつはただのネズ公じゃねえな。戦闘中そのネズミにチーズを食べさせると、もしかするともしかするかもしれねえぞ」
「え?」
「ただの勘だよ。だが、おぼえていてくれな。さあ、あっちがお城じゃねえのかい」
旅人がまっすぐ指さした。それは草原の向こうの吊り橋と、その彼方の城に向かっていた。

 きらびやかな真昼の輝きはしだいに薄れ、午後の日差しに変わっていった。エルトたちはもう浮かれて走ることはなかったが、二人だけの散歩を楽しみながら手をつないで橋へ向かっていた。
「不思議な旅の人でした」
とミーティアは言った。
「くださったものは、みんな美味しかったですけど。このあたりに住みたいというお話でしたから、またお目にかかることもあるのでしょうか」
うん、とエルトは言った。
「また会えるといい……。あのもちもちっとした……ちまき。おいしかった」
ふふふ、とミーティアが笑った。
「今日のエルトは、いつもよりおしゃべりですね?」
「え、そうかな」
はい、とミーティアがうなずいた。
「初めて会った時エルトはぜんぜんお話をしなかったし、それからも言葉がぽつぽつしかでなかったのに」
その間、ミーティアはずっとそばにいてくれた。一人も知り合いのいない親なし子にとって、ただ一人の仲間でいてくれた。
「ひ、め。ミーティア姫。ありがとう、ございます」
少女はぱっと笑顔になり、お作法の時間に覚えたらしい、スカートの裾を両手でつまんで腰を屈めるお辞儀をしてみせた。
「まあ、ごていねいに」
 かわいい子じゃねえか、とあの旅人は、別れ際にエルトにこっそりささやいたのだった。
「おめぇ、あの子のために戦ってやりなよ」
エルトはきょとんとした。
「ぼく、戦う?」
「そうだ」
「お城ではひめが守ってくれた」
「そりゃ、お城ん中だからだ。でも外にいるときはおめぇが守れ」
それから、とチーズの旅人は声を潜めて言った。
「あの子には、おまえの背中を見せるな」
エルトの顔がこわばった。
「もう気づいてるだろ?おめぇの背中に人と違うところがあるってことは」
エルトは無言でうなずいた。
「それを受け入れられるやつとだめなやつがいる。あの子はいい子だが、まあ、女の子だ。見せねぇほうがいいだろうぜ」
「わかった」
 冷たい風がさっと顔をなでていった。
「エルト」
呼ばれてエルトは我に返った。西の空がそろそろ染まり、日没が近くなっていた。
「何かしら。お城への橋のところに誰かいます」
 草原のはずれはそろそろ薄暗くなっていた。その中で緑色の単眼が不吉に点滅していた。
「兵士?じゃない」
人間ではないのはひと目でわかった。逆三角の青い積み木の下に四本の足をつけた、大人と同じ、ないしはそれ以上の大きさの人形に見える。パイプ状の細い足の先には円盤がついていて、前後左右に動けるようだった。そして肩にあたるところからは角が左右に突き出し、両手には刀と弓をそれぞれもっていた。チーズ好きの旅人が見れば、それがキラーマシンと呼ばれる古代の殺人機械だとわかっただろう。
 キラーマシンがいるのは長い吊り橋の入り口だった。トラペッタ地方を流れる河は地形を深く削り、トラペッタの町とトロデーン城を分断している。リーザス、ポルトリンクを経て荒野を横断する困難な道を除けば、吊り橋はトロデーンへのただひとつの陸路だった。キラーマシンは明らかに橋を塞いでいた。
「なんだか、ミーティアは怖いです」
ミーティアがつぶやいた。キラーマシンはそろそろと顔に当たる部分を動かしていた。ミーティアとエルトのいるあたりをまともに見たとき、顔が停まった。点滅していた単眼が真っ赤に点灯した。
「逃げましょう、エルト!」
最初はゆっくり、それからスピードを上げてキラーマシンが走り出した。明らかにこちらへ向かい、しかも両手の武器を振り上げている。子供たちは絶望的な目で周りを見回した。安全なところなどない。トラペッタだけが城壁に守られたところだったが、そこまで走って戻るあいだに追いつかれてしまうことは明らかだった。
 エルトの手首をつかんで反射的にミーティアは、それでも走り始めていた。
「ひ、め!」
ミーティアがふりむいた。エルトは首を振った。
「逃げられないです。戦わないと」
「勝てっこないでしょう!逃げましょう!走って、エルト!」
少年は背後を指した。
「あっちの樹の陰にかくれて」
と言いかけたときだった。鋭い音が空を切った。二人のそばの地面に矢がつきささった。
「きゃあっ」
そのうちの一本が少女の背に迫った。エルトの腕がミーティアを抱えてその場へ引き倒した。矢はケープをかすって落ちた。
「ここに、いて。頭を上げないで」
ミーティアはエルトを見上げた。身近に死を感じた恐怖で涙がにじみ、声も出せなかった。
「だいじょうぶ。ぼくが、ひめを守ります」
それだけ言うと、エルトはキラーマシンに向かって飛び出した。